sweet cafe@indigo liner(インディゴライナー)※3rd blog

いらっしゃいませ。カフェという名のブログです。
ごゆるりと御覧くださいませ。
掲載画像等の無断転用はダメですよ。

40周年のカシオペア

2019年07月29日 | Live(ジャズ/インスト系)
7月28日、CLUB QUATTROにてCASIOPEA 3rdの広島公演があったので行きました。



CASIOPEAは1979年にフュージョンバンドとして結成、2012年に現在のCASIOPEA 3rdの形態になり、本年で40周年を迎えられました。ワタシ個人としても好きなバンドですので、以前から見に行きたかったのですが、なかなかタイミングが合わず行けずじまいでしたが、本年の広島公演は行ける機会に恵まれました。

現在はCASIOPEA 3rdという正式名称ですが、これは活動期が3期に分かれるゆえに命名されてるようで、1期が1979年のデビューから、野呂一生、向谷実、櫻井哲夫、神保彰で活躍されていた1989年まで、2期がジンサクコンビが脱退し(神保は後に復帰)鳴瀬善博が加わった1990年~2006年までの時期、その後活動休止に入り、2012年に向谷脱退、大高清美が加入して活動再開した現在の形態が3期となります。

現在の形態は以下の陣営となります。

野呂一生(Gt)、鳴瀬善博(B)、大高清美(Key)、
Support:神保彰(Dr)

今回はCASIOPEA 3rd 2019 PANSPERMIA TOUR~CASIOPEA Debut 40th Anniversary~と題したコンサートツアーで7月27日の福岡公演を皮切りに順次開催されます。ゆえにネタバレになってもいかんので、多くは書きませんが少しほど。

当日券の販売もされていましたが、たくさんのお客さんがお集まりになられ、実質的に満席に近い状態でした。ゆえに会場内の熱気もたっぷりでした。

そして、ステージに野呂さん、鳴瀬さん、大高さん、神保さんの4名が登場、何を選曲したかは書きませんが、時系列的な順序でいままでの作品からピックアップして演奏されました。歌のないインスト作品をゴージャスに表現力豊かに演奏される様は刺激的でもあり爽快感に満ち溢れてました。各メンバーはそれぞれが個性的で、また、個性のある全員をバランスよく際立たせる演奏手法も見てて好ましかったですねえ。

今回はニューアルバム『PANSPERMIA』リリースに伴うツアーということで、もちろんアルバム収録曲を演奏されました。このアルバムは宇宙をモチーフにされたそうです。そういえばCASIOPEAの名称も星座が由来であります。デビューから40年の節目を迎えるにあたり、初心に戻るというのもこのアルバムのテーマだそうです。野呂さんが書いた曲が大半を占めますが、他メンバーも宇宙をモチーフに曲を書かれました。新作ということで初めて聞く作品ばかりでしたが、壮大でもあり、爽快に音が広がるような光景が新鮮でもあり、改めてデビュー時の作品をどことなく感じさせるものがありましたねえ。

それにしても、大高さん以外の男性陣3名はもはや還暦クラスです。確実に老いの自覚がないこともないでしょうが、それでもステージ上でのメンバーのパワーはたっぷりでした。演奏するほうも演奏を見るほうも大いに盛り上がったのでした。
ただ、あっという間に終了したので、ちょっと物足りなさもありましたが、それでも時計見たら2時間半近く休憩なしの演奏でした。それだけ密度の高かったということでしょうか。

というわけで、広島公演おつかれさまでした。そして、40周年おめでとうございます。


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またまたOhana! Live、vol.6

2019年07月23日 | Live(ポップ/歌謡系)
7月21日、Live Cafe Jive(広島市中区薬研堀)にて、大山百合香 LiLi&天然デンネンズ ~Ohana! Live~vol.6
が開催されたので見に行きました。



LiLiは鹿児島県奄美群島出身(現在は広島県三次市在住)のシンガーソングライター、大山百合香さんのトリオです。Ohana! Liveはシリーズ化され、各地で演奏の機会を重ねて、2月の活動開始から6回目を迎えられました。6回目となる今回は関西で活躍されてる天然デンネンズとのコラボとなりました。


出演者は以下のとおり(敬称略)。

大山百合香LiLi :大山百合香(Vo、三線)、住麻衣子(Key)、田中久美(Perc)
天然デンネンズ:勝見智子(Vo)、高藤昌幸(Gt)、Guest Support 花田えみ(Key)

なお、今回は演奏中の画像はありません。ただ単に死角により撮影が困難だっただけです。

前半は大山百合香LiLiの演奏から。大山百合香さん、鍵盤奏者の住麻衣子さん、パーカッションの田中久美さんの3名です。
百合香さんのオリジナル曲、南国のアーティストのカバー曲、伝統の島唄など、3名による演奏にのせてお届けされました。百合香さんによる伝統楽器の三線、麻衣子さんのカラフルなキーボード、久美さんのこれまたカラフルなパーカッション、この3名によって織りなすひとつひとつの繊細で活き活きした音色、透き通った百合香さんの歌声、百合香さんが生まれ過ごした南国の風景や爽快感が目に浮かび伝わってくるようでした。
なお、この日は不安定な悪天候で1年前の豪雨を彷彿させてしまいましたが、百合香さんが現在住んでる三次市や広島県北も朝は大雨だったようです。昨年の豪雨災害の際にも安佐北区白木へお手伝いに行かれたそうで、また、音楽を通じて元気や笑顔になっていただきたいという想いで、いろんな場所で歌ってこられたそうです。


後半は天然デンネンズの登場となりました。関西を拠点に活躍されるユニットです。ボーカルの勝見智子さん、ギターの高藤昌幸さんのおふたりで、さらにゲストに鍵盤奏者の花田えみさん、前半に引き続きパーカッションの久美さん、4名体制で演奏されました。
天然デンネンズというユニット名からしてインパクト大かつ素性不明な感がありますが、その実態はアコースティックなテイストの音楽を奏でるユニットです。
ひとつひとつの言葉や情景をもとに創造されたその世界は、どことなくノスタルジックでもあり、そっと寄り添うようなあたたかさをさりげなく、そしてとても味わい深く堪能させてくださいました。音楽としては地味な部類かもしれませんが、だからこそ音や言葉の重み、作り手の想いが伝わってくるようでした。猫をモチーフにした曲、パン屋のオバちゃん(?)の曲、水間鉄道のテーマ曲、いのちのコンサートのテーマ曲などなど、多種多様な世界が広がりました。智子さんのナチュラルなボーカル、昌幸さんが奏でる繊細なギター、えみさんのキーボードのメロディ、久美さんのパーカッション、それぞれの色がクロスしアコースティックなテイストを遺憾なく表現されました。

なお、LiLiと天然デンネンズの両者ですが、もともとの出会いはLiLiの久美さんが接点となったようで、念願叶って両者コラボが実現したのでした。これまた音楽によって生まれた縁といえるでしょうか。

画像がないのはさみしいので、集合写真を掲載しましょう。

最前列の男性は昌幸さん。女性陣は向かって右から順にえみさん、智子さん、百合香さん、久美さん、麻衣子さん。

出演されたみなさま、おつかれさまでありました。


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ニッサン ローレル C230

2019年07月21日 | クルマネタ
またクルマネタをひとつ。

日産のアッパーミドルカー、ローレルのお話を。3代目となるC230型をピックアップしてみましょう。

ローレルは1968年4月に初代モデルC30型が登場、ブルーバードとセドリック/グロリアの中間帯に位置する高級ハイオーナーカーとして位置付けられました。その後1972年9月に2代目C130型に移行し、1977年1月に3代目C230型に一新されました。

まずは前期型の画像を。もっとも、前期型はこれしか画像がないですが。セダンGL。



初代C30型はヨーロピアンテイストのシャープな雰囲気でしたが、2代目C130型では一転してアメリカンテイストの派手な装いに、そして、当C230型ではまたまた一転して和風というか演歌調といえるテイストに変身しました。上の画像を見てのとおり、いかにもセダンと言わんばかりの四角いシルエット、メッキパーツを多用し飾り立てられ、とにかく重厚に立派に大きく見せるという古典的な出で立ちとなりました。一方で、四角いカタチになったことから視界や居住性の改善を図られました。

ボディタイプは4ドアセダン、4ドアハードトップ、2ドアハードトップの3種類でした。4ドアハードトップはこの代より初登場したボディ形態で、以後オーナードライバー向けの主力となっていきました。
メカニズムは、エンジンを縦置き搭載で後輪を駆動するFR方式(フロントエンジンリヤドライブ)は踏襲、フロントサスはストラットの独立懸架、リヤサスはセダンならびにハードトップ1.8リッターが4リンク車軸懸架、ハードトップの2リッター以上がセミトレーリングアームの独立懸架でした。
エンジンは直4、1.8リッターOHC(L18)、直6、2リッターOHC(L20)、同EGI仕様(L20E)、直6、2.8リッター(L28)を用意、昭和51年排ガス規制対応でした。ミッションは4速マニュアル、5速マニュアル、3速オートマでした。

機能面は先代C130型の改良発展版で、主に排ガス規制への対応、高級感のアップに主眼を置かれていたため、4ドアはハードトップの新設以外は新鮮味は少なかったかもしれませんが、正常進化の手堅いモデルチェンジは市場では好評を博しました。


1978年11月、マイナーチェンジを実施、後期型へ移行されます。

セダン200SGL。


セダン2000GL。


4ドアハードトップ2000SGL?メダリスト?


4ドアハードトップGL?


なお、2ドアハードトップは画像がないので掲載はありません。上の4ドアハードトップからリヤドアを省略した形となります。

この後期型ではヘッドライトが丸型から角型に変更されるなど外観デザインを一新。それにしてもヘッドライトの形が変わるだけで随分と印象が変わりますねえ。
ガソリンエンジンは全車53年排ガス規制をクリアされました。なお、直4、1.8リッターのL18型は新開発のZ18型へ換装されました。また、新たにディーゼルエンジンが追加設定されました。直4、2リッターOHVのSD20型を搭載されました。
そうだ、最高級グレード『メダリスト』がこの後期型より登場しました。メダリストはローレルの上級グレードとして歴代モデルに引き継がれていきました。

1979年10月にはガソリンエンジン直4、2リッターのZ20型を追加設定、1980年2月にはサンルーフ付をメーカーオプションで設定されました。

そして、1980年11月に3代目C230型は終了、4代目C31型へフルモデルチェンジされました。これまでのハイオーナーカーのコンセプトを踏襲しつつつ、空力を追求したヨーロピアンスタイルにターボエンジンの搭載など、先進性を強めていき、自動車にとって黄金時代といえた1980年代に突入していくのでした。




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広島バス5台/新顔エアロ2台

2019年07月16日 | バスネタ
最近捕獲できたバスネタを出題します。

広島バスに一般路線用の新車が導入されました。同社は年末年始と夏に導入される傾向がありますが、本年も夏の導入が行われました。一通り撮影できたので一挙に掲載。

広島200か2548、258、いすゞエルガ、2019年式。

吉島配置で、撮影時は25号線で運用。

広島200か2550、260、いすゞエルガ、2019年式。

大州配置で、撮影時は26号線で運用。

広島200か2551、261、いすゞエルガ、2019年式。

小河原配置で、撮影時は29号線で運用。

広島200か2553、555、三菱ふそうエアロスター、2019年式。

吉島配置で、撮影時は27号線で運用。

広島200か2554、556、三菱ふそうエアロスター、2019年式。

大州配置で、撮影時は26号線で運用。

例によっていすゞ3台、ふそう2台の計5台の導入となりました。画像では色が飛んでしまってますが、行先表示のLEDがカラー化されたされたのが外観上では目新しい部分です。それと、後ろ姿の画像は撮れてないんですが、同社の車両はいままでバックモニターが装備されてなかったのですが、今回の新車は装着されました。


話は変わり、三菱ふそうの大型観光系のエアロエース/エアロクイーンは2017年にMS06系に移行されましたが、続いて今年2月にマイナーチェンジを実施され、各種安全装備の充実化や、フロントデザインを一新されました。各事業者で順次導入され、姿を見かけるようになりました。2台撮影できたので掲載。

瀬戸内しまなみリーディング
愛媛200か5657、三菱ふそうエアロエース、2019年式。

愛媛県今治市と広島県内を結ぶしまなみライナーで運用。撮影時は広島線の運用に就いてましたが、福山線で運用されることもあるようです。

城南交通
広島200う8000、三菱ふそうエアロクイーン、2019年式。

同社の観光貸切の最新車です。なお、あえて書いておきますが、エースとクイーンの違いは前者がハイデッカー、後者がスーパーハイデッカーとなります。


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いすゞフローリアンあれこれ

2019年07月11日 | クルマネタ

6月より福山自動車時計博物館にてフローリアンバンディーゼルの屋内展示が開始されましたが、いい機会ですのでフローリアンがどんなクルマだったのか振り返ってみましょう。ここでは乗用モデルのセダンを取り上げます。

1967年11月、フローリアンはミディアムクラスの乗用車として登場しました。車格は異なるものの、実質的にそれまで販売されていた上級乗用車、べレルの後継車でありました。なお、フローリアンの車名はオーストリア皇帝の愛馬の名前が由来との事です。

もともと開発時は『117』のコードが与えられ、プロトタイプが『117サルーン』として公開されてました。その名のとおり117クーペとは姉妹車関係で基本コンポーネントを共有されていました。

当時のセダンとしては屋根が高くピラーの角度も起きており、スペース効率が高く開放的な室内空間を確保し、さらに6ライトのサイドウインドウの処理、絞込みが強く横長異型2灯ヘッドライトのフロントビュー、同じく絞込みの強いリヤビューなど、欧州車を思わせる外観デザインが当時のクルマとしては新鮮だったことでしょう。このスタイリングは117クーペと同じく、イタリアのカロッツェリア・ギア社が手がけられました。

メカニズム面では、フロントにエンジンを縦置きに置いて後輪を駆動する(FR方式)という当時としてはオーソドックスな駆動方式で、サスペンションもこれまたオーソドックスにフロントがダブルウィッシュボーンの独立懸架、リヤが車軸懸架という構成でした。エンジンは直4、1.6リッターOHVでした。ミッションは3速マニュアル。
のちに上級グレードのスーパーデラックス、スポーティ版のTSなどバリエーションを拡大。エンジンもカムがOHVからOHCへ変更、タクシー用のLPG車も登場、マニュアルミッションも4速に変更されるなど改良されていきました。

前期型の画像を。この個体は丸型4灯ヘッドライトですが、前期型のTSはヘッドライトが丸型4灯でした。


こうして登場したフローリアンですが、しかしながら、当時のクルマは低く長く見えるスマートな外観デザインが主流だったゆえか、背を高めたフローリアンの欧州テイストのデザインは一般受けしなかったようで、また、もともといすゞの乗用車は販売力が弱かったこともあり、市場ではメジャーにはなれず販売不振に陥ったのが惜しまれるところでした。販売の低迷のため、利益率は乏しく開発資金も捻出出来ないことから抜本的な商品改良も出来ず、その結果さらなる商品力低下を招き、ますます販売が低迷するというスパイラルに陥るのでありました。

1970年10月、マイナーチェンジを実施し中期型に。フロントビューが初期型の控えめなタッチから、やや押し出し感を強調した装いに一新、ヘッドライトは全車丸型4灯に変更。中期型セダンの画像が残念ながらないですが、福山自動車時計博物館に屋内展示されているバンが中期型のデザインとなります。
この中期型ではエンジンラインナップに新たに1.8リッターを追加されました。ミッションもオートマが登場するのもこの頃だったかと。
もっとも、基本設計は変わっていないこともあり、相次ぐライバル車の登場で、だんだん存在感を失くしてしまい、市場では完全に埋没してしまいました。売れない→利益確保できない→商品改良滞る→売れないのスパイラルは止まることがなく、さらには公害問題の深刻化にともない排ガス規制が強化されると、TSや1.6リッターモデルがカタログ落ちしてしまい、1976年の時点では1.8リッターのスーパーデラックスのマニュアルミッション(5速)のみにバリエーションが絞りこまれてしまいました。もはや、この頃でも旧態化が隠しきれなくなり、また、いすゞの乗用車はジェミニが軌道に乗ってきたこともあり、フローリアンは存在意義すら不明瞭になってしまいました。限られた販路は官公庁の公用車、企業の社用車、タクシーや教習車など法人向けがほとんどだったようです。

かたやコンポーネントを共有していた117クーペは美しいデザインゆえに根強い人気に支えられてましたが、本来は量販を求められるフローリアンが極端な販売不振に悩まされるという、完全に逆転した立場に陥っていたのは皮肉といえるでしょう。それだけフローリアンの商品力は底をついていたわけです。


そして、1977年11月、後期型へマイナーチェンジされました。下記画像2点、その後期型です。




角型4灯ヘッドライトやメッキを多用した大きなフロントグリルなど、極端までに装飾過多のデザインに手直しされました。全体の造形のバランスを顧みずに飾り立てた結果、欧州調の優雅な雰囲気は完全に消え失せてしまい、走る仏壇と化してしまいました。あるいは車輪の付いた獅子舞ともいえるか…。
しかしながら、このマイナーチェンジは特筆されたポイントがありました。直4、2リッターのディーゼルエンジンが追加設定されました。経済的でもあり、振動の低減や始動時の予熱時間を短縮した新世代のディーゼルは、オイルショック以降の省エネムードの中で注目を集め、極端に低迷していたフローリアンは息を吹き返し、販売台数は向上したのでした。当時珍しかったディーゼル乗用車として重宝されました。しかし、他社にもディーゼル乗用車が登場すると、フローリアンの優位性もすぐに薄れてしまいましたが。
それでもフローリアンの成果と実績が一定の評価を受けたことから、いすゞは117クーペやジェミニにもディーゼルを拡大設定していき、特にジェミニはディーゼル乗用車として高いシェアを誇りました。

そして、1980年代に入ってもマイナーチェンジを続けながら継続されてましたが、フローリアンを小手先の改良で延命するのはさすがに限界点に達したようで、1982年10月に生産終了となりました。生産期間15年という長寿モデルでした。

1983年4月、GMグループの世界戦略車構想『Jカー』プロジェクトによって生まれたアスカにバトンタッチされました(当初はフローリアンアスカの名称)。


参考までに。
フローリアンとコンポーネントを共有してたスペシャリティカー、117クーぺ。カロッツェリア・ギア(デザイナーはジョルジェット・ジウジアーロ)による流麗なスタイリングで一世を風靡しました(生産・販売期間:1968年~1981年)。



福山自動車時計博物館のブログ記事も併せて御覧くださいませ。
http://blognews.facm.net/?eid=1238250



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