色々情報を集めてみると頚椎椎間板ヘルニアである可能性が濃くなってきました。
撮り鉄で痛めつけた身体が今になってダメになったのか?という予想と違って、原因は模型です。
デハ3500で必死になっていたことは事実ですが、それ以外にも年間通じて恐るべき工作時間でした。
DDR政府専用列車などは個人的な共産趣味が爆発しているものですのであまり報告していませんが、猛烈に知恵を使って最短時間で最大効果を狙って交錯(いや、工作)していますが、その消費時間はものすごいです。
これからは人間失格になることを避ける意味で模型工作は一日2時間に制限することにします。
我慢します。
このブログ書きも工作の姿勢と違う態勢で書く工夫を凝らします。
ほとんど写真取らずに作業していますが、この写真は車体と屋根を分解する前に記録しておいて組み間違いをしない様に記録したものです。
暗い写真ですが、撮影する目的物は「屋根なし車体」3両の向こうに置かれた“横浜小町”糊付シートを撮ろうとしているのです。
概ね半分以上使ってしまいました。
縦は15㎜、ヨコは5mmから13mmまで車体内側に貼る切り済みシートを1mm刻みで大量に作ってそれを貼っていきます。
通路が「メクラ」で各個室全て「メクラ」の仕切りで仕切られた車両は真っ暗になりがちですので反射用にシートを貼っています。
“横浜小町”を使って何色か用意していますが、その作業量は凄まじいです。
写真に写った「白」は余るつもりで作りましたがみるみるなくなっていきます。
白は見えない部分に使うものです。
28両の落成は一年後がせいぜいですね。
台車の交換を企んでいたデハ3500も最早作戦中止余儀なしです。
スピコンマシンに力を移さざるを得ません。それもまだまともに走っていない新幹線試験編成などにです。
Gooブログがバカなので(エンターキーを押すと文章消滅)もう書くのやめます。
月曜日、明後日に整形外科を受診します。CTスキャンで色々判明するのはまだずっと先ですね。