sweet cafe@indigo liner(インディゴライナー)※3rd blog

いらっしゃいませ。カフェという名のブログです。
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三菱をあげるということで(カープラザ軍団)

2021年01月29日 | クルマネタ

先日、鳥のマークのSNSで、
見た人もなにか無言で三菱あげる
というタグが出回ってきたので、過去に撮影した三菱車の画像をかき集めて、ツイートしてみたのですが、
https://twitter.com/indigoliner/status/1353240588389289986

なんと、想像以上に反響がありました。

というわけで、我がブログでも改めてクローズアップしてみましょう。

現在は販売チャンネルが一本化されている三菱ですが、過去にはギャラン店とカープラザ店の2系列が存在していました。もともとは一種類の販売店のみが存在してましたが、1978年のミラージュの発売にあわせてカープラザ店が発足されました。後年、従来からの販売店はギャラン店に称されることになります。
前述のツイートではカープラザ店の専売車種、それもお世話にも主力とは言い難かった車種を並べてみたのでした。以下、画像掲載した4車種を。


【トレディア】

初代ミラージュ/ランサーフィオーレのコンメポーネントをベースに作られたミディアムセダンで、1982年にカープラザ店から発売されました。当時の三菱のラインナップではミラージュ/ランサー系とギャラン/エテルナ系の中間帯に位置するポジションでした。クリーンで端正なスタイリング、エンジン横置きFFの駆動方式、副変速機を備えたスーパーシフトなど、初代ミラージュ譲りの機構やパッケージングを備えていました。後年、三菱の乗用車としては初の4WDモデルを設定されたのは特筆ポイントでしょうか。
なお、トレディアの車名は3つのダイヤを意味するそうで、つまり『三菱』を名乗るクルマでもあったのでした。しかしながら、中途半端な位置付けが災いしたのか、メジャーにはなれず一世代で絶版になってしまったのでした。
姉妹車としてクーペ版となるコルディアも同時デビューされてますが、こちらも不発だったそうです…。


【エテルナ(4代目)】

エテルナは1978年のカープラザ発足のときに登場したギャラン系(当時は3代目)の姉妹車であります。登場後、概ねギャランに歩調を合わせる形でモデルチェンジしていきました。1987年にギャランが6代目にモデルチェンジするのに合わせて、翌1988年にエテルナもモデルチェンジを行い、4代目となりました。
それまでのエテルナはギャランのバッジエンジニアリングでしたが、4代目ではノッチバックの4ドアセダンのギャランに対して、エテルナは独自のデザインの5ドアハッチバックで差別化が図られました。6代目ギャランはモータースポーツでの活躍、高い走行性能やハイテク機構などで注目を集めました。当然エテルナもギャラン譲りの資質が受け継がれました。
しかし、5ドアハッチバックというボディ形態は日本国内では馴染めず、人気はいまひとつでした…。そうした事もあり、1989年に4ドアセダンのエテルナサヴァが追加されるのでした。

ツイートには載せてなかった画像ですが、こちらがエテルナサヴァです。

4ドアセダンということで結局ギャランと同じじゃないかとツッコミたくなるかもしれませんが、しかし、単なるバッジエンジニアリングではなく、ギャランより屋根が低くリヤピラーの傾斜が強いなど、ギャランとは異なる独自のボディでした。

エテルナは1992年に5代目へモデルチェンジされますが、販売が振るわなかったエテルナは5代目を最後に絶版になってしまうことに…。


【カリスマ】

1996年、エテルナの実質的な後継車としてカープラザ店から発売されました。
カリスマはボルボとの共同開発によって生まれた欧州戦略車で、三菱とボルボとオランダ政府の合弁事業によってオランダのネッドカー社で生産されることに。したがって、オランダからの輸入車として日本国内へ導入されました。
ミラージュ/ランサーとギャランの中間サイズの乗用車で、上に掲載したトレディアのような位置付けともいえました。欧州仕様車は5ドアハッチバックもラインナップされてましたが、日本国内向けはノッチバックの4ドアセダンのみの展開でした。
質実剛健な実用車だったんですが、いささか地味だったのと、同じく1996年に登場した8代目ギャランの影に隠れてしまい、残念なことに販売は盛り上がりませんでした。結局、わずか数年で日本国内からカタログ落ちしてしまいました。
一方でカリスマとプラットホームを共有したボルボS40/V40も同じく日本国内に導入されたのですが、カリスマより100万円以上高価だったにもかかわらず、こちらの方は販売は好調だったという、皮肉な結果となりました。

なお、カリスマは欧州では2004年頃まで販売されていました。欧州ではロングセラーでした。


【アスパイア】

どう見てもギャランじゃないか!と言われそうでですが、これはギャランではなくアスパイアという車です。1998年、当時の8代目ギャランのカープラザ版として登場しました。ある意味エテルナの再来ともいえるわけですが、カープラザ店においてカリスマ亡き後のエテルナの代替需要をカバーするために登場したのでしょう。
外観はギャランそのものですが、わずかな違いとしてヘッドライトのリフレクターの色(ギャラン=ブラック、アスパイア=クリア)、リヤコンビランプのウインカーレンズの色(ギャラン=クリア、アスパイア=アンバー)が異なってました。差別化というより間違い探しの領域ですねえ。
ただ、ギャランよりバリエーションは大幅に絞りこまれており、1.8リッター直4エンジン搭載モデルのみの展開でした(後年、2リッターにアップ)。ギャランに設定されてたホットモデルのVR-4(2.5リッターV6ターボ)や、2.4リッター直4搭載モデルは未設定でした。
登場の経緯が経緯なだけに、非常に地味な存在で細々と販売されてたのですが、2003年にギャラン店とカープラザ店が統合されて、販売店が一本化されるとアスパイアは存在意義がなくなり、消滅となったのでした…。




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25号十日市経由便

2021年01月27日 | バスネタ
広島バスは1月24日にダイヤ改正を実施されましたが、その中でも特に大きな変化があったのは25号線(草津線)でした。

25号は広島駅~紙屋町~西広島駅~宮島街道~アルパーク~商工センター~井口車庫という路線です。紙屋町~西広島駅間の運行経路が、平和公園経由と十日市経由の2系統ありますが、後者の十日市経由便が大幅に減便になりました。
今までも十日市経由便はダイヤ改正のたびに減便が進んでましたが、特に今回の改正は運行は平日のみ(土日祝運休)、それも1日数本というレベルにまで削減となってしまいました。しかも、運行便も午前の遅い時間と昼という中途半端な時間帯であり、もはや無いに等しいともいえます。
もっとも、広島電鉄の宮島線が完全に並行してるため、存在意義が薄れてた感が否めないともいえますが…。


ダイヤ改正前に、路線沿線の中区堺町周辺で撮影してみました。いくつか掲載します。

堺町バス停前にてアルパーク行き。


上記アルパーク行きの後ろ姿、片側一車線の住宅街を進んでいきます。


天満橋を渡る広島駅行き。天満川は西区と中区の境界線となります。


以下2点、堺町2丁目1番交差点にて広島駅行き。




天満橋東詰を通過した広島駅行き。今回の改正で夕刻の時間帯は運行されなくなりました。



毎年夏になると西区天満町で天神祭が開催されます。その際は堺町~天満橋~天満町の道路が通行止めとなります。そのため、天神祭開催時は、広電バスとボンバスの路線エリアとなる西十日市町~広瀬橋~上天満町を迂回運行されてました。今後はその光景も見れなくなってしまいますねえ…。




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ボンバスの新車ほか

2021年01月25日 | バスネタ
ボンバス(正式社名はエイチディー西広島)の一般路線用の新車が2台登場しました。つい最近運用に就き出したようですが、2台とも撮れたので、ここに載せてみましょう。

広島200か2692、日野レインボー、2021年式、80067。

※2月12日、画像差し替え。

広島200か2693、日野レインボー、2021年式、80068。




ストップランプがLED化され、EDSS(ドライバー異常時対応システム)が装備されました。車内の運賃表は今まではデジタル式でしたが、今回は液晶タイプが採用されました。

機構面での大きな変化は、トランスミッションをトルコンATにされた事でしょうか。2016年に登場した現行世代のいすゞエルガミオ/日野レインボーはミッションがAMT(マニュアルミッションをベースに自動変速化したミッション)に一本化されてたのですが、変速タイミングやフィーリングの面で賛否両論あったのも事実でした。そうした声を反映したのか、昨年の商品改良でトルコンATをラインナップに加えられました(AMTも継続設定)。


併せてこちらも載せておきましょう。
公共交通機関利用の際のコロナウイルス対策を訴える広告です。ボンバスをはじめ、複数の事業者でPRされています。

広島200か1891、日野レインボーⅡ、2014年式、80051。





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ニッサン チェリーキャブ

2021年01月21日 | クルマネタ
また過去に撮影したクルマネタから。

画像のトラックは日産の小型商用車のチェリーキャブです(おそらくですが)。島根県内某所で寝ていました。




このシリーズは1969年にサニーキャブの名称で登場しました。車名が示すとおり、サニーのコンメ[ネントをベースにされたキャブオーバー商用車でした。トラック、バン、コーチ(ワゴン)をラインナップされてました。当時の日産のキャブオーバー型商用車では最小のモデルに位置付けられました。
ところが、登場1年後の1970年には車名がチェリーキャブへと変更されました。併せて、販売店もサニー店からチェリー店へ変更されることになりました。そして、1975年にサニー店扱いのサニーキャブが復活。チェリーキャブとサニーキャブの2姉妹モデル化されました。

上に画像掲載したトラックですが、ドアに『1200』のシールが貼られていたので、おそらくエンジンが1.2リッター化された1975年以降のモデルでしょうか(最初は1リッター)。表題はチェリーキャブとしながらも、樹脂部品の脱落もあり実際にはチェリーキャブなのかサニーキャブなのか判別しにくいですが、ヘッドライトとフロントグリルがつながっているので、おそらくチェリーキャブでしょうか。

1970年代を長く生き抜いたチェリーキャブとサニーキャブの名称は一代で終了となりましたが、1978年に後継モデルとなるバネットに世代交代されました。バネットはサニー店扱いの『サニーバネット』チェリー店扱いの『チェリーバネット』、日産店扱いの『ダットサンバネット』の3姉妹車体制に強化され、1980年代に突入するのでありました。










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フィアット ムルティプラ

2021年01月18日 | クルマネタ
過去に撮影した画像からクルマネタをひとつ。

画像はイタリアのフィアットが過去に販売していたムルティプラです。



今から20年以上前の1998年に本国で登場し、後年に日本国内にも正規輸入されていました。
位置付けとしては乗用車ベースのトールワゴンであります。全長は4メートルを切るコンパクトな寸法である一方で、全幅は1.9メートルに迫るというワイドな寸法で、国産車ではなかなか見られない縦横比です。全高は1.7メートル近くあります。
幅広く背の高いパッケージングによって、広々した室内と荷室空間や2列シート6人乗りという独特なレイアウトを構築されるなど、高い実用性を誇りました。

ところが、デビュー直後から世界中から悪い意味で注目されてしまうことに。理由は分からなくもないでしょう。上に載せた画像を見てのとおり、クルマに興味がない人でも目を疑ってしまうような姿カタチは、物議を醸してしまいました。
なんといっても不自然な段差のあるフロントノーズはデザインとしての整合性は皆無といえたでしょう。さらにヘッドライトの配置も奇妙そのもので、ロービームはフロントノーズ先端ですがハイビームはフロントガラスの下のAピラー根元あたりに位置してました。自動車の常識を逸脱、いや、自動車というよりは車輪のついた昆虫といった出で立ちで、カルトカーの仲間入りを果たしてしまったのでした。

さすがにフィアットも問題視したのでしょう。2004年にマイナーチェンジで問題のフロントノーズを丸ごと一新するという大手術を決行したのでした。後期型の画像は撮影出来てはないのですが、前期型の姿が想像できないくらい、平凡なデザインに変身しました。しかしながら、皮肉にも後期型は販売がさらに低迷する結果に。どうやら、無個性になったゆえ存在感がなくなってしまい、市場で埋もれてしまったようです。

奇抜でも平凡でも受け入れられないという、不幸なクルマだったのでした。合掌。




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