世の光の時間です。お元気でしょうか? 村上宣道(のぶみち)です。
聖書のことばを最初にお読みしたいと思いますが、旧約聖書
の伝道の書3章の11節。
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。」(口語訳)
「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。」えー、人間は、本能的にって言ってもいいかもしれませんが、この世だけで終わらない、あの世があるっていうふうなそういう言い方をすることがありますよねえ。で、信仰があるとか無いとかに関わらず、また天国で会いましょうみたいな事を言ったりいたします。
その永遠というものがある、この地上限りではないということについては、何となく、理屈ではなくて本能的にそれを思っている所がある。それは実は神が私たちを創造された時に、神のかたちに似せて人間を神は造られたその神様御自身が永遠なるお方ですから、その永遠というものを私たち人間にもちゃんと授けてくださった。その永遠を思う思いを授けてくださったということですね。
ですから人間が神によって造られた、存在している、私たちが存在しているということは一時的なこの地上だけの生活のためではなくて、永遠に生きるということを前提として神は私たちを創造し、私たちをこの地上に存在させてくださっているということなのですね。
ただ、永遠をどういうふうに過ごすかということ、これは大変大事なことな訳ですね。神と共に永遠に過ごすか、それとも神から離れた状態で。それは地獄のような生活 ---地獄の生活というのは神から祝福を失った離れた生活のことを意味する訳ですね。--- 神から離れて神を抜きにして不信仰な不従順な生活を送ってきた人間は本来はみな滅ぼされなきゃならないような状態であった。しかし神は私たちが神と共に永遠に生きることができるようにするということで、有名なヨハネの福音書3章の16節にありますように、神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を --私たちを-- 愛してくださった。それは御子を信じる者が、滅びないで、永遠のいのちを得るためだ。神の愛の目的は私たちが永遠のいのちをもって神と共に永遠に生きることができるようにしてくださるのだという。私たちはイエス・キリストを信ずることによってそれを自分のものにすることができるってことですね。
( PBA制作「世の光」07.04.21放送のお話しより)
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