名月

2011-09-13 09:44:08 | 塾あれこれ
『ものみなを藍く染めたり月天心』

いつの間にか月が高くなりました。
秋ですねえ。

見え方に心理的な影響もあるのでしょね。
深い秋の涼しい夜を期待しているのかもしれません。

お月さまは平等感が強いようです。
お天等さまも平等なハズなのですけれども。

平等だけれども明りは薄い。
というか平等とはそんなものかもしれません。

工事日程が決まった

2011-09-12 15:00:11 | 太陽光通信
少しずつですが話が進みます。

本日、工事日程が決まりました。
(天候による変動あり)

来月、10/11~13の3日間です。
(足場の組み立て、撤去を含みます)
うち停電は3日目の午後1時間ほどらしい。

全国的に発電のパネルが品薄で
本来ならば工事はもうちょっと早まっていたようです。
仕方ありませんね。

発電効率のよい単結晶のパネルの普及はまだまだと
思っていた私がオオアマでした。一杯売れてる(?)
そりゃあ効率が良いほうがよろしいですよね。
(値段を別にすれば)

我が家は値段などいっておれません。
繰り返しますが屋根が狭いんだもの。

修学旅行で

2011-09-12 11:16:40 | 塾あれこれ
「赤い顔して酒飲んでたぞ」
友達の言葉になぜガックリしたんだろう?
もちろん先生に対しての落胆です。

もともと私は小学校では非常に良い先生に恵まれ
先生大好き人間でした。
小学校で転校していますが両校とも。

小5で数カ月だけ合わない先生につきましたが
すぐに転校があり広島へ。
千田小のT先生は今でも感謝、感謝です。

塾という場所でも生きて行ける力の一つはT先生から
であろうと思います。

そんな私でしたから先生という存在を尊敬していたし
また勝手なイメージも抱いていたのでしょう。

小学校の修学旅行の時です。
先生たちが旅館で酒を飲んでいる、と所用で先生を
たずねた生徒が驚いたわけです。

それを伝え聞く生徒もみな驚いたはずで
その時の空気は今でも覚えています。

いまらなら「げ~!ありえん・・」


「ほんまじゃあ、見にいってみいや」

さっそく見に行って(返り討ち)に遭ったアホがいました。
ちゅうことは先生もマズイと思ったのでしょうか。

現在は修学旅行で飲酒する先生はおられない?

あのときなぜ拒否反応が出たのでしょう?
もしも、夜、自宅に尋ねて先生が御酒を召しておられても
何も思わないでしょう。

修学旅行の宿は仕事中だから、という気持ちを小学生が
持っていたからああいう反応が出たのでしょうか。
小学生のことですから、漠然とした感覚でね。

私が思うに、ダブルスタンダードを嗅いだのでは
ないでしょうか。

「ふだんは生徒に御立派なことを言って、自分は・・」

勝手な思いですが、正直な思いでもあります。


中高になると生意気さが増します。
日常の細かなところでもダブルスタンダードを嗅ぎつけ
「ケイベツ」するのでした。

今思えば、先生も神様じゃないんだから、なのですが
「だったら偉そうな押しつけを言うなよ」

字が下手な人は習字の先生になれません。
運動オンチは体育を教えられないでしょう。
(例外もありうるとは思いますがね)

同様に、徳育を教えるならば御自分を律して欲しい。

というか神様じゃないんだから徳育を振り回さないで
ほしい。

もちろん品性がない先生で良いとは言いません。
徳育も必要でしょう。

先生には人間として当然のことの努力をしていただき
しかし「徳育をしております」とは言わないでほしい。

・・公務員はそうはいかないか。


別にこれに限らず余り大きな看板はどうなんでしょう。

「クラブ活動、とくに運動部は社会に出て役立つ」
私も同感です。運動部じゃなかったから余計分かる。

でもね、あまり強調するのは好みません。

たとえば・・
運動部じゃない子はどうなの?
ケガをしたらできないじゃん。
本当に良いの?印象じゃん。証明はできてるの。
割合が高い?じゃあ正確にそう言ってよ。数字は?

本当に良いことなら正規の授業に入れなきゃ、生徒に
悪いですよね。

入ってなくてもよいのだ、ですって?
それをダブルスタンダードっていうの。

さっき運動部の出身が就職時以外に入社後も良いのだ
って言ってたのは何と比べてなんですかねえ。

御車代のあれこれ

2011-09-10 10:15:59 | 塾あれこれ
人づきあいが悪いので「式」などに
出席することも少ないのですが
とある結婚式で御車代を頂いたことがあります。

私が住むところから遠くで式があったのです。

アシ代もかかるし、泊るし、お祝いはちょっとケチろうと
情けない判断をしてしまいました。
1万じゃさすがに少ないし、5万は出すべきかもしれないが
まあ3万で、と。

着くと、大きな式場で立派なシツラエだったもので多少
ビビってしまいました。
知っている人も周りにいなかったしね。

不安なまま式の始まりを待っていると御親戚の方と思しき女性が
私のテーブルに近づいてこられ、さっと何かを手渡されます。
人間、そういうときには取りあえず受け取ってしまいますね。

御車代・・だった。
「しまった、お祝いケチるんじゃなかった。」

ビジネスホテルに戻って中を見て驚きました。
なんと、3万。
お祝いと同額ですから、突っ返されたような気になった
ものです。・・・若い。

きっと予め、この距離の人ならいくら、とご親戚などで
決めておられたのでしょう。
私がケチってしまったのがいけなかったのです。

ただ、あの時は「結婚良かったね」が薄らいでしまうほどの
心理状態になったものです。
一人、酒を飲みながら
「突っかえされちゃったよ・・・
もっときちんとした格好で来るべきだったかなあ。
 受付で中身を見て返してきたのかなあ。
 ハナから呼ばなきゃいいだろうに。
 一応声掛けたらまさか遠くからオジャマムシが・・かなあ」


場合によっては上記の逆もあって、御車代を出すだろうからと
「十分に」包んだのに、何もない!なんてこともあり、
エラく気前が良いオッサンになってしまった事もあります。

いったん出しちゃったら、どーしよーもありませんよね。

時代もバブリーでしたが、私もバブリーでした。
今から考えるとウソみたい。
少しでもお金をためてればよかった・・


学校が塾を対象に説明会をひらくことがあります。
いまがそのシーズン。

その際に、弁当が出たり、車代が出ることがあります。

情報を頂くのだから逆にこちらがお土産を持参すべきかも
しれません。
少なくとも弁当をもらいにいくわけではありません。

「やせても(笑) ワシは侍じゃ、ほどこしは受けぬ」

飯を食わせてもらって構わない、とは思えません。

かといって頂かないのも逆に失礼。
「突っ返すのか」「気に入らないのか」になっちゃう。

(私は、失礼ではありますが「外で食べられない」と
 ご遠慮申し上げています)

できればこんな「サービス」は止しにしてほしいですね。
学校間で申し合わせして、できるでしょうにね。

サービスしなくたって来る塾こそが大切じゃない?


しかし、弁当を貰わずに家で茶漬け食べてると
「やせ我慢」を実感できますよ。
そのワリに太ってるけど。


御車代は難しい。弁当よりも。

御遠慮したいのですが、受付に行列ができていて
予期せぬ車代を出され、前の人は受け取った、
後ろにも人がいる、なんてときは私一人が
「これは頂けません」とは言えませんよね。

受けなくても良さそうなタイミングや、戻せそうな
場合は、頂きません。

交通費を経費で落とすのと、車代を雑収にして税金を
払うのと、大きな違いはないじゃありませんか。
万単位も頂けるのなら惜しい気がしますが
千円二千円のことでしょ。

学校も距離を調べて支出すればよいのに。


JRで片道500円以上かかる学校に行った時も
御車代を準備なさっておられました。
タイミングが在ったので、頂かないで帰ってきました。

・・・その日郵便でWWFが年会費を請求してきました。

「しまった、あれ貰ってりゃ幾分か充当できたなあ」

・・セコいったらありゃしない。
我ながら、ンとに情けないですねえ。
「頂けるものは」がホンネのようで。。。。

さて、太陽光発電(まず、負担は?)

2011-09-09 14:22:36 | 太陽光通信
ま、よくカミサンが許可したな、という
厳しい状況です。
あと20年若ければ当面は取りかからないでしょう。

業者の方々、推進派の方々からは心配しすぎと
言われそうですが、とりあえず気になる処をチェックし
つつ、これから随時ブログで明らかにしてゆきます。

何しろ、分からないことだらけなのです。

業者さんの言われるようになるかもしれませんし
もっとシビアーに見ておいた方がよいかもしれません。

やってみるしかないのですね。
ご報告しますので参考になさってください。

もっとも我が家の場合も一つのケースにしかすぎないので
関心が御有りの皆さんにとって良い情報になりますか。


太陽光発電には沢山の疑問や不確定な要素がありますが
まずお金の見込みはどうかが一番でしょう。

業者の見込みによると、20年間を待たないうちに投資を
回収できるという可能性もあるようです。

ただその通りに行くかどうか、神のみぞ知る。
シビアーに見ておいたほうがあとで落胆しません。

我が家に乗るパネルは南面に3枚、東西が5枚ずつ
合わせて13枚で2.99kwになるそうです。

南面だけの場合より相当に効率が悪いと思われます。
我が家は最悪一年間で1000kwhの発電と見込んでいます。
(これをさらに下回ることはないでしょう)

現在の我が家が1年間で4000Kwhの電力消費ですから
太陽光1000KWで4分の1を賄えることになります。
(中国電力の原発割合分程度は何とかなりそうですね)

昼間は使用電力量以上に発電する場合もあると思いますので
それは売電できます。
しかし実際どれほどになるかは(やってみないと分からない)

そこで単価が高い売電は無しで、すべて消費したとしますと
年間の電気代の1/4、およそ2万5千円が安くなります。

これを20年間では50万円しか回収できませんねえ。

補助金を受ける条件として機器・工事費込みで1KW60万円
以内の契約である必要があります。
逆に言うと我が家は3kwなので180万円までが初期投資の
額になるのです。

その他諸費用がかかりますが、逆に補助も出ますので
結局実質負担は170万くらいで済むのではないでしょうか。

回収50万を差し引き、残り120万円として20年で割ると、
1か月で5千円の負担になります。

ちょっとシンドイですね。
(・・これぐらいは覚悟しておこう、といっても)

地球環境のために毎月5千円寄付していると考えればよい
のですが、カミサンは「寄付する余裕はありません」

・・へへ、もう契約しちゃったもんね。

実際は、工夫をして負担額を減らす必要もあります。
売電部分も増やさねばなりません。

一番肝心な事としては「効率のよい発電」を祈るばかりです。

(ちなみに業者さんの見込みでは年間3000KWを超える数字が
 出ています。
 これぐらいだと上記の話もガラっと変わりますが・・・)


話がとびますが、インフレは間違いないと思います。

そうでなくても電気料は上がりそうですね。

上がれば、我が家の回収額も上がることになります。

一般の人間はインフレに対抗する策を持ちません。
金持なら有望なモノを買っておいて資産を守るでしょう。
貧乏人には全く手が出ないので、物価が上がるのをただ
嘆くしかないのです。

もしもハイパーインフレになれば、3KWであれ
自家発電できることで、ある程度は救われるでしょう。

電気ってどうしても必要だから。

そうなったら、あのとき投資しておいて良かったな、と
いう話になるのです。
保険のようなものですね。

つまり我が厳しい家計からでも太陽光発電をするのは
ささやかな備えという意味もあるのです。
実はエコだけじゃあ、ありません。


まだまだ沢山の考えるべきことがあります。
工事も始まらないうちから、妙~に盛りあがっていますが
その他の話はまた近いうち。

PS
我が家は敷地19坪、木造2階建て、中古を求めました。
現在、築15年かな。

建蔽率60%容積率200%住宅専用地で高さ制限あり
という基本条件で、太陽光発電をするにはミニすぎると
いえそうです。
もしくはギリギリ最小の規模。

・・・そんな家で塾と自宅と両立できるとは!

めぼの、ひーばーちゃん

2011-09-08 13:43:17 | 塾あれこれ
TVで北欧の切紙作家を紹介されていました。
私より少し年齢は上です。

その方がパッチワークについての話題で
御自分の曾祖母は糸をつむぐことから
洋服まで全ての工程を自分でしていた
と話されていました。

ああ同じだな、と思いました。

私の母方の曾祖母がまったく同じでした。
洋の東西を問わず似た生活をしていたのですね。
(比較文化論のよいテーマになりそう)

桑や棉を育て、納屋で蚕を飼い、糸を紬ぎ、染め
機織りをして、着物に仕たてるまで、一人でしていた
・・あの人は偉かった、と祖母も母も言っていました。

「メボのひーばーちゃん」私がこう呼んでいた人です。


♪春の小川、のようなイメージの川が祖母の家の前を
流れており、これに沿って暫く上り、小橋を渡った処が
ひーばーちゃんチでした。

私も記憶が多くありません。

偶に遊びに行くと(見に行くと)たいがい薄暗い座敷で
寡黙に座っていましたね。
ごくごく晩年を知っているわけです。
抜群の存在感がありました。

きっと聡明な人でもあったのでしょう。
母の話ではあちこち旅もし、大宰府が気に入っていたとか。

(「私も一度その大宰府に行きたい」と母がいうので
晩年、ご案内してひどく草臥れさせてしまったという
苦い思い出があります。
 「あんたが悪い」カミサンのネタの一つになっちゃった)

それはさておき母にそう言わしめた「ひーばーちゃん」は
子や孫の尊敬の対象になっていたようです。

左目のまぶたに大きな(ホクロ=イボ)がありました。
いかにも見えづらそうで子供にも気になったのでしょう。

失礼ながら「メボのひーばーちゃん」となったのです。

もう少し私が大きければ話を聞けたのにねえ。
昔の見聞とか、家の歴史とか、御大師さまの話とか。


ところで一般にはメボというと「ものもらい」のことを
言うらしいですね。

方言なのか間違いなのか、私は目のイボのことをメボと
覚えていたのです。

関西では「メイボ」これが田舎で訛ったのでしょうか。

しかし関西ではメイボというと、主に短期的な目の病気を
さすようなのですね。

ネットで見ると「イボ目」というのがありました。

痔がイボになると「イボ痔」ですから
目に出来れば「イボ目」ですか。

なるほど。


それで私の曾祖母は「イボ目の・・・」となるか?

なりませんよね。
やっぱり「めぼのひーばーちゃん」

間違っていようがどうしようが、私の一部になって
しまっているのですから、変えようがありません。


子供の言語体験はかくも絶対的な面があります。
自分と一体化してその人なりのセンスになるのです。

大人がなるべく「正しい」日本語を使っていてほしい
ユエンです。

方言は大切ですよ。正しい日本語です。
大詩人のほとんどは方言で育っています!

よって、授業はコテコテの方言でするべきです。

訛りも十分に矯正されていないままに妙な共通語で
不自由な授業をやっておられるのは痛々しいですねえ。
地方の文化に対する冒涜でもあります。

しかし近年、教師や保護者の日本語は・・
どうなんでしょう。方言云々以前。

NHKのアナウンサーなどでもヒドイですからね。

NHK大阪にSという大学の先生もやっておられる
著名なアナウンサーがおられます。
私より年上ではないかな。

先日耳を疑いました。
「羽生さんが谷川さんをおろして、タイトルを・・」
あのねその「下す」は「くだす」

一瞬、何のことか分かりませんでしたね。
言葉のプロが原稿を読んで、こうです。情けない。

話が散逸してきました。
今日はこのへんで。

神辺の村松さん

2011-09-07 11:23:53 | 塾あれこれ
『神辺の村松さんの硝子器に朝日さし来る秋の豊穣』

来週はもう仲秋の名月だとか。
今年は早い。

まだまだ暑いと思ってたら、日によれば
風邪を引きそうな夜があります。

台風が過ぎ、めっきり蝉が鳴かなくなりました。
今はもう秋。


以前にも書きましたが、神辺町のガラス作家
村松学さんの器がお気に入りです。
毎日のように使いますね。

ガラスといえば夏。
でも、本当は秋が素敵ですよね。
ん~、冬も良いか?

まあとにかく優しい人柄そのままの器で飽きがきません。

けっこう前になりますが器展でガラスを見ていました。
丁度、なにか欲しいと思っていたのでしょう。

「それは」と声をかけて下さったのが作家の松村さん

ふつうこういうのってウザイでしょ。
「わしは貧乏じゃ、買う金はない」と言いたいのですが
エヘヘと不要量に逃げていかざるを得ない。

ところが村松さんは、人柄なんでしょうね、この私が
(強調しますが)この私がなにかお話しできる空気が
あったのですね。

千円程度の品を一個二個でも気持ちよく応接して
下さいます。
決してある程度まとまった買い物をする人とか
御馴染さんとか、に向かう時と空気が変わりません。

以来、ファンちゅーか、
と言っても相変わらず、年に一個二個の客です。

教職員の駐車場を花壇に

2011-09-06 09:33:42 | 太陽光通信
まったく余計な御世話なんですがね、
学校(できれば官公庁も)の先生や職員がたが
通勤してきた車を置いておられるのを見ると
なんだか寂しい。

中学高校の母校にたまに行ってもそう思います。
こんなところにまで車を並べて。。。

生徒優先になっていませんよね。自分たちの都合。
エコじゃないでしょう。

この面積を花壇にできれば随分違うのに。
スーパーなんかでも広い駐車スペースですが米国じゃないン。

狭い国土を有効に使うためには個人の便利さも
一定の制限を受けるでしょう。

少なくとも公立校は官僚なのだから、国民の範となる
べきです。
税金が給料なのですから。

すみやかに自家用車での通勤をやめ、
駐車スペースを教育に役立てるべきだと思います。
(切り替えができそうな人はね)


あれだけ節電できなかった日本人が大震災を期に
とても頑張っています。
法律や罰金だけでは説明できないエネルギーですよね。
企業の努力も大変なものがあったでしょう。

思い立てば世界に範を示せる力が日本にはあるのです。
ガソリンの無駄遣いだって頑張れないことはない!


まあ、私がブログで「学校や政治家は節電を」と書いても
誰も動きませんから『花壇運動』もただのブログ・ネタで
終わりそうではあります。

それどころか、喉元過ぎればなんとやら、
節電だってモトに戻る恐れがあります。

そこを意識高く持って生き、発信を続けるのが
学校の教師じゃないですか。

私立も、塾の先生もチャリで通って欲しいよね。


私は原発反対です。
徐々に削減すべきと考えます。
できれば20年くらい先には全廃。

もちろん自分の考えを周りに強制したり
生徒に何か言うこともありません。

以前から書いてるように、自分の意見を確認しておかないと
却って生徒に特定の価値観を押し付けてしまうからです。
(信じ込んでいる=無意識が危険)

自分の信念を伝える(押しつける)教師は最悪でしょ?
どんなに良さそうな考えにもリスクは潜みます。


反原発ですから使用電力も減らさなければなりません。
(悪戦苦闘していますが・・)

生徒に訊かれて自らの考えを吐露する場合
その答えがどれほどの内容であるかは重要です。
裏打ちされていなければなりません。

そこでついに我が家も太陽光発電をすることにしました。
流行りのマネです。

カミサンは太陽光には反対なのですが(色いろ学んで)
老い先短いトシヨリの必死さに負けてくれたようです。

例えば、75歳ってお年寄りですよね。
亡くなっても不思議じゃない年齢です。(失礼)
そこまで私はあと12年6カ月しか残されていません。

ほぼ十年しか生きられないかもしれないのですから
ちょいと真剣にならなきゃ。・・もっと早く死ぬか?
(でも、90とか100まで生きるかもしれない。
 年取ると、ここんとこが難しいですねえ)

太陽光発電を20年のスパンで考えるとします。

平均寿命まで生きることができるとして後ほぼ20年
つまり、今がスタートをきるリミットなのです。

それにしても高価ですから悩みました。
60からでも2年以上、ああでもない、こうでもない。
大震災と福島原発が決め手になりましたね。

やらねばならぬ!

笑われはしないかと業者におそるおそる伺いをたてますと
小さな家で南面がとれないので効率が悪いけれども
ガクメンとして3kwは屋根に載せられるという話です。
(もし南面だけでそれだけとれれば、ねえ)

確かに効率は悪い、元などとれるハズがありませんが
この際、盛り上がった時にやっちゃうことにしました。

70になってから、後20年なんて考えられないですからね。

補助金の認可もおり、あとは工事を待つだけです。
・・これが待たされるんだ。

待ち切れずにブログのネタにしてしまいました。

小渕が良かったか

2011-09-05 10:29:51 | 塾あれこれ
野田と小渕が似ているという話があるそうです。
ん~、そうなのかなあ。
まあ、これからの推移によりますからね。

小渕は減税、野田は増税、これだけでも違うけれど。


そもそも「小渕は良かったのか」

早く死ぬと評価が上がるのは日本人の悪い癖で
夭折、早世、をむやみと振り回すのは好みません。
ただの(die young)

その死を惜しむことと、評価を二階級特進させることは
別の話なのです。

で、小渕首相はどうだったか。

曲がり角だった日本を思いきった手術で生き延びさせたと
評価されていますね。
景気は持ち直しました。

しかし後遺症がたくさん残るオペだったようです。

ジャブジャブと金を投入し(薬の過剰投与)
借金を膨らませてしまったのです。
小渕だけではありませんがね。

今の日本は国家財政の赤字につぶれかけていますが
小渕のところで安易にカジを切ったのが敗因。
あの時点ですでに大変だったのです。

小渕のおかげもあり目先の経済は浮上しましたが
サラ金に手をつけたようなもので、ぶよぶよの肥満を
招いてしまったのです。
健全な体力回復ではありませんでした。

「あんときはやむを得なかった」のでしょうか?
その後どうするか方策は無かったのではないでしょうか?

「思いきった」とは「無謀」と背中合わせの言葉
そのうち何とかなる、は旧日本軍の発想ですよ。


野田首相が小澤の影響を遠ざけつつ、自らの政策を貫く
ことができれば、小渕とは違うハズです。

けれども安易な増税はリハビリ中の体に重労働をさせる
ようなもので、元も子もなくなります。

どのような将来像を描けるか。
納得できる仕組みを作れるか。
情報を公にできるか。

いずれにしろ増税は堪りません。
形だけの弱者救済を言うのではなく、中間層をどうするか
そして団塊世代の中での格差も見つめられるか。

世界中から押し寄せそうな物価高は、円高が食い止めて
いるのです。
どんどんと円安になればよいという話はありえません。
為替は風向きが変わると一気・・

増税+物価高の恐れが強い中での年金生活はきついね。

カビが生えたような古臭い昔の自民党的スローガン
「景気をよくし企業に収益があがると、いずれ国民に回る」
(=実はどうしたらよいか良く分からない、問題先送り)

これを唱えるしか能がないとすると、「仕方がないから
期待しておくしかないだろう」という現在の内閣支持率は
急降下します。

先手必勝。
緊急課題である円高を一定程度戻せますか?
組閣したばかりだとは言えないはずですよね。
具体策を早く!

宝島社の広告

2011-09-04 10:33:30 | 塾あれこれ
新聞の見開き広告で宝島社のインパクトがある
ものが「評判」だそうです。

私は「ふ~ん」相変わらずヘンな会社、と思っただけ
なのですが、思想的に酷評される方もおられるとか。

マッカーサーが占領をしにきたときと思しい写真に
「いい国つくろう、何度でも」というコピーでしたっけ。

アメリカの力をお願いしようともとれるので
カチンと来る人もいるでしょうね。
何だか私も乗れない。

たぶん「イメージですから解釈はご自由に」と
言われるのでしょう。
卑怯千万とも言えますよね。


私は広告宣伝ではハッキリしたのが好きです。

最近ではどこかのブランドが新品のカバンと
使い込んだのを並べて、こういう味わいになると
宣伝しておられた。
こういうのが良いですね。

ぼんやりとしたイメージ広告って良く分かりません。

具体的な広告でイメージを作っていけるじゃないですか。
何で気取らなきゃならないんだろう。

・・・こう思うのは加齢でしょうかね。


あいまいさ、も大切ですし面白いこともあります。

政治家が、AであるともAでないとも言えず曖昧に答える
そんな場面も、必要に応じアリです。

禅坊主が分かったような分からないような話をするのも
味があって面白い場合もあります。

しかし、同じ曖昧でも
* 責任逃れ
* 格好をつけるため(或は、思わせぶり)
* 自分の中身がクリアーでないことのゴマカシ
* 表現能力の欠如
こんなものであれば感心できません。

はっきりと加齢臭を意識して申し上げますが
近頃の若いモンは、はっきりしないのが好きそう・・

上記、宝島社の広告も
若者「なんとなく面白そう」
私「だから、どこがどう面白いのか教えてよ」

「野田新首相どう思われますか?」
「地味そうだけど、何かやってくれそうじゃん」

私は、何を?どうやって?なぜそう思える?
いっぱい突っ込みたくなりますね。


話は変わりますが『宝島』はもともとは植草甚一が
始めた雑誌でした。
私がサラリーマンになりたてのころ。

名前は『ワンダーランド』それがすぐに『宝島』に
名称変更され、内容もどんどんと変化したように
思います。

創刊号はカッコよかったね。
イラストも凝ってた。

信じられないでしょうがこの初期の『宝島』6号までを
私は長い間持っていました。
ただ、大判の雑誌なので扱いが難しい。

植草甚一のマネをしてスクラップにしてしまいました。
大きなスケッチブックを買ってコラージュなんか・・
・・・気持ち悪いですねえ。


植草さんの本もかなり沢山持っていましたが
母が亡くなった時、家を整理して全部 廃棄しました。
残念だけど今の小さな家には持ってこられなかった。

スケッチブックもね。
レコードその他お宝の殆どもね。

『ワンダーランド』のころ編集をしておられたのが高平哲郎さん。
カッコイイ仕事をされていました。

雑誌に紹介されていた店が分からず、出版社に電話をした
ことがありました。
高平さんが出てきてびっくり、どぎまぎしましたね。
問い合わせには親切に教えて下さいました。

タモリがらみでTVに出られるような時期があり
出世されたのか、コースが変わったのか・・


途中で大判からペーパーバックスタイルに変わった『宝島』も
面白く読んでいまし。
けれども、その後の変わりように驚き、ついてゆけず
しかしなんとなく気になる会社でした。

変わらなきゃ生き延びられないのでしょう。
『ぴあ』が無くなったように。

でもなあ、アイマイは止めてほしいよねえ。
リスクを負ってはっきりとものを言うべし!