また台風

2011-09-21 14:45:36 | 塾あれこれ
またもや台風。
被害が危惧されています。

気が重いですね。

ずっと東北の大震災が気がかりで、何もせず
ただ、名取、多賀城、塩竈、松島、石巻・・などと
懐かしい地名を追いかけて時折流れる被災地の映像に
呆然とするばかりです。

毎年のように出かけていた東北に行かなくなったのは
神戸の震災から。
いま奇妙な気持ちに包まれます。

東北は新婚旅行でも行きました。
(当ブログにも書いています)

その時は東京の友人宅で手荷物の入れ替えをさせてもらい
冬支度を春に替えて旅行を続けました。
伊豆半島~三重、そうして紀伊半島です。

那智勝浦から熊野川沿いに本宮方面に向かい
湯の峰温泉泊

熊野が世界遺産に登録されるずっと前のことで
静かな温泉でした。
(○○王子ってのをいくつか歩きましたね)

勝浦からの移動はずっと定期バス。
宿の人があきれてた。
湯の峰は一番高い宿にしたので、「ウチに泊まる人が
あのバスで移動・・?」と絶句。
(笑いながら内心「悪かったねえ・・・」)

翌日、中辺路、大塔、を通って田辺へ。

この前の台風で大きな被害を受けた地域ばかりです。

あの旅では春になりたての自然があふれていました。

今、山は崩れ、川は変形し。


思い出の地ばかり、どうしてこうなるんだろう。

『とほくより野分の風の届く夜』

『風絶へず遠慮がちなるネコの声』

噛みつこうにも歯が立たないが

2011-09-20 15:50:11 | 塾あれこれ
広辞苑や天声人語というと、評価が確立し
いまだに金科玉条として崇める方も多いと聞きます。

広辞苑は高島俊男さんが『お言葉ですが・・・』の
シリーズでこてんぱんに書いておられ、そのセイか
最近「広辞苑には~と書いてある」式の文章を
見かけることが減ってきました。

もちろん天下の広辞苑です、たかが「高島ごとき」が
何を言ってるか知らないが・・という方もおられるでしょう
文春文庫のシリーズに当たって判断頂くしかありませんが
私はオオムネ高島先生の方に軍配を揚げたいと思います。

天声人語に対しても評価の低い文章を書いておられたと
思いますが、天声人語のレベルも下がってきている風に
私は思いますね。
伝説の深代惇郎さんのように書け、というのも酷ですが
二人で一日おきに書いていて、あの程度なんですかねえ。
日本語がひどくなっている象徴かもしれません。


先日、の天声人語です。(9/17)

ら抜き言葉が肯定されてきた、と書いています。

ご存じのように学校文法では、「れる」は「ある」以外の
五段活用の未然形とサ変の未然形「さ」に接続し
「られる」は上記以外の動詞の未然形に、うんぬん
と明確な決まりがあります。

「見る」ならば「見られる」が正しく
「見れる」は誤用。(関西なまりです)

それに対して、天声人語は文化庁「国語に関する
世論調査」というものをひき「来れる」は過半数の
人間が使っているから近い将来誤用とは言われなくなる
と断定しておられます。

国語に「世論」調査というものがなじむことかどうかも
問題だとは思いますが、
誤用かどうか、多数決で決められることなんだ?
知らなかったねえ。

51%を取れば勝ちなのでしょうか?
80%なら良い?・・・だれが決めたのでしょうかねえ。
あとの20%がチョー不快に思っても使って良いの?

言葉というものは相手が嫌がることは避けるのが常識で
過半数で決定していけないものもありますよね。
中国人が「支那」という語を忌避するならばこちらは
使わないのが当然で、その代わり日本への悪表現もダメ!

(話が飛ぶワケではなく)上記と同じ気遣いが言葉全般に
必要であり、若者言葉は仲間内であれば構いません。
私だって流行り言葉を使っていました。

それを会社で上司に言ったか?・・・まさか、ね。

今なら「ヤバイのガッツリ行きましょうよ」くらいは
言いかねません。
上からの強制力が弱くなり親しみを込められているのか
はたまた、なめられているのか

使う若者も別の言い方があることは知っている筈で
クラブの先輩に不用意なタメグチは叩きません。

もっとも、近年は改まった言い方か、くだけているのかの
認識すらアイマイになってる人も増加中かもしれません。

目上の客に「来れます」と言っていいと
天声人語がお墨付きを与えているくらいですから。

本来ならば「不快に思われる人もおられる」と
諭すのが年寄りの役目じゃありませんか。
バカモノに迎合してどうしますか。

(勿論、学校文法が全て正しいという訳ではありません)


天声人語、続きに何が書いてあると思います?

ら抜き言葉は昔からあったとして、川端康成の『雪國』
駒子のセリフがそうだというのです。

小説の登場人物のセリフが引用に値しますか?
田舎芸者ですよ、
出身や性格を現すための言葉づかいじゃありませんか?

明治の小説に警官が登場し、とある人物が鹿児島弁を
しゃべっている文章があったとしましょうか。
それを証拠に明治維新後は警察官は鹿児島弁を
しゃべってたと断定しますか?

百歩ゆずっても、あくまで一つの例でしかありえません。

なんとも情けない「引用」じゃありませんか。

さすがに『雪國』だけではマズイと思ったのでしょう。
次に学者の新書を引用してハクづけしています。

あのね、学者がどれだけ信用できますか?

原子力学会がいまどうですか?

考古学会は藤村センセの単純な(遺跡ねつ造)を見抜けず
あとで諸先生こぞって大騒ぎじゃなかったですか。
「なんでアレで良いと思ってたんだろう」「恥ずかしい」

この程度の集まりなんですよ。

一種の井戸端会議であると同時に、権威へのゴマスリ機関
自ら考えないで楽をしつつ、素人には威張って見せる
それが学会であり学者の姿です。

そんな学者の新書ごときを引くなよナ。
(引かれた新書の評価ではありません。←未読)

いまの国語学者は「言葉は変わる」「変わってよい」が
流行りであるだけなのです。

「偏った」話であるという自覚は天声人語にはないようで
終わり近くには、突然、略語は多く定着してきた、と
(れるられる)とは何ら関係のないことを言い散らす始末です。

文の最後に至っては、定義も怪しくかつ文意不明の恐るべき悪文で
チャンスがあればまた書きますが、そんなことを書かないと
いけないこと自体が腹立たしいかぎりです。
書いても少数者しか読んでくれないしね。

この天声人語氏は言葉や文章について悩んだことがない方かも
しれませんね。
お幸せな方なのでしょう。
(ちょこっと検索して都合の良い材料を並べ安易に書いた
 としか思えないからです。言葉って悩むことなのに)

PS
変化承認派の方には、たとえば「見れる」は(可能)
「見られる」は(受け身尊敬)と区別できるからよい、
と本末転倒の意見もあるようです。
上記天声人語でも触れています。

「書ける」などと似た新しい可能動詞が増えたと考えれば
「来れる」もよい、という考えも成り立つかもしれません。
なにも五段活用以外の動詞の(可能化)は禁ずるという
法律があるわけではないですからね。

しかし私は、言葉の変化は無原則にしてはならないと考え
上記の考えには賛成できません。

今、子供たちが「行くことができる」という表現に
「行けれる」などと喋っていますね。
「来れる」と同様に新しい可能動詞と認めますか?

タチのわるいユスリと同じく後から後から出てきますよ。

気持ちの悪い言い方は断固否定すべきです。
頑固爺と嫌われようと。

『木漏れ日の家で』

2011-09-19 14:33:18 | 見る
見に行ってきました。
良い映画でしたね。
ヒットするだけのことはあります。

一人の人間の生き方を描くだけでなく、動物も良くて
特にワンコの好きな方は二重に楽しめます。
二味のアイスみたいなお得感がある?

昨日の12:30の回、我々には行きやすい時間です。
客席は、ほぼ一杯でした。

年齢層の高いこと・・・

オバアサンのお話だからでしょうか、
団塊以上のご夫婦が多かったようでした。

(以下多分ネタバレになると思います)

ポーランド映画、カラーでなく珍しい白黒作品でした。

美しい林に囲まれた古い家で、
可愛い犬と暮らす高齢な婦人の物語です。
(実話に基づいているらしい)

映像が綺麗ですね。
(白黒ですと画面で明暗の差が大きくなるので
ちょっと目が疲れてしまった。)

西洋の美意識に基づいた画面作りは無声映画のそれに
イメージが通じる場面も多かったようです。

前半は老人から見える世界を意識して画面が二重三重に
重なっていたり、ゆがんだり、なんだか新鮮です。
老眼鏡ごしの見え方ですね。
実験的でついてゆけない、なんてことはありません。

クラシカルな音楽も映画に似合います。

ストーリーはよくある老人モノ、身も蓋もない言い方
ですが、描き方が上手であればよいのです。

脚本もよく練ってありました。

俳優も上手い。

・・・とケチのつけようがありません。
100%以上の、超感動とならなかったのはなぜ?

私の場合は「説明されすぎ」の感じがちょっと評価を
下げるところでしょうか。
西洋風の小説と日本のとの文体の違いでしょう。

私は高村薫より宮部みゆきの方を好みます。
あまり細かく丁寧に説明されると煩わしくなるから。
(高村さんも、面白いですよ。・・ちょっとクドイ)


私も映画のようなバカ息子だったんだろうなあ、
ちょっと切ない映画でもありました。

テンプラ荒谷

2011-09-18 18:17:32 | 食べる
私が書いてどうなるものでもない
有名店ですね。

本日、久しぶりに頂きました。
相変わらず美味しい。

天丼1000円という、有名店にしては安い値段に
惹かれてね。
たっぷりの天麩羅が乗って味噌汁と漬物で
このお値段はリーズナブルすぎます。

小さな店でしょ。
昼は覗くと一杯ということが多くて何度も
入れませんでした。
今日はたまたま運が良かったのかな。

何しろ何年も行ってなかったので記憶が怪しいのですが
前は大きなひと固まりの掻揚げが乗ってましたね。
今回は口に入れやすく小さめの揚げでしたが全体の量は
相変わらずたっぷりとあります。

前と今とどちらが良いかなあ???
高い値段の方の天丼は違うのだろうか?

油はキレが良くてしつこくなく野菜中心の天麩羅の
さくさくとした食感がたまりません。

ご飯も粒がしっかりとして美味しく
あっさり系の丼ツユも好みですね。

カミサンも私も食べる量が少なめですから満腹でしたが
たっぷり食べたい人には多少物足りないか?

でも、天丼って量を競うものではないですから
ボリューム重視の人は他へ行かれれば。

あの辺りで昼飯を頂くには一番よい部類に入るでしょう。

もっと広くてゆっくりできてもよいけれど
そうするとお値段が高いのを食べたくなるかなあ。


映画館の宝塚の近くに「こけし」という天麩羅屋が
ありました。
ここはお酒とともにゆっくり揚げてもらう店でした。

酒を錫の酒器で出していただけます。
もうそれだけで主人の心意気が分かるでしょ。

ビアカップが錫ってのは普通だけど、お店では
あまり見ませんよね。
ましてや燗が旨い錫の酒器でちびちびは堪えられません。

禿のお爺さんの代が美味かったので人が代わってからは
しばらくしてつぶれちゃった。
形だけ真似をしても味は歴然と違いましたからねえ。


荒谷の御主人はお若そうです。

できれば「こけし」のような落ち着いて天麩羅を
堪能できる店を作ってほしいなあ。


余談だけど味噌汁は私の方が旨い。
まあ材料に掛ける値段が違うから当たり前か。

太陽光?・・分かんねえ

2011-09-17 19:55:29 | 太陽光通信
太陽光発電ってどれくらいもつ?

パネルは20年はもつだろう、と言われています。
実例ではずっと長い寿命もあるとか。

であるからといって今の大量生産品がどうか?
たまたまウチのものが~~だったら・・・

これは消費者には分からない。
規格を信じる他ないということで、20年間は信じら
れそう、あとはモウケですね。

さすがに10年でアウト、はちょっと寂しい。

パネル以外の周辺機器はどうか。
高価なのがパワコン、途中で買い替えになりそう。
将来は安くて良いものができているかな。


メンテナンスって何をどうやればよいのだろう?
分からないまま、気がつけば手遅れってのもなあ。

実際の発電効率、これはやってみないと。

年間3000Kwhも出ればすごいけれどこの前書いたように
欲を出してはいけません。
2000くらいかなあ。

長い年月のうちに発電能力は落ちるのだろうか?

海に近いところでは塩害ってのもありますからねえ。
大雪は?


だいたいやね、家が中古なのに重いものを乗せて
大丈夫なんだろうか。
特に地震。

また、よく言われるのが、工事で屋根は大丈夫か
雨漏りなんてしないの、他に壁などの雨仕舞も?

停電のとき、どれほど役に立つんだろう。

環境が変わると?
(近所に高い建物ができたら)

メーカー保証ってどれくらいの内容か、
取引業者がなくなるとどうなる

まあ、色々と考えられますが、一定以上の価格のものは
買ってみないと分かりませんよね。

住宅などでも恐ろしいカケでした。
よく大金を賭けたな、と今でも思います。

我が家は地震時に液状化が心配な場所です。
いつまでもカケが続くのですねえ。

それでも生きてゆく=感想②

2011-09-16 15:47:42 | 塾あれこれ
7月に最初の感想を書いて、あっという間でした。
視聴率は上がらなかったようですね。

でも、とても良いドラマでした。
真面目なドラマのお手本になりそうですね。
脚本や演技の勉強の教科書に使えそうです。

最低限これくらいのレベルにしてもらえれば
韓流なんかに席巻されないでしょうけれどね。

とても良い脚本ですが、あまりに箱書がキチンと
している風で、ちょっと型にはまりすぎかも。
内容が重いので、それくらいのほうが分かり易いか?

最終回は初めから終いまで(泣きっぱなし)
泣きのツボにはまったかなあ。
若い人が一緒にいたら「なぜ泣く?」なんて処で
ワーワー。
満島さんが一生懸命明るくしてる姿だけで泣けます。

今回を含めて4週連続で泣かされてしまった。

(車で瑛太が怒って好きだと言うとこ、
 次の週は携帯での告白、
 因島の食堂での気持ちの交錯・・・)


立川談春が3.11からあと客が変わったといいます。

以前ならばドラマが少なくてあっさりしすぎていた噺が
今良いのですって。

3.11のあまりにも強烈な事実を目前にして、
ドラマの盛り上がりよりも大きな現実があることに
日本人が気づいたのではないか。
ドラマは少なくても、一つの悲しみで余韻を味わうのです。
手ごたえがなかった噺の受けが違ってきた・・
そんな内容です。


もしも談春の言う通りであれば、今回の『それでも・・』の
視聴率の伸び悩みが説明できるかもしれませんね。

もしもこのドラマがショッキングなことの連続であったなら
視聴率は伸びたかもしれません。

言いたいことは初めから分かるので過程を味わうドラマです。
人物の一人一人にドラマが詰っています。
その関係を味わうものでした。

登場する人たちの心の一つ一つにドラマが込められている
という形はジミに見えるのかなあ。
→日本人が変わってきたのかもしれません。

私などは、制作者が丁寧にドラマを綴りながら
(当然そうあるべきなのですが、作る方は大変です)
実は大きく飛躍がある!
よくよく考えればそんなバカな、かもしれないが面白い
こういう歌舞伎のようなドラマが好きです。

ただヒタスラ突飛な展開の連続をすればよい、
とは思わないのです。

年寄りになっちゃったのかなあ。


現実に人を慮ることが少ない世の中になってきたのかも
しれません。
平凡ながら「思いやりこそ愛情」なのに。

満島さんが兄に怒りをぶつけたところは、ただ裏切られた
というだけではなく、瑛太への思いやりも加わっていた、
「お兄ちゃんはどうして人の気持ちが分からないの!」

瑛太も(落胆した苦い笑い)だけではなくて、
相手の気持ちも少し分かっている笑いなのです。
七分三分?いや、八二?で。
相手がそう言うしかないだろう事を許しています。
そこを演技できるというところが役者のスゴサですね。


自分が自分が、ばかりだと気持ちのヒダを読みづらいかなあ。

広島国際学院広報

2011-09-16 08:52:23 | 塾あれこれ
様々な学校からこんな小さな塾にまで広報誌を
送ってくださいます。

どれも校風がにじむものばかりで、
有り難く拝読させていただいております。

中でも最新の国際学院広報はシャレていますね。

9月1日発行の第86号が届きました。
(メイルの仕方もgood)

表紙はデザイン学科の学生が作られたデザインですが
かなり良いものです。
ここにコピーして紹介したいところですが
勝手なことは止めておきましょう。
いずれ学校のウェブサイトに載りますからご覧ください。
なかなかですよ。

11月4~6日、三日間だけですが展覧会があるそうです。
『完全復元伊能図・全国巡回フロア展』

近ければ見に行きたいですね、小さな印刷物では
分からない迫力があるでしょう。

この展覧会の案内がA4で2頁

次いで、大学・短大・高校のニュースなどが数頁ずつ
裏表紙も入れ全12頁の薄い物ですが内容はあります。

例の「バイオによる放射性物質の排除」の研究など。

広島の塾は御存じですが、よい出来なのでご紹介しました。

今が最高?

2011-09-15 10:46:05 | 食べる
小さいころにキチンとした食べ物を頂くことが
味覚にとって重要です。

金持ちじゃなくて構いません。
魯山人だって道場六三郎だって、裕福だったわけ
ではないはずですね。

美味しい水、きちんとした米、鮮度の良い食物
こんなものが味覚の基本を作ります。

次に、体が大きくなり大人へ向かう時期には
調理のしっかりとした食べ物を知るべきです。
祖母が上手な人でしたから尾道の味を覚えました。
基本の味覚をここで鍛えるのですね。

子供のころは苦手な味も多かったけれど。

父親がときどき食べにつれていってくれました。
彼は子供をダシに飲みに出る作戦です。
一軒目で子供は返してね。
おかげで私は尾道の旨いものを幅広く知ることが
できました。生意気なガキだったでしょうね。


大人になったらレパートリーを増やす、
文化を知る、これらが大切です。
精神を学んで初めて懐石料理が分かる様に。

料理とは総合芸術であり、人間の生き方でもある
のですね。

駅のベンチで弁当食ってる姿は私には情けない。
旨いの?そんな生き方で良いの?と思えるからです。

彼は幼いころ良い水を飲んでいたか?
ファストフードのような物ばかり食べていなかったか?

成長期に壊れてしまった味覚は一生ダメでしょう。
体の健康にも心の健康にも悪そうです。
自分一人の問題に留まらないのですがねえ。


60を超えれば小6の子より総合的な体力は劣るかも
しれません。
個人差も大きいでしょうから一概には言えませんけれど。

私など体力は小学校低学年レベルでしょうね。
これからどんどんと落ちてゆくと思うと・・・

体が弱れば味覚も落ちる筈ですね。
いずれ何食っても同じになるかもしれません。

病気になるかもしれないし。

歯が抜ければ味が分からないと聞きます。
匂いが分からなくなっても、目がかすんでも
元気がなくても、etc

私はそうなる前に多少無理しても美味しいものを
食べておきたい。
分からなくなったらカップ麺でよいのです。

見栄をはり高級レストランに行っても無駄遣い!
味覚がボケてくると場所で旨さを補うみたいです。
有名店だと有り難がるようになります。

ただね、早くに旨い物をといってもお金はかけられない。
ここが年寄りのつらいところです。

幾つまで生きるか分からないでしょ?
ン円貯めてれば大丈夫なんだろう。
インフレもあるし、大病もあるし。
国は信用ならんし。

ええっと、食べ物の話でした。

今の私の味覚はどの程度なんだろう?と思います。
もう下り坂に入っちゃってるのか。
いつがピークだったのだろう。
いや、まだまだノビシロはある。
・・と、どうなんだか、うろうろ思い迷います。

小学校低学年と言えど味覚の基礎を作った時代、
そこへ戻るのだからまだ大丈夫なはず。
今までの「貯金」もあるし、やっと方法論がみえて
きたところもあるし、と思います。

個人的には、結婚した後に少しずつ料理を始めたので
経験不足は否めません。
独身の頃やってたのは遊びですからねえ。

偶にでも自分で料理すると味が見えてき始めました。
こう組み合わせると、ははあ・・
40過ぎでは、遅きに失す、です。

ともかく自宅で作ると安くて済むことが多いですね。
(安価なうえに安心)

アラカンなのにまだまだ知らないことだらけです。
やってみたいことも沢山あります。
一生って短かすぎますねえ。

厳しい業界

2011-09-14 10:22:39 | 塾あれこれ
このブログは塾業界に入って間もない若い方に
年寄りがあれこれ物言う、というかたちで書いている
つもりですが、今回は少し違います。

塾業界を御存じない方へ「塾のグチ」です。
といっても、とある流行らない塾だけの感想かも
しれません。

指導要領が変わり業界には追い風が吹いている
という羨ましい話も聞きますから。


先日、ぶ厚い手紙の入ったダイレクトメールが
送られてきました。

商品をご紹介下さる「口上」を要約してみます。

『大手塾が優秀な生徒を囲い込んでいる。
小さな塾へ生徒が来ても学力が低い子が増えた。
この環境で生き残るには来ている子の成績を上げることが
大切である。

そこで提案だが、○○を導入してはどうか。
成績のよくない生徒の力を上げるのは難しく経営的にも
負担であろうから、ここにお勧めできる商品がある。

自習や家庭での学習を強化するツールとしての
わが社のEラーニングシステムを検討されたい。』

・・・ざっとこのような内容です。

手紙に書いてあることは間違っている話ではありません。
それだけが真実かというと、それは違うように思いますが。

最初の「大手が囲い込む」とは、低学年からの通塾を促して
生徒を「青田刈り」するというよりも
「(受験結果と低価格)の二本立てにより
大手塾に生徒が流れる」と言いたいようです、手紙では。

これも真実の一端を突いていますね。

サービス業であるのに、なぜ低価格が実現するか。

企業秘密と言われればオシマイですが、中間経費の削減等
だけでは限界がありますから、人件費の「合理化」が
大きいのではないでしょうか。

経験が少なくとも、力量が足らなくても、マニュアルに
そった仕事をしていれば、生徒の力は伸びてくれます。
学生の家庭教師がそれですよね。
安い労働力で構わないわけです。

単純な言い方で恐縮ですが
ある塾は月謝1万円で80点を取らしてくれ
別の塾は同じ条件で月謝=2万円と高いが85点を取れる。

この二つを比べれば多くの方は
「取敢えず80点でいいから1万円に行かしてみよう」と
なるでしょう。

それで上手くいかなかったり、もっと点を上げたくなれば
そこで別の塾を考慮します。
大手に行って、受験の合格可能性がそれなりに望めれば
多少の不満はあってもべつに構わないですよね。

大手が強いのは、この社会の現実で、当然のことです。

上記のダイレクトメールのような仕事も可能になる
状況が生まれるのでしょう。


小さな塾は大きな所とは違う仕事をしなければなりません。
「もっと良い仕事」でなくてはならないのですね。
同じ価格へ下げても大手へ向かう流れは止められません。

将来への展望が立たないまま、とりあえずギリギリの数
生徒が来てくれているから、とルーティンワークを
続けていては良いことになりそうもありません。

「良い仕事をしていればきっと分かってもらえる」
というのも、甘い話です。
(分かってもらえないことも結構多い・・
 多くの業種で良い店がツブレていきます)

本当に良い仕事かどうか、自分では検証しづらいし。

塾にお金を払う側は、ただ「通ればよい」方も多く
おられるような気がします。
大手塾も個人塾も同じ目線でご覧になってるのです。

小さな塾の「良さ」は、「大手じゃないんだから
それぐらいは、あって当然」なのです。
それもなければ大手の方がよほど良い!


それでも『良い仕事』を続けねばなりません。

子供のため、それから自分のプライドのため。

『らいじんぐ産』で日本アピール

2011-09-13 11:42:22 | 塾あれこれ
NHK『らいじんぐ産』で日本アピールというのはどうでしょう。
野田さん!

出来の良い時とそうでもない時とはあります。
総じて面白いですね。
特に知らない世界、今まで情報が少なかったジャンルでは
面白さが増します。

「パワーショベル」の回などは感動物でした。

以前『プロジェクトX』が人気番組としてありましたが
『らいじんぐ産』は少し趣向を変えモノ毎に焦点をあてて
発達史を追い、様々な企業が登場します。
宣伝臭が薄まる分だけ、より信用できそうですね。

ときにより、掘り下げがなくて物足りない場合もあります。


この番組を見て「日本も捨てたもんじゃない」と思います。
これまでも、今も、日本の産業界は切磋琢磨というよりも
もっとシビアーに、しかしそれでも夢を追いかけます。
負けないで生き抜くのですね。

見ていると自信を貰います。
「頑張ってるなあ、いい仕事してるなあ・・」

中学生でも企業を訪問する体験学習よりも、
もっと社会を学べるかもしれません。


単純にはいかないとは思いますが、また例によっての
思い付きです。

この番組を外国への宣伝に使えないか?

5分~10分のミニ番組に再編集しても面白いかもしれません。

たとえば国際空港の待ち合わせ時などで見てもらう。

・・・もうやってる?
(↑なにしろ世間にうといので)

自然や歴史・美術と並んで技術も素晴らしい国です。

これを宣伝してほしいなあ。
変なODAより有効だと信じます。

野田さんいかがでしょう。