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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

YouTube 「Chris Walken vs Dennis Hopper」

2011年05月05日 | 映画
http://www.youtube.com/watch?v=ZnAdWKiy-sc

 初めてこのシーンを見た時、あまりのアブナさに「映画が壊れる!」と思った。『トゥルー・ロマンス』(1993年)は、それまでの私が見聞きしていたピカレスク・ロマンと違って、ハッピーエンド(になることもあるよ式のハッピーエンド)が、新鮮だった。脇役・端役に出てくる大物俳優の、脇役・端役がゆえの無責任な演技も魅力的だった。このクリストファー・ウォーケンとデニス・ホッパーが最たるもの。ゲイリー・オールドマンもヒドかったな~。全体のことを何も考えていないのがありありとしていた。

ジョン・アヴネット監督 『88ミニッツ』(2008年)

2011年04月29日 | 映画
 アル・パチーノはこの映画の時点で60歳も半ばを超えているのに、そしてへんな若作りをしようとはせず、自分の年齢を顔や雰囲気に隠そうとはしないのに、動くべきときには動くその身ごなしの軽いこと! 老いではなく、齢(よわい)を重ねているという感じ。惹かれる若い女性がいてもそれも自然に思える。タイプはちょっと違うが『ギャルソン』のイブ・モンタン。
 ストーリーも、ダレ場のない進行で、とても楽しめた。脇を私の好きな渋くてアクの強いウィリアム・フォーサイスが固めているのもいい。これまで観たパチーノ主演の映画でベスト5に入るか?

(Nikkatsu =dvd= 2008年7月)

ニキータ・ミハルコフ監督 『12人の怒れる男』(2007年)

2011年04月10日 | 映画
 米国映画『12人の怒れる男』(1957年、シドニー・ルメット監督)のリメイクだが、米国版でヘンリー・フォンダ扮する陪審員8番は、完全無欠な正義の人であった(1997年テレビ版でジャック・レモンが演ずる陪審員8番も、役柄の加齢による疲労は見えるものの、ほぼ同様)。しかしこのロシア版で陪審員8番に当たる陪審員1番(セルゲイ・マカヴェツキー)は、いざとなって法廷外での実際行動が必要となると躊躇するという、人間的な弱さを見せる。その一方で、最初は沈黙がちで印象が薄かった陪審員2番(ニキータ・ミハルコフ、引退したアマチュア画家、陪審員長)が、最後には義理の父殺しの冤罪を着せられたチェチェン人少年の身元引受人となり、少年が仇と誓う真犯人捜しへと共に乗り出すことになる(それ以前、旧ソ連ないしロシア特殊部隊の将校であったらしい経歴が劇中仄めかされている)。
 私には、ヘンリー・フォンダも良く、セルゲイ・マカヴェツキーも良く、ニキータ・ミハルコフも良い。

(東宝 2009年1月)

ニムロッド・アーントル監督 『プレデターズ』(2010年)

2011年01月20日 | 映画
 あの『戦場のピアニスト』のアカデミー役者エイドリアン・ブロディがこんな映画に出ることに驚き、ほとんどチョイ役のローレンス・フィッシュバーンに驚き、そして日本刀を振り回す松っちゃんに驚く。
 アマゾンのレビューを見ると割合辛口の評価が多いけれど、私には面白かった。なにより、音楽が元に戻った――『エイリアンVS.プレデター』シリーズをすっとばして――のがいい。登場人物たちの造型や舞台となっている密林が、第一作の粘っこい息苦しさを甦らせているのもうれしい。

(20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2010年12月)

武内英樹監督 『のだめカンタービレ 最終楽章 後編』(2010年)

2010年11月29日 | 映画
 清良がブラームス「ヴァイオリン協奏曲」の第三楽章を演奏しながら微笑むのは、龍太郎やみんなが応援してくれているのをみとめてのことではなく、「オレの音楽をきけ」の笑いだったということを知って、この映画を作り上げたスタッフとキャストの真摯さにあらためて感嘆。正面から抱き合うこともなく、もちろんキスもないのに、清良と龍太郎のラブシーンはどんなに華麗で官能的なラブシーンでも敵わないと思えるほど、愛があふれていて、最高に素敵だった。

(Amuse Soft Entertainment 2010年10月)

デヴィッド・フィンチャー監督 『エイリアン3』 (1992年)

2010年11月24日 | 映画
 決して嫌いではないのだが、シリーズ4本の中では一番再見の回数が少ない。いかにもイギリス的な、画面の湿度の高さと暗さが、そうそう頻繁に見直そうという気にならない。そんな世界だからと理屈ではわかっているのだが、やはり鬱陶しくて厭になる。
 今回、見直してみて、この第三作が冒頭やはり設定上致命的なミスを犯していることを確認した。今作でとうとうリプリーに取り付くエイリアンのフェイスハガーが生まれてくる卵は、絶対そこ(スラコ号の中)にはありえないのである。
 今作では、前作『エイリアン2』でドロップ・シップの着陸脚格納部に潜んでいっしょにやってきたエイリアン・クイーンが、実は船のどこかにひそかに産みつけていたいうことになっている。しかしエイリアン・クイーンは、到着するとすぐビショップとリプリーに襲いかかったから、そんなことをしている暇はない。よしんば時間があったとしても、あの大気浄化施設から脱出するときに、排卵機能を担っていた下腹部を切り棄ててきたのだから、もはや卵を産むことは生理的に不可能だったはずである。
 それを『エイリアン3』では、産めたことにしてしまった。つまり作品世界のルールを破ったことになる。
 作品を続けるために作品そのものを成り立たせている約束事を曲げるという反則行為(つまりご都合主義)をやられると――しかもここまであからさまに――、あとのストーリーがいくら良くできていても(犬に寄生して犬の遺伝子を取り込んだ犬型エイリアンというのは奇抜で秀逸である)、観る方は醒めてしまって、作品に完全にはコミットできなくなってしまう。

(20世紀フォックス・ホームエンターテイメント 2000年6月)

ハロルド・ライミス監督 『アナライズ・ユー』(2002年)

2010年10月14日 | 映画
 言わずと知れた『アナライズ・ミー』の続編。デニーロが自分で「バットで頭をかち割る」とか何とか言っている。もろセルフ・パロディ。それにメイキング映像でちらりと見えるが、本編でカットされたが顔にシャボンを塗って誰かにヒゲを剃らせるシーンまでもとはあったらしい。"I want Eliot Ness dead! I want his family dead! I want his house broken to the ground! I'll piss on his grave!"
 それから、今回出てくる、前作で引退したデニーロの後釜に座った女ボスの女優さん、『レイジング・ブル』(1980年)でデニーロ(ジェイク・ラモッタ)の奥さん演った人じゃないか。クレジットタイトルを見ていて今回初めて気が付いた。わかる人にはにやりとわかる楽屋落ちというか何というか。これでジョー・ペシが出てこないのが不思議なほどである。「ヴィッキーと寝たのか?」「よくもそんなことが訊けたな。俺はお前の弟だぞ」
 話を戻してこのキャシー・モリアーティという女優さん、『レイジング・ブル』公開のとき20才、この映画でもまだ40才そこそこのはずなのに、59才(当時)のデニーロと見た目が変わらないのでこれまでわからなかった。老けメイクか?

(ワーナー・ホーム・ビデオ 2003年9月)

ハロルド・ライミス監督 『アナライズ・ミー』(1999年)

2010年10月13日 | 映画
 デニーロに鉄パイプとかバットとか、とにかく棍棒に類したモノ持たせるなよ。危ないなあ。"Life goes on."(いろいろ起こる)とか何とか言いながら後ろに回られたら、もう観念するしかないじゃないか。
 デニーロは過去の自分の演技をなぞっただけみたいなところがあってちょっと気に入らないが、セルフ・パロディ(+ジョン・カザール)だから、それこそが狙いのかもしれない。一方のビリー・クリスタルの融通無碍な芸達者ぶりにはいつもながら感嘆。それからそのビリー・クリスタルの恋人役のリサ・クドローが、何かの拍子に山下和美『寿町美女御殿』のエリザベスそっくりに見えるのが私的にツボでした。
 しかしこの映画、あらためて見直してみると相当イッテるわ。トニー・ベネットが本人役で最後に出てくる。アル・パチーノがキッチンで聴いているかもとさえ思った。

(パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン 2004年7月)