BR59

2012-04-20 | 鉄道模型
BR59(トイツ式の形式の表記、59形という意味)の模型を買ってしまいました。

動輪6軸が並んでいる姿を見て思わず買ってしまいました。 (委託品です)2万円です。
この箱の中は黄色いウレタンです。


ウレタンはオリジナルではなく、滅びてしまったあと薄いウレタンを詰めて機関車を入れていると言う感じです。

ウレタンは100%溶けてしまい模型を冒す可能性が有るのでIMONの紙箱(左側)に移します。


ところでメーカーは“ロコモデル”だはなく“モデルロコ”です。


調べてみるとイギリスの会社のようです。


端面側のラベルです。 ボールペンでメモされていますが何を意味するのか判りません。

OO(4mmスケール=約1/76でHOの線路を借用する・・・日本の1/80と似た立場です)が主流のイギリスらしく“HO”表記が大きいです。


BR59はどんな機関車なのか? ネットに打ち込んでみたらこんなモノが出てきました。

篠原正瑛さんの“全盛時代のドイツ蒸気機関車”にも出てこないし・・・

ゼメリングの機関車じゃないかと言われたので調べてみると、確かにこの機関車らしき姿が見つかります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E9%89%84%E9%81%93

http://www.marklinfan.net/br_59_drg.htm

http://en.wikipedia.org/wiki/W%C3%BCrttemberg_K

http://www.modellbau-wiki.de/wiki/BR_59

ヴュルテンベルク州立鉄道(KWSt.E.)の“K”クラスだったものが6軸動輪が良くてゼメリングの山越えに使われる様になった。 しかし最初16tだった軸重制限がもっと大きな軸重になってくると新しい5軸の標準貨物機に職を奪われる様になった。
と解釈しておくことにします。

ヴュルテンベルク;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF


ラベルもこんなモノを作って貼っておきます。


さて、緑/赤なんですね。 ダイキャスト製らしく重くて頑丈な感じです。


テンダードライブです。


煙室扉開閉可能というギミックが用意されています。 煙突はダイキャストですからこんな作りです。

細かいパーツは別付けで、煙室扉のハンドルが取れてしまったので接着しておきます。


あれっ、排障器が曲がって剥げています。 (此処はブラスですね)


テンダー後側のランプも曲がっています。

実は気が付いていませんでしたが震災被災車両なのかも知れません。


バックプレート(塗料が全部にまで回っていません)がはずれて箱の中に入れてありました。


バックプレートがない状態の眺めです。


同時に購入した“18”の塗装をするときに黒を吹き付けて、ドライブラシ作業をやってから取り付けました。

この機関車はテンダー永久連結です。


簡単な修復作業を終えて写真に撮っておきます。


主要部はダイキャストですがなかなか良い感じです。


ダイキャストでこんなキュウロクを作るのも有りかなと思ってしまいます。


テンダードライブもゴムタイヤ付きですから牽引力は無茶苦茶です。


まあこんな模型ですが所有形式が1つ増えました。

(いやいやなかなか佳いです)





C5765[宮]明日発売です。

2012-04-19 | 鉄道模型
明日4月20日友引、C5765が発売されます。

南九州のライトパシフィックの写真集より前に模型が発売になってしまうのは忸怩たるモノが有りますが、良いものを作る為には妥協を許すわけには行かないと考えています。

これは3月末の試作品の姿です。

発売されるC5765とは違うところ(例えば区名札やシンガーフィニッシュの仕上がり状況)もあります。

現在まだ全力を挙げて工作中だと思われますので真の姿は私にも見えていないのです。

IMON蒸機は手作りで仕上げて販売する製品として限界に近い「工作」が行われますので、これからは「毎月」ではなく「隔月」程度の発売にして行かざるを得ない様です。

C5765とはいかなる機関車でしょうか。

車歴;                      川崎重工兵庫工場製 製造番号1964
1938-08-19 製造→配属[達673]大阪局 配置;大阪局
1942-09-30 現在;宮原
1945-04-01 現在;門司港
1953-03-10 小倉工場にて切取式除煙板K-5型装備
1953-07-01 現在;門司港
1958-03-00 大分転配
1968-10-01 宮崎転配
1970-05-20 全検
1974-04-20 休車(1974-04-24 南宮崎電化、大分区のDF50宮崎転配で日豊本線鹿児島までほぼ無煙化)
1974-05-09 廃車上申 1974-06-20 廃車[工車204];宮崎(廃車後C12241 を保存のおりデフレクター譲渡)

C5765は宮崎の「華」です。

「華」は宮崎に沢山咲き誇っていたのは事実ですが、歴史から考えても宮崎を代表する「華中の華」はC5765(元かもめ牽引機)とC57117(最後の蒸機お召し機関車)の2両です。

しかし、最後の最後、宮崎は真に投げやりな最後を迎えます。

1974-3-31 最後の蒸機急行〔日南3号〕蒸機最終日はC5741(半年前に浜田から転属)

1974-4-24 南延岡→南宮崎さよなら列車はC57169+C57130(一年前に人吉から転属)

これにて宮崎区のC57は全機廃車、鹿児島のC57175が残り、客寄せパンダ=吉松の2両のC55が鹿児島転配となりました。

すみません・・・話が逸れてしまいました。


特急【かもめ】の話
 
昭和28年3月15日京都⇔博多に特急【かもめ】が走り出しました。

戦後の荒廃を脱し新時代を拓く九州の鉄道の象徴です。

九州内の特急牽引機として4両のC57が指定され、お召し機並に各部に装飾が為されました。

C5765もその1両です。

C5765は【かもめ】運転開始直前の昭和28年3月「3日に入場10日出場」という甲修繕(後の全般検査)を受け、小倉工場で特別な門鉄デフを装備されました。

(因みにC5711がK-7を装備するのは昭和29年2月27日という後日です)

何故特別な門鉄デフなのか?

門鉄デフ(切取式除煙板)は昭和27年1月小倉工場機関車課長が国鉄本社での会議で聞いてきた情報から「外国には煙除け板を半分に切り取ったものが有ると聞いたので煙除け板を切ってみようではないか」となり、ボイラーと同心円状にアールを付けたものを試作しました。

外国の切取式除煙板とはドイツのウィッテ式で、同心円状にアールが付いています。 その写真を見て同様に作ったと考えるのが自然です。
また、長さは小倉が受け持つ最大の蒸機C57、D51に合わせましたが、四隅のアールは(オリジナルを見習ってか?)小さなアールにしました。

http://www-personal.umich.edu/~khmiska/_derived/BR42.htm

(ウィッテ式は鋼板節約目的で戦時中に戦時型に付けたのが始まりでバイパス弁点検の容易さという副産物が良く、それが目的でほぼ全機を交換に至りました)

(ウィッテ式には小倉工場が見落とした別の利点も有ったのですが・・・)

しかし、ボイラーと同心円状にアールを付けたものでは従来の除煙板を利用出来ない「これはやり過ぎだろう」という事になり、新たに従来品を再利用出来る形で図面製作・試作し、C57155に取り付けて昭和27年4月出場させました。

K-1タイプ(日本で最初の切取除煙板)の誕生です。

同心円状にアールを付けた“虎の子”試作品は保管され、様々な試作品が試されていきます。

K-2、K-3、K-4・・・・

(この分類名は関崇博さんによる命名です)

保管されていた「理想の形状で製作した試作品」は【かもめ】牽引機C5765に装備されたのです。

“特別な門鉄デフ”という言い方は実はへりくだった言い方なのです。

実際には、日本の切取式除煙板として最古であるだけでなく、小倉工場で施工された門鉄デフの中で製作コスト節減という枠を嵌められていない唯一の除煙板なのです。



日本でもバイパス弁の点検には頭を痛めます。

バイパス弁点検を容易にする目的で

①「手の掛かった方法=切取式除煙板製作・それに交換」

②「手の掛からない方法=除煙板に穴を開ける」

のどちらかが施工されますが、蒸機が華やかなりし頃には日本の4カ所の工場で①が有ったと言うことです。

除煙板製作に手の掛からない方法を工夫しなければならなかった事が判ると思います。

後年、③「廃車機の切取式除煙板を他機に転用」

という手段が現われるようになります。

これはシンガーフィニッシュバージョンです。

C5765には200mmの[架線注意]看板5枚、300mmの[架線注意]看板が機関車に4枚、テンダーに2枚貼られています。 合計11枚です。

リンゲルマンチャート(煙色測定板)は最末期に於いては煤を浴びて真っ黒でしたが愛情を込めて再現してあります。

昭和31年九州にC59が転入してC5765は【かもめ】運用から撤退、やがて大分、宮崎と都落ちして行きました。

しかしC57は日豊本線では花形でした。

数々の急行列車を牽いて輝き続けました。

宮崎以南ではD51が入線出来ない事から貨物も牽引しました。

キューロクはダメだったのか?と思いますが

① 最高速度65km/hでは「本線」を任せ難い事
② 出力が2割以上違う事
③ 列車密度が低いので客貨両用で運用できる方が有利

と言うことから貨車も牽く事になったと思われます。

昭和48年10月日豊本線に蒸機最後の定期急行〔日南3号〕が設定されC5765もその牽引に活躍しました。

停まりそうな速度で苦しむ【富 士】のDF50に続いて軽やかに登ってくる〔日南3号〕が印象的でした。

蒸機牽引を実現するに当り、難所の田野~青井岳に備えて【彗 星】との行き違いという名目で田野停車を実現し、火床整理する余裕まで持たせた国鉄の努力は感涙モノでした。

あの48-10ダイヤは〔日南3号〕の為に引かれたダイヤだったのです。

C5765のデフは機関車解体後も保管され、熊本県高森でC12241が静態保存されたとき寸法切詰、一部欠き取りのうえ装着されで居ます。

(目的は子供の転落防止)








たぬき2012-04

2012-04-18 | 今鉄
“たぬき”は毎週の様にお邪魔しています。

今月現在「3回」です。 (最低でも4回にはなりそうです)

健康を考えるとお酒は控えなくてはいけないです。 反省しています。


親父さんがアジを捕まえています。


“はまち”¥630です。 ¥105に相当する「1枚」が「巨大」です。


この日の【あけぼの】ですが、動揺が感じられるカットです。


次のカットがこれです。 どんなときにも機械の様に正確に流したいモノです。
そうすればヘッドライトの光のお蔭で素晴しいカットになったはずです。

(実は水沼さんの写真はばっちりでした)


こんなお酒が出てきました。


飲食店ルート専門に卸されている辛口酒「底ぬけ」だそうです。


“たぬき”は「関西風串かつ・焼きとり」と銘打って居ます。 これは焼鳥とつくねです。

“たぬき”品質で美味しいです。


海鮮炒飯です。

メニューに載っていない料理は厨房に余裕が出来たときにしか頼んではいけません。


日が替わって最近ダイヤ改正で被るようになった【北斗星】

今日は被らなかったと思ったら人間(お客様)が被ってしまいました。

(やっぱり動揺してしまっています・・・トホホホ)


メンチカツも余裕の出来た時間にしか発注できません。 金曜日は忙しいので「ハードルが高い」です。


初めて見た「冷しゃぶ」です。 タレが美味しい!!

こういうメニューも「たぬき」で食べたら他所では食べる気になれないですね。


楽しく飲んでいたら【あけぼの】の時間にはご覧のように“雨”です!

雨が降った状態だと線路の色が全然違うんですね。

(今日上手く行っていないのは飲み過ぎです・・・・すみませんなかなか上手く行かない)


「最後になにか面白いモノはありませんか」と不届きな要望を出したらこんなオムライスが出てきてしまいました。


形式写真!


感動の記念写真!! お父さんお母さんも一緒に!


喧嘩にならない様に上手く解体しなくては。


中身のチキンライスにいっぱい鶏が入って居て“感動”の美味しさでした。

毎晩行っても良いかも知れない“たぬき”

いやいや、「空腹が人間を健康にする」という本が出てきたみたいです・・・私には大飯に当てはまりそうなので気をつけて飲みに行かない様にしなくてはいけません。







2011年度最終四半期表彰

2012-04-17 | 鉄道模型ではない仕事

本日、渋谷道玄坂PANDAレストランに向かっていたら。


楽園のゆるキャラがお出迎えです。


PANDAの“真珠”の部屋で営業の表彰式がありました。

2012年1、2、3月(2011年度最終四半期)の予算達成パーフェクトの店と個人の表彰式です。


上海で北京ダックを食べ損ねた怨みからなのか今日の目玉は“北京ダック”です。


美味しゅうございました!!


家具、電器、宝飾部門は振るわず商品に恵まれたモデルス部門だけが「並」の出席者を揃えました。

全体の人数が少ないのも驚きながら、何より女性が皆無という表彰式は初めてではないでしょうか。

「世界平和=日本経済が順調であること」を祈ります。







C57124 [吉]

2012-04-16 | 鉄道模型
しばらく模型作業の話題が無かったのでひとつ。

フェニックス組立仕上げになるC57124の更なる仕上げと汚しです。


テンダーの広い平面のゴミ処理前です。

仕上がる模型がC57になってから仕上がりはぐっと丁寧になった感じでそのままでも大丈夫な位です。


炭庫底面は少し乱れています。 此処は「見せる底面」なのでカッター削りが使えないのですが頑張って整える必要があります。


ナンバープレートは独特の表情となる「高め」に付いていますが、少し高すぎる感じです。

外して付け直します。

(宮崎区のC57186とC57187はどちらもプレート位置が高い罐でした。 同じ三次型で顔が似ていると認識した方も多いと思います。 しかし、この両機が並ぶと186(イッパロ)の方が187(イッパナ)より遙かに位置が高いのです。 ナンバープレート取付位置は細面のC57には極めて重要です。 デフ上端の水平なステーとの位置関係で面相が変わってきてしまいますので正確な位置に取り付ける必要があります)


分解していきます。

このC57124はテンダーが少し左側に傾いて居ます。

テンダーの水平はこの写真で後側に付いているボルスターで決まってしまいます。

もしかするとこのボルスターが奥まできっちり入って居らず、少し傾いて居る可能性が有ります。

(この時点では左傾斜は判って居ませんでした)


テンダー台車の内臓です。

マクラバリ奥側(右側)にヤスリ処理を忘れて飛び出した部分が見えます。

切ってヤスって仕上げるのが正解です。 

此処を削った為に傾きが露呈したのかもしれません。


塗装面の仕上げ、カッターの歯で削り、1000番のサンドペーパーで平らにします。


カッターが使えない炭庫底面はマイナスドライバーやキサゲなどで辛抱強く削り、同様にサンドペーパーで研きます。


機関車全体をよく調べて研き、煙室にエナメルの“つや消し黒”(XF1にフラットベースを僅かに加えたモノ)を塗ってマスキングします。

この状態でかなり薄めたラッカーのつや消し黒を吹いて表面を整えます。

このC57124は吉松所属です。 C5552、C5557と共通運用で「これが来たらハズレ」みたいな機関車でした。 活躍場所は最末期は吉都線と日豊本線1590レで宮崎に来て1527レで都城に帰る運用です。

そしてあまり磨かれていない、白っぽい汚れ方が目立つ罐だったのです。

ですから、南九州のカマとしては多少艶を落とした仕上げにしました。


火室の下、灰箱は火室底部と同じ「ハルレッド」に塗ってしまいます。

ハルレッドは艦底色です。

もちろん本来此処に塗る目的で調色されたモノではありません。 しかし実物蒸機の火室・灰箱に塗られた耐熱錆止め塗料(オレンジ色)を此処に塗ると良い感じがありません。 現役で使われていると灰を浴び、煤と飛んで来る錆を浴びてうんと濁った色になっています。

私としては単に錆色と区別する目的でかなり灰色が勝ったハルレッドは良い具合だと思っています。

もちろん汚れ色が被っていてこそより威力を発揮すると感じています。


そして埃が重なった雰囲気を出すのは「レッドブラウン」です。

レッドブラウンは「赤くない茶色」です。 (名前と違う中身です)

この後エナメルシンナーを含ませた筆で薄め広げ、間髪を入れずに乾かします。

少しでも時間が掛かると凹凸を強調する方向に集まってしまいます。

今まではドライヤーを使って居ましたが、最近はハリケーンブロアーで上手に風を送るとドライヤーが無くても(都合良く整えながら)早く乾かせることが判ってきて「それ専門」です。


こんな風になります。

吹付けでは絶対に出来ない隅に溜まった汚れが出来るので吹付けと併用するのが宜しいです。

汚しの吹付けに掛かります。


IMON蒸機は動輪両側に集電ブラシですが、最近更に先輪、従輪も片絶車輪を使い此処でも集電させます。

故に念入りなマスキングが必要です。


この状態で吹付けに出発です。


吹き付けました。


乾燥に時間が掛かる石炭を早く積むために組立はテンダーからです。

(汚れ)が積もったテンダーの雰囲気。


其処へ石炭が積まれます。


シンガーフィニッシュ的な手法でキャブ内部に手を入れます。

ドライブラシです。

私は黄色を加えたメタリックグレーを使う様にしています。


ナンバープレートの位置も「こんな感じかな」と思う高サにしました。

「宮崎の十字架」はC57199ですが、C57124は吉松の十字架です。

でも宮崎の十字架に比べて十字架らしさが“イマイチ”なのが吉松の十字架です。

十字架はもちろんリンゲルマンチャート、煙色測定板が付けられていた名残です。



少し大きめに見えるナックルはご存知の様にダミーではなくIMONカプラーHO-301です。

ダイキャスト製ですがカプラーポケットがプラなのでショートの心配がありません。


これで組み上げても良かったかも知れませんがやはり赤すぎる動輪の塗装がいやです。

シンガーフィニッシュ機に「汚し吹付け」を行ったがために集電ブラシその他に少しでも集電阻害物が付着するのを嫌って、はじめから汚れた少し茶色い色を車輪に塗っておく事を行って居るのですが、赤が強すぎて彩度が無い様な茶色がなかなか作れませんでした。


昔から動輪に筆塗りしてきた塗料を筆塗りします。


塗料は100%リターダーシンナーで薄めてありますので乾燥時間はエナメル並に遅いです。

動輪輪芯を4回に分けて時計回りに90度ずつ回しながら塗ります。

ボックスの穴とその間の涙滴形のへこみは先に塗ります。


輪芯を4回に分けて塗ったら動輪を回しながらタイヤ側面を塗ります。

そして最後にバランスウェイトを塗って終了。


拡大できます。








広角を使うと良い感じですが「前とキャブのプレートは被写界深度の中」といった扱いが必要です。
しかし、前は被写界深度の中間位置くらい、キャブは被写界深度の外かもという差の付け方が必要です。








石炭が3個ほど転げ出ていますが、一個ずつゴム系接着剤で付けています。

テクニカルアドバイザー竹中泰彦さんは大胆に垂らして仕舞った方が良いと言うのですがなかなか其処まで大胆な汚し方に踏み切れません。

「実物は水たまりになったり、染みていたりするものだ。 だから薄めたラッカーを滴下するのが妥当だ」とおっしゃるのですが。













キャブの中の淡緑色の塗り方が少し雑なのが目立つのが気になる点です。

なかなか考えを纏める時間が無くて実現していないメーカーズプレート類やエアタンクの全検表記(←資料を集め終わった・・・のですが他の仕事に忙しい間に何処かへ行ってしまいました・・・という事件の打撃から立ち直れずにいます)を早く実現したいモノです。