goo blog サービス終了のお知らせ 

書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

平野久美子 『坂の上のヤポーニア』

2011年09月22日 | 西洋史
 2011年04月29日「『自然エネルギー』の幻想」 を読んで」より続き。
 著者は、ステポナス・カイリースの『日本論』(1906年刊)に、執筆時1905年からすればそのわずか8年前の「時事新報」に発表された福澤諭吉の「宗教は茶の如し」(1897年9月4日社説)が引用されている事実を指摘している(「第四章 文明開化の音がする」「福沢諭吉」、本書110-111頁)。
 こうしてみると、同時代における福澤の影響というものは、非西洋列強世界においてとても大きかったのかもしれないと思えてくる。
 それにつづいて、西洋で暮らし、西洋を理解し、かつ西洋と戦い勝った男である秋山好古が、福澤を尊敬し、自身の子供たちを慶應に入れたという逸話も、裏返しに――つまり国外へ視点を転じて世界を外回りに一周してから――その意味を考えてみるのもいいかもしれないとも思った。

(産経新聞出版 2010年12月)

David Jacobs著 郡山直/新川文雄註解 『America on Parade』

2011年06月06日 | 西洋史
 邦訳名「アメリカ小史」。
 注釈者も「はしがき」で書いているが、著者の経歴はよく分からないという。しかし注釈者が同時に記すところによれば、ここに展開されているのは最大公約数の米国史と史観であるらしい。

  The American Revolution was not waged to secure liberties. It was fought rather, to preserve liberties already possessed--liberties which, the Americans believed, were being challenged by mother country. ("THE MAKING OF A NATION," p.17)

 なるほど元から享受していた自由を、なにをとち狂ったのか本国(宗主国)がそれまでの政策を急に変更して剥奪しようとしてきたというのであれば、一時的に敵対はしても、そして必要とあらばそれまでの絆を断ち切って独立をしても、対立の原因が解消されれば関係は修復されあとに遺恨は残らないだろう。米国が英国への反感を国家と国民存立の基盤にしていないのはそういうことかと、とりあえず納得できる。

(成美堂 1982年1月初版 1984年2月重版)

井上幸治編 『民族の世界史』 8 「ヨーロッパ文明の原型」

2011年01月15日 | 西洋史
 2010年06月19日「L. ベルネ他編著 『世界の教科書=歴史 009』「フランス:2」」より続き。
 「サリカ法(典)」のことは何も書いていない。
 強国フランスがカペー朝時代に女王および女系相続を禁止したから、他国との政略結婚の結果ヨーロッパ主要王家を後世カペー朝の父系子孫がもっぱら占めることになったというだけのことであろうか。

(山川出版社 1985年7月)

『THE [FORGED] TESTAMENT OF PETER THE GREAT』

2010年12月27日 | 西洋史
 〈http://www.nipissingu.ca/faculty/coryf/HIST2705/resources/THE%20(forged)%20TESTAMENT%20OF%20PETER%20THE%20GREAT.doc

14. Should the improbable happen of both rejecting the propositions of Russia, then our policy will be to set one against the other, and to make them tear each other to pieces. Russia must then watch for and seize the favourable moment and pour her already-assembled hosts into Germany, while two immense fleets, laden with Asiatic hordes and conveyed by the armed squadrons of the Euxine and the Baltic, set sail simultaneously from the Sea of Azov and the harbour of Archangel. Sweeping along the Mediterranean and the Atlantic, they will over-run France on the one side while Germany is overpowered on the other. When these countries are fully conquered, the rest of Europe must fall easily and without struggle under our yoke. Thus Europe can and must be subjugated.

 なんじゃこれは? ロシア版“明治天皇の遺訓”もしくは「田中上奏文」のようなものか?

Orlando Figes 『Crimea: The Last Crusade』

2010年11月30日 | 西洋史
 The Economist でも書評されたこのクリミア戦争通史――おそらく目下英語圏で最新の――になると、はっきり、恐露病 Russiophobia という言葉が用いられる。その内容は前出 Royle の書とほぼ同じだが(ただしオスマン帝国=西・中央アジア地域およびバルカン半島への進出がとくに重視される)、当時のヨーロッパ、とくにイギリス、フランスおよびドイツからみたロシアは、"an Asiatic 'other' threatening liberties and civilization of Europe with any real or perceived threat"という要素が加わる('The Russian Menace', p. 70。および 'Cannon Fedder", p. 328)。たとえその脅威が現実のものもあれば想像をたくましくしたあげくの妄想に類するものもあったとしても(with any real or perceived threat)、ロシアを"Asiatic(アジア的)"な“other(他者)"と見なしたその理由は何なのか。

(Allen Lane, Oct., 2010)

Trevor Royle 『Crimea: The Great Crimean War, 1854-1856』

2010年11月29日 | 西洋史
 クリミア戦争通史。非常にスタンダードな良書だと思う。
 著者は、クリミア戦争前夜の19世紀前半のヨーロッパ諸国に“恐露病”ともいうべき感情が共有されていたことを指摘する。
 その内容は、

 1. ヨーロッパの中心から遠くはなれかつ広大なロシアは、その内部で何が起こっているのか容易に分からず、不気味な印象を外部に与えた。
 2. 農奴制をいまだに維持し、当時のヨーロッパの趨勢であった憲法とも議会制ともロシアは無縁な専制国家だった。
 3. しかも当時(ニコライ1世治下)のロシアはその悪名高い秘密警察の存在と、ポーランドの併合およびその地における圧政によって、ヨーロッパに暗く陰惨な印象を与えていた。
 4. 同じく当時のヨーロッパで駸々乎として進みつつあった文明開化の象徴たる鉄道がロシアでは未発達で、1951年になってようやくモスクワ--ペテルブルグ間が開通したに過ぎなかった。しかもそこで走ることになった機関車はすでにヨーロッパでは旧式となっていたものだった。
 5. ロシアはロンドンで開かれた文明社会の祭典ロンドン万国博覧会(史上第一回、1851年)に代表団を送らず、出品もしなかった。
 6. 近代国家としては経済・金融の制度面でひどく遅れている一方で、軍事的には極めて強大で領土拡大志向が強かった。
 7. その結果、概して未来志向・進歩信仰だった当時のヨーロッパ人から“異様”“野蛮”な国として恐怖・嫌悪された。

 というものである('Prologue: 1851', p. 7)。

(Palgrave Macmillan, Reprint, Feb., 2004)

三浦耕喜 『ヒトラーの特攻隊 歴史に埋もれたドイツの「カミカゼ」たち』

2010年11月22日 | 西洋史
 ロシアにネオナチがいるんだから、ドイツにカミカゼ特攻隊がいても不思議ではないが、そんなことより、「あとがき」で“ドイツは戦争犯罪を謝罪しているのにそれにひきかえ日本は・・・・・・”式の陳腐で大味な戦争責任論に陥るのはどうしてか。エルベ特別攻撃隊生き残りの老齢者から聞き書きをとってゆくという地道なスタイルの本編と、こういう非歴史的・抽象的、空疎で大仰な歴史認識議論と、どういう論理的連関性があるのだろう。これも馬鹿らし。こんな「あとがき」なら書かぬほうがましだったろう。

(作品社 2009年2月)

鹿島茂 『ナポレオン フーシェ タレーラン 情念戦争1789-1815』

2010年10月20日 | 西洋史
 何でも彼でも“情念〈パッション)”で割り切ろうとする処が“世界史の基本法則”よろしくほとんど金太郎飴状態だが、それを我慢すればまあ面白い“物語”である(精神分析学的方法論を使った歴史学研究というのは、たいてい物語、しかも“”付きの物語しか生み出さない)。しかしそれにしても情念という切り口でタレーランを論じて、カレームを論じないのはどういうことかしらん。食欲も人間存在にとって重要なパッションの一つであろう。もしその理由が、種本にしたフーリエの理論では食欲とは五感の物質的な情念にすぎず、情念としては下位に位置づけられているからというならば、あなた自分の考えというものはないのかと、憎まれ口のひとつも利きたくなるところだ。

(講談社学術文庫版 2009年8月)