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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

幸徳秋水全集編纂委員会編 『幸徳秋水全集』 第8巻

2011年04月09日 | その他
 『兆民先生』(明治35/1902年5月 博文社)をあらためて読む。やはり、有名な坂本龍馬の頭髪は梅毒のためにぬけあがっていたという兆民の証言は、別段何の医学的な根拠があってのことではない。
 それより、兆民は生涯龍馬を尊敬していたとはっきり書いてある。そのほうが私にとっては重要である。

 坂本龍馬を崇拝したる当時の一少年は、他日実に第二の坂本君たらんとしたりき。 (「第二章 少壮時代」本書29頁。原文旧漢字、以下同じ)

 そういえばこの二人には気質的に共通する部分があるように思える。
 
 予〔秋水〕曽て曰く、仏国革命は千古の偉業也、然れども予は其惨に堪へざる也と、先生〔兆民〕曰く、然り予は革命党也、然れども当時予をして路易〔ルイ〕十六世王の絞頸台家に登るを見せしめば、予は必ず走って剣手を撞倒し、王を抱擁して遁れしならんと。 (「第六章 人物」本書64頁)

 薩長の幕府武力討伐路線(すなわち徳川慶喜の殺害)を避けて大政奉還方式を推進した坂本龍馬と、行動の平仄がいかにも似ている。それとも、兆民は、それまでも龍馬に倣おうとしたのだろうか。
 そして、師のそんなところを、弟子は、あきらかに誇らしく思っている。

 然り先生は、太白〔李白〕に非ずして少陵〔杜甫〕なりき、可馬徽〔ママ。司馬徽?それとも司馬懿?〕に非ずして諸葛亮なりき、本多佐渡〔正信〕に非ずして真田幸村なりき。 (同上)

(明治文献 1982年4月)

幸徳秋水全集編纂委員会編 『幸徳秋水全集』 第2―7巻

2011年04月05日 | その他
 「大森駅奉送記」以外にも、幸徳秋水には皇室に対し満腔の敬意を表した文章(新聞論説)がいくつもある。無政府主義者となったあとの彼の皇室観については、大逆事件への関わりと同様、よくわからないのだが、それ以前、社会主義者時代の彼は、社会主義と皇室は共存しうるものと考えていた(「社会主義と国家」「社会主義と国体」、どちらも明治35・1902年。第4巻)。

(明治文献 1970年10月ほか)

慶應義塾編纂 『福澤諭吉全集』 第10-16巻

2011年04月01日 | その他
 いわゆる現行版『福澤諭吉全集』、当該巻(正確には第8巻以降16巻まで)は『時事新報』論説文。
 第8巻以後、それまでの巻に比べ面白さが著しく減少する。
 またそれ以前に、本当に福澤のものかどうかわからぬ文章とまともに付き合おうという気にならぬということもある(『時事新報』の論説は基本的に無署名だった)。本日身体不調のこともあり、とばし読みする。
 ただ、本当に福澤のものかどうかわからぬながら、「朝鮮事変の処分法」(明治17・1885年12月23日・第10巻147-151頁所収)のように、「処分」をあきらかに「処理」「措置」の意味で使っている例を確認できたりと、別な意味での収穫もあった。

 是れ我輩が此事変を処分する意見の大要なり。(同151頁、原文旧漢字旧仮名遣い)

(岩波書店 1960年6月―1961年6月)

YouTube 「30・30 桑田佳祐」

2011年04月01日 | その他
 〈http://www.youtube.com/watch?v=xF1X884mX8c&feature=related
 〈http://www.youtube.com/watch?v=ceAp35_21ps&feature=related

 ある意味最低。ファッションも含めて、80年代後半から90年代初頭は、いま見ると正気を疑うようなことが多い。このトーク内容もそうで、無軌道、野放図。まったくもって、ひどい時代だった。
 ただ、人の意識も今と違って、たがをはずして思いのままに入れ込む自由さがあったかなとも、いまでは思う。その自由の使い方と吉左右は、その人次第だったろうけれども。その意味ではいい時代だったかもしれない。
 阿川泰子さんて、鎌倉の人だったのか。いま「ウイキペディア」で知った。

堤哲哉編著 『僕らのスーパーヒーロー伝説 昭和40年代アニメ・特撮ヒーロー大研究』

2011年03月15日 | その他
 『悪魔くん』(昭和41・1966年10月~昭和42・1967年3月放映)の項があるというので図書館で借りる。いまでも、吉田義夫さんと潮健児さんと、結局どちらのメフィストがよかったかと、時々考えたりする。
 編著者の堤氏も、「悪魔くん」の項の執筆を担当した池田誠氏も、私と同年代である(堤氏は昭和35年、池田氏は36年生まれ)。お二人も同じ問いを共有しておられるかもしれない。

(扶桑社 2002年4月)

慶應義塾編纂 『福澤諭吉全集』 1

2011年03月14日 | その他
 小泉信三監修、冨田正文/土橋俊一編集。『福澤全集緒言』『増訂 華英通語』『西洋事情(初編/外編/二編)』収録。

 2008年08月11日「齋藤毅『明治のことば 文明開化と日本語』」より続き。
 『西洋事情 初編』(1866・慶応2年)巻之二の米国項で、福澤が「亜米利加合衆国」と、表題で「合衆国」と掲げているのを見て、なぜ福澤がこの訳語を選んだのか気になった。
 同国の歴史を略述する部分で、独立戦争を叙述するにあたって、福澤は、
 
 諸州一般、之〔英国の抑圧〕に奮激して合衆独立の意を生じ、第六月九日会同協議して、合衆諸州は固〔もと〕より独立するの理を以て独立し、英国と交〔まじわり〕を絶ち、英国の支配を受けず、固〔もと〕より之と離別するとの大論を発し、 (同書322頁。原文旧漢字、太字は引用者)

 と記している。太字二番目、“合衆諸州”はあきらかに“united states"の訳である。つまり、合衆=united、諸州=states。ただ、斎藤説のように、福澤の“合衆国”が、“共和政体の国=republic”の訳かどうかは分明でない。合衆諸州→(諸州=一国)→合衆国という論理経路による呼称のようでもある。

(岩波書店 1958年12月)

伊丹十三 『フランス料理を私と』

2011年02月13日 | その他
 おなじ著者の『ヨーロッパ退屈日記』(文藝春秋新社、1965・昭和40年出版)が当時の読者に必ず感じさせるであろう違和感を、山口瞳はあとがきで「完全主義ゆえのいやらしさ」と評した。この“いやらしさ”は、私が読んだ70年代中頃でも、“キザさ”としてまだ十分に生きていた。しかし80年代にはいるとその“キザさ”は時代の先端をゆく“カッコよさ”へと変じた。時代が彼に追いついたのである。
 著者の悲劇は、90年代に入るとこんどは時代に追い越されてしまったことにあると思う。
 いま読むと、この本は料理を作る部分は別として、毎回の諸ゲストとの対談部分は、ダサい。レシピと豪華でふんだんな料理の写真に引かれて自分で古本を買おうかと思ったが(これは図書館から借りて読んだ)、自分の評価以上の価格なのでやめた。ゲストの家におしかけて、先生の指示のもとに凝ったフランス料理を作り、できあがった料理をゲストとともに食べるというアイデアは、こんにちでも斬新だと思うのだけれど・・・・・・。

(文藝春秋 1987年12月)

「<アジア杯>韓日戦、『キム・ヨナ悪魔仮面』『旭日旗』に非難集中」

2011年01月27日 | その他
▲「中央日報 Joins.com」2011.01.27 08:14:37。(部分)
 〈http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=137006&servcode=600§code=610

 一部の日本サッカーファンがフィギュアスケート選手キム・ヨナの顔写真を切り取って作った「キム・ヨナ悪魔仮面」をかぶって競技を観戦しているのがテレビに映った。

 試合場の内側でするのと外側でするのとでは問題の質がぜんぜん違うだろうに。やった本人が受けるダメージも天と地ほどの差がある。一般人と公人あるいは国家代表とさえいっていいスター選手では。そしてこれはKARAどころではない全世界的な「国恥」にもなりかねない。

内田樹 『街場の中国論』

2011年01月14日 | その他
 ある向きからもういちどちゃんと読んだほうがいいと忠告されたので、読んでみる。
 著者の意見では、江沢民の反日教育・宣伝・政策は過去の日本の軍国主義を批判することにするという縛りがかかっていて、その裏にはそのかわりかえって現在の日本との友好がフリーハンドにできるという意図があったというのだが、実際には当時の反日は「昔も今も日本は軍国主義国家だ」という批判が主であった。これは当時のメディアやインターネットの論壇を追っていたならばすぐわかることである。「未来永劫に軍国主義国家だ。永遠に中国の敵である」という主張すらあった(注)。「なせなら日本人は(文化・生物学)遺伝子的に殺人嗜好の軍国主義者である。だから(今日の)日本を滅ぼし、(今日の)日本人を皆殺しにしろ」、それ以外解決策はないというのである。つまり縛りなど存在しなかった。これだけでこの著者がろくに調べもしないでものを言っていることがわかる。「懐手の中国論」だという私の元からの意見は変わるには至らなかった。

 注。たとえば『環球時報』(あるいは『人民網』)に掲載された当時一連の論説を見よ。

(ミシマ社 2007年6月)

友里征耶 『シェフ、板長を斬る悪口雑言集 東京のレストラン、料理店の評価』

2010年12月02日 | その他
 2010年11月27日『グルメの嘘』より続き。
 名指しかい! これは恨まれるわ。
 ただし著者の名誉のために言っておくと、切り捨て御免ではなく、ほめるべき相手(もの・こと・ヒト・店)はほめている。それに、ペンネームの覆面取材といいながら、よく読めばこの業界の人なら、ちょっと調べれば誰かすぐわかるように手がかりが書いてある(「ル・レストラン・ドゥ・レトワール(恵比寿)」本書128-133頁)。だから卑怯というには当たらない。

(グラフ社 2003年5月)