明日6月20日、C5772が発売されます。
C57の中でC5772は“とびきり”の1台です。
形式入りプレートと門デフの組み合わせはそう何台も居ません。 まさに鹿児島機関区珠玉の一台です。
門デフ「K-7形」は切取デフの完成形ですが、ライトパシフィックの完成形はC57です。
時代が更に行ってしまうとC57も四次型になり、切取デフも「K-9」となって万人がその形態に諸手を挙げるスタイルと言えなくなってしまいます。
(しかも性能的に同一のままです)
逆にC55を好む人も居るかと思います。
私は「K-7」はC55に対して近代的過ぎると思います。
8620形やD60など、少し古典的な機関車に近代的な門デフが付いた“味わい”が加わって来る感じがします。
「古典機にちょっと違和感ある近代装備の組み合わせ」の「味わい」です。
「美しい!」と単純に言う気にはなれません。
だから私には「K-7」は断然C57です。
以前にも申しましたが「形式入りプレート」を失ったC57標準デフは美しくないです。
それに対してC55は形式入りではなく標準デフでも、C57の様にがっかりしません。
それは別の言い方をすれば「C57に関して」は“門デフの値打ちが高い”と思います。
C5772の話に戻ります。
C5772 車歴; 川崎重工兵庫工場=1973
1938-09-05 製造→配属[達722];東京局
1945-04-01 現在;水戸
1949-06-14 館山
1949-09-00 千葉
1954-10-24 宇都宮
1955-01-14 借入;熊本 (九州入り)
1955-03-19 門司港
1955-04-00 鳥栖
1957-09-00 鹿児島 (1970-07-31 最後の全検)
1971-11-00 C5721より切取式除煙板K-7型を譲受装備
1974-04-26 休車
1974-05-16 廃車上申
1974-06-12 廃車[工車203];鹿児島
経歴をみると意外にも関東を彼方此方経験しているカマなんですね。
テンダーの“石炭前寄せ囲い”の前後長が長い姿のまま最後を迎えた珍しいカマです。
九州の蒸汽機関車は“石炭前寄せ囲い”を付けています。
一見“囲い”が無い様に見えるカマでも上から見下ろした写真で見ると必ず石炭庫に前後を真ん中で仕切る“石炭前寄せ仕切”が有ります。
炭庫側面より上に出ない石炭前寄せ仕切は他の地方でも見られます。
例えばC57113を例に取ると、炭庫の中に仕切があって、不用意に後に石炭が行ってしまい、助士が頻繁にテンダーに登って“前寄せ”をしなくて済む様になっています。
おそらくC57113は47年10月豊岡から転属してきた時既に炭庫の中に仕切があり、残り1年半のためにわざわざ木材で仕切を組み上げる手間を掛ける事無しに宮崎で使い続けたのだと思います。
この様な事が他にも有ったと想像します。
(たまたま前寄せ仕切を組むための木材が手元に足りなかった事も重なったかもしれません)
さて、
木材を組み上げて石炭前寄せ仕切を組み上げるのが九州の「おきまり」ですが、初期はテンダー全幅程度の長さで「前寄せ」を組み上げていたモノが、70年頃以降「前後幅が小さい前寄せ仕切」に組み直されて行きました。
↑C5772の石炭前寄せ囲い
↑C5765の石炭前寄せ囲い(古い時代は72同様前後に長い囲いだった)
(想像される理由は「石炭を高い山に積める=石炭積載量を維持する」前寄せより「石炭掻き取り口からどんどん掬える=“前前”寄せ」に進展したのだと思います)
このC5772はその仕切組み直しをしなかった「例外的な一台」なのです。
(前寄せ囲いの後方にも石炭は積んでOKです。 溢れた石炭は途中駅で前寄せ囲いの中にスコップで移動すればよいのです)
C5772 それは助士席側の“前部暖房管”が無いすっきりした機関車なのです。
門デフC57が好きな仲間内ではどの機関車がナンバーワンか?という話題が盛り上がります。 C5721も「有る」と思いますが、C5772の方がずっと後まで(全検一回分も)残って居たので馴染みが強い方が多い機関車だと思います。
門デフで形式入という事が大変貴重ですが、これら鹿児島の機関車達は助士席側ランボード外側を前端まで走る「前部暖房管」が無いということも重要な要素です。
日豊本線延岡方向から南宮崎まで客車を牽引し、南宮崎から逆向きに宮崎まで牽引する日豊本線南側の定番パターンの仕業に就かなくて済んだ機関車なのです。
九州の機関車は多くがランボードに白線を入れていました。
しかしまた九州の機関車(特に旅客機)は前部暖房管装備機も断然多数派でした。
前部暖房管があると助士席側は白線が殆ど隠れてしまいます。
白線はむしろ美しくない前部暖房管を目立たせるモノだったのです。
宮崎、吉松両機関区最後の何年かはランボードの白線は「磨かない」「入れない」「塗りつぶす」方向へ行きました。
鹿児島のC5772は前部暖房管がない為にランボード白線が生きる。 それ故に白線が「入れられた」カマだったのです。
形式プレートを持つ貴重な機関車であるだけでなく、ランボードがすっきりしていて白線も入って居た機関車なのです。
C5772のマイナス点を言うならば「門デフ改造された」機関車ではなく、お下がりを貰ったカマだったのです。
また、K-7’形と言って良いかと思う“変わったデフ”なのです。
昭和46年11月2日肥薩線栗野~大隅横川間の坂元踏切で大型トラックと衝突、デフを破損したために同年10月20日廃車になったC5721のK-7門デフを譲り受けたのです。
C5721 1971-10-20 廃車[工車1215];鹿児島
(施工は鹿児島工場だと想像します)
そのC5721の門デフもC5524のお下がりなのです。
C5524(流改)はこんなカマでした。
1955-10-01 (名古屋より)大分転属。 のち小倉工場にて切取式除煙板「K-7型」装備;大分
1960-08-00 若松
1963-06-20 吉松
1966-02-19 人吉
1966-12-19 休車
1967-10-01 限廃車[西部支社22];人吉
一回目のデフ移植も鹿児島だと思われます。
C5772のデフはデフ下支えアングル前側途中から真上に伸びる細い帯状の支柱が特徴です。
http://www.t3.rim.or.jp/~boogie/yosimatu2.htm
そしてこれはパイプではなく帯板による第3の支柱なのです。 (詳細に判る写真が有りますがまだ非公開です)
(もしかしたらK-7’と呼ぶべきか?)
この支柱はC5524時代には見られません。 C5721時代から確認できます。
また、もともとC55のデフだから?なのか煙室から伸びる支えがデフ側で大きく広がる少し古典的な味付けのある形をして居ます。
C5772の形式入プレートは昭和48年前半に盗難に遭い、テンダーのプレートを前面に即席で取付け、テンダーにはベニヤペンキ書きのプレートを付けて最後の1年を過ごしました。
『日豊本線南側の最後の1年』
この時期には蒸機による最後のお召し列車があり、1211レ急行〔日南3号〕が蒸機牽引になり、8541レ8542レという臨時列車のスジでオールグリーンやオールA寝台編成による団臨等が頻繁に運転され、人吉からK-7や長工デフの新顔も加わって実に華やいだ1年だったのです。
(C5772にとっては『暗転』の1年だったと言えるのではないでしょうか)
鹿児島区のC5739は宮崎に貸し出し中と思われ、通常の宮崎の運用に入って1211レ牽引も多かったです。
C57127は余り活躍しなかったです。 (調子が悪かったのかもしれません)
C5772とC57175は8541/8542レという団臨牽引に活躍しました。
しかし、8542レでやってきたC57175は帰区にあたって所定の運用に従わず都城までは1211レを牽いて帰る事が多かったです。
そんな撮影者も多い時期に盗難によって外観を落として居たのは可哀相でした。
しかし、模型の世界では“とびきり”の機関車『鹿児島の珠玉の一台』として蘇らせました。
C57の中でC5772は“とびきり”の1台です。
形式入りプレートと門デフの組み合わせはそう何台も居ません。 まさに鹿児島機関区珠玉の一台です。
門デフ「K-7形」は切取デフの完成形ですが、ライトパシフィックの完成形はC57です。
時代が更に行ってしまうとC57も四次型になり、切取デフも「K-9」となって万人がその形態に諸手を挙げるスタイルと言えなくなってしまいます。
(しかも性能的に同一のままです)
逆にC55を好む人も居るかと思います。
私は「K-7」はC55に対して近代的過ぎると思います。
8620形やD60など、少し古典的な機関車に近代的な門デフが付いた“味わい”が加わって来る感じがします。
「古典機にちょっと違和感ある近代装備の組み合わせ」の「味わい」です。
「美しい!」と単純に言う気にはなれません。
だから私には「K-7」は断然C57です。
以前にも申しましたが「形式入りプレート」を失ったC57標準デフは美しくないです。
それに対してC55は形式入りではなく標準デフでも、C57の様にがっかりしません。
それは別の言い方をすれば「C57に関して」は“門デフの値打ちが高い”と思います。
C5772の話に戻ります。
C5772 車歴; 川崎重工兵庫工場=1973
1938-09-05 製造→配属[達722];東京局
1945-04-01 現在;水戸
1949-06-14 館山
1949-09-00 千葉
1954-10-24 宇都宮
1955-01-14 借入;熊本 (九州入り)
1955-03-19 門司港
1955-04-00 鳥栖
1957-09-00 鹿児島 (1970-07-31 最後の全検)
1971-11-00 C5721より切取式除煙板K-7型を譲受装備
1974-04-26 休車
1974-05-16 廃車上申
1974-06-12 廃車[工車203];鹿児島
経歴をみると意外にも関東を彼方此方経験しているカマなんですね。
テンダーの“石炭前寄せ囲い”の前後長が長い姿のまま最後を迎えた珍しいカマです。
九州の蒸汽機関車は“石炭前寄せ囲い”を付けています。
一見“囲い”が無い様に見えるカマでも上から見下ろした写真で見ると必ず石炭庫に前後を真ん中で仕切る“石炭前寄せ仕切”が有ります。
炭庫側面より上に出ない石炭前寄せ仕切は他の地方でも見られます。
例えばC57113を例に取ると、炭庫の中に仕切があって、不用意に後に石炭が行ってしまい、助士が頻繁にテンダーに登って“前寄せ”をしなくて済む様になっています。
おそらくC57113は47年10月豊岡から転属してきた時既に炭庫の中に仕切があり、残り1年半のためにわざわざ木材で仕切を組み上げる手間を掛ける事無しに宮崎で使い続けたのだと思います。
この様な事が他にも有ったと想像します。
(たまたま前寄せ仕切を組むための木材が手元に足りなかった事も重なったかもしれません)
さて、
木材を組み上げて石炭前寄せ仕切を組み上げるのが九州の「おきまり」ですが、初期はテンダー全幅程度の長さで「前寄せ」を組み上げていたモノが、70年頃以降「前後幅が小さい前寄せ仕切」に組み直されて行きました。
↑C5772の石炭前寄せ囲い
↑C5765の石炭前寄せ囲い(古い時代は72同様前後に長い囲いだった)
(想像される理由は「石炭を高い山に積める=石炭積載量を維持する」前寄せより「石炭掻き取り口からどんどん掬える=“前前”寄せ」に進展したのだと思います)
このC5772はその仕切組み直しをしなかった「例外的な一台」なのです。
(前寄せ囲いの後方にも石炭は積んでOKです。 溢れた石炭は途中駅で前寄せ囲いの中にスコップで移動すればよいのです)
C5772 それは助士席側の“前部暖房管”が無いすっきりした機関車なのです。
門デフC57が好きな仲間内ではどの機関車がナンバーワンか?という話題が盛り上がります。 C5721も「有る」と思いますが、C5772の方がずっと後まで(全検一回分も)残って居たので馴染みが強い方が多い機関車だと思います。
門デフで形式入という事が大変貴重ですが、これら鹿児島の機関車達は助士席側ランボード外側を前端まで走る「前部暖房管」が無いということも重要な要素です。
日豊本線延岡方向から南宮崎まで客車を牽引し、南宮崎から逆向きに宮崎まで牽引する日豊本線南側の定番パターンの仕業に就かなくて済んだ機関車なのです。
九州の機関車は多くがランボードに白線を入れていました。
しかしまた九州の機関車(特に旅客機)は前部暖房管装備機も断然多数派でした。
前部暖房管があると助士席側は白線が殆ど隠れてしまいます。
白線はむしろ美しくない前部暖房管を目立たせるモノだったのです。
宮崎、吉松両機関区最後の何年かはランボードの白線は「磨かない」「入れない」「塗りつぶす」方向へ行きました。
鹿児島のC5772は前部暖房管がない為にランボード白線が生きる。 それ故に白線が「入れられた」カマだったのです。
形式プレートを持つ貴重な機関車であるだけでなく、ランボードがすっきりしていて白線も入って居た機関車なのです。
C5772のマイナス点を言うならば「門デフ改造された」機関車ではなく、お下がりを貰ったカマだったのです。
また、K-7’形と言って良いかと思う“変わったデフ”なのです。
昭和46年11月2日肥薩線栗野~大隅横川間の坂元踏切で大型トラックと衝突、デフを破損したために同年10月20日廃車になったC5721のK-7門デフを譲り受けたのです。
C5721 1971-10-20 廃車[工車1215];鹿児島
(施工は鹿児島工場だと想像します)
そのC5721の門デフもC5524のお下がりなのです。
C5524(流改)はこんなカマでした。
1955-10-01 (名古屋より)大分転属。 のち小倉工場にて切取式除煙板「K-7型」装備;大分
1960-08-00 若松
1963-06-20 吉松
1966-02-19 人吉
1966-12-19 休車
1967-10-01 限廃車[西部支社22];人吉
一回目のデフ移植も鹿児島だと思われます。
C5772のデフはデフ下支えアングル前側途中から真上に伸びる細い帯状の支柱が特徴です。
http://www.t3.rim.or.jp/~boogie/yosimatu2.htm
そしてこれはパイプではなく帯板による第3の支柱なのです。 (詳細に判る写真が有りますがまだ非公開です)
(もしかしたらK-7’と呼ぶべきか?)
この支柱はC5524時代には見られません。 C5721時代から確認できます。
また、もともとC55のデフだから?なのか煙室から伸びる支えがデフ側で大きく広がる少し古典的な味付けのある形をして居ます。
C5772の形式入プレートは昭和48年前半に盗難に遭い、テンダーのプレートを前面に即席で取付け、テンダーにはベニヤペンキ書きのプレートを付けて最後の1年を過ごしました。
『日豊本線南側の最後の1年』
この時期には蒸機による最後のお召し列車があり、1211レ急行〔日南3号〕が蒸機牽引になり、8541レ8542レという臨時列車のスジでオールグリーンやオールA寝台編成による団臨等が頻繁に運転され、人吉からK-7や長工デフの新顔も加わって実に華やいだ1年だったのです。
(C5772にとっては『暗転』の1年だったと言えるのではないでしょうか)
鹿児島区のC5739は宮崎に貸し出し中と思われ、通常の宮崎の運用に入って1211レ牽引も多かったです。
C57127は余り活躍しなかったです。 (調子が悪かったのかもしれません)
C5772とC57175は8541/8542レという団臨牽引に活躍しました。
しかし、8542レでやってきたC57175は帰区にあたって所定の運用に従わず都城までは1211レを牽いて帰る事が多かったです。
そんな撮影者も多い時期に盗難によって外観を落として居たのは可哀相でした。
しかし、模型の世界では“とびきり”の機関車『鹿児島の珠玉の一台』として蘇らせました。