♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主の前に注ぎだせ / 福井 誠

2017年05月31日 | Weblog
2017/5/31放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主はこう仰せられる」です。 それでは哀歌2章19節を読みしましょう。
 「あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上げ、あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で、飢えのために弱り果てている。


 哀歌に入りたいと思います。伝統的にこの書はエレミヤによって書かれたとされてきました。先にエレミヤの預言書を見てきましたが、その預言通りの結末が起こったことについて悲しみの歌を歌ったのがこの書です。事実エルサレム神の都とすら言われましたが、もはや徹底的に破壊され廃墟と化していました。神が選び、神が共に住み、神の祝福が命じられた町であったのにです。

 この時エレミヤはその廃墟となったエルサレムの町にたたずんで語るのです。
あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上げ、あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で、飢えのために弱り果てている。

 崩れ落ちた街々とその瓦礫の中を戦争孤児と言われる子どもたちが徘徊し、食べ物を探している。目を背けたくなる惨状の中で、もう悲しみに沈んでいるのはやめて、主の憐れみが豊かに注がれイスラエルが回復されるように祈れ、と言うのです。つまり、神はいつまでも怒ってはおられません。憐れみ深い神に依りすがって立ち直れ、と諭すのですねえ。

 実に哀歌は単なる嘆きや後悔の歌ではありません。悲しみにも二種類の悲しみがあると言われます。神の御心に沿った悲しみと世の悲しみです。世の悲しみはただ悲嘆に暮れさせるだけですが、神の御心に沿った悲しみは悔い改めと命を得させるものだ、と聖書は言います( 2コリント 7章10節参照)。

 この哀歌は悲しみの中にある者に悔い改めと命を与えようとして書かれた。つまり、神の御心に沿った悲しみを導く書です。それは私たちに神にある希望と命に目を向けさせるために書かれたものなのですねえ。

 人生には悲しい時があるのです。まるで神が自分の敵となったと思われるような時もあるものでしょう。しかしそのような時であれ、悲しみに沈み込んでいたりせず、憐れみ深い神を覚えて、豊かな祝福を求めて祈っていきたいものです。

(PBA制作「世の光」2017.5.31放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 
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