sweet cafe@indigo liner(インディゴライナー)※3rd blog

いらっしゃいませ。カフェという名のブログです。
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ホンダ エレメント

2021年09月23日 | クルマネタ
画像の車両はかつてホンダが生産・販売していたエレメントであります。



初登場は北米にて2002年頃だったか、北米の若年層をターゲットに、当時のCR-Vのコンメ[ネントをベースに一層遊び心を強めたSUVとして登場したのでした。

無塗装の樹脂パーツを各部に採用した外観デザインはSUVらしいタフなイメージと遊び心を演出されてました。車体面の最大の特徴といえば、マツダRX-8や同じくマツダのMX-30のように側面のドアをセンターピラーレスの観音開きを採用したことでしょうか。前のドアを開けないと後ろドアが開かないというデメリットはあるものの、センターピラーがないため開口部は大きく確保できました。

日本市場には2003年に投入されました。北米からの輸入販売でした。
しかしながら、北米向けの独創的なコンセプトは日本ではまったく理解されなかったのでしょう。新車で販売されてた当時でも珍車の扱いで、極度の販売不振によって2年で終了になってしまいました。

メインだった北米では好評だったようで、2011年頃まで生産・販売されてたそうです。

それにしても、エレメントという車名も微妙な気が。例えばの話ですが、部品商に部品を発注する際は、
『ホンダエレメントのオイルエレメント、エアエレメントをお願いします』
というようなやりとりをしなければいけないというのが…。

なお、エレメントの名称は、自然(水、風、火、地など)の成分や要素を意味するそうです。決してフィルターではないようで…。




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広島電鉄十日市信号所

2021年09月19日 | その他ネタ

広島電鉄の十日市信号所、通称『鳥の巣』が、この9月で解体・撤去されました。




(いずれも2020年6月撮影)

広島市中区榎町(十日市町かと思われるかもしれませんが、厳密には榎町)の十日市交差点に立地されてたこの塔は1952年に設置されました。路面電車のポイントを切り替えるための施設でした。後年、ポイント切り替えが自動化されましたが、機器が残っていたこともあり、この塔は現在に至るまで残存していました。
昭和のレトロな雰囲気を今に伝える建物でしたが、老朽化や耐震基準の問題もあり、解体・撤去されることになりました。

9月上旬より解体工事が始まり、約2週間ほどで完全に撤去されました。





長年に渡って見慣れたものが無くなると、やはり最初は違和感というのを感じてしまうのは避けられません。まあ、そのうち見慣れてきて、十日市信号所も過去の存在になっていくのでしょう。



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ホンダ ドマーニ

2021年09月16日 | クルマネタ

外出が停滞すると、その分ブログ更新の頻度が低下してる感が否めませんが、今回も過去に撮影したクルマネタを小出ししてみましょう。

画像はホンダが過去に生産・販売していたドマーニの初代モデルです。


登場は1992年秋、30年近く前の登場なんですねえ。コンチェルトの後継車として登場しました。当時のシビックフェリオをベースにされたコンパクトセダンで、シビック系よりやや上級のポジションでした。そういった意味ではインテグラの兄弟分ともいえたでしょうか。ホンダのラインナップではシビックとアコードの中間帯を補完する役割を担ってました。
当時のホンダの販売系列は、大衆車メインのプリモ店、高級志向のクリオ店、スペシャリティ志向のベルノ店がありましたが、ドマーニはクリオ店の専売車種でした。ちなみに、シビック系はプリモ店、インテグラはベルノ店で扱われてました。
もっとも、現在の販売系列ははホンダカーズに一本化されてますが。

ドマーニは上級志向のファミリーセダンとして開発されたわけですが、上の写真画像を見てのとおりクリーンで端正な佇まいのセダンで、室内の居住性を重視した質実剛健的な姿勢が伺えます。バブル期に開発されたこともあり、高級感も高められ、全グレードにオートエアコンが装備されるなど、装備品も充実していました。
なんといっても、当時のクルマとしては珍しく運転席のSRSエアバッグが全グレードで標準装備だったのが特筆されました。さらに、当時のクルマでは珍しかった助手席SRSエアバッグも設定されました。
搭載エンジンはすべて直4で、当初は1.6リッター(ZC)と1.8リッターで(B18B)でした。後に1.5リッター(D15B)のリーンバーンエンジン(VTEC-E)も追加されました。駆動方式はFF(前輪駆動)と4WDでした。


さらに、このドマーニは欧州市場向けのシビックのベース車でもありました。それと、当時のホンダは英国のオースチン・ローバー社と提携を結んでいたのですが、ドマーニ/欧州向けシビックをベースにローバー400シリーズの2世代目モデルが生まれました(ちなみにローバー400の初代はコンチェルトの姉妹車)。

それと、忘れてはいけないのが、いすゞへのOEM供給でした。1993年にいすゞは乗用車の自主開発・生産から撤退してしまいますが(ただし、ビッグホーンやミューなどフレームシャーシのSUVは除く)、いすゞの主力乗用車だったジェミニはドマーニのOEM供給車に切り替えられました。

こうしてみると、ドマーニは地味な存在ながらも、メーカーや国境の枠を超えて幅広く活躍していたクルマといえたでしょうか。


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×2(バイツー)計画? U13ブルーバード

2021年09月02日 | クルマネタ

またまた過去に撮影したクルマネタから。

ニッサンブルーバードの9代目モデル、U13型のお話を。

今から約30年前の1991年秋にブルーバードはモデルチェンジを実施、U13型に世代交代されました。その後、1996年1月まで生産・販売されてました。

当モデルは先代同様に4ドアハードトップ(サッシュレスのドア)と4ドアセダン(サッシ付きのドア)の2種類のボディ形態のラインナップを踏襲しながら、両者をまったく異なるテイストのデザインに一新されました。

とりあえず画像をふたつ。

ハードトップ1800ARXタイプツーリング(1994年~96?)


セダン1800SSS-V(1991年~93年?)



ハードトップは水平基調のエレガントなデザインでARX(アークス)の名称が与えられました。基本的に日本国内専用として(ただし、香港への輸出はあった模様)、日本人好みに仕立てられました。

一方のセダンは、北米戦略車として位置づけられ、北米のデザイン案による丸みを帯びたデザインでスメ[ティなSSS(スリーエス)と廉価版のEEX(イーエックス)を設定されました。なお、北米ではアルティマの名称で販売されてました。

このプロジェクトは×2(バイツー)計画と呼ばれていたかと記憶しています。要するに、2種類のデザインで2倍の効果を期待したのでしょうか。


ところが、日本国内での販売はオーソドックスなデザインのハードトップ(ARX)に集中、セダン(SSS&EEX)は丸っこくタレ尻のデザインが大不評を買ってしまい、ブルーバード全体の販売に悪影響を与えることに。さらに、ブルーバードといえば質実剛健なスポーツセダン(またはハードトップ)として支持を集めたクルマだったんですが、U13型はその面影すら一切なくなってしまいました。また、2種類のデザインにしたことで、ブルーバードのイメージがぼやけてしまった感も否めずでした。それと、この時期は同じニッサンのプリメーラがヒットしたこともあり、相対的にブルーバードの存在感が薄くなってたのも販売不振の原因のひとつだったでしょうか。

結果的に見れば、X2(バイツー)どころか2分の1になってしまったのは皮肉というほかないでしょう。

バブル期に開発されたクルマゆえ造りもよく、新しい機構を積極的に採用されたり、基本性能も悪くなかっただけに残念でありました。
それにしても、なんで好評だった前モデルを否定するようなモデルチェンジをしたのか、30年経った現在でも理解に苦しむところであります…。


なお、日本国内では大不評だったセダンですが、アルティマの名称で販売されてた北米では成功作だったようです。




コメント (2)
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