大井町マンションラッシュ

2012-06-26 | ノンジャンル
釜石に割り込みついでにもうひとつ割り込みます。


大井町という所、駅の東側の北側に“高台”があり、東西南北全ての方向に向かって下り坂になっています。

住居としても、商業地としても高台の上が断然よいのですが、最近其処に相次いで高級マンションが分譲されました。


野村不動産のプラウド大井ゼームス坂

http://www.proud-web.jp/p-oimachi/top.html


三菱地所のパークハウス大井町

http://www.mecsumai.com/tph-oimachi3/

そして、↑この写真にも見えている住友不動産の超高層マンション



http://new.realestate.yahoo.co.jp/mansion/03/dtl/00073285/?sc_out=mikle-mansion-board2-e

マンション林立は以前からそうだったのですが、高級マンションの進出でますますマンション集積街になりつつあります。

大井町はいい街ですよ。 鉄道模型屋が有るんですから!





鉄研三田会写真展

2012-06-24 | 国鉄時代
釜石の途中ですが割り込みいたします。

鉄研三田会による

http://krc.gr.jp/

第21回写真展が開催されています。

http://www.sha-bunkyo.or.jp/gallery/port.html


昨日行って参りました。


昨日は懇親会があるのでこの状態でした。


写真展どころか既に懇親会が始まっています。


懇親会会場に皆様が移動した隙に急いで観ます。 大御所による見たことがない写真のオンパレードは相変わらず健在(磨きが掛ってきているかも)です。


乾杯前の挨拶をする先々代会長斎藤晃さん。

懇親会では先日の総会で鉄研三田会会長が高井薫平さんから伊藤正光さんに引き継がれた事が報告されました。

大御所であっても皆様「鉄」です。
「鉄人」の皆様の歳を感じさせないパワフル振りにやはりびっくりしました。

私はこの日この後、こんな日だというのに‘たぬき’に拉致されてしまいました。 (後日ご報告?)





たぬきから釜石へ

2012-06-21 | 今鉄
先週の金曜日のたぬきです。

日が長いので踏切へ行きました。

3月の改正以来【北斗星】は東十条では京浜東北と被る可能性が絶大になってしまったので西側から狙える王子寄りの踏切は嬉しいです。

京浜東北と湘南新宿ラインが並走で来ました。 「ズーム流し」の「お題」が来たみたいです。

2770Eは平塚発籠原行き快速、赤羽19:09です。

赤羽19:09発4010M【あかぎ10号】 (露払い赤羽19:08着4001M【あかぎ1号】は被りました) 

【北斗星】の時間が近づいてきました。

【北斗星】見えた!と思った瞬間後方から轟音!

貨物が来ました。 もうダメです。

パニクっています。 でも貨物列車は短かそうで撮れるかもしれません。

間にあった。 と言えるでしょうか・・・・ 動揺は隠せません。

今年、リベンジのチャンスがあるかどうか・・・・

いつもは被る東十条19:13発1748A大宮行京浜東北線と並走して行きました。

今日はホームは被らなかったですね。

たぬき前に着きました。

まだ明るいからなのかネオンに灯が入っていません。

牛肉のみぞれ焼 ¥580

ツブ貝、冷しゃぶ、1本60円の串カツ、山盛りポテトが見えます。

例によってアジの刺身、マグロブツで始まった今日の宴会、ピッチが速いです。 理由は早々失礼して仙台に向かうからです。

【あけぼの】・・・いつもの通りダメです。 時に21:24、定時です。

大木茂さんの指導通り機関車を画面中央に持って来て前方をトリミングで棄て無ければ前面を止められないのにいつもの通りのアングルになって約束通り前面流れです。

それも、いつもより悪い・・・

あれっ・・・たぬきのネオンはまだ点いていません。 点け忘れだったんですね。

電車はいつも【あけぼの】と併走する国府津発籠原行き快速2800E(赤羽21:26着)です。

 私は21:26の1914B南浦和行に乗ります。

東十条21:26→21:29赤羽21:35―[3947M通勤快速高崎行]→21:50大宮22:01―【はやぶさ5号】→23:12仙台

この日は 赤羽21:30―[3553M通勤快速宇都宮行]→21:45大宮 に乗れてしまいました。

灯りが消えて寂しくなった大宮駅に入線する【はやぶさ5号】

超ガラガラのグランクラスに乗りました。 (グランクラスアテンダント撮影)


仙台に到着です。

ダイヤ改正前と到着する番線が違っていますね。


今日は奥井宅へ早く入り、一杯飲んで寝るつもり・・・23:34、踏切が閉まってもしや【北斗星】!?

【北斗星】は仙台23:28着23:30発です。 今日はダイヤが乱れているようです。

奥井宅で踏切の音、覗いてみると【北斗星】です。 23:46ですから20分少々遅れているようです。

機関車はEF510-515、今日二度目の撮影です。 今日中にリベンジのチャンスか巡ってきました!!

でもまあ酔っ払いの「お遊び」ですね。

電源車の機械室も煌々と室内灯が点いています。

夜中なのに室内が煌々と見える車両が多く「カーテン閉めて真っ暗」では無いイメージでした。 (空いているからか?)

【北斗星】は車内が見える“ヒルネ”で模型化するつもりですが「これで良いんだ」と心強く思いました。






急行、乗り継げず!

2012-06-21 | ノンジャンル
昨夜法事があり大井町から「センター北」へ電車に乗りました。


選んだのはこの行き方です。

始発〔大井町線急行〕溝の口乗り換え〔田園都市線急行〕あざみ野乗り換え〔横浜市営地下鉄〕です。

大岡山、日吉乗り換えが第一候補でしたが条件はほぼ互角だったのです。


大井町から6000系先頭にかぶりつきです。


尾山台付近走行中 狭軌1067mmの狭さが凄く感じられます。


標準軌1435mmゲージの例はこんな感じです。 車両に対して此処まで広いのです。


さて、電車は二子多摩川に到着、発車しましたが田園都市線急行の姿が有りません。

定時で走って居ると思われますが????? 隣の田都は桜新町で待避した各停です。


溝の口接近。

狭軌って狭いですね・・じゃなくて左隣に見えているのが“excite”で検索した田園都市線の急行です。

溝の口停車寸前ドアを閉めて発車していきました。

(遅れている様子は無く、そうした案内もお詫びももちろん無いです)

多くは語りませんが、東急ってどうかしているんじゃないでしょうか。






C5772[鹿]明日発売

2012-06-19 | 鉄道模型
明日6月20日、C5772が発売されます。



C57の中でC5772は“とびきり”の1台です。

形式入りプレートと門デフの組み合わせはそう何台も居ません。 まさに鹿児島機関区珠玉の一台です。

門デフ「K-7形」は切取デフの完成形ですが、ライトパシフィックの完成形はC57です。

時代が更に行ってしまうとC57も四次型になり、切取デフも「K-9」となって万人がその形態に諸手を挙げるスタイルと言えなくなってしまいます。
(しかも性能的に同一のままです)

逆にC55を好む人も居るかと思います。

私は「K-7」はC55に対して近代的過ぎると思います。

8620形やD60など、少し古典的な機関車に近代的な門デフが付いた“味わい”が加わって来る感じがします。
「古典機にちょっと違和感ある近代装備の組み合わせ」の「味わい」です。
「美しい!」と単純に言う気にはなれません。

だから私には「K-7」は断然C57です。



以前にも申しましたが「形式入りプレート」を失ったC57標準デフは美しくないです。

それに対してC55は形式入りではなく標準デフでも、C57の様にがっかりしません。

それは別の言い方をすれば「C57に関して」は“門デフの値打ちが高い”と思います。



C5772の話に戻ります。

C5772 車歴;        川崎重工兵庫工場=1973
          
1938-09-05 製造→配属[達722];東京局
1945-04-01 現在;水戸
1949-06-14 館山
1949-09-00 千葉
1954-10-24 宇都宮
1955-01-14 借入;熊本 (九州入り)
1955-03-19 門司港
1955-04-00 鳥栖
1957-09-00 鹿児島 (1970-07-31 最後の全検)
1971-11-00 C5721より切取式除煙板K-7型を譲受装備
1974-04-26 休車
1974-05-16 廃車上申
1974-06-12 廃車[工車203];鹿児島

経歴をみると意外にも関東を彼方此方経験しているカマなんですね。


テンダーの“石炭前寄せ囲い”の前後長が長い姿のまま最後を迎えた珍しいカマです。

九州の蒸汽機関車は“石炭前寄せ囲い”を付けています。

一見“囲い”が無い様に見えるカマでも上から見下ろした写真で見ると必ず石炭庫に前後を真ん中で仕切る“石炭前寄せ仕切”が有ります。

炭庫側面より上に出ない石炭前寄せ仕切は他の地方でも見られます。

例えばC57113を例に取ると、炭庫の中に仕切があって、不用意に後に石炭が行ってしまい、助士が頻繁にテンダーに登って“前寄せ”をしなくて済む様になっています。

おそらくC57113は47年10月豊岡から転属してきた時既に炭庫の中に仕切があり、残り1年半のためにわざわざ木材で仕切を組み上げる手間を掛ける事無しに宮崎で使い続けたのだと思います。

この様な事が他にも有ったと想像します。

(たまたま前寄せ仕切を組むための木材が手元に足りなかった事も重なったかもしれません)

さて、
木材を組み上げて石炭前寄せ仕切を組み上げるのが九州の「おきまり」ですが、初期はテンダー全幅程度の長さで「前寄せ」を組み上げていたモノが、70年頃以降「前後幅が小さい前寄せ仕切」に組み直されて行きました。


                 ↑C5772の石炭前寄せ囲い


↑C5765の石炭前寄せ囲い(古い時代は72同様前後に長い囲いだった)

(想像される理由は「石炭を高い山に積める=石炭積載量を維持する」前寄せより「石炭掻き取り口からどんどん掬える=“前前”寄せ」に進展したのだと思います)

このC5772はその仕切組み直しをしなかった「例外的な一台」なのです。

(前寄せ囲いの後方にも石炭は積んでOKです。 溢れた石炭は途中駅で前寄せ囲いの中にスコップで移動すればよいのです)



C5772 それは助士席側の“前部暖房管”が無いすっきりした機関車なのです。

門デフC57が好きな仲間内ではどの機関車がナンバーワンか?という話題が盛り上がります。 C5721も「有る」と思いますが、C5772の方がずっと後まで(全検一回分も)残って居たので馴染みが強い方が多い機関車だと思います。

門デフで形式入という事が大変貴重ですが、これら鹿児島の機関車達は助士席側ランボード外側を前端まで走る「前部暖房管」が無いということも重要な要素です。

日豊本線延岡方向から南宮崎まで客車を牽引し、南宮崎から逆向きに宮崎まで牽引する日豊本線南側の定番パターンの仕業に就かなくて済んだ機関車なのです。

九州の機関車は多くがランボードに白線を入れていました。

しかしまた九州の機関車(特に旅客機)は前部暖房管装備機も断然多数派でした。

前部暖房管があると助士席側は白線が殆ど隠れてしまいます。

白線はむしろ美しくない前部暖房管を目立たせるモノだったのです。

宮崎、吉松両機関区最後の何年かはランボードの白線は「磨かない」「入れない」「塗りつぶす」方向へ行きました。

鹿児島のC5772は前部暖房管がない為にランボード白線が生きる。 それ故に白線が「入れられた」カマだったのです。

形式プレートを持つ貴重な機関車であるだけでなく、ランボードがすっきりしていて白線も入って居た機関車なのです。



C5772のマイナス点を言うならば「門デフ改造された」機関車ではなく、お下がりを貰ったカマだったのです。

また、K-7’形と言って良いかと思う“変わったデフ”なのです。

昭和46年11月2日肥薩線栗野~大隅横川間の坂元踏切で大型トラックと衝突、デフを破損したために同年10月20日廃車になったC5721のK-7門デフを譲り受けたのです。

C5721 1971-10-20 廃車[工車1215];鹿児島

(施工は鹿児島工場だと想像します)

そのC5721の門デフもC5524のお下がりなのです。

C5524(流改)はこんなカマでした。

1955-10-01 (名古屋より)大分転属。 のち小倉工場にて切取式除煙板「K-7型」装備;大分
1960-08-00 若松
1963-06-20 吉松
1966-02-19 人吉
1966-12-19 休車
1967-10-01 限廃車[西部支社22];人吉

一回目のデフ移植も鹿児島だと思われます。

C5772のデフはデフ下支えアングル前側途中から真上に伸びる細い帯状の支柱が特徴です。

http://www.t3.rim.or.jp/~boogie/yosimatu2.htm

そしてこれはパイプではなく帯板による第3の支柱なのです。 (詳細に判る写真が有りますがまだ非公開です)

(もしかしたらK-7’と呼ぶべきか?)

この支柱はC5524時代には見られません。 C5721時代から確認できます。


また、もともとC55のデフだから?なのか煙室から伸びる支えがデフ側で大きく広がる少し古典的な味付けのある形をして居ます。




C5772の形式入プレートは昭和48年前半に盗難に遭い、テンダーのプレートを前面に即席で取付け、テンダーにはベニヤペンキ書きのプレートを付けて最後の1年を過ごしました。

『日豊本線南側の最後の1年』

この時期には蒸機による最後のお召し列車があり、1211レ急行〔日南3号〕が蒸機牽引になり、8541レ8542レという臨時列車のスジでオールグリーンやオールA寝台編成による団臨等が頻繁に運転され、人吉からK-7や長工デフの新顔も加わって実に華やいだ1年だったのです。
(C5772にとっては『暗転』の1年だったと言えるのではないでしょうか)

鹿児島区のC5739は宮崎に貸し出し中と思われ、通常の宮崎の運用に入って1211レ牽引も多かったです。

C57127は余り活躍しなかったです。 (調子が悪かったのかもしれません)

C5772とC57175は8541/8542レという団臨牽引に活躍しました。

しかし、8542レでやってきたC57175は帰区にあたって所定の運用に従わず都城までは1211レを牽いて帰る事が多かったです。



そんな撮影者も多い時期に盗難によって外観を落として居たのは可哀相でした。



しかし、模型の世界では“とびきり”の機関車『鹿児島の珠玉の一台』として蘇らせました。