ホキ2500の収納

2013-03-24 | 鉄道模型
ワールド工芸からHO1067(1/87 12㎜)のホキ2500が発売されました。

番号違いでA、B、Cセット5両づつ合計15種類の番号が発売されました。

IMONカプラーHO-205を採用頂いたこともあり「注文通り」じゃないですが私は15両付き合いました。


残念ながら箱は全然失格です。 (普通と言う他ないのですが)

スポンジ(ウレタン)を使っているからです。

ウレタンは短くて3年、せいぜい長くて30年で溶けて車両を痛めます。 


①安全
②持ち運び
③遊び易さ
④収納のコンパクト  を考えてIMONの貨車12両用箱に移し替えます。


ところが、ホキ2500は用意した「ポリウレタン」のどれともサイズが違う上に少しサイズが近そうな『セキ・ホキ』はほぼ売り切れです。

そして、IMONは箱のサプライヤーを変更しつつありますのですぐには手に入りません。

サプライヤーの変更は編成モノの収納をより合理的に実現する為の大改革に取り掛かっているからです。


・・・仕方が無いので自分で作ることにします。


ホキ2500の側面高さはホキ34200よりやや低い様です。


東急ハンズで買ってきました。


これを買ってきました。 ¥504です。 ¥480+税ですね。

実は10mm厚のポリウレタンであればもっと質が良さそうなものも有ったのですがサイズが大きすぎて値段もその分高価な上、使い残りが膨大な量になりそうです。


油性ペンでケガキしました。 細いものが見つからず「中字」ですが、真中を切れば合うように書きました。


ついでですから20両分作りました。


切り出しておいて、


中を切り取っていきます。 (思ったよりも上手く切れません)


もう切れています。


こんな出来上がりでした。


‘おみそ’3両の居場所はホキ34200の‘おみそ’6両と同居です。


12両の本隊の家が出来ました。

↓こんな感じに収まりました。 メデタシメデタシ!



積荷とウェザリングの問題は先送りです。










一番普通のC57135_続々報

2013-03-23 | 鉄道模型
かなり決定的な情報が入って参りました。

当時岩見沢在住だった札幌鉄道模型クラブの石川和郎さんから証拠となる写真を送って頂きました。


47-12.岩見沢にて                          写真;石川和郎


48-02.岩見沢にて                          写真;石川和郎

あきらかに切詰められていない47-12と切詰められている48-02、この間に工事が行われている事がはっきりしたわけです。


一方、松尾彦孝さんから蒸気機関車EXVol.07にC57135の履歴簿の抜粋が掲載されていると言う情報が入りました。


写真;松尾彦孝

この移動の記録に
昭和48年1月20日苗穂工場へ入場(中間検査A)
昭和48年1月26日岩見沢第一機関区へ出場
と言う記録があります。

この「中間検査A」が限りなく怪しい感じです。

また、12-17Dテンダー装備機で北海道末期に存在したのはC57168(開放キャブなので違いそうです)C57177(47年7月廃車;早過ぎます)となるとやはり49年5月15日廃車のC57149のテンダーがそのまま振替えられたというのも確度が高くなってきました。

そしてそれは
昭和49年6月27日苗穂工場へ入場(中間検査A)
昭和49年7月6日岩見沢第一機関区へ出場
の時である可能性が高くなってきた感じがします。

このイカロス出版の「蒸気機関車EX」という雑誌は意外や意外と言っては申し訳ないのですが、非常に内容が濃い良い雑誌です。 ¥2,000と言う値段は安くないしDVDも付録していませんが蒸機ファンは絶対に注目するべき雑誌です。

今回、情報を頂いて大変助かりました。 また色々教えて貰ったことに大感謝です。 石川さん、松尾さんありがとうございました。







一番普通のC57135_続報

2013-03-22 | 鉄道模型
「一番普通」などと言い放つのも少々傲慢ですが、蒸気機関車たるモノ、常に姿形は変化しています。

C57135の履歴として書いたものの抜粋です↓

1969-10-01 岩見沢一(に転入)
1972-05-17 苗穂全検出場、重油併燃取外し、デフ切詰
1974-00-00 テンダーを二次型廃車発生品に振替
1975-10-10 山口百恵&加藤芳郎、室蘭→岩見沢乗車
1975-10-14 山口百恵&加藤芳郎列車NHKで放映
1975-12-14 日本最後の蒸機旅客列車;室蘭本線225レ牽引
1976-03-31 廃車;岩見沢一

友人から情報を頂きました。

「1972年7月時点では重油タンクは外されたものの、標準デフ、標準つかみ棒のまま」
というものです。

と言うことは72年7月時点から74年(のおそらく夏前)テンダーを振替えるまでの何処かの時点でデフの切詰め工事を行って居る様なのです。

と言うのは一次型のテンダーを付けてデフを切詰めた写真(JR苫小牧駅・JR白老駅発行のオレンジカード)があるのです。

ですから

① 重油タンクの撤去(1972-5)
② デフの切詰め
③ テンダーの振替え(1974-6辺りか)

の順番に独立して工事が行われているのです。
ほぼ一年毎に大きく姿を変えた晩年だったわけです。

この間の形態について情報をお持ちの方がいらっしゃれば教えて頂ければ幸いです。

imon@imon.co.jp



一番普通のC57135

2013-03-19 | 鉄道模型
C57135が発売されます。 あさって3月21日です。

C57135の発売は3回目です。

今回のC57135は“普通”のC57135です。

(一回目は“最終日” 二回目は“小樽築港時代”です)

鉄道模型趣味、とれいん、RMモデルズ誌上の広告では“現役時代”というヘッドコピー。

鉄道ファン誌の広告では“百恵ちゃん機関車”と謳ってしまいましたが、・・・・・本当に一番相応しい表現は“普通のC57135”かもしれないと思います。



“現役時代” というのはふざけ過ぎているかもしれません。



“百恵ちゃん機関車” は割合正確な表現です。

なぜなら山口百恵さん&加藤芳郎さんが室蘭本線の客車列車に乗車した時牽いていた姿は基本的には「この姿」のC57135だったのです。

車歴;          三菱重工業神戸造船所=285
1940-05-27 製造 → 配置;高崎
1952-04-10 小樽築港(着04-13)
1952-08-20 重油併燃装置取付け(小樽築港機関区)
1968-10-02 室蘭
1969-10-01 岩見沢一
1972-05-17 苗穂全検出場、重油併燃取外し、デフ切詰
1974-00-00 テンダーを二次型廃車発生品に振替
1975-10-10 山口百恵&加藤芳郎、室蘭→岩見沢乗車
1975-10-14 山口百恵&加藤芳郎列車NHKで放映
1975-12-14 日本最後の蒸機旅客列車;室蘭本線225レ牽引
1976-03-31 廃車;岩見沢一
1976-04-04 保存;東京都須田町「交通博物館」へ出発
2007-10-14 移管保存;埼玉県大宮市「鉄道博物館」

昭和49年5~6月頃、テンダーを二次型の廃車発生品に振替えました。

C57135は普通の機関車だったとも言われます。 (昭和49年5~6月までは)

番号 ; 特徴は無し
キャブ; 密閉改造
デフ ; 切詰
ドーム; 切取(重油タンク搭載の為に切取られたドームは重油タンク撤去後もそのままでした)

という具合です。

その姿は岩見沢では普通のC57でした。

それが昭和49年5~6月頃の‘テンダー振替’で『最悪』の機関車となった!!のです。
・・・・一次型なのに二次型のテンダーを付けられている・・・・

岩見沢で最悪のゲロゲロ機関車・・・

この模型は、「そんな機関車」の模型です。

普通の機関車などと言ったら普通の機関車が怒ります。




昭和50年10月10日NHKの番組取材で山口百恵と加藤芳郎を乗せて走り、10月14日その番組は放送されました。

その時から 『百恵ちゃん機関車』 『百恵ちゃんSL』 『百恵ちゃん号』などなどと呼ばれいちやく別の意味で“普通ではない機関車”となってしまいました。

最終蒸機旅客列車牽引機は他の機関車(C5757)を予定していたと言われます。

理由は一説には

* この機関車だけ番号に面白味があった (五と七は日本人が大好きな数字です)

* デフが切詰められていない唯一のC57であった (せめてC57っぽい顔の機関車を!)

事、などがあげられています。


室蘭~岩見沢の室蘭本線の旅客列車は“日本最後の現役蒸機旅客列車”です。

ですからNHKは山口百恵を乗せて特別番組を制作したのです。

その“日本最後の蒸機旅客列車”がいよいよ無くなるという時のサヨナラ列車に二か月前のNHK特番で山口百恵が乗った有名機関車“モモエちゃん号”を無視することは出来ませんでした。

結果的にC57135が『最終牽引機』の栄誉に輝き、更に現在の“保存”に繋ったのです。



C57135は・・・

普通のC57135は・・・
                   ゲロゲロ! 岩見沢で最悪の不細工な機関車です。

でも、私は割合好きです。

C57は戦前に設計されました。
戦前型プレート(大きくて形式C57と表記されたもの)を付ける前提で設計されています。

戦後、日本が一層貧しくなったのか機関車というものに対する思い入れが下がったのかナンバープレートだけが小さな、簡単なものに変更されてしまいました。

すると、
C57に於いてはデフが異様に大きく、ボイラーの細い所も強調され過ぎて、情けないくらいにバランスの崩れた貧相な機関車になってしまいました。

(まあ、少し、少しだけ、言いすぎて居るかもしれません)

日本が敗戦から立ち直りつつある時期;昭和20年台終盤から採用された“切取デフ”(所謂‘門デフ’)はそんなC57にとっては「救いの神」だと思います。

そして、私が全然意識していなかった存在“切詰デフ”も意外に同様な効果を持っているのです。

(九州=カマを撮るところ、北海道=煙を撮るところだからです)

デフのボリュームを減らしたことはボイラーとのバランスを取り戻し、前側を切詰めた事によって充分後方に在る煙室とのバランスが良い感じの位置関係になっています。

(似ているようで居て全然異質なC55には切詰デフは似合わなそうだと思います・・・・意外に似合うかも?でも無くて幸いでした・・・・ボイラーが断然太く見えるC55には普通の普通デフも‘悪くない’からです)



精悍な駿馬 C57135

幸運の塊 C57135

恐るべき動力性能を備えたIMONのC57を、最高に幸運な機関車C57135でお手元に如何でしょうか。