sweet cafe@indigo liner(インディゴライナー)※3rd blog

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9周年だそうな

2023年01月30日 | Live(ジャズ/インスト系)

そういやあ、20日間以上何も更新しとらんかったですが、久しぶりに。

1月26日、Live Juke(広島市中区中町)にて、
MAQ 9th Anniversary Live「田辺祐三子vs森川泰介 ビール対決!?」が開催されたので行ってまいりました。


MAQ(読み方はそのままエムエーキュー)は、ドラマー森川泰介さんをリーダーとするジャズバンドであります。名称の由来は森川泰介アメージングカルテットの略です。本年で結成9周年を迎えられました。
この日は9周年記念のライブが開催されたのでした。バンドのメンバーに加え、ゲストに広島発のエンターテイナー田辺祐三子さんがゲスト出演されました。

出演は以下のとおり(敬称略)
MAQ:森川泰介(Dr)太田和孝(Fl)鳥岡香里(p.f.)山本優一郎(Bass)
Special Guest:田辺祐三子(Vo)
 

まずは前半、MAQの4名で演奏開始。


ドラムの森川さんを筆頭に、フルート太田さん、ピアノ香里さん、ベース優一郎さんの4名でジャズの演奏を行いました。夜景が見えるステージで、クールでスタイリッシュな演奏が心地よかったですねえ。4名の音のぶつかりあいと調和が見事でした。

順に森川さん、太田さん、香里さん、優一郎さん。4名とも広島の音楽界(県外での演奏もあり)で幅広く活躍されておられます。









後ほど御登場のユミコ姐さんは、すでにステージ上の席で飲酒タイムだというー。
いや、開演時間前からすでに飲んでおったか。


後半はユミコさんが加わって、歌のステージとなりました。主に昭和歌謡のナンバーからMAQの演奏にのせてパワフルに艶やかに歌い上げていきました。


さらに飲酒大会と化して、森川さんとユミコさんによるビール対決?が行われたのでありました。


飲酒に関しては常人離れしたユミコさんは水のごとくビールを摂取、かたや下戸に等しい森川さんはチビチビとハイボールを摂取されてましたが、どう考えても不公平感は否めず勝負が成立するとは思えんかったのですが。

一般客として演奏拝見してたドラマーの山口圭一さんが森川さんの助っ人として参加したという。その結果、おふたりの飲酒量を合算すればユミコさんに匹敵する勢いとなりました。

もはや演奏より飲酒がメインとなってしまい、カオスと化してしまいました。
撮れてなかったのですが、山口さんも1曲ドラムを演奏されました。
なお、ユミコさんVSドラマーコンビ(森川さん&山口さん)の勝負の結果はドロー?だったようです。


そして、9周年のバースデーということで、バースデーケーキが提供されたのでありましたー。
あれ?ローソクの数が足らん気がするが、気のせいにしておこう。


終盤ではユミコさんも一肌脱いで、最後までみなさん勢いで突っ走っていきました。




というわけで、みなさんおつかれさまでした。ならびに、9周年おめでとうございます。

※アルコール飲料大量摂取となってましたが、この公演だから許された行為であり、常人離れしたユミコさんだから可能な芸当であります。決して誰もがマネできる事ではありません。御了承願います。

 

 

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スバル レックス

2023年01月08日 | クルマネタ

そういやあ、スバルからダイハツロッキーのOEM供給車が登場しましたが、どういうわけか『レックス』の名称が復活しました。過去のモデルとの関連性がまったくないので、単なる使い回しという気がしないでもないですが、商標登録の関係で、新しい車名を考案するのも大変なのかもしれませんねえ。

それでは過去のレックスはどんな車だったか、せっかくなので触れてみましょう。

※1月9日、画像追加あり。


まずは初代。




スバルの軽乗用車は1958年にスバル360でスタート、その後1969年にR-2へバトンタッチし、さらにその後継車として1972年9月、レックスは登場しました。
スバル360やR-2同様に、駆動レイアウトはRR(リヤエンジンリヤドライブ)方式を踏襲しましたが、機能優先だった前身2車と異なり、レックスは画像のとおり若者ウケを狙ったようなアクの強いデザインを身に纏ってました。パワートレーンはR-2同様に直列2気筒の水冷2ストローク(EK34)を搭載。当初は2ドアモデルのみで乗用仕様のほかに貨物登録のバンもラインナップ、翌1973年には利便性の高い4ドアモデルが追加されました。同じく1973年には公害対策でエンジンを4ストローク(EK21)へ変更しました。
その後、1976年には軽自動車の規格変更が行われ、レックスも新規格への対応が行われます。1976年5月、マイナーチェンジでレックス5へ。新規格に合わせて車体のワイド化(全幅拡大)が行われ、エンジンは暫定的に360ccから500cc(EK22)へアップされました。つづいて1977年5月、レックス550へ。この改良では再度エンジンが変更され、規格上限の550cc(EK23)へアップされました。このエンジンは後の3代目前期まで継続されることになります。
モデル末期の1980年、電磁クラッチを用いた2ペダルのオートクラッチ搭載車が登場しました。マニュアルミッションのクラッチ操作を自動化されました。しかし、当時の技術だとどんな乗り味だったんでしょうねえ…。
前述のとおり、軽自動車規格変更の波を受けたこともあり、約9年に渡る長寿モデルとなりました。


つづいては2代目です。




1981年10月、レックスは初のフルモデルチェンジを行い、2代目へ移行しました。
このモデルチェンジではこれまでのRR方式から、時流に乗ってFF方式(フロントエンジンフロントドライブ)に駆動レイアウトを一新、つまり、これまでとは180度真反対のレイアウトとなりました。この変更で車内のパッケージングも改善されました。外観デザインはアクの強かった初代に対して個性は薄まった感がありますが、機能的なデザインになったともいえます。
この世代も5ナンバー乗用仕様と4ナンバー貨物仕様(バン)がラインナップされましたが、前者はレックスの車名で後者はレックスコンビと名付けられました。レックスコンビは初代スズキアルトが火をつけた軽ボンネットバンのブーム(バンが税制面で有利だった)への対応策で、販売の主力となっていきました。ドア枚数は先代同様に3ドアと5ドアでした(コンビは3ドアのみ)。
メカニズム面ではエンジンは先代に積まれてた550ccのEK23をフロントに搭載。また、先代に引き続きオートクラッチも継続されました。その後1983年10月には4WDモデルを追加設定、それと、同年12月にはハイパワーなターボモデルも登場し、高性能化が図られていきました。
1984年9月のマイナーチェンジでヘッドライトを角型に変更し、外観の印象を一新しました。
アルトとミラの牙城を崩すまではいかなかったものの、このモデルも幅広く親しまれ、普及されました。



そして、最後のモデルとなる3代目です。






3代目は1986年11月に登場、全体的にシャープさを増した造形でスタイリッシュに変身しました。
引き続き3ドアと5ドアが用意され、5ナンバー乗用(レックス)と4ナンバー貨物バン(レックスコンビ)の形態も踏襲。メカニズム面ではEK23の改良型を搭載、先代に設定されてたオートクラッチは廃止となり、トルコン式の2速オートマが新たに設定されました。
その後、レックスはメカニズム面の大幅なアップデートが行われていきます。
1987年1月、フルタイム4WD搭載モデルが、同年6月には金属ベルト式無断変速ATのECVT搭載車が登場。
1988年3月、スーパーチャージャー付きのハイパワーモデル登場。
1989年6月、マイナーチェンジが行われ、エンジンが新開発となる直列4気筒のEN05型へ換装。軽自動車の4気筒化への先鞭をつけました。
1990年4月、軽自動車規格変更で、新規格対応のマイナーチェンジが行われました。ここでエンジンは660ccのEN07型へ排気量アップ、このEN07エンジンは改良を重ねながらスバルの自社製軽自動車撤退まで使われていきました。また、外観デザインもやや丸みを帯びてモダンな雰囲気となりました。

そして、1992年3月、後継モデルとなるヴィヴィオの登場でレックスは20年の歴史に幕を閉じました。前述のとおり、3代目レックスはメカニズム面のアップデートが一気に進み、ヴィヴィオやプレオ、ステラなど、後のスバル軽自動車の基礎を作り、橋渡り的な存在となったモデルでした。

しかしながら、まったく違うカタチでレックスの名前が再利用されるなんて、30年前に誰が想像したであろうか…?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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30年前デビューの車から(C34ローレル)

2023年01月05日 | クルマネタ

とっくに正月が終わってしまいましたが、新年明けてから何も更新してませんでした。いまさらながら本年もよろしくおねがいします。

といってもネタがないので、以前撮っておきながらブログにアップしそこねたクルマネタを出題しましょう。

日産ローレルの7代目モデル、C34型です。


日産のアッパーミドルカー、ローレルは今からちょうど30年前の1993年1月に7代目となるC34型に世代交代されました。先代までは小型車規格、すなわち5ナンバーの設計だったのがC34型では完全に3ナンバー専用設計となりました。車体はサッシュレスドアの4ドアハードトップを踏襲するものの、衝突安全性の観点からセンターピラーレス構造からセンターピラー付きとなりました。
このC34型は好評だった先代C33型のイメージを引き継ぎながらも、さらなる高級感ならびに性能アップと先代の欠点だった居住性改善が主な趣旨だったのでしょう。
しかしながら、先代C33型が好評だったゆえに逆に変化を恐れて保守的になってしまい、さらに居住性改善のために前後ピラーの角度を起こしたものの、その割には屋根は低いなど全体的にはチグハグ感が拭えず、なんだか中途半端なモデルチェンジをしてしまったという印象でした。そのためか、新車で発売されてた当時から新鮮味が薄い車でありました。やはり当時でも販売は苦戦気味でした。

その後、1994年9月には大掛かりなマイナーチェンジが行われ、外観デザインを大きく手直し、しかもテールランプ形状変更に伴いリヤフェンダーまで形状を変えるという規模の大きい改良をされましたが、いくらイジくり回しても焼け石に水だったようで…。

ちなみに、この時期の日産はローレルだけでなく、他車でも変化による失敗を恐れてか、守りに入って中途半端なモデルチェンジをした結果商業的に失敗し、後年に大規模な手直しが行われるという事例が結構ありました。あるいは無理に変えなくていいものを無理やり変えて失敗したケースもあったりと…。

さて、今回ピックアップしたC34ローレル、そんなに遠くない過去の話だと思ってたんですが、30年も前のことなんですねえ…。そりゃあ歳をとるわけです。90年代の車も旧車の部類といっても差し支えないので、もっと記録しておかないといけませんねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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