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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

太田幸男ほか著『世界歴史大系 中国史1 先史~後漢』

2018年03月27日 | 東洋史
 出版社による紹介

 この冊は2003年8月刊だが、時代区分論争はいぜんとして重要問題の一つである(「補論1」)。つまりマルクス主義唯物史観で頭からへし切る研究方法はこの時点でまだ有効だったということである。もっともマルクス主義唯物史観がほかの何かに入れ替わっても頭からへし切る研究方法は変わらないのかもしれない。そうでない議論(共著の論集である)もここにはあるが、大勢もしくは“空気”として。
 閑話休題。ある章でべつの事を確かめようと思ったのだが、「先行研究にこれこれとある=もし内容がまちがっていてもそれはその先行研究とその筆者の責任で、自分にいかなる落ち度もない」という態度にさえとれる丸投げ度だった。どこを参照すればよいのか頁数さえ示さない。そしてその問題についての先行研究は、郭沫若のそれ1本ではなくほかにもある。たとえばこれ

(山川出版社 2003年8月)

大西克也/大櫛敦弘 『 馬王堆出土文献訳注叢書 戦国縦横家書』

2018年03月24日 | 東洋史
 出版社による紹介

 これは面白い。かたや事実と(法)理論を直裁に伝える奏げん書と、かたやここに収められているところの、文飾をつくして聴く者の感情に訴える説得扇動の文章と、あきらかに発想の段階から異なる二つの文体が当時すでにあったことを、実物をもって感得させられた。この差は両者を括るに「漢文」一語ででは、とうていすませられるものではないとも。

(東方書店 2015年12月)

ウィキペディア「営造法式」項を読んで

2018年03月19日 | 東洋史
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%96%B6%E9%80%A0%E6%B3%95%E5%BC%8F

 ここにも名の出る竹島卓一『営造法式の研究』(全三巻、中央公論美術出版)を読んだ。そこから得たことをこの項の内容と照らし合わせて、「第16巻から第25巻では、功限(工作の手間)について書かれており、内容としては、計算上の資料を列挙しているに過ぎない」(同項)。これは、いわゆる積算根拠ではないか。「中国の古書としては、図が多いことに特徴がある」(同上)。しかし筆写を重ねるうちに構図が崩れて意味をなさなくなったり、さらには後世の中国の建築の専門知識で「こうだろう」と補正してあったりするので、あまり役にはたたないらしい。
 本文の内容もまた、よくわからないところがだいぶあるようだ。
 本文のわからなさは、誤写のほか、当時の建築の世界や専門家のあいだでは常識に属していたらしい語彙や事物を、重要事項であっても説明しないこと、また論拠として古典を各条の冒頭にひくのだが、その何が何にどう論拠たりえているのか不明なこと、等にある。竹島氏は困じはてておられるが、私には面白い。

譚璐美 『近代中国への旅』

2018年02月23日 | 東洋史
 出版社による紹介

 著者のノンフィクション作家としての出発点には、天安門事件が大きく横たわっている。柴玲やウアルカイシといった革命の英雄たちとの出会い、その栄光と挫折に寄り添うことで、魯迅の〈暗黒〉が作家の前にも立ち現れる。 

 天安門事件関連の文章については、発表時にあるいはこれ以外にも過去の著作で読んでいたものもある。その後発表されていたものとともに、知識の補充のためもあるが(たとえばカーマ・ヒントンの背景など)、それもくわえて、昨今のもろもろを見つつ、ある種の感慨をもって読み直す。

(白水社 2017年11月)

湯浅邦弘 『孫子の兵法入門』

2018年02月23日 | 東洋史
 第二部の(2)「呪術的兵法の系譜」で、『漢書藝文志』の兵書分類における「兵陰陽」と「兵権謀」の別が強調される。『孫子』は後者に入り、そして後者は、前者(観念的な陰陽また五行思想や鬼神信仰に基づく戦術論)を非合理的であると――環境や状況を自分の目や耳で注意深く知覚分析せず、それによって得た情報・材料をもとに自分の頭でとことん考えて、その結果さてどうするかまでを理屈だてて突き詰めようとしない、まさに非合理的であると――厳しく批判すると、著者は主張する。
 私は、『孫子』のテクストを読んだ結果、著者の指摘する、『漢書』における分類の重要性と、そして著者の主張とに、賛成する。私は、『孫子』はあるいみヒューマニズムの書であるという見方を持っている。孔子のように「わからない」と逃げるのではなく、主として戦術、ときに戦略も、という限定された範囲世界での議論であるせいもあるが、神仏は最初から眼中にないようだ。

(角川学芸出版 2010年2月)

加地伸行編 『孫子の世界』

2018年02月19日 | 東洋史
 川原秀城論文「『孫子』における天文と地理」と明珍昇論文「『孫子』の表現と構成」とを読む。前者はひたすら教えを受けるのみ、そして後者は自分とは異なる観点――詩人ということばの専門家の方――からの、目の付けどころとテクストに対する貴重な指摘とを、有難く拝受する。

(中央公論社版 1993年3月)

岡田英弘 『岡田英弘著作集』Ⅶ 「歴史家のまなざし」

2018年02月17日 | 東洋史
 出版社による紹介

 岡田先生に宮崎市定著『遊心譜』の書評があったことを知る。論旨に点頭し、指摘に抱腹す。いまだに「ふにゃけた狎れあい」の方々は、宮崎御大の痛棒に反発どころか柳に風と受け流し、20年の星霜を経た今日もまだこの泥船は大丈夫と、苟偸のまどろみに且らく安んじて浸かっておられるのだろう。本書503-505頁。
 あと、司馬遼太郎評(「司馬遼太郎はモンゴル通か?」)もあり、これもまた非常に面白い。