宝島社の広告

2011-09-04 10:33:30 | 塾あれこれ
新聞の見開き広告で宝島社のインパクトがある
ものが「評判」だそうです。

私は「ふ~ん」相変わらずヘンな会社、と思っただけ
なのですが、思想的に酷評される方もおられるとか。

マッカーサーが占領をしにきたときと思しい写真に
「いい国つくろう、何度でも」というコピーでしたっけ。

アメリカの力をお願いしようともとれるので
カチンと来る人もいるでしょうね。
何だか私も乗れない。

たぶん「イメージですから解釈はご自由に」と
言われるのでしょう。
卑怯千万とも言えますよね。


私は広告宣伝ではハッキリしたのが好きです。

最近ではどこかのブランドが新品のカバンと
使い込んだのを並べて、こういう味わいになると
宣伝しておられた。
こういうのが良いですね。

ぼんやりとしたイメージ広告って良く分かりません。

具体的な広告でイメージを作っていけるじゃないですか。
何で気取らなきゃならないんだろう。

・・・こう思うのは加齢でしょうかね。


あいまいさ、も大切ですし面白いこともあります。

政治家が、AであるともAでないとも言えず曖昧に答える
そんな場面も、必要に応じアリです。

禅坊主が分かったような分からないような話をするのも
味があって面白い場合もあります。

しかし、同じ曖昧でも
* 責任逃れ
* 格好をつけるため(或は、思わせぶり)
* 自分の中身がクリアーでないことのゴマカシ
* 表現能力の欠如
こんなものであれば感心できません。

はっきりと加齢臭を意識して申し上げますが
近頃の若いモンは、はっきりしないのが好きそう・・

上記、宝島社の広告も
若者「なんとなく面白そう」
私「だから、どこがどう面白いのか教えてよ」

「野田新首相どう思われますか?」
「地味そうだけど、何かやってくれそうじゃん」

私は、何を?どうやって?なぜそう思える?
いっぱい突っ込みたくなりますね。


話は変わりますが『宝島』はもともとは植草甚一が
始めた雑誌でした。
私がサラリーマンになりたてのころ。

名前は『ワンダーランド』それがすぐに『宝島』に
名称変更され、内容もどんどんと変化したように
思います。

創刊号はカッコよかったね。
イラストも凝ってた。

信じられないでしょうがこの初期の『宝島』6号までを
私は長い間持っていました。
ただ、大判の雑誌なので扱いが難しい。

植草甚一のマネをしてスクラップにしてしまいました。
大きなスケッチブックを買ってコラージュなんか・・
・・・気持ち悪いですねえ。


植草さんの本もかなり沢山持っていましたが
母が亡くなった時、家を整理して全部 廃棄しました。
残念だけど今の小さな家には持ってこられなかった。

スケッチブックもね。
レコードその他お宝の殆どもね。

『ワンダーランド』のころ編集をしておられたのが高平哲郎さん。
カッコイイ仕事をされていました。

雑誌に紹介されていた店が分からず、出版社に電話をした
ことがありました。
高平さんが出てきてびっくり、どぎまぎしましたね。
問い合わせには親切に教えて下さいました。

タモリがらみでTVに出られるような時期があり
出世されたのか、コースが変わったのか・・


途中で大判からペーパーバックスタイルに変わった『宝島』も
面白く読んでいまし。
けれども、その後の変わりように驚き、ついてゆけず
しかしなんとなく気になる会社でした。

変わらなきゃ生き延びられないのでしょう。
『ぴあ』が無くなったように。

でもなあ、アイマイは止めてほしいよねえ。
リスクを負ってはっきりとものを言うべし!