sweet cafe@indigo liner(インディゴライナー)※3rd blog

いらっしゃいませ。カフェという名のブログです。
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スズキ アルト/フロンテ(SS30/40系)

2013年08月27日 | クルマネタ

1979年5月、スズキの軽自動車フロンテは5代目へとフルモデルチェンジを実施しました。従来のRR(リヤエンジン・リヤドライブ)からFF(フロントエンジン・フロントドライブ)へと180度真反対のパッケージングに変更、シンプルでスクエア状の機能的なハッチバックに変身しました。同時に姉妹車となるアルトが登場、フロンテに代わってスズキの新たな看板商品として君臨しました。

それではどんなクルマだったか大ざっぱではありますが、順番に話を進めていきましょう。

アルトの記念すべき初のモデルはコチラです。2007年3月撮影。


アルトとフロンテの違いですが、アルトは貨物登録の4ナンバーで3ドア、フロンテは乗用登録の5ナンバーで5ドアでした。
当時、乗用車には物品税が車両本体価格に課税されていました(消費税が導入された1989年に廃止)。ところが貨物車にはその物品税がなかったため、車両価格を低く出来る事に着目、さらに助手席ドアのキーシリンダーを省略、ラジオをオプションにするなど装備や仕様をとことん簡素に徹しました。貨物車ゆえに後席が狭くなりますが、快適性を求めるなら乗用仕様のフロンテが存在していたので完全に割り切りました。なお、エンジンはT5B型の2ストロークが搭載されました。
結果、当時としても破格な47万円を実現、発売早々大ヒットとなりました!

一方のフロンテを掲載しましょう。2011年3月撮影。


同じくフロンテ、2009年5月、門司港にて撮影。


3ドアのアルトに対してフロンテは後席にもドアを設けた5ドアで、税金はアルトより高いものの、4ナンバー貨物仕様のアルトに対して5ナンバー乗用仕様のフロンテは居住性と快適性に優れるという利点がありました。フロンテのエンジンは2ストロークのT5B型と4ストロークのF5A型の二種が用意されてました。

アルト/フロンテ両者ともミッションは発売当初は4速マニュアルのみでしたが翌1980年には2速オートマを新設、1981年にはアルトにも4ストロークエンジンが搭載されました。最終的に両者ともエンジンは4ストロークのみに統一されました。


1982年10月にアルトをマイナーチェンジ、1983年5月にフロンテをマイナーチェンジ、後期型に移行しました。ヘッドライトを丸型から角型に変更、フロントグリルを左右非対称デザインに変更、ドアミラーも設定され外観のイメージが大きく変わりました。

以下、後期型です。アルトからいきましょう。2007年7月撮影。


昨年事業廃止された呉市交通局の公用車に数年前まで初代アルトがいました。バスの撮影でおじゃましたはずが、アルトで盛り上がってしまいました。2006年8月撮影。


後ろ姿も掲載しましょう。ドアの枚数以外アルトもフロンテも同じカタチに見えるでしょうけど後ろ姿は大きく異なります。アルトはバンパーから開くバックドアを採用します。


画像はありませんが、1983年10月にアルトに初の4WDモデルも加わりました。


後期型のフロンテです。2006年6月撮影。


後ろ姿を。フロンテは大きなバックドアではなくガラスハッチが採用されます。ナンバープレートの位置も異なります。


一見何の変哲もない実用車ですが、初代アルトは自動車史に残る存在となりました。そして現在に至るまでアルトのブランドは健在で、ワゴンRと共にスズキの屋台骨を支えています。

最近は長引く不況の影響からか軽自動車の需要が高まってきています。軽自動車もかなり立派な車になってきて、それはそれで喜ばしいんでしょうけど、それゆえに逆に軽自動車の優遇税制や軽自動車規格そのものを疑問視する声もだんだん大きくなってきてるのも事実です。軽量小型低価格という軽自動車の原点を追求した初代アルトのような思想は改めて見直されるべきかもしれません。

コメント (4)
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2日連続プランタン

2013年08月25日 | Live(ジャズ/インスト系)

8月24日、広島市中区東白島の洋菓子工房プランタンにてまたまたテラスコンサートが開催されました。先月はさらさが出演されましたが今回は折重由美子さまと田中玲子さまが出演されました。


折重さんは今回はピアノ(というよりシンセサイザー)を演奏されました。田中さんはジャズボーカリストで今回初めてお目にかかれました。

しかしながら肝心のコンサートは撮影してないので文章のみで…。

ボサノバナンバーを中心にした選曲でした。ちょっと夏らしく、そして今から始まる秋の雰囲気も感じさせながらゆるやかに、まったりと、爽やかにお届けされました。生憎昨日は雨が降り天候がよろしくなかったですが、それでも涼しげな風が吹いてきて爽快なコンサートになりました。

終了後、挨拶兼ねておふたりを撮らせていただきました。


洋菓子屋さんのコンサートなので途中カフェタイムが設けられました。今回も特製ケーキを頂きました。ごちそうさまでした~。




そして本日(というか先程)は、
『ヒロシマから願いをこめて~折鶴プロジェクト~』
が開催されました。ここでも折重さんが出演されるとの事でしたので行ってきました。本来なら原爆ドーム対岸の親水テラスで実施する予定でしたが、雨のため場所がプランタンに変更されました。というわけでまたまたプランタンにおじゃましました。

このステージでは書道家の福田房仙さまが出演、折重さんはクラビオーラを演奏、音楽と書道のコラボとなりました。


シンプルであたたかいクラビオーラの音色、その独特の音色が織り成す世界観を書で表現するというパフォーマンスが行われたのでした。平和への願いを込めながら…。





ここでは来場された方々にもご協力いただいて、折り鶴を折ってもらい、また、平和へのメッセージを書いてもらいました。というわけでワタシも一羽折ったのですが、いかんせん久しぶりに折ったものですからかなり悪戦苦闘、思い切り醜態をさらしてしまいました(汗)

このコンサートで展示されてたものも含め、世界中から集まってくる平和記念公園の原爆の子の像に捧げられた折り鶴は、9月1日に宮島の大聖院にて焚き上げされるそうです。世界中の人々からの平和を願う思いが多くの人々の心に刻み、新たな思いとして継承、その思いを共有、そして、この尊い思いを昇華させるのが目的だそうです。


最後になりましたが折重さん、連日おつかれさまです。今回のプランタン以外にもツアーが県内外で連日行われていました。今回参加されたみなさまも大変おつかれさまでした。

なお、今回の記事は画像満載でお届けしていますが、ブログ掲載にあたって当事者である折重さまならびにマネージャーの方に了解を得ています。予め御了承願います。

コメント (2)
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県北と山陰のバスネタ

2013年08月20日 | バスネタ

盆の休みは県北某所へ帰ってましたが、バスネタを捕獲したので何点か掲載してみましょう。申し訳ないですが型式等は割愛します。

備北交通の最新の路線車を3台捕獲できました。3台ともノンステップバスです。

広島230あ329(No329)、日野レインボーⅡ、庄原⇔高野線で稼動してます。


広島230あ330(No330)、上記と同じくレインボーⅡ、こちらは三次⇔赤名・頓原線です(後半に関連記事あり)。


広島230あ331(No331)、日野ブルーリボンシティハイブリッド、三次⇔庄原線でフル稼働しています。同車は4台目のハイブリッド路線車となりました。



続いて中国バスです。
広島200か1773(H1136)、2年くらい前に神戸市営から移籍してきた西工ボディの日野車です。

三次⇔甲山線で稼動してますが、同車は最近甲山から三次所属となったようで、福山ナンバーから書き換えられました(元は福山200か464)。


島根県飯南町にて飯南町生活路線バスを捕獲しました。
島根200さ862、ふそうローザ。

松江道開通に伴い、飯南町を走る高速路線バスが廃止された事から、その代替措置として松江、出雲方面への接続を目的に赤名⇔たたらば壱番地の路線が開設されました。

それに関連して、上でも触れてますが備北交通も三次⇔赤名の路線を頓原へ路線延長されました。
もともとはJRバスの自動車駅だった赤名にて頓原へ向けて出発する備北交通の姿を撮影しました。

この日は点検等の都合でやむを得ずでしょうか、上記の330ではなく別の車両が運用に就いてました。
広島230い317(No317)、いすゞエルガミオ。

しかし、54号線は極端に交通量減りましたわ…。


島根県奥出雲町に親類がいるので今年は思い切って久しぶりに訪問しましたが、せっかくなので奥出雲交通のバスを観察してみる事に。
といっても盆休みのせいか、大型中型が動いてる姿は見かけず、トヨタのハイエースばかり動いていました。
その中から2台ほど。島根200あ91。


もう1台、島根200あ95。


なお、奥出雲交通ですが、20年近く前に一畑バスの撤退により、旧仁多町と一畑バスとの第三セクターとして設立されました。当初は仁多交通でしたが広域合併で奥出雲町になったのを機に現在の名称となりました。


最後は違うネタを。
順番が前後しますが県北へ向かうべく広島を出発する前に、RCCラヂオカーと遭遇しました。というわけで帰省用として拝借した車両をつい並べてしまいました。

しばらくしてリポーターの方が戻られたので挨拶がてら声をかけさせていただきました。シゴト中にもかかわらず快く応対してくださりありがとうございました。

なお、自家用白ナンバーの車両を画像処理せずに2台掲載してますが、飯南町のバスは公的な有償運行の車両ですし、ラヂオカーは見てのとおり所有者が明らかでナンバーもわざわざ周波数に合わせて選んでいるうえ、RCCのホームページ等でナンバーも含めた姿で公開されてるので、いずれも隠す必然性がないためそのまま掲載しています。御了承願います。

コメント (3)
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きのうのゑもの(ニッサンホーミー)

2013年08月11日 | クルマネタ

場所と時間帯は伏せておきますが、昨日久しぶりとなる大ネタを引っ鰍ッてしまいました!

ハイ、これでありまする。


ニッサンのキャブオーバーワンボックス車、ホーミーです。最初はキャラバンかと思いましたがフロントグリルのパターンからプリンス系販売店で扱われていたホーミーが正解のようです。

1980年登場の3代目E23型です(キャラバンは2代目となります)。E23型は近年ほとんど見かけなくなったので、をゐ!チョット待て!!とツッコミたくなりました(汗)
画像の個体は乗用ワゴンのコーチで1983年にマイナーチェンジされて登場した後期型です。ヘッドライトが角型4灯で、ガラス越しに見える室内も豪華そうなシートが採用されてるので上位モデルのSGLでしょうか。

昔は人員輸送車の趣が強かったワンボックスワゴンですが、1970年末期よりレクリエーショナル・ビーグル(多目的車)として個人ユーザーの需要が増えていきました。そんな市場の声に応えるべくホーミーならびに姉妹車キャラバンもE23型から走る応接室という要素を強めた高級路線に舵を切るようになりました。
やがて車種整理が行われ、1990年代末期にホーミーは廃止されキャラバンに一本化されました。現在キャラバンはニッサン唯一のキャブオーバーワンボックスとして商用バンやマイクロバスを主体にしっかり健在ですが、高級ワンボックスワゴンの系譜はエルグランドに引き継がれていきました。

やはり、ワンボックスとなると、御意見番のこの方のツッコミを期待したいところですが、さあ食指が動きますかな?

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タイヤをもがれたライトエース

2013年08月10日 | クルマネタ

画像の車両はトヨタのワンボックス、ライトエースで1979年登場の2代目モデル、1982年にマイナーチェンジされた後期型です。2006年1月撮影。



タイヤを外されてブロックの上に載せられてるという無残な姿であります。ゆえに石を抱かせる拷問に見えてしまうのは気のせいでしょうか?
側面のWAGONステッカーが誇らしげに見えますが、バンパーが鉄製、サイドプロテクとモールがない事などから、おそらく廉価モデルだろうと思います。
タイヤがないため、フロントディスクブレーキなど足回りがよく見えます。しかし、足回りの構造は時代が進んで1990年代になっても、たいして変化がないような気がしますが…。

やがてこの個体は撤去されました。鉄の価格が上がったタイミングで処分されたのでしょうか?ゆえに2代目ライトエースの生き証人が一台消えてしまいました。合掌…。



一方でトラックは絶滅危惧種のバン/ワゴンよりも、もう少し遅くまで製造されてたゆえか、現役の個体が比較的残っているんですけどねえ。

コメント (2)
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