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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

魯迅著 松枝茂夫訳 「『フェアプレイ』は時期尚早であること」

2011年12月05日 | 文学
 〈http://www.luxun.sakura.ne.jp/luxun/sakuhin/haka/fairplay.html

 仁人たちは問うかもしれない。しからば、われわれには結局「フェアプレイ」は不要なのか、と。私は、ただちに答えよう。もちろん必要だ。しかし時期が早すぎる、と。これすなわち「言い出しっぺ」の法である。仁人たちは御採用にならないかもしれないが、私のいうことはちゃんと筋が通っている。国産紳士あるいは西洋紳士たちは、中国には中国の国情があり、したがって外国の平等、自由等々は中国には適用できぬと、口ぐせのようにいっているではないか。この「フェアプレイ」もその一つであると私は考える。そうでなければ、彼が君に「フェア」でないのに、君が彼に「フェア」を行っても、結果は要するに自分が馬鹿を見るだけで、「フェア」たらんと欲してもできないばかりでなく、「フェア」たるまいと欲しても、それさえできないのだ。だから「フェア」たらんとするには、まず相手をよく見て、もしも「フェア」を受ける資格のないものであったら、大いに遠慮会釈なくやったほうがよい。相手のほうも「フェア」になった上で、初めて「フェア」を持ち出すことにしても決しておそくはないのである。  (「六 今のところはまだ『フェア』一点張りではいかないこと」 太字は引用者)

 この文章が書かれたのは1925年12月29日、つまり86年前だが、この箇所など昨日今日の作文と言っても通じる。ただし太字部分の「西洋」の部分は「西側」と換えるか、「および日本の」と付けたりを挿れるかすべきだろう。こうすれば、唯一の“ねじれ”も消える。

阮攸作 竹内与之助訳注 『金雲翹(キム・バン・キュウ)新伝』

2011年11月28日 | 文学
 ベトナムの国民文学だというのだが、舞台は中国(明時代の開封)である。全編チュノムのみで書かれた(現在はクオック・グーに転換されている)点は、たしかにベトナム文学であるし、またチュノム文学の最高峰であるかも知れぬ。だがどうしてこれが国民文学なのだろう。しかも中国の小説からの翻案である。たとえば芥川龍之介の「杜子春」を、日本の国民文学とは謂わないだろう。たとえあれ以上に出来がよかったとしてもである。このあたり、ベトナム人についてよくわからないところである。

(大学書林 1985年5月)

若松寛訳 『マナス キルギス英雄叙事詩』 全3巻 「少年篇」「青年篇」「壮年篇」

2011年08月24日 | 文学
 2011年07月30日「キルギスで国家・国民統合の象徴とされている銅像を取り替える政府決定」 より続き。

 『マナス』はキルギスに伝わる叙事詩の名で、主人公の名でもある。作品としての『マナス』はキルギスの国家的な文化遺産であり、主人公のマナスはキルギス民族の英雄である。しかし正確にはマナスは東西トルキスタンのテユルク系諸民族の英雄であることが、読んでみるとわかった。彼は弱小で散在しているキルギスの民をまとめ、つぎにはカザフ族、ウズベク族、ウイグル族(サルト)を糾合してゆく。何のために? 彼らテユルク系イスラム教徒を奴隷のように支配する異教徒、共通の敵にして圧迫者のカルマク人(オイラット人・ジューンガル帝国)および、その東にひかえるさらなる強大な敵、クゥイタイ(中国・清)と戦い、自由を勝ち取るためだった。
 なおクゥイタイはもともとは遼および西遼(契丹=キタイ、カラキタイ)のことだったらしい。それが長らく数百年を口承で伝承されてゆくうちに、移る時代のあらたな現実を反映して清へと変わった由。クゥイタイの首都はベージンとある。どういうわけかその君主はエセン・ハーンだが。なぜボグド(・セツェン・)ハーンではないのだろう。

(平凡社  2001年9月 2003年8月 2005年7月)

アンブローズ・ビアス著 西川正身編訳 『新編 悪魔の辞典』

2011年08月23日 | 文学
 初めて読んだのは中学生のときだ。当時は感嘆したが、いま読み返してみると、“全然カスってない”ところも多い。満ちあふれる悪意が噴出の方向を間違っているという感じである。

 クラリネット(clarionet n.) 人が自分の耳に綿をつめこんでおいて操作する責め道具。クラリネットよりもさらに耐えがたい責め道具が二つある――二個のクラリネットがそれ。 (59頁)

 一個のクラリネットより二個のクラリネットのほうが好きな人間だっているぞ。そもそもなぜクラリネットがここに入っているのかからして理解できない。
 それはさておき、晩年のビアスは米国の現状と未来に絶望し、「もはや東へも、西へも、北へも行くことができない。残る逃げ道は、ただ一つ、南があるだけだ」と言い残してメキシコへ旅立ち、そこで行方不明になった(1913年)。40年前の私が読んだのは西川訳ではなかったが、やはりこの西川訳同様、訳者あとがきでこの言葉は引用されていた。正直な話、40年のあいだ、本文はほとんどまったく忘れたが、この言葉はよくおぼえていた。
 西川氏は、このビアスの語を言葉通りにとって、彼の米国文明への絶望の表現として解釈されている(「あとがき」、272頁)。しかしこれは彼の身辺の不幸の結果である部分も多いのではないかと私には思える。不幸な家庭生活を送ったうえに、晩年になってばたばたと妻と子供たちのほとんどを失った。それによってもともと偏屈だった彼の性格はさらに依怙地の度を加えたであろう。そうして友人とも仲違いし、結果、自らをみずからの手でますます孤独へと追いやっていったように思える。「残る逃げ道は・・・・・・」は、その挙げ句に発せられた言葉だったろう。だが、同情すべき点は多々あるにせよ、それ――米国を脱出せざるを得なくなったこと――はある意味、自業自得だったのではないか。

(岩波書店 1980年5月第1刷 1983年9月第3刷)

陶潜(淵明) 「五柳先生伝」

2011年08月18日 | 文学
 〈http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/tao26.htm

 “好讀書,不求甚解”(書を讀むを好めど,甚だしくは解するを求めず)の、なかでも“甚解”の出典。これは、「解からないことをそのうち解るだろうと解らないままに放っておく」という意味ではなくて、「大筋と関係のないこまごました字句の詮索にとらわれない」という意味であった。孤証は証ならずで念のため引いてみた「百度百科」の説明でもそうなっている。「甚解を求めず」とは、あくまで相手の論旨・全体像を把握したうえでの話なのだ。
 それにしても、今回あらためて読みかえしてみてわかったのだが、いい文章であり境地である。

 “常著文章自娯,頗示己志,忘得失,” (常に文章を著し自ら娯しみ,頗(すこぶ)る己が志を示し,得失を忘れ・・・・・・)

 希(ねが)うらくは、つねにこうありたいものだ。

吉川幸次郎 『阮籍の「詠懐詩」について 附・阮籍伝』

2011年07月04日 | 文学
 「憂思」といい、「胸中の湯火」といい、あるいは「辛酸」という。しかしそのもの一点については決して言葉にして表さないことで、それ以外のあらゆることを語る阮籍の詩文はいっそうの冴えを示したのではないかと思える。さらに一歩進んで言うとすれば、言葉で表さない(あるいは表せない)、重苦しいなにかを心の内に抱えていることが、よき表現者たるためのほとんど必須の条件かもしれないという、一種逆説的な感想を抱いたりした。

 夜中不能寐  夜中 寐(い)ぬる能わず
 起坐弾鳴琴  起坐 鳴琴を弾ず
 薄帷鑒明月  薄帷に明月鑒(て)り
 清風吹我襟  清風 我が襟を吹く
 孤鴻號外野  孤鴻 外野に号(さけ)び
 朔鳥鳴北林  朔鳥 北林に鳴く
 徘徊将何見  徘徊して 将(はた)何をか見ん
 憂思独傷心  憂思して独り心を傷ましむ
 (一)


 一日復一夕  一日 復た一夕         
 一夕復一朝  一夕 復た一朝          
 顔色改平常  顔色 平常に改まり       
 精神自損消  精神 自ずと損消す        
 胸中懐湯火  胸中 湯火を懐くに       
 変化故相招  変化 故(か)くて相招く   
 万事無窮極  万事 窮極無く        
 知謀苦不饒  知謀 饒かならざるに苦しむ  
 但恐須臾間  但だ恐る 須臾の間に     
 魂気随風飄  魂気の風に随って飄るを    
 終身履薄冰  終身 薄冰を履む       
 誰知我心焦  誰か我が心の焦るを知らん
 (三十三)

(岩波書店 1981年4月)

上里賢一 「毛有慶『竹蔭詩稿抄』 (資料紹介)」

2011年06月24日 | 文学
 〈http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/123456789/383/1/uezato_k02.pdf

 毛有慶は、沖縄人である。和名は亀川盛棟。脱清人 (だっしんにん)であった。
 僧侶が担った五山文学と俗人の毛の漢詩文とをくらべるのはあまりうまい比較とはいえないが、すくなくともこちらには和習はしないということは言える。あくまで私が見て判断するかぎりにおいてだが、それから、字句の選択も自在で、作者の個性が表されている。作品世界の色彩感の差は、それこそ作者が身を置く世界――僧と俗と――の違いではあるだろう。しかし一歩ふみこんで言えば、これはまた風土の違いでもあるかもしれない。

(『日本東洋文化論集(5): 43-72』1999-03)

入矢義高校注 『五山文学集』

2011年06月24日 | 文学
 『新日本古典文学大系』48。鎌倉・室町時代の五山十刹に住した禅僧たちの手になる漢詩文のアンソロジー。
 『懐風藻』のような「平仄まちがえたらどうしよう」的なぺっぴり腰はもう見られないが、外国語でという悲しさ、どうしてもネイティブの後を慕う月並みな発想と言葉づかい。入矢氏の注釈文を素直によむかぎり、和習(倭臭)もときにするらしい。

(岩波書店 1990年7月第1刷 1999年6月第3刷)