sweet cafe@indigo liner(インディゴライナー)※3rd blog

いらっしゃいませ。カフェという名のブログです。
ごゆるりと御覧くださいませ。
掲載画像等の無断転用はダメですよ。

マツダ タイタン 生誕40周年

2011年01月30日 | クルマネタ

マツダのトラック、タイタンはEシリーズの後継車種として1971年に登場しました。
現在の新車のタイタンはいすゞエルフのOEMになってますが、かつては小型トラックの中でも一定のシェアを誇ってました。特にダンプは頑丈な事から重宝されていました。
本年で初代モデル登場から生誕40周年です。過去に撮った写真からピックアップして初代モデルの画像を並べてみましょう。

まずは低速貨物さま所有の車両です。1976年式です。新車同然のピカピカのコンディションに初めて見たときは失血しそうになりました!一度助手席にお邪魔しましたが快適な乗り心地にビックリしました。2010年2月、福山自動車時計博物館にて撮影。


2008年5月に撮影した廃車体です。その現場は墓場のような光景でした。


先月にしまなみ海道のサイクリングで発見したユニック付きの廃車体です。



続いては1977年にマイナーチェンジされて登場した後期型です。

2009年4月に撮影した廃車体です。荷台が撤去されていました。


こちらは緑色の営業ナンバーが付いてました。ただ、ナンバー付きとはいえ、廃車体のような気も…。よく見たら後輪がシングルタイヤでした。2007年4月撮影。


あきじさまの案内で2008年4月に撮影したロングボディです。鉄工所の所有車両のようです。


県北某所をウロウロしてたら発見したダンプです。低速貨物さまの車両なみに極上の程度の良さでした。2008年5月、庄原市で撮影。




最後に蛇足ではありますが、上記のダンプを捕獲する直前に同じマツダの2代目ボンゴ、いや、姉妹車のボンゴボンディのダンプと遭遇しました!

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だんだん

2011年01月25日 | Live(ポップ/歌謡系)

2日前の1月23日、広島市のグリーンアリーナにて毎年恒例の島根ふるさとフェアが開催されたので行ってきました。島根県内の全自治体が広島へやってきておいしい食べ物や特産品、伝統券\など島根県の魅力をアピールするというイベントで今年で14年目です。なお、今年で第1回目からの来場者数が200万人を突破したそうです。



特に今回は松江出身で山陰を中心に活躍されてる歌姫、六子(ろこ)さんがステージでライブされるとの事なのではりきって行ってきたわけです。

撮影は禁止だったゆえに写真は撮ってないので文章のみの解説となりますが、人混みの中歩いてステージが見渡せる場所にたどり着いたらちょうど六子さんがギター持ってステージに現れました。また、キーボード/コーラス役としてもりゆみこさんも一緒に登場、六子さんをサポートします。
NHKおーいニッャ唐フ島根県の歌となった『だんだん』でスタートしました。島根の風景が目に浮かぶようなぬくもりを感じる歌声/メロディで会場を包みました。続いてはワッショイワッショイの掛け声で盛り上がる『まつり』、壮大なバラードの『おかげさま』、安来市の観光応援ソングとして製作された『安来華唄』、最後はエッサッサッサーとテンポのいい『絆』で締めくくりました。わずかな時間ではありましたが広島のみなさんの心にぬくもりや元気を与えてくれたことでしょう。

その後、即売会/サイン会が開催されました。六子さんともりゆみこさんのおふたりと挨拶とお話することができました。お話してて『赤名峠』という単語が出てきたのでより親しみを感じてしまいました。また機会があればライブや山陰へ行く事を伝えてその場をあとにしました。

今回はオリジナルアルバムを2枚購入しました。心唄(2008年発売)と心唄2(2009年発売)です。


サインも貰いました。名前入りゆえに一部画像を細工してますが…。なお、だんだんとは出雲地方の方言でありがとうの意味です。この言葉、なんか気に入りました。


ちなみに昨年10月にはベストアルバムがリリースされています。ついでに掲載します。


わずかな時間でしたがホント行ってよかったです。六子さま、もりゆみこさま、ありがとうございました、いや、だんだんでした~。
そして、隣の県とはいえ遠路はるばるおつかれさまでした。


ライブ終了後は会場内で食べたり飲んだり物色していましたが、よく考えたらほとんど写真撮ってませんでした。唯一カメラ向けたのはバス2台だけでした…。


コメント (7)
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ニッサン レパード悲話

2011年01月21日 | クルマネタ

日産の高級パーソナルカー、レパードですがモデルチェンジするたびにコンセプトが頻繁に変化するクルマもなかなかないと思います。もちろん、その時点でポリシーはあったものの結果的に商品戦略では裏目に出てしまう悲劇のブランドでした。以下、4世代の歴史を辿ってみましょう。


まずは初代F30型、1980年9月に登場しました。2008年10月撮影。

建前としてはブルーバード6気筒版の後継モデルという位置付けでしたが実際には高級車ともスポーティーカーとも異なる高級パーソナルカーという新境地を開拓したのでした。また、セドリック/グロリアやローレルに設定されてた2ドアモデルの後継的な役割も担ってました。
4ドア(画像)と2ドアがありましたが大胆なスタイリングが個性的でした。シャーシは910ブルーバードがベースでエンジンはセド/グロ、ローレル、フェアレディZなどでおなじみだったL型と呼ばれた直列6気筒(2リッター/2.8リッター、後にターボ付きも登場)がメインに搭載されました。Z型直4、1.8リッターも廉価モデルに搭載されました。
しかし、翌年登場したトヨタのソアラが思わぬライバルとなってしまい、分かりやすい上品なスタイリングやパワフルな新開発エンジン、デジタルメーターなどの豪華装備などで差をつけられたのが惜しまれました。そのため後期モデルではフェアレディZ用のVG型V6、3リッターターボが搭載されました。
なお、初代モデルは姉妹車としてレパードTR-Xが販売店違いで存在していました。


2代目F31型、1986年2月に登場しました。2010年5月撮影。



ソアラへを強く意識して4ドアは落とされ2ドアオンリーとなりました。姉妹車のTR-Xは廃止されました。スタイリングも端正かつエレガントなイメージへ変身しました。流行のハイソカーのイメージを嫌ったのかゴールドや紺といった濃い色がイメージカラーとして選ばれました。エンジンは直6は落とされVG型のV6へ統一、2リッターと3リッターでターボもありましたが上位モデルにはツインカムも採用されました。最終的にはシーマと同じ3リッターツインカムターボも搭載されました。
残念ながら販売面ではソアラには対抗できませんでしたが稀少だったゆえに大衆化したソアラとは違う大人びたムードもこのクルマの持ち味でした。ゆえに現在もコアなファンが多いです。
1989年に北米でプレミアムブランド、インフィニティが発足しますがレパードはインフィニティM30の名称で北米市場に導入されました。


3代目Y32型、1992年6月登場、レパードJフェリーの名称になりました。2007年3月撮影。

レパードの名称以外は先代モデルとはまったく関連性がないくらい別物に変身、2ドアをやめて3ナンバー設計の4ドアに生まれ変わりました。というより北米で販売されるインフィニティJ30を日本国内ではレパードのモデルチェンジとして導入したという成り立ちです。型式が示すとおりベースはY32セド/グロです。インフィニティブランドで販売される北米市場を強く意識したため、曲線と曲面で包まれた尻下がりのスタイリングで個性豊かに装いました。しかし、北米では好評だったものの、日本国内では評価を下げる結果となってしまい極端な販売不振に陥りました…。エンジンはV6、3リッターとシーマに搭載されたV8、4.1リッターが搭載されました。レパード史上初めて(で最後)V8エンジンが搭載されたというあたり、バブルの時代を感じさせます。


4代目Y33型、1996年3月登場。Jフェリーの名は外され再び単にレパードへ戻りました。2007年9月撮影。

Jフェリーの反省からインフィニティJ30から切り離されて日本国内専用車となりました。日産の台所事情の問題もありY33セド/グロをベースに前後デザインをリアレンジしたモデルとなりましたが中身はセド/グロ同然でレパードならではの独自性は薄れました。心臓となるV6エンジン(2リッター、2.5リッター、3リッター)は廉価版にVG型を継続するものの上位モデルは新世代のVQ型が採用されました。唯一、セド/グロには無い仕様として直噴仕様が用意されましたが。
途中、セド/グロと同時に4WDモデルも登場しますが駆動系をエンジンごとスカイライン系から移植したためV6エンジンではなくRB型直6エンジン(2.5リッター)が搭載されるという珍時が発生しました。


しかし、販売系列再編や車種整理の波を受けて1999年にレパードはとうとう生産中止へ追い込まれ、激しい変化を繰り返した19年間の歴史に幕を閉じました…。合掌。


コメント (5)
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SNOW TIME

2011年01月19日 | レコード室から

大滝詠一氏のアルバム、SNOW TIME(スノータイム)です。


冬の楽曲を収録したアルバムで1985年にリリースされました。しかし、リリースといっても一般には市販されず業界内部でサンプル盤が配布されただけの幻のアルバムでした。
しかしながら、どういうわけか市場に流出してしまい巷では法外ともいえるプレミアが付いて取引されてたそうです。
当然、一般発売は期待されてたわけですが長期間に渡って放置プレイの状態でした。
1991年から廉価版復刻CDシリーズ、CD選書がスタートして各アーティストの旧譜の再販が始まるようになりましたが大滝氏の作品も少しずつ再販を開始、1996年3月にCD選書の一環でSNOW TIMEも旧譜扱いでようやくマトモなカタチで店頭に並ぶようになりました。ワタシが持ってるのはもちろん1996年に再販されたモノです。

当アルバムは前半が歌モノで『フィヨルドの少女』『さらばシベリア鉄道』『レイクサイドストーリー』『スピーチバルーン』『木の葉のスケッチ』の既存の楽曲に加え『夏のリビエラ』が収録されてるのが見どころでしょうか。夏のリビエラは森進一氏に楽曲提供した『冬のリビエラ』のセルフカバー版で英語詞となります!夏のリビエラが聴けるのは当アルバムだけなのでプレミア化を招いた一因でもあったかと思われます。

後半はインストゥルメンタル(歌なし)です。冬モノの楽曲が少なかったための苦肉の策だったようです。フィヨルドの少女とさらばシベリア鉄道のギターインスト版の他、当アルバム用に書き下ろされた未発表インスト曲『リアスの少年』『オーロラに消えた恋』『雪のツンドラ』が収録されます。さらに一般発売にあたって渡辺満里奈さんに楽曲提供した『うれしい予感』のインスト版が収録されました。

また、再販にあたって自身の1970~80年代当時の音楽活動や当アルバムの解説をまとめたライナーノーツも収められています。公の場に出てくる事が皆無なだけに資料として非常に貴重です。

しかし、当アルバムも現在は廃盤になってしまい、再びレアな存在になっています。

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Winter Story PARTⅡ

2011年01月16日 | バスネタ

本日はクソ寒かったにもかかわらず路線バスを乗り継いで雪まみれのバスの写真を撮りに出かけてました。同じ広島市内といえども、市内中心部と山間部ではまるっきり気候が違います。

まずは安佐南区沼田町大塚で張り込みを開始。日本交通の鳥取行きです。今から山陰の豪雪地帯への長旅のスタートです。


セントラルシティこころへ向かう広電バスです。本日は周辺の大学でセンター試験が開催されてたので朝から学生の方が大勢乗車されてました。ただでさえ緊張するのに試験会場までの移動だけでも大変だったことでしょう。ごくろうさまです。


三次へ向かう備北交通です。県北も本日は大雪です。



場所を移動して安佐南区上安へ。少し標高が高くなるだけでこの有様です。広電バスのあさひが丘線が峠道を走ります。あさひが丘へ向かう便と広島駅へ向かう便がちょうどすれ違いました。


上記の現場からちょっと進んで安佐動物公園前です。これでもか!というくらいドカドカ降り続いていました。その後、晴れ間が出てきましたが。





またまた場所を移動しました。安佐北区安佐町飯室です。
三段峡へ向かう広電バスです。これより奥へ行けば行くほど雪の量は増えていくことでしょう。


JRバスの大朝行きです。これを捕獲した直後に市内中心部へ向かうバスがちょうど来たので陽の高いうちに撤収しました。



乗務員のみなさま、大雪が降る中、大変おつかれさまでした。

バスに限らず公共交通機関は悪天候の中でも不特定多数の方々の移動の利便のために乗客の命を預かって運行しています。つまり、非常に責任の大きい事業なんです。公共交通機関を利用される方もされない方もより一層御理解を深めてもらえれば幸いであります。


コメント (8)
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