〈http://www.luxun.sakura.ne.jp/luxun/sakuhin/haka/fairplay.html〉
仁人たちは問うかもしれない。しからば、われわれには結局「フェアプレイ」は不要なのか、と。私は、ただちに答えよう。もちろん必要だ。しかし時期が早すぎる、と。これすなわち「言い出しっぺ」の法である。仁人たちは御採用にならないかもしれないが、私のいうことはちゃんと筋が通っている。国産紳士あるいは西洋紳士たちは、中国には中国の国情があり、したがって外国の平等、自由等々は中国には適用できぬと、口ぐせのようにいっているではないか。この「フェアプレイ」もその一つであると私は考える。そうでなければ、彼が君に「フェア」でないのに、君が彼に「フェア」を行っても、結果は要するに自分が馬鹿を見るだけで、「フェア」たらんと欲してもできないばかりでなく、「フェア」たるまいと欲しても、それさえできないのだ。だから「フェア」たらんとするには、まず相手をよく見て、もしも「フェア」を受ける資格のないものであったら、大いに遠慮会釈なくやったほうがよい。相手のほうも「フェア」になった上で、初めて「フェア」を持ち出すことにしても決しておそくはないのである。 (「六 今のところはまだ『フェア』一点張りではいかないこと」 太字は引用者)
この文章が書かれたのは1925年12月29日、つまり86年前だが、この箇所など昨日今日の作文と言っても通じる。ただし太字部分の「西洋」の部分は「西側」と換えるか、「および日本の」と付けたりを挿れるかすべきだろう。こうすれば、唯一の“ねじれ”も消える。
仁人たちは問うかもしれない。しからば、われわれには結局「フェアプレイ」は不要なのか、と。私は、ただちに答えよう。もちろん必要だ。しかし時期が早すぎる、と。これすなわち「言い出しっぺ」の法である。仁人たちは御採用にならないかもしれないが、私のいうことはちゃんと筋が通っている。国産紳士あるいは西洋紳士たちは、中国には中国の国情があり、したがって外国の平等、自由等々は中国には適用できぬと、口ぐせのようにいっているではないか。この「フェアプレイ」もその一つであると私は考える。そうでなければ、彼が君に「フェア」でないのに、君が彼に「フェア」を行っても、結果は要するに自分が馬鹿を見るだけで、「フェア」たらんと欲してもできないばかりでなく、「フェア」たるまいと欲しても、それさえできないのだ。だから「フェア」たらんとするには、まず相手をよく見て、もしも「フェア」を受ける資格のないものであったら、大いに遠慮会釈なくやったほうがよい。相手のほうも「フェア」になった上で、初めて「フェア」を持ち出すことにしても決しておそくはないのである。 (「六 今のところはまだ『フェア』一点張りではいかないこと」 太字は引用者)
この文章が書かれたのは1925年12月29日、つまり86年前だが、この箇所など昨日今日の作文と言っても通じる。ただし太字部分の「西洋」の部分は「西側」と換えるか、「および日本の」と付けたりを挿れるかすべきだろう。こうすれば、唯一の“ねじれ”も消える。