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トヨタ カローラ 50周年記念祭 PART1

2017年02月07日 | クルマネタ

トヨタの、いや、日本を代表する小型乗用車のカローラが1966年11月のデビュー以来、2016年11月で生誕50周年を迎えられました。


カローラはごく普通の存在の実用車ながら、信頼性の高い手堅い設計、求めやすい廉価な価格設定、日常での使い勝手の良さや高い経済性、プラスアルファの付加価値、多種多様なバリエーション展開などの多くの要素で、老若男女幅の広い世代から、それも国内にとどまらず世界中で高い支持を集めてきました。

自分で撮影した画像を中心に並べながら(もっとも、全バリエーション揃ってないですが)、我がブログでその軌跡を辿っていこうと思います。途中で違うネタを挟むかもしれませんが、複数回の連載となります。

ひとくちにカローラといっても、バリエーションが多彩です。現在のカローラアクシオに該当するセダン系をメインに扱いますが、カローラフィールダーならびにワゴン/バン系、半ば独立した系統ながら歴史的経緯からレビン(クーペ)、ランクス/FX(ハッチバック)、セレス(4ドアハードトップ)も取り上げます。ただし、明らかに姿カタチが異なるハイトワゴン系のスパシオとルミオンは対象外とします。それと、カローラⅡはまったくの別車種ですので、これも対象外。また、長年の姉妹車だったスプリンターも取り上げたいところですが、今回は外すことにします。もっとも、手持ちの画像が足らん…(ただし、初代のカローラスプリンターは記載)。


前史(カローラ登場前夜)

さて、順番からしたら初代を…、と言いたいところですが、カローラを知ってもらうにはカローラが登場するまでの時代背景を振り返っておく必要があるでしょう。
時は終戦の混乱が一段落した高度経済成長期の1950~60年代、トヨタはクラウン、コロナと立て続けに乗用車のラインナップを拡充していきましたが生活水準の向上に伴い、市場では廉価なオーナードライバー向け小型大衆乗用車の登場が求められるようになりました。1961年、トヨタのボトムラインを担う大衆車、パブリカが登場しました。


(初代パブリカ UP10系)

後のスターレットやヴィッツの源流ともいえたパブリカは、安価な実用車として企画され、現在の軽自動車に近いサイズの2ドアセダンでエンジンは空冷の0.7リッターを搭載、駆動方式はオーソドックスなFR(フロントエンジン・リヤドライブ)でした。また、パブリカ登場に伴い、販売網の整備も行われ、トヨタ店、トヨペット店に続く新たなディーラーとして『パブリカ店』が設立されました。これが後へカローラ店へ発展していくわけです。
しかしながら、パブリカはトヨタの期待に反して販売は伸び悩みました。当時、クルマといえば高嶺の花といえる存在で、せっかく購入するのなら実用性だけじゃなく、所有する事の満足感も求められていました。パブリカはあまりにも機能性優先かつ必要最低限に割り切っていたため質素すぎたのでした。まったく売れてなかったわけでもないのですが、大衆車というジャンルを開拓したかったトヨタにとっては誤算でした。
パブリカ自身も後にマイナーチェンジで商品力を高めていく努力はしていき、販売は回復していきますが、パブリカでのつまずきとその反省がカローラの登場につながっていくのでした。

以下、本編となります。画像を並べながらカローラの軌跡を辿っていきましょう。なお、グレードや年式は推定です。それと、搭載エンジンのシリンダーは歴代通じて直列4気筒です。ミッションはマニュアルはMT、オートマはATと記載します。

初代 KE10系 1966年11月~1970年5月


(2ドアセダン1100デラックス、1966年~69年頃)


(4ドアセダン1200デラックス、1969年~)


(3ドアバン、1967年~)


(カローラスプリンター1200SL、1969年~)

1966年11月、パブリカよりも大きく、コロナよりも小振りなサイズとなるブランニューモデルの乗用車、カローラが登場しました。
実用性、快適性、走行性能などなど、クルマに求められる各要素において、平均点以上を目指す『80点主義+α』の設計思想で開発されました。80点主義というと、平凡という印象を与えてしまいますが、実際には『平均点』ではなく『平均点以上』、むしろ高い完成度を目指したハードルの高い目標でもあるんです。まして、カローラは幅広い層をターゲットにしたクルマです。多くの人の要求に応えるというのは想像を絶する苦労があったことでしょう。その一定以上の水準を満たしたうえで、高級感や上級感を盛り込んで、所有する満足度を高めたのがカローラならではのこだわりでした。
パブリカよりやや大きなサイズの車体は発売当初は2ドアセダンのみの展開でした。搭載エンジンは新開発となる1.1リッターOHV(K型)を採用しましたが、1リッター級のエンジンが多いライバルに対抗するため、少し排気量を高めたのでした。それゆえ『プラス100ccの余裕』という売り文句が生まれたのでした。それも上級志向のカローラのコンセプトにはふさわしかったのでした。
駆動方式は当時としてはオーソドックスなFR(フロントエンジン・リヤドライブ)、フロントサスはマクファーソンストラットで、今ではスタンダードな形式ですが当時は革新的だったそうです。リヤサスはオーソドックスなリーフリジットでした。ミッションは4速MTで、これまた当時では先進的なフロアシフトを採用されました。
そうして登場したカローラでしたが、高い完成度、手頃なサイズ感、比較的手の届きやすい価格設定など、クルマそのものの魅力と緻密なマーケティング戦略で、トヨタの目論見とおりにヒットして、大衆乗用車の決定打となりました。
販売はパブリカと同じパブリカ店で取り扱われていました。
翌1967年には早速バリエーションを拡大、4ドアセダンと商用バンをラインナップに追加、ミッションも新たに2速ATが設定されました。
さらに1968年にはツインキャブレター装着のスポーツグレードのSLの追加やフロントディスクブレーキの採用など高性能化を図られました。
また、同じ時期に派生モデルとしてスペシャリティな2ドアクーペ『カローラスプリンター』が登場して、市場の拡大に対応しました。同じカローラの一員でしたが販売はパブリカ店ではなく、新たに新設されたオート店(現在のネッツ店)で扱われました。
1969年9月には『プラス100ccの余裕』だったエンジンの排気量を拡大、1.2リッター(3K)へ進化されました。
1969年、取扱販売店だったパブリカ店は販売の主力がカローラに移行したため『カローラ店』へ名称を変更されました。また、パブリカは同年2代目へモデルチェンジされますが、カローラの登場もあり、ファミリカーというよりはエントリーカー的な位置付けにコンセプトが変わりました。販売もスプリンターを扱ってたオート店へ移管される事になりました。

カローラは日本国内だけでなく世界各国でも販売され、1代でそのブランドを築き上げ、自動車史に名を残す存在となりました。

思ったより長文になったので、2代目以降は次回へ…。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (こうちゃん)
2017-02-08 22:53:15
自分にとってのお気に入りかつ思い出のカローラはのびのびさんまること3代目とプラモデルにもなってる70系ですねいずれ登場します?
返信する
Unknown (みやっち)
2017-02-09 18:33:42
旧車記事をいつも楽しませていただいています。

カローラは71の2ドアHT・GTとレビン、
86のレビンと計3台乗り継ぎましたので
個人的にとても愛着があります。

画像に使われている畑のバンは数年前に
いつの間にかいなくなり寂しい思いをしています。

次の記事でどんな画像が出てくるか、
楽しみにしています。
返信する
Unknown (indigo liner)
2017-02-09 19:38:25
こうちゃんさん
各々の世代で、各々思い入れはあるようですねえ。30と70はいずれ出てきますので。

みやっちさん
最近は旧車記事が激減してしまってますがご拝読ありがとうございます。
カローラは幅広い層から親しまれてることもあってか、とても愛されてるのが伝わってきます。畑の個体は近年までいたような気がしますが、いつのまにか消えてましたねえ…。
あと数回続く予定です。ただ、途中で中断して違う記事を投入するかもしれませんが…。
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