お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。
読売新聞の1年2ケ月の長きに渡る連載小説『にぎやかな天地』を終えるにあたりまして著者の宮本輝さんが、肉眼では見えないものの大切さについて語ってらっしゃいました。
「肉眼では見えないものの存在を信じ、時間というものがもつ力というものを信じなければ昔ながらの伝統を守って味噌や醤油や酒や酢やかつお節を作り続けることはできない。」(と)、こんなふうにおっしゃっています。見えないものに目をとめて生きるっていうことについて、「発酵食品は私にとっては、またとない素材であった。」というふうにも言っています。 そして次のようなことが書かれていました。「大きな最悪(ま、禍ですね、その大きな最悪)が身に起こったとする。その時の悲嘆、絶望、憤怒、慟哭というものは未来を断ち切ってしまうかに思われる。だが、その大きな悲しみが5年後、10年後、20年後に思いもよらない幸福や人間的成長や福徳へと(ま、幸いですね)転換されていった時、私たちは過去の不幸の意味について深く思いを傾けるであろう。肉眼では見えないものが時間と共に私たちの前に具現化してものは数限りない。私はその一つの代表としての道具立てに発酵食品を使わせていただいた。それぞれの身に起こる最悪が長い時間を経てまったく逆のものへと変ることを『にぎやかな天地』という小説の中に沈めたかった。」 こんなふうにおっしゃっていました。
まあほんとにそういうことだよなあと、つくづく考えさせられました。私自身も6歳の子どもを交通事故でなくしてもう28年が過ぎました。この悲しい出来事は、一生かかってもすべて解決されたということはないだろうと思います。しかしこの経験によって多くの方々の悲しみと隣り合って生きることができるものとされた事は確かです。なお、宮本輝さんはこんなふうに締めくくっていらっしゃいました。「発酵食品だけに限っても、いいものを作るためには時間がかかる。それなのに私たちは失敗や挫折や最悪からあまりにも早急に抜け出そうとして心を病んでいく。」
さて聖書は、ずばり神のことばとして私たちに語っています。「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。」コリント第二の手紙4章の16節からのことばです。
(PBA制作「世の光」2005.10.06放送でのお話しより )
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