2023/3/2放送
「世の光」の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。
イエス・キリストと二人の犯罪人は、エルサレム郊外のゴルゴタの丘で十字架につけられました。二人の犯罪人の中央にキリストの十字架はあったのです。そして、キリストの頭上には罪状書きがありました。
その場面を聖書はこう語ります。
「イエスの罪状書きには、『ユダヤ人の王』と書いてあった。彼らは、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右に、一人は左に、十字架につけた。」
新約聖書 マルコの福音書 15章26節、27節
キリストの死刑の理由、罪状書きは「ユダヤ人の王」でした。それは、ローマ総督ポンテオ・ピラトが書かせたものでした。それに対し、イスラエルの祭司長たちはピラトに、「ユダヤ人の王と書かないで、この者はユダヤ人の王と自称したと書いてください」と進言します。しかし、ピラトは「私が書いたものは、書いたままにしておけ!」と語り、退けました。
実はピラトは、キリストが無罪であり、人々が妬みからキリストを訴えてきたことが分かっていましたが、「キリストを十字架につけろ」と叫んだ群衆の声に負けたのです。しかしピラトは、罪状書きにおいては譲りませんでした。ピラトはその罪状書きを、ヘブル語、ギリシャ語、ラテン語の三つの言語で書かせました。当時の多くの人々が理解できることばで、キリストが「ユダヤ人の王」である、と宣言されたのです。それは不思議な恵みであり、真理でした。
キリストの誕生の後、東方の博士たちは、ユダヤの王として誕生したキリストを礼拝するために、高価な贈り物を携えて遠路はるばるやってきました。文字通りキリストは「ユダヤ人の王」だったのです。キリストは真の王として私たちを守り、私たちを罪の奴隷から解放するために、十字架の苦しみのすべて、すなわち肉体的苦痛も、精神的苦痛も、父なる神様から完全に見捨てられるという霊的な苦痛も、すべてを味わい尽くしてくださったのです。そこに、イエス・キリストの王としての私たちへの愛が示されたのです。
まことの王であるイエス・キリストを私たちは、自分の心に、そして人生に王としてお迎えしたいと思います。そこから私たちの本当の救いと平安の人生が始まっていくのです。ユダヤ人の王として、私たちの真の王としてイエス・キリストは来てくださいました。
あなたもこの方とともに歩む新しい人生をスタートしてみませんか?
( PBA制作「世の光」 2023.3.2放送でのお話しより )
******
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
******
このサイトは URL名として http://yonohikari.biblica.info が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。