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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

宮崎駿 『本へのとびら 岩波少年文庫を語る』

2012年12月27日 | 文学
 前半50冊の推薦文も良いが、後半部の語り下ろしをもとにした原稿が、いつも以上に熱が入っていて素晴らしい。児童文学の紹介というこの本のテーマを超え、私たちの住む世界の「終わりの始まり」を説き、そのなかでの自分の映画作りのあり方、そしてこれからの子供たち、世代へ託す思いが、「この子たちが生まれてきたのを無駄だと言いたくない」、直球で語られる。この人の常のように、しばらくすると正反対のことを言い出しそうな危うさをもつ“その情況下かぎりの論理”というところがない。

(岩波書店 2011年10月)

ウィキペディア「寒川鼠骨」項を読む

2012年12月07日 | 文学
 (2012年09月21日「まつばらとうる 『「子規唖然」「虚子憮然」―『仰臥漫録』自筆稿本始末記』」より続き)

 ここには参考文献として名が挙がっていないが、まつばらとうる『隣の墓』(文芸社 2001年9月)と鼠骨の人と行蔵について記述と評価がひどくことなる。正反対といってもいい。
 『隣の墓』における鼠骨は、子規庵を私物化し(守りまた維持に努めたのは自分と家族が住んでいたから)、子規庵保存会の会計を不明朗に処理し、庵に残されていた子規の遺墨や直筆原稿を己と家族の生活のために密かに売却した。正岡律の死後、そのことに気づいた忠三郎と裁判沙汰になっている。
 『隣の墓』は著者による調査と事実発掘のノンフィクションという触れ込みである。だとしたら、どちらかが間違っているのであろう。少なくともウィキペディアは、いまからでも、鼠骨自身とどちらかといえば鼠骨側だった柴田宵曲の著作だけでなく、それ以外の資料にも拠るべきではないか。安倍能成の証言など。

寒川鼠骨 『正岡子規の世界』

2012年09月24日 | 文学
 「もっとも少ない報酬でもっとも多く働く人が偉い人ぞな」と子規が言ったという逸話の原典を確かめる。原典では、「最も多く最も真面目に働く人が」であった。鼠骨は子規のこの言葉を、「少ない報酬に甘んじ人類に多くを貢献するのが立派な人間である」と理解した(「子規居士追憶」「忘れえぬ忠告」本書166頁)。

(六法出版社版 1993年11月)

まつばら とうる 『「子規唖然」「虚子憮然」―『仰臥漫録』自筆稿本始末記』

2012年09月21日 | 文学
 司馬遼太郎『坂の上の雲』そして『ひとびとの跫音』と続く、正岡子規とその周辺の人々を描く作品群の正当な続編第二部というべき作品。ただしノンフィクションであり、物語としてはかなり基調が辛くなる。五十年間行方不明となっていた『仰臥漫録』の原本が、不思議にもいくら探してもなかった子規庵の土蔵から“再発見”された事件に始まり、そしてさらに不思議なことに、所有権を放棄した故・正岡忠三郎や子規庵側関係者の希望に反して、国会図書館にも、松山の子規記念博物館でもなく、いったん預かった形になった正岡家(忠三郎の御子息たち)から、兵庫県芦屋市の虚子記念文学館へと寄贈されたその経緯を正岡家と子規庵の間にたって仲介役となった、当事者の一人として描く。
 いま第二部と言った。第一部は同じ著者による『隣の墓 子規没後の根岸・子規庵変遷史』(文芸社 2001年9月)。これはいわゆる昭和20年代半ばの子規庵事件(『ひとびとの跫音』でほんのわずか触れられている。『仰臥漫録』もこの時紛失した)を描くものの由。次に読む。

(文芸社 2003年10月)

パール・バック著 新居格訳 中野好夫補訳 『大地』 全4巻

2012年09月07日 | 文学
 何度目かの読み返しである。やはり詰まらない。翻訳が悪いわけではない、それどころかいかにも新潮らしく、水準を遙かに超える素晴らしい訳である。では何故か。ここにある内容は、その後に出た中国を描くフィクション・ノンフィクションで幾度と無く書かれ描かれてしまっているからだ。この書ならではというところがもうないのである。永遠に残る“細部”がない。いまや粗筋を読めば足りるようになってしまった。あとは英語の文体を確かめるくらいしか、もはや私個人としては、“楽しみ”は残っていない。

(新潮社新潮文庫 1954年3月発行 1968年3月22刷改版 1988年11月59刷ほか)

司馬遼太郎 『世に棲む日々』 4

2012年08月13日 | 文学
 高杉晋作の辞世「おもしろきこともなき世をおもしろく」を、「すみなすものは心なりけり」と繋げたのは野村望東尼だったともいや高杉本人だともいう(この作品では野村望東尼がということになっている)。その下の句を、「変に道歌めいて」と、司馬氏は文中評した。いわばけなした。歌が尻つぼみになったからだ。私もむかし初めて読んだときそう感じた。司馬氏の評は当然だと思った。しかしその反面、尻つぼみだろうと何だろうと、これはこう収めるしか仕方のない歌だったろうと、いまの私に思える。もっとどうにかならんのかとずっと考えてきて、結局そう思うようになった。

(文春文庫 1975年2月第1刷 1989年9月第26刷)

平川祐弘 『袁枚 「日曜日の世紀」の一詩人』

2012年08月03日 | 文学
 本日前項「アーサー・ウェイリー著 加島祥造/古田島洋介訳 『袁枚 十八世紀中国の詩人』」より続き。
 袁枚の詩のいくつかについて、それぞれ、原文・訓読(松本幸男訓を参照の由)・ウェイリー英語訳・著者による現代日本語訳の順に掲げる。詩の選択はいうまでもなく平川氏の判断による。

 四十の歳になった時、/ほかの一切の楽しみがつまらなくなり出して、/また子供の時と同じように、/書物だけが面白くなった。/目が覚めるやもう書斎が恋しい、/書斎に向かって私は喉が渇いた猫のように跳んで行く。

 忽忽四十年/味尽きて吾が素に返る/ただこの文字の業のみ/兀兀として朝暮に尚ぶ/あしたに起きて書堂を望めば/身は渇猊の赴くがごとし
  (本書30・32頁)

 和訳ではなく翻訳、しかも詩から詩への翻訳の、みごとな例。
 袁枚というのは、好きだから勉強(読書)するという。義務感や使命感や、まして栄達の手段としてではなく。文学者だからといえばそうだが、それ以上に、中国の読書人(知識分子)としてはかなり珍しい部類に属するのではないか。

(沖積舎 2004年7月)

小島政二郎 『小説 永井荷風』

2012年06月07日 | 文学
 「小説」と入っているのは事実の解釈が著者の主観や想像に基づくものだかららしい。しかしそれでは世の大抵の伝記は小説になってしまうだろう。
 それはさておき、その著者の主観によれば、荷風は人間の屑だということになる(屑という言葉は使っていないが、処々で最低の人間として評価している)。まだ芸術家・文学者あるいは小説家として優れていれば弁護のしようもあるが、荷風ファンだったという著者にしても、荷風はその「血の冷たさ」と「人の真心がありのまゝに心の鏡に写らないくらい哀れな人間」だったために、世界を外から眺める傍観者、ものやことの外面を描写するだけの「物語作家」となって、ついに「真の小説家」になれずじまいだった――と、手厳しい。最高作品は『濹東綺譚』というのだから、大体の調子が察せられよう。じっさい『濹東綺譚』はそんなにいい出来の作ではない、もっともこれは私小説ぎらいの私の主観に基づく評価だが。

(鳥影社 2007年9月)

小島政二郎 『食いしん坊』

2012年06月03日 | 文学
 これは北大路魯山人の食随筆よりおもしろいと思う。出されたものを味わい尽くそうという姿勢が徹底しているからだ。魯山人は、作る側の人間の意識をつねに離れないから、小島に比べると(比べて初めて分かったのだが)、いまいち対象に全没入していないところがある。対象となる料理や食材の良し悪しの判定にはそれで必要かつ十分であろうけれど。
 小島は、食べたものが(酒も含めて)、いかに美味しいかを余すところなく表現する(しかもそれがくだくだしくなく数語で)。魯山人もどちらかといえば必要なことしか書かない人でその点小島と似ているが(両者は交友関係があって、この本にも名前が出てくる)、ただ魯山人は読者に完全に伝わるようにまでには必ずしも労を取らないところがややある。また、同じ食べる側専門の文学者の食エッセイでも、開高健の『最後の晩餐』より勝ることは確実である。これも小島の作品と比べて始めて判ったことであるが、開高はほんとうに食べたくて食べていたのではあるまい。あきれるほど饒舌なのに、案外その描写がイメージを結ばないのはそのせいではないかと思える。(文中敬称略)

(河出書房版 2011年7月)

芥川龍之介 「侏儒の言葉」

2012年02月05日 | 文学
 〈http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/158_15132.html

 「青空文庫」。
 この作者は決して好きではないし、その作品も概して浅薄に思えて長らく読んでいない。この「侏儒の言葉」だって、要はビアス『悪魔の辞典』のパクリではないかと思っている。しかし、ビアス風の冷笑の型を外れて時に顔をだす(とくに後半)、彼芥川自身の感性とそれに基づく見方がわりあい好きで、ときどき読み返す。