リチャード・ドナー監督 『リーサル・ウェポン』(1986) 2011年07月20日 | 映画 それにしても、リッグスはどうして「リッグス」と、姓で呼ばれるのだろう。マータフは「ロジャー」なのに。 (ワーナー・ホーム・ビデオ 2000年8月)
リチャード・ドナー監督 『リーサル・ウェポン4』(1998) 2011年07月20日 | 映画 何回も観ているのだが、この4作目(そしておそらく最終回)は、ジェット・リーのハリウッドお目見えビデオのような感じがある。メル・ギブソンが普段の髪型のままだし。しかしやはりおもしろい。このシリーズはどれも好きだ。 回を重ねる毎に、それまでのエピソードを巧みにストーリーに織り込んでいるところが凄い。とくにこの「4」は、この意味でじつによく考えられた脚本だと思う。(一つ例を挙げれば、リッグスの肩の脱臼癖をここでこう使うかと、最初に観たとき感嘆した。「3」より出し方が格段に自然だ。) それから、12年間リッグズにからかわれ続けたステファニー・ウッズ博士(メアリー・エレン・トレイナー)が、とうとう切れて「あなたなんか大っ嫌い!」とリッグスに向かって叫ぶのが、ある意味これも大団円である。これで彼女も救われたわけだ。ジョー・ペシのリオ・ゲッツも最後に救われている。お約束のいじめられキャラをいじめられたままで物語を終えるのは、作る方もそうだろうが、見ている方も後味が悪い。終わらせるための用意が周到である。 昨日の日中、仕事をしながらテレビを付けっぱなしにして第一作から観るともなく観ていたが、「1」ですでにマータフ家の冷蔵庫に "Free South Africa" "End Apartheid" のステッカーが貼ってあることに気が付いた。「2」以後顕著になるマータフの人種差別反対主義者の設定は、後付ではなく最初からあったのだと知る。 (特別版 ワーナー・ホーム・ビデオ 2000年5月)
YouTube 「Doppiaggio Il padrino parte II 」 2011年07月10日 | 映画 〈http://www.youtube.com/watch?v=3wnRfnOPELw&feature=related〉 デ・ニーロのイタリア語をネイティブが吹き替えてあるのはまだ解るとして、生粋のイタリア人である Gastone Moschin(ドン・ファヌーチ)の台詞まで吹き替えてあるのはなぜだろう。イタリア語ではなくシチリア語でということだろうか(Gastone Moschin は北イタリア出身の俳優)。私は、 Gastone Moschin の正確な発音すら分からないほどのイタリア語音痴だから、これはまったくの当て推量だが。『カオス シチリア物語』(1984年)というオムニバス形式の映画の中の一編で、イタリア本土からからきた主人公がシチリア人の喋る言葉をなかなか理解できない場面があったのを想い出して斯く妄想した次第。
「『コクリコ坂から』完成、宮崎吾朗監督ら会見」 2011年07月05日 | 映画 ▲「YOMIURI ONLINE(読売新聞)」2011年7月4日22時47分。 〈http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20110704-OYT1T00940.htm〉 期待しています。宮崎駿監督が選んだ食材を、吾朗監督が今度はどう料理るか。
YouTube 「[Great Movie Scenes] Scent of a Woman - Ending Speech」 2011年06月22日 | 映画 〈http://www.youtube.com/watch?v=-OszHUW1YFk&feature=related〉 アル・パチーノ主演映画でむろん5本の指に入る1本。演技そのものは、横綱相撲というか、自分の土俵に引きこんでの余裕の演技だが(近頃のミラクルひかるさんの宇多田ひかるさんの真似のように)、しかし、特殊なコンタクトも着けず見えたまま盲目の演技をこなしたうえでということであれば、文句のつけようもない。凄い。 Harry, Jimmy, Trent, where you are, out there? Fuck you, too! この台詞を、野沢那智さんはどう言っていたかな? あとでDVDを借りて確かめてみよう。校正という辛い作業が終わった、その自分へのご褒美に。 それにしても、ガブリエル・アンウォーの吹き替えは、沢海陽子さんだったんだ。昔、初めてビデオカセットで観て聴いたとき、もとの声にそっくりで(言葉が違うのにしゃべり方の雰囲気まで!)、その自然さに感嘆したのを、いまに憶えている。沢海さんといえば、『スタートレック ネクストジェネレーション』のターシャ・ヤー大尉や、『スタートレック ヴォイジャー』のセブン・オブ・ナインの低くて堅い声の印象が強くて、言われてもすぐには信じられなかった、正直なところ。
曽利文彦監督 『ピンポン』(2002年) 2011年06月14日 | 映画 こちらはそもそも現実的でない作品世界のリアリティ。 ところで『ZERO』の映画化を誰かしてくれんかな。 (アスミック 2006年10月)
崔洋一監督 『血と骨』(2005年) 2011年06月14日 | 映画 映画のリアリティとはまさにこれ。ストーリーが画(役者の演技を含む)を要求し、画がストーリーを引っ張る。両者が相俟って、「映画」となる。 (ポニーキャニオン 2005年4月)
井筒和幸監督 『パッチギ!』(2005年) 2011年06月14日 | 映画 ドキュメンタリーかと思うほどユルい画づくりは何か意図あってのことか。わからん。現実そのままに撮ったら世界が散漫で見ていられないのだが。リアリティと映画のリアリティは違うだろう。私のようなド素人にいわれるまでもなくプロの井筒監督は判っておられるはずだろうに? (ハピネット・ピクチャーズ 2005年7月)
フランク・ダラボン監督 『ショーシャンクの空に』 (1994年) 2011年06月03日 | 映画 希望を捨てる勇気とは自殺する勇気のことかという、裏返しの感想。希望とは明日は今日よりよくなるという望みのことだろう。明日も今日と同じだろうというのは希望といえるだろうか。今日より明日は悪くなるのなら、絶望するしかない。まったく絶望して、それでも生きてゆけるものだろうか。 (ワーナー・ホーム・ビデオ 2010年4月)
望月智充監督 『海がきこえる』(1993年) 2011年05月14日 | 映画 折に触れて観たくなる作品。そして観ているうちに、ジブリの最高傑作のようにも思えてきた。小近藤おそるべし。それに、声優陣、坂本洋子さん、飛田展男さん、関俊彦さん、奇跡のような名演技ではなかろうか。自然な、抑えた。アテレコ慣れていない俳優の自然(=淡泊)さとはちがう、アニメーションの世界の自然さ。演出は誰だったのかな。 (ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント 2003年8月)