新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

カラオケ談義(その1)

2009年09月03日 05時50分43秒 | 身辺雑記

 ひと頃、よくカラオケで唄った。

 ずっと以前は、お座敷のカラオケだった。

 それから、スナックカラオケへ移行し、その後はカラオケボックスとなった。

 一人で行くという話を聞いたが、私の場合はありえない。絶対にない。

 純粋に唄うことを楽しむのであれば、一人カラオケもありうる。理屈のうえで、あってもおかしくはない。

 しかし、私の場合、それはありえない。一人でカラオケに行くぐらいなら、ビルの屋上や駅のホームで唄った方が、よほどマシのように思う。

 つまり、私にとってカラオケは、コミュニケーションの一種と言えそうだ。

 誰かの歌を聴いて褒め、自分も聴いてもらって褒められる。どうやらそれが好きらしい。

 とは言っても、その誰かが一人では楽しさがない。最低でも、相手に二人以上が必要。

 もっとも、スナックやクラブであれば、誰か女性がいてくれるので、一人であっても問題はない。褒めることが上手は人がいてくれる。勝手な話だ。

 選曲の幅は極端に狭い。古い歌以外には唄えない。しかも、ほとんどが演歌だ。

 私は「語る」ような唄い方ができない。下手なクセに、大声を張り上げる。

 スナックで唄ったとき、悪酔いをしていたジイサンに、「うるさい!」と言われたことがあった。ママさんがしきりに止めていたが、酔った本人は、「うるさい!」の連発だった。

 こちらも酔っていたので、なんら気遣いをしなかった。マイクの順番を返すまで、大声を出し切った。

 大人げない仕儀だった。

 持ち歌は、一向に増えなかった。努力しないのだから、それは当然だ。

 十年一日の如く、同じような歌を唄っていた。仲間たちも、唄える範囲の中から、上手い具合にリクエストをしてくれた。

 私も同じように、仲間が唄える歌をリクエストした。

 軍歌を唄いたかったが、なかなかそんな雰囲気はなかった。童謡も同じで、唄いにくい。

 唄いたかった軍歌は、「戦友の遺骨を抱いて」と「戦友」。

 調べたところによると、「戦友の遺骨を抱いて」は、昭和18年発表で、「戦友」にあっては、明治34年発表となっていた。

 二つの曲は、どちらかと言えば「厭戦歌」の感じだ。戦意高揚するとは思えなかった、

 どんな経緯で、いつ覚えたのか、私の記憶からは消えている。

 参考のために、「戦友の遺骨を抱いて」の一部を紹介する。

   ♪ 一番乗りを やるんだと

      力んで死んだ 戦友の

      遺骨を抱いて 今入る

      シンガポールの 街の朝 ♪

     (略)

   ♪ 負けず嫌いの 戦友の

      形見の旗を 取り出して

      汗によごれた 寄書を

      山の頂上に 立ててやる ♪ 

     (後略) 

 これで戦意は高揚しないと思うのだが……。しかも、曲は哀調を帯びている。

 つまり、変わった軍歌だ。

 童謡は、「月の砂漠」、「雨降りお月さん」などだった。

 カミさんと二人で、カラオケへ行ったことがあった。

 かねて唄いたかった軍歌や童謡を、遠慮せずに唄った。、涙がこぼれて仕方がなかった。

 歳をとると涙腺が緩む。思い出と重なったりすれば、情けなくも涙が出るのだ。

 童謡や演歌については、次の機会に書くこととしたい。

  別館として、写真俳句ブログの「いのちの囁き」を開いております。

 ご覧いただけると嬉しいです。

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コメント (8)
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