昨日(5月29日)、ジャズボーカリストのnoonさんのライブが開催されました。
ニューアルバム、ONCE UPON A TIMEを昨年秋にリリースされ各地でライブツアーが開催されました。広島では2月に開催されたのですが、なんと追加公演で再度広島で開催される事になりました。というわけで昨日行ってきました。また機会があれば…、と思っていましたがわずか3ヵ月後に再会できるとは思ってもいませんでした。
2月は広島市中区本通のSpeak Lowで行われましたが今回の追加公演は中区中町のライブジュークで行われました。前回はピアニストとのデュオでしたが今回はギタリストとの荻原亮さんとのデュオでした。
クリスタルビルの19階に位置するライブジュークは夜景が見えるというロケーションが特徴ですが彼女はその光景にとっても感激されていました!
午後のひだまりを思わせるオーガニックで柔らかい歌声の彼女ですが、夜景もなかなかお似合いでしたヨ!その姿はセクシーでした!主にニューアルバムの楽曲を中心に歌いましたが、それ以外にもポップス、ボサノバなどのナンバーも披露しました。ジャズボーカリストといってもいろいろなスタイルの方が多いですが、彼女は派手さはないものの、やさしく包み込むような心地よさで魅了してくださいました。荻原さんのギターも彼女の歌声と相性ピッタリのまろやかさで心地よかったですね。
ちなみに今回のライブジュークが全6ヶ所で開催された追加公演の最後のステージだったそうです。昼間は広島市内で平和公園周辺やカフェを散策されたそうです。また広島に来てくださいね。おつかれさまでした。
実は終了後は挨拶がてら撮らせていただきました。本人も了承してくださったので宣伝も兼ねて掲載致します。
以前も掲載しましたが、こちらが昨年秋にリリースされたONCE UPON A TIMEです(本人直筆サイン入り)。ノスタルジーをコンセプトに旧き良きスタンダードを柔らかな歌声で包みこみます。収録曲の中では個人的には『The End Of The World』が一番お気に入りです。
昨日(5月27日)はライブをふたつハシゴしてきました。
シャレオ中央広場にて広島国際大学春の健康フェアが開催されていたのですが、そのステージで姉妹デュオ、Mebiusのミニライブが開催されました。
先日、フタバ図書限定でミニアルバム『青空』が発売されました。ライブは空の下ではなく地下でしたが、でも、ふたりの親しみやすい澄んだ歌声はいつ聞いても爽やかですし、おふたりが楽しまれてる姿も姉妹ならではのほのぼのした雰囲気もよかったですね。
姉の岡田真実さん。
妹の岡田賀江さん。
メイクの効果か、なんかいつもとはちょっと違った大人びた雰囲気がステキでした。健康まつりということで、おふたりの歌が少しでも心を癒し健康に過ごす糧になれば、そんな想いが込められていました。
さて、健康まつりということで健康のための情報や体験型のブースなどさまざまな催しが開催されていました。
そこで、ワタシもちょっと参加してみることにしました。今に始まったことじゃありませんが最近は心身共にガタが来て糸が切れそうな状態でもあったのでストレス分析を試してみました。簡単な検査が行われたのですが数分で結果が出てきました。
さて、その結果は…。
自律神経バランス及び自律神経活動から考えられるあなたの健康状態はかなり良好と思われます。肉体的な疲れはあまりないようです。
適度な運動と規則正しい生活習慣で現在の状態を維持しましょう。
まったくもって反比例な結果が出てしまいました(汗)
思い切り疲れてるんですけど…。胃薬常用してるのに良好な健康状態って…。ますますわけがわからなくなりました(大汗)
気をとりなおして夕方はカジル横川へ移動、さらさのライブです。
いきなりFree Faceのおふたりがゲスト参加されました!
さらさの演奏をバックに一曲歌いました。
その後は森川さん、Machikoさん、それぞれのソロを一曲ずつ演奏しました。
ギターの森川敏行さん。
ハープのMachikoさん。
そして、さらさとしておふたりで演奏しました。
ギターとハープがクロスオーバーする繊細な音色、夕暮れ時を華やかな雰囲気で包み込み、気付いたら多くの方々が足を止めて聞いてくださってました。そして毎度の事ながら妙にかみ合わないふたりのトークも場の雰囲気が和みました。
昨日はMebiusとさらさの音楽に支えられ、他の用事でバタバタしてた一日も無事に終えることができました。みなさま、おつかれさまでした。またライブを拝見させてくださいね。
ルーチェ祭り、最終型の5代目を前回とりあげましたが、ここでは番外編を。
5月20日、ばら祭りのパレード見学後は福山自動車時計博物館を訪問しました。先月、世羅町内で眠っていた初代ルーチェの廃車体を譲り受けたとの事だったので拝んできました。
同館の大型バス駐車場内にその初代ルーチェ(SUA型)はいました。
廃車体で腐食は進んでるとはいえ、それでもしっかり原型を留めていました。間近で実物を拝見するとシンプルなデザインの美しさを改めて実感できました。
初年度登録は1966年(昭和41年)12月で発売して間もない時期に新車購入されたのだと思われます。グレードは上位モデルのデラックスです。
続いてインテリアです。
インテリアもシンプルですが、質感の高さを実感できました。コラムシフト(4速マニュアル)と大きな曲面ガラスを採用することで広々した室内空間を実現していました。乗車定員は6名です。
ボンネット内にはUB型1.5リッター直列4気筒のエンジンが搭載されます。
ルーチェのとなりには2月にサルベージされた同じマツダのライトバスが展示されています。バスとは思えない斬新なデザインでこちらも個性派です。
福山自動車時計博物館のみなさま、福山のMさま、ありがとうございました。当ブログ上ではありますがお礼申し上げます。
このルーチェは福山自動車時計博物館のブログでも紹介されているのでこちらもどうぞ御覧くださいませ。
以下、蛇足ですが博物館へ向かう途中にU10系の三菱ミニキャブと遭遇しました。上級グレードのGLですがトラックにもかかわらずハイルーフで角目ライトという、ミニキャブエステート/ブラボーから顔面移植したかのような仕様に失禁しそうになりました!
ルーチェ祭り、今回は最終型となる5代目です。
1986年9月、5代目(HC系)へ移行しました。従来同様4ドアセダンと4ドアハードトップの二種のボディを用意してましたがクラウンやセド/グロに対抗すべく、いずれも風格を感じる重厚な装いに変身しました。さらに快適性や豪華さだけでなく運動性能も重視されたのが特筆されました。
まずは前期型のハードトップから、2000リミテッドです。2007年8月撮影。
ボディ剛性の高さを感じるガッチリした骨太な雰囲気がイイですね。ハードトップはツートンのボディカラーでした。
メカニズムもかなり気合いが入れられ、エンジンはマツダ初となるV型6気筒が新開発されました。そのV6エンジンはJF型と呼ばれる2リッターでNAとターボの二種が用意され、シリーズの中核に位置付けられました。廉価グレードにはFE型2リッター直4も用意されました。ロータリーエンジンも用意され、RX-7と同じ13B型ターボが搭載されました。
駆動方式はFRを踏襲しましたがリヤサスペンションは当時でも珍しいマルチリンク式が採用されました。上位モデルには電子制御サスやABSも装備されました。
1987年にはエンジンの排気量を拡大したJE型3リッターV6が登場、ルーチェ初の3ナンバー車となりました。その3リッターは翌1988年のマイナーチェンジでSOHCからDOHCへ進化しました。
ハードトップの画像を掲載していきます。ロータリーターボリミテッドです。2011年5月撮影。
後期型のハードトップです。2000ターボリミテッドです。2006年4月撮影。
3000ロイヤルクラシック。最上級モデルです。なお、3ナンバー登録となる3リッターは大型バンパー採用で全長が長くなります。2011年5月撮影。
3000リミテッド?ロイヤルクラシック?ワインレッドのカラーもオシャレな雰囲気でお似合いです。2008年5月撮影。
続いては4ドアセダンの画像を掲載していきましょう。比較的個人ユーザーの多いハードトップに対してこちらは法人需要が多かったです。画像はすべて後期型となります。
3000ロイヤルクラシック、2006年1月撮影。
2000リミテッド、広島では土地柄、企業の役員車や役所の公用車など黒塗りでフェンダーミラーの個体が多かったです。2005年1月撮影。
消防の指揮車としても使用されていました。2005年1月撮影。
広島では当然タクシーも存在してました。2004年12月撮影。さすがに法人タクシーは絶滅しており、2012年現在は個人タクシーでわずかに棲息してる状況です。
当モデルだけでなく歴代モデルは海外ではマツダ929の名称で販売されていました。
それと、当モデルは韓国の起亜自動車でもノックダウン生産されており、細部のデザインを変更したうえで起亜ポテンシャの名称で韓国で販売されていました。
1960年代から四半世紀に渡ってマツダのトップレンジを担ってたルーチェですが、1991年5月、新たに登場したセンティアにバトンタッチされルーチェの歴史は終止符を打つことになりました。タクシーや教習車など一部のモデルは引き続き継続されましたが、マツダのタクシー車撤退に伴いカスタムキャブと共に1995年末に生産終了となりました。
それでも最終型となった当モデルは生産終了から20年以上経過するにもかかわらず、台数が少なくなってきたとはいえ路上でまだ見かける機会は多かったりします。おそらくクルマそのものの完成度が高いのと、ルーチェに代わるクルマが存在せず乗り続けてるのかもしれません。そう考えてみると本当に名車かと思います。
1960年に軽自動車のR360クーペでマツダは四輪乗用車市場に参入し、ルーチェは1966年に登場して以降マツダのトップレンジとして君臨、ロータリーエンジンをはじめとした技術や新機構でマツダ車のイメージアップに貢献してきました。ゆえにこれからもマツダを語るには絶対外せないクルマといえるわけです。
さて、初代から5代目まで続いたルーチェ祭りですが、これで終わりではなく、次回は番外編を投稿します。
1981年10月、ルーチェは4代目(HB型)へモデルチェンジされました。当モデルは同時にモデルチェンジしたコスモと基本構造を共有する、いわゆる姉妹車関係となりました。マツダの技術の結晶といえる意欲的なクルマでした。
先代同様に4ドアセダンと4ドアハードトップの二種のボディがラインナップされてましたが(バンは先代モデルを継続)、いずれもシャープな直線基調のスタイリングに一新されました。
前期型からいきましょう。セダンのロータリーターボリミテッドです。2004年11月撮影。
ハードトップはかなり絞込みの強いスタイリングで前期型は特に顔つきが未来的でした。しかし、ハードトップは後期型は下に掲載してますが、前期型はまったく網にかからず画像はありません…(汗)
従来どおり駆動方式はFRですがシャーシ関係はかなり手を入れられ上位モデルはサスペンションが4輪独立懸架に進化し、ステアリング機構はボールナットからラックピニオン式に進化しました。ブレーキも上位モデルは4輪ディスクが奢られました。
エンジンはレシプロが従来同様にVC型1.8リッター直4、MA型2リッター直4(キャブとEGIの二種)、S2型2.2リッター直4ディーゼルでした。ロータリーは排気量の小さな12A型(573cc×2)を搭載、6ポートインダクション採用で燃費改善を図りましたが馬力競争で盛り上がってた当時ではいまひとつインパクトに欠けてました。しかし、マツダは隠しダマを用意してました。翌1982年秋にはロータリーターボが登場しました!12AロータリーをターボチャージャーとEGI(電子制御燃料噴射)で武装して一気に国産トップクラスの高性能車に進化したのでした。それと前後して既存のモデルに4速オートマが採用されました(後にロータリーターボにも採用)。
1983年10月には比較的規模の大きいマイナーチェンジが実施され後期型へ移行しました。セダンはあまり外観は変化ありませんでしたがハードトップは個性の強い顔立ちが賛否両論あったのかフロントマスクを大幅に変更、個性は薄くなったものの高級サルーンらしい風格はアップしました。
さて、エンジンはレシプロのガソリンは新開発のFE型2リッター直4(キャブとEGIの二種)を搭載、1.8リッターは消滅しました。ロータリーは12A、12Aターボに加えて排気量の大きな13B型(654cc×2)が復活、6PIとEGIを組み合わせスーパーインジェクションと名付けられました。
最上級グレードのリミテッドには電子制御サスペンションも採用されました。
後期型の画像を掲載していきます。ハードトップ、リミテッドかジェンティールかと思われます。2004年11月撮影。
丸い穴がたくさん空いてる15インチのアルミホイールは誰かがタコヤキだって言ってましたねえ。それと、後期型からドアミラーが採用されました。
ハードトップ、こちらもリミテッドかジェンティールかと思われます。2005年5月撮影。
こちらはセダン、SG-Xかリミテッドか、いずれにしても上級グレードかと思われます。2005年12月撮影。
1985年にはモデル末期の販売テコ入れ策としてレシプロエンジン搭載車にお買い得仕様のジェンティールを追加、翌1986年9月には最終型となる5代目へ移行、ルーチェの集大成にふさわしい華やかなモデルとなります。
一方でカペラのタクシーに代わる小型タクシー専用車、カスタムキャブがこの4代目ルーチェセダンの車体を再利用して1989年に登場しました。ルーチェは本来は中型タクシーでしたがバンパーを切り詰めて全長を短縮、小型タクシーの規格に適合するように手直しされました。
画像は2005年2月撮影。
登場時点で設計はすでに古かったものの、ベースとなったルーチェが減価償却が終了してた事もあり価格が抑えられ、もともと中型タクシーだった車体だったので室内が広いというメリットもあり各地で普及しました。マツダがタクシー専用車から撤退する1995年末まで生産されました。