C56142 [浜]

2010-10-22 | 鉄道模型
我家に珊瑚のHOn3-1/2 (HO1067 C56のキット組立品が有ります。


随分前に委託品を買ったものです。

同様にかつて「委託」で入手した9600の箱には「P」という文字がありましたので、それの方はメーカー完成塗装済みじゃないかと想像されました。


こんな具合に入って居ました。


機関車本体は左上に、テンダーは右やや下に収納できる設計になっています。

しかし、この黄色いウレタンは経年変化で必ず粉になり、溶けて機関車塗装に食いついてしまいますから今のうちに移し替える必要があることは言うまでもありません。


箱の上に置いてみます。

あれっ なんとなく写真で見るとNゲージかな?という雰囲気が感じられます。

動輪のタイヤが白いせいでしょうか・・・


キット素組みでそつなく組んである感じです。 シロウトさんではないでしょう。

組屋さんが組んでいる感じ、林工房辺りでしょうか。


ハンドルに金の色差しもしてあります。


うわっ、石炭を積むと見えなくなるところにディティールがあります。

勿体ない、いや或いは「石炭は積むな!」と言う事でしょうか。

廃車体風ということで・・・・ってナンバーが貼られていないから廃車体そのものですよね。


テンダーのスロープの滑り止めは番号毎に色々です。

どの番号の滑り止めなのでしょうか。

フロントデッキ網目が粗いでしょうか。


右側面です。 砂撒管元栓は1/80を使って居る感じがします。


空気作用管はキットにはないものかも知れません。


機関士側キャブ下 そこそこ作り込まれていて悪くない感じです。


助士側キャブ下 動輪回りが白くておもちゃっぽいです。 HOn3-1/2なのに・・・


オイルレスメタルが大きいです。


大きなオイルレスメタルは動輪が回ると目立つのです。

分解してキサゲ刷毛でオイルレスメタル外側面を研き、いさみやの黒染液で黒くする必要がありそうです。
16番蒸機製品も必ず見えていますがこれは極端ですね。

模型は実物と同じ造りにはできません。 (模型とは言え)機関車として成り立つ為の構造が必要ですが極力外観への影響を抑える必要があります。

オイルレスメタルはスポークの間から見えないのが理想です。
その為にはオイルレスメタル屋との闘いを制する(?)必要があるのです。


IMONのC11シリーズはオイルレスメタルが「有るのに見えない」初めての製品なのです。


網目が粗すぎるようです。


附属のナンバープレートは有名機、人気のある番号ばかりです。

C5691は正面だけ「形式入り」じゃなくてはいけないかもしれません。

屋根は延長されて居るナンバーが多く、どの機関車も素組みとは似ていません。

テンダーのスロープはどれとも違うと思います。

素組みでも付けられそうなナンバープレートを作ってしまうことに致します。
(好みの番号で特注が必要な方は原宿店でご相談ください)


分解開始です。








どんどん分解していきます。


1mmのマイナスドライバーが必要になりました。




モーションプレートに使われています。


動輪が何か見覚えがある姿に・・・


京都・嵯峨野19世紀ホール入り口の動輪オブジェですね。


全て分解してロッドを細く削りはじめます。




動輪はオイルレスメタルも含めて一番丁寧に黒染します。

しかし、実は動輪が回ってしまいました。
 (軸と車輪が・・・最悪です)

模型機関車としては致命的です。 (もう位相が合うことは諦めるべし)

これも、16番蒸機を何百両も弄ってきて、「実は」よくあるのです。

今回も私の「勘」で調整して程々回るようになりました。


少し細く削る、研く、黒染する。




こんな風になります。




上は僅かですが研いて細くしてあります。


黒染するとうんと細く引き締まります。


台枠は「抜けた」表現になっていますが、イコライザーがそれを無視して居るので折角抜いた台枠が泣いています。


IMONカプラーと飾りカプラーポケット


ロストパーツを黒染するとこんな感じの組み合わせ状態になります。


必要な部分にマスキングして


汚れ色を吹いてきました。


テンダー台車に生えているブレーキシューが自然に外れてしまいました。

半田は意外にこういう事があります。
特に「片方がロスト」の場合は半田付けは脆いです。

まさか瞬間接着剤(瞬間しか付いていないので瞬間接着剤というのが正しいと言う話を最近聞きました)と言うわけにも行かないのでエポキシで付けてしまいます。


綺麗に黒染できています。 しかし、実物は「黒塗装」ですから塗って、バルブギヤとの差を付けなくては。

(43-10以降の蒸機は大概下回りは真っ黒で、バルブギヤからも金属っぽい色艶を見つけ難かったですが)


そう言っておきながら真っ黒じゃない色に塗っています。  いつもの下回り色です。


リターダシンナーなのでなかなか乾きません。 乾いていないとかなり茶色く見えます。






テンダーの内側にディティールがある事が判る程度に石炭を積みました。


IMONのC11三次形完成には悩んだ末にC11231を貼りました。

最近は画像が多いので「気楽に」ナンバーを選べません。


C56142のナンバーを作ってしまいました。

横浜機関区所属

煙室扉のハンドル、デフの点検窓無し、LP-42などから考えるとこの辺りが無難かなと思います。
(このプレートと[浜]のインレタは原宿店に置いて分売致します)




























白動輪の状態では、なかなか良い模型だなと思っていました。

「珊瑚の1/87の中ではC12とC56はまあまあ良いじゃないか」

「9600とC57はちょっと厳しいけど・・・」

と思って居たのですがこのC56も正直言って「値段が安いから遊ぶには良い」けれど「自分の一生の趣味は鉄道模型です この機関車を見てください」というべきモノのベースになり得るかどうかについては考え込んでしまいます。

「16番の設計」を使って居ます。 縮尺モデルではないと言うことです。

正直言って
「悪くない」と思っていたのですが「私もまだまだだった」と思わざるを得ません。


38671[浜]とC56142[浜]

C56がやはり大きいかもしれません。
(そう考えてみるとC11との並びでもそういう感じが少しあります)

このブログは危険なほど正直でありたいと思うものの、メーカーさんや商品は余り批判したくないです。
コスト面でお客様に奉仕する気持ちはわかりますが。


自分を責めるしかないのかもしれませんね。


8620とC56の組み合わせに対してどうしても反応してしまいます。

それは、私にとってはその組み合わせは飯山線です。


それとは別に↓この中にその横浜機関区のC56の入れ換え風景が出てきます。







ポーターとコッペル 明日発売

2010-10-21 | 鉄道模型
明日、HO762の蒸機2機種が発売されます。

ポーター(米)とコッペル(独)です。

乗工社から引き継いでこういう仕事を続けて行けて幸せです。

ポーターはエコノミーでは「亀の子」を作ってきましたがフルディティール機をラインナップに加えることが出来る事が嬉しいです。

(実を言うとポーターの実機情報を書き加えようと考えていたのですが、この時間=午後5時は体は会社に、資料本は自宅なのでたいしたことが書けません)

 ポーターと言えば義経 弁慶でしょうか。 7100型。


仙北鉄道3号機は仙北が開業に合わせて増備した自重12tのC型機で1920年製です。

動輪輪芯を新規に制作して居ます。









↑原形

原形は写真が残されているわけではありません。

「炭庫が付いた」「チムニーキャップが付いた」状態の図面が残されているだけです。

ポーター研究家による「仙北3号機は図面にチムニーキャップが付いているが実機は原形時からパイプ煙突だったという情報から「原形」もパイプ煙突を採用しました。

そして、まあ「現役」と言っても1946年には立山重工の15t機に追われて沼尻に移動していますので本当に古い時代に生きた蒸機なのです。

↓現役








このポーターと、もうひとつ同時発売の木曽コッペル完成品には、IMONとして初のタングステンウェイトが採用されています。


左;鉛のウェイト 右;今回搭載されるタングステンウェイト(大きさ面でもぎりぎりまで拡大!)


このブレスレットはタングステンを主体とした金属で出来ています。

ウェイトにタングステンという思いが強くなったのは、ジュエリー井門で詐欺に遭ってからです。
ジュエリー井門では「金の買い取り」を5年程前から行っています。

下取りや、リメイクはもっと遙か前から行っていましたが「買い取り」こそが本当に望まれている事だと判り、一昨年は本当に素晴しい「結果」を出しました。

大量に買い取る中には金だと思ったら金じゃなかったと言う詐欺事件がいくつかあります。

写真のブレスレットも、比重計の計測結果は「18金」(金75%に銀や銅を混ぜて硬く工作しやすく変形しにくくした合金)と出ました。

金やプラチナのニセ物は極めて難しいです。
なぜならばそれらが物凄く比重が重く(金19.3、プラチナ21.4)合金としても普通は比重計で判ってしまうからです。

当社が詐欺にあったとき、なぜ比重計だけで買い取ってしまったのかは問題ですが、そういう詐欺が成り立つことその事がモデルスIMONに希望の光を与えました。

重要なのは

① その重さを出せる方法があった!

② しかも詐欺を成立させられるほどその「重いモノ」は安く作れるのだ!

という2点です。

18金をメッキして18金の目方を実現しているそのニセ物はタングステンが主体であったと言うことです。
間違いなく中国製だろうとも言われました。

調べてみればタングステンは比重19.3(金とほぼ同じ)です。
レアメタルですから安くはないですが、貴金属のように物凄く高価と言うこともないです。

タングステンの前に蒸機のウェイト候補として考えていたのは怖そうな「劣化ウラン」ですが、タングステンならば放射線を心配する必要もありません。

ネックは融点が実に3380℃なので溶かして鋳固める事は不可能に近い(鋳型の材料がない)事でした。

熱するのにはプラズマが必要でしょう。

純日本製に拘ってきたIMONとしては早速(株)日本タングステンに相談しました。

http://www.nittan.co.jp/

結果は芳しくありませんでした。 高価になりすぎます。

タングステン粉末を樹脂で固めた鉛代用のモノなどについては今後この日本タングステンからあらゆる市場に供給されていくことになるとは思います。

しかし、それではなくIMONが捜していたのは

① 金メッキする必要はない

② 18金の重さに合わせる必要なし、出来ればもっと純金に近い重さに仕上げた

「金のニセ物」なのです。

そんな時、とんでもない文字が鉄道模型雑誌広告の中に見つかりました。

なんと先を越されてウェイトにタングステンを使った製品が発売されたのです。


天賞堂ZゲージD51の中に積まれていたタングステンウェイト
(製品は Made in China)
複雑な形状のウェイトを難なく作っています。
プラスチック製量産品に載せられる様なコストだと言う事もはっきりしています。

(布いた紙に怖い文言が踊っていますが構わず掲載してしまいます・・・・この写真しか撮って居なかったので)

IMONもこのタングステンウェイトに関しては中国で作ろうと考えたのはこの時です。




これは間もなく発売されるC57用のウェイトです。

図面通りのモノが出来てきました。

一体どうやって作ったのかは判りません。
(日本タングステンに分析して貰うべきかもしれません)
比重は18.0~18.2あります。


木曽Cコッペルキット完成見本 (昨年キット発売時は鉛のウェイトを積んでいました・・・「タングステンウェイト」の分売も実現させなくてはいけませんね)


この木曽Cコッペル9t機がIMON完成品としては初めてのタングステンウェイト搭載機となります。

かつて倉持尚弘さんが「軽便蒸機には本当は貴金属ウェイトを積みたい」と言っていましたが、貴金属ではなくレアメタル程度ですが重さの実現に於いては殆ど夢が現実のものとなってきてしまいました。

これからもIMONは「ベリリウム銅集電ブラシ術」に対するなお一層の努力など、「模型の走り」に対して全力で取り組んでいきたいと考えています。




C11292 「サラリーマンのアイドル」

2010-10-20 | 鉄道模型
新橋駅前に鎮座する C11292 この機関車の現役時代の模型が間もなく発売されます。


播但線寺前駅に進入するC11292

播但線の無煙化は47年3月ですから中学時代(47年3月中学卒業)なのですが、「お別れ」の時期ではなかったので冬休みでしょうか・・・・

C11を模型化するにあたり、新橋駅前のC11292を是非やりたいという声が五反田工房から上がりました。

理由は、C61設計時における伊勢崎のC6120のように「残っている実機」を徹底的に計ったり調査(現役時代との違いの調査も含めて)して特定番号機の1両にする。 そしてそのカマを全体設計のベースに使うのです。

C11の場合、新橋駅前のC11292をその調査対象にさせてもらえれば判らないところがあっても直ぐ実機を見に行けて便利であるというわけです。

C11292は「酷い」戦時型で、どうしてこんな「ゲロゲロ」のカマが一番多くの日本人の目に触れる場所に置かれる事になったのか納得が行かなかった程のカマです。

この1両を買えば「俺はC11を持っているョ」と言える様なカマではないのかもしれません。

しかし逆にこれだけ酷い戦時型なら普通のC11を持っている人にとって「こんなカマも居るんだ」という「もう一両」に恰好なカマかもしれません。

最後は自分で撮って居た事が判明したので私は「OK」致しました。


C11四次型は戦時型です。

① つかみ棒の先端が球ではなく円筒状に仕上げられていた
② デフを木製とした
③ 先輪をプレート車輪とした
④ キャブの雨樋を省略した
⑤ 煙室前面上左側を半周するつかみ棒を全廃、左上に取り付けたケチな手摺ひとつで代用
⑥ 煙突付根の裾野状のカバーを廃止
⑦ ドームを丸く仕上げずカマボコ状とした

といった外観上の変化がありました。

しかし、C11三次形と四次型ははっきりと設計変更が有ったものではなく、単に戦争激化の影響で簡略化した、しかも製造時期により簡略化の程度にも差が有るので241両の1つのグループと見る見方もあります。

戦後、戦時簡略化装備を通常型同様に改装した例(C11325等)はありますが、調べられる全機を観察すると

① 安全上有為差が有りそうな「つかみ棒交換」
② 木は腐食するので、枠だけ残して木部を鉄板に置換えるか、普通のデフに換装する。
③ 余ったスポーク車輪に差し替えるだけという簡単な「車輪の交換」
④ 雨樋は後から簡単に取り付けられる。

という4点を除き、意外な程改装されていません


C11のウィークポイントは「サイドタンク」です。

日本の蒸汽機関車として極めて完成度が高かったC11ですが、そのウィークポイントは高速で走るとサイドタンクが暴れることと、サイドタンクが外側に倒れがちなことだったのです。

サイドタンク吊りは実に有効だったのです。

特にカマボコドームと組み合わされると精悍な風貌になり「実に佳い」と思います。

新橋駅前のC11292は保存されて間もなくこの左右の水槽を結ぶ「サイドタンク吊り」が撤去されてしまい保存機としての値打ちを下げてしまっています。

後付装備を取り外すことは原形に戻すことを意味しないのです

むしろ実際に使われていた姿から離れて行き、機関車として使われていたどの時代の姿とも違う「なんだか判らないモノ」になっていってしまうのです。

新橋駅前のC11292の場合、タンク吊り撤去以降左右のサイドタンクが少々外側に倒れてきてしまっています。 それを撮影した写真を捜しましたが残念!見つかりません。
是非新橋駅前で実際に目でご覧ください。


C11一次型  23両 (  1~ 23)
C11二次型 117両 ( 24~140)
C11三次型 106両 (141~246)
C11四次型 135両 (247~381)

これがこれまで考えられていたC11の一次型~四次型の分類(定説)です。

それが間違いだったことが判明致しました。

臼井茂信さん、金田茂裕さんも間違えています。

247~251についてはこれまで四次型に分類されてきましたが、調査した全機について四次型の特徴は見られず、三次形と外観の違いをみとめられません。

「轍楽之路」 by 田駄雄作

http://tadayusaku.3.pro.tok2.com/

この中に「C11 meeting」というコーナーがあり、番号別に姿を見ることが出来ます。
(このページではまとまってチェックできるので大変便利なのですが、ネット上にはまだまだ特定番号機の映像が沢山見つかります)

遠目に写った写真では「四次型かも!」と思っても、接近した写真の方で確認すると四次型の特徴は一切見いだすことが出来ません。

そして、C11に関しては「最初に述べた①~④の4点」以外殆ど改装されずに来ているという観察結果もあります。

この5両に関して特別に実施された戦後の改装とするには余りにも無理があるので「定説」とされていたC11の分類は間違いであったと考えるのが自然です。
(しかも、戦時型=四次型は一カ所の製造所で集中大量生産したと考えられるのでこれで初めて辻褄が合うのです)

正しい分類は

C11一次型  23両 (  1~ 23)
C11二次型 117両 ( 24~140)
C11三次型 111両 (141~251)
C11四次型 130両 (252~381)

と言うことになります。

C11246 日本車輌名古屋工場=1174 1943-05-31
C11247 日立製作所笠戸工場=1669 1943-09-26
C11248 日立製作所笠戸工場=1670 1943-09-28
C11249 日立製作所笠戸工場=1671 1943-09-30
C11250 日立製作所笠戸工場=1672 1943-10-08
C11251 日立製作所笠戸工場=1673 1943-10-14
C11252 日本車輌名古屋工場=1221 1944-01-18

従来246と247の間に三次型/四次型の境界があると考えられていたのですが、251と252の間に三次型/四次型の境界があるのです。

そして252以降最終番号381まで、たった2両の例外を除き全機日本車輌名古屋工場で製造されています。
そのわずか2両の例外は「266と267」です。


C11266 日立製作所笠戸工場=1779 1944-01-31
車歴;宇部鉄道発注 製造中に国有化(1943-05-01)(新製配置は不明)
1955-08-01 現在;直方
1967-09-20 休車
1967-12-01 限廃車[西部支社達41];直方


C11267 日立製作所笠戸工場=1702 1943-10-30
車歴;樺太庁鉄道発注 製造中に国有化(1943-04-01)(新製配置は不明)
1955-08-01 現在;大湊
1955-10-01 小牛田
1960-09-00 現在;陸石線管理所
1964-04-01 現在;小牛田
1965-10-22 廃車[達559];石巻線管理所


この2両の姿は廃車が早かったこともあって判りません。

もしかすると四次型の形態ではない可能性も考えられます。

三次型までは 汽車、川車、日立、日車 の4社で製造していましたが、
四次型から国鉄の発注は全て日本車輌名古屋工場だけに絞られております。

日本車輌名古屋工場での三次形最終246号機から四次型最初の252号機まで落成時期に8ヶ月のインターバルがあります。

C11に対する戦時簡略化の指示は日本車輌名古屋工場だけに為されていた可能性も結構高いと考えられます。

戦時型はこうしなさいという国鉄の指示ではなく日本車輌名古屋工場独自に考えられた形態である可能性も無いとは言えません。
(ですから266・267は全然違う形態の戦時型だった可能性も有ります)

このような「間違い」が「通説」として続いてきた原因は、鉄道研究に常時有る「全ての記述の元資料はひとつだった」という事が考えられます。

さて

国鉄が日本車輌名古屋工場だけに発注した事がはっきりしてきたC11四次型ですが
「煙突基部の裾野を省略」
「煙室前面円形の手摺を廃し直線の簡素な手摺のみとする簡略化」
は252~381に共通して実施されたようですが、戦時型=四次型は以下の5つのグループに分けられます。

①252~259 ドームは通常型 (既に在庫が有ったと言う可能性も有ります)
②260~265 砂箱のみ角形 (ドームは角/丸)
③266~267 製造中途編入機で姿が判らない・・・・三次形かもしれない
④268~327 蒸機ドーム被いも角形化 (ドームは角/角)
⑤328~381 ドームは通常型に戻る (①と同型に)

C11274は後年蒸気ドーム被いだけが一般的な丸形に換装されたために「角丸」ドームとなりました。 (限定的ですが数少ない戦時型→一般型化改装の例です)

C11327 日本車輌名古屋工場=1418 1946-04-20
C11328 日本車輌名古屋工場=1419 1946-04-26

C11328以降「角形ドーム」は存在しません。

「終戦」で製造再開されたC57三次型 C57170の落成は 1946-04-29
「終戦」で製造再開されたC59二次型 C59101の落成は 1946-05-20

C11328辺りから戦時型ではなく戦後型と言うべきなのでしょう。

(角形ドームの在庫を使い切ってから丸いドームが使われ出したとも考えられます)

C11328以降も外観はC11252~259の四次型第一グループと同一で、最終C11381(1947-03-20)まで裾野を持たない簡略化煙突と簡素な直線状煙室前面手摺りはそのままでした。

* C11四次型が何処から始まったか間違った通説のまま誰も指摘しなかった事

* 戦争が終わっても戦時型のままで50両以上造り続けた事 (戦後型たる328以降の話)

この2点から「C11は日本人が気にしてない機関車なのだな」と感じずには居られません。

                           現役時代の姿は実に精悍だ!と思います。

このC11292は日本鉄道模型界で初めてのC11四次型の完成品模型かもしれません。

それにしても一体何故このような醜い戦時型が新橋駅前を飾り「サラリーマンのアイドル」となったのか不思議です。


姫路第一機関区のC11は姫路駅から出る3つのローカル線で使われていました。

まずは飾磨港線の貨物列車です。

姫新線はく3桁番号の旅客列車はC58、4桁番号の旅客はC11が牽いていました。

播但線では和田山まで通しの列車はC57、寺前までの普通列車をC11が担当。 10往復も有った寺前までの普通列車はC11本来の開発目的に合った近郊旅客列車牽引に活躍していましたが、1972年3月に無煙化されました。

新製配置以来姫路を離れることがなかったC11292はおそらく姫路サイドの「選択」により新橋での静態保存に選ばれたと思います。

C11292 日本車輌名古屋工場=1367 1945-02-11
新製配置;姫路
1946-12-31 現在;姫路一
1972-08-09 品川(保存の為姫路より移動)     
1972-09-16 廃車[工車918];品川
保存;東京都港区「新橋駅前」






金魚の水槽

2010-10-18 | ノンジャンル

昨夜遅く台所で金魚の水槽の掃除が行われていました。


金魚たちは大人しく掃除が終わるのを待っています。


無事掃除が終わり我が家(水槽)に戻った金魚たちです。

しかし、金魚じゃない魚も居ますね。


それはフナです。

実はかつてヤゴを飼っていて、その餌がフナだったのです。

生き残ったフナはこうして金魚と一緒に平和な暮らしを送っています。

向こう側は「観賞用」として飼われている熱帯魚の水槽です(金魚は「癒し用」鴨)


「金魚のつかみ取り」です。

「オール学習院の集い」の日、子供達が物凄く楽しみにしているイベントです。

この子供達のうち3人はウチの子です。

袖の「たくし上げ」は意味を成していませんね。

(ママの悲鳴が聞こえてきそうです)

そうして持ち帰った金魚の生き残りが現在一匹、ドジョウは全滅しました。

金魚(=赤いフナですが)1匹
フナ1匹

人に馴れて人影を見ると餌を求めて寄ってくる姿から“ポチーズ”の愛称で親しまれている我が家の住人です。


そんな折、恐ろしいモノが目に入りました。

牛乳のパック・・・・土日二日間で飲まれてしまったようです。 
他にビン牛乳も多数有ったようですが・・・そんなモノは一瞬で無くなるでしょう。

パパママは一切飲んでいません。

我が家は怪獣も飼っているのかもしれません。





鶯谷の

2010-10-17 | 今鉄
駒八ではないのですが「飲み会」がありました。


池袋山手線ホームで水沼信之さんと待ち合わせをするところから始めましょう。


飲み会前にデジイチの試し打ち(標的は【北斗星】)をするために今日は鴬谷へ行きました。

今日の「飲み会」はたぬきではないので東十条に行く気にはなれません。


色々な電車が来ます。


そこへ【北斗星】回送がやってきました。


この画で判るように京浜東北に被られました。


めげずに練習に励みます。


二階建てグリーンもお客さんは大勢乗っています。


少しは撮れそうな気もしてきました。


211系がすっかり減ったような気がします。


19:00発の【スーパーひたち】【草 津】 (だったかなァ185系)は被りました。

19:03発【北斗星】は次の京浜東北に


見事被りました。


後追いで敵討ち!


「鴬谷の悲劇」と云う表題にしたかったのですがそれでは読む気がしないと思い此処まで隠しました。

「鴬谷にしましょう、私の友人(奥井さんのことです)もよくやっているみたいですから被らないのでしょう。この間の王子のような事は無いですよ」
と言って鴬谷を主張したのは私ですから水沼さんに合わせる顔が無いです。


その「合わせる顔が無い」水沼さんと向かったのが新宿の「バーパノラマ」です。

今日は日独同盟の日でドイツ人2名と日本人4名で飲みます。 (同盟は嘘ですが)

旧東独に行って写真を撮っていた3名が居たので結構盛り上がりました。

(水沼さんも蒸機時代のザールフェルトに撮りに行ったという事が判明して驚いたのは前回のたぬきでした)


腹いせにNの模型を流し撮りです。


これが、ものすごく暗いので難しいのです。

あまり「おいた」をすると京浜東北ならぬお酒を被りかねないのでほどほどにしなくては・・・


新宿ゴールデン街にも行きました・・・・

私は東十条以外では必ず「被る」
東十条では一度も被らない

これは神様が「たぬき」に行きなさいと言っているのかもしれません。