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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

格竹―維基百科

2017年07月21日 | 人文科学
 格竹 - 维基百科

 先生曰:「眾人只說「格物」要依晦翁,何曾把他的說去用!我著實曾用來。初年與錢友同論做聖賢要格天下之物,如今安得這等大的力量:因指亭前竹子,令去格看。錢子早夜去窮格竹子的道理,竭其心思至於三日,便致勞神成疾。當初說他這是精力不足,某因自去篛格,早夜不得其理,到七日,亦以勞思致疾,遂相與嘆聖賢是做不得的他大力量去格物了。及在夷中三年,頗見得此意思,方知天下之物本無可格者;其格物之功,只在身心上做;決然以聖人為人人可到,便自有擔當了。這裏意思,卻要說與諸公知道。」
 (『伝習録』下線は引用者)

 「格竹」の「格」、あるいは王陽明自身の言葉を借りれば「窮格」は、はたして具体的にはどのような行動を指していたのだろう。竹林の竹を目の前に、矯めつ眇めつしながらもただ子細に眺めていただけなのか、それとも割り、裂き、剥き、抉って、その構造や内外の質感を確かめてみようとしたのか。

李長波 「古代中国語の指示詞とその文法化について」

2017年07月01日 | 人文科学
 『Dynamis』3、1999/3、同誌45-72頁

 古代中国語の繋辞『是』に関する従来の研究は、繋辞『是』が初めて文献に現われたのは何時なのか、その前身は何だったのかというこの二点をめぐって展開されてきたと見ることができる。
 (「1. はじめに」、45頁)

 なぜ“前身”から繋辞へと変化したのかについての研究はなかったのか。


土田健次郎 「朱熹の思想における心の分析」

2017年07月01日 | 人文科学
 『フィロソフィア』78、1990年3月、同誌91-113頁。

 このタイトルに関わる問題で、私には朱熹の思想および彼の説いたいわゆる朱子学で、どうも判らぬことが一つあるのだが、それは私の対象に対する不学無知のせいかどうか。管見の限り先行研究でそれについて何事かを述べたものはまだ見いだしていない。

朱慶之編 『仏教漢語研究』

2017年06月29日 | 人文科学
 書肆による紹介

 「代前言:仏教混合漢語初論 (朱慶之)」で、仏教漢文がそれまでの文言文と異る点の一つとして、“受動態(被動句)が多用されるようになったこと”と、さらに“「是」を動詞(繋辞)として使う判断句(「AはBである」構文)が、口語の範囲から溢出して文語の世界に出現したこと”が挙げられている。同書16-17頁。

(商務印書館 2009年6月)

ツイッター 「上海吳越語bot‏ @zaonhae_bot」 “ 亂七八糟!(ルゥーチェパッツォー!)”

2017年06月16日 | 人文科学
亂七八糟!(ルゥーチェパッツォー!)

 訳:めちゃくちゃ!


 この「亂七八糟」という言葉、『漢典』をみると『二十年目睹之怪現狀』が例文になっている(『國語辭典』)。この小説は旧白話で書かれているがここは上海語由来の語彙を取り入れたということだろうか。それとも旧白話の語彙が現在の上海語に入ったものか。
 七と八にそれが示す数字以上の意味(たくさん)を持たせるのは上海語の生理か、それとも旧白話か。

傅剛 『魏晋南北朝詩歌史論』―百度百科

2017年06月16日 | 人文科学
 原題:傅刚『魏晋南北朝诗歌史论』

 該書を大学図書館相互貸借サービスで他大学から借りて読んだ(吉林教育出版社 1995年2月)。「总序」(张松如)の「中国封建社会の文学は云々」でもう駄目だと思ったが、本文を読んでもっとだめだと思ったのは、文体論あるいは作品評価の土台になる審美観が、当時(すなわち史料に書かれているところ)の、また筆者個人の、主観的なそれで、読者を論理的に説得できる客観的な標準や、万人を納得させかつまた容れられやすいであろう定量分析的な発想と方法論とがそこにはまったく示されていないことだった。まさに情意文の集まりである。

顧炎武 『日知錄』 卷19 「文須有益於天下」

2017年06月16日 | 人文科学
 テキストは维基文库から。

  文之不可絕於天地間者,曰明道也,紀政事也,察民隱也,樂道人之善也。若此者有益於天下,有益於將來,多一篇,多一篇之益矣。若夫怪力亂神之事,無稽之言,剿襲之說,諛佞之文,若此者,有損於己,無益於人,多一篇,多一篇之損矣。

 きついことを言う。無知による迷信の言、無責任な嘘や面白半分のでたらめ、他人の言説著作の剽窃、算盤づくあるいは腹に一物あっての提灯記事などは文としてことごとく認めないと。