ひと頃、よくカラオケで唄った。
ずっと以前は、お座敷のカラオケだった。
それから、スナックカラオケへ移行し、その後はカラオケボックスとなった。
一人で行くという話を聞いたが、私の場合はありえない。絶対にない。
純粋に唄うことを楽しむのであれば、一人カラオケもありうる。理屈のうえで、あってもおかしくはない。
しかし、私の場合、それはありえない。一人でカラオケに行くぐらいなら、ビルの屋上や駅のホームで唄った方が、よほどマシのように思う。
つまり、私にとってカラオケは、コミュニケーションの一種と言えそうだ。
誰かの歌を聴いて褒め、自分も聴いてもらって褒められる。どうやらそれが好きらしい。
とは言っても、その誰かが一人では楽しさがない。最低でも、相手に二人以上が必要。
もっとも、スナックやクラブであれば、誰か女性がいてくれるので、一人であっても問題はない。褒めることが上手は人がいてくれる。勝手な話だ。
選曲の幅は極端に狭い。古い歌以外には唄えない。しかも、ほとんどが演歌だ。
私は「語る」ような唄い方ができない。下手なクセに、大声を張り上げる。
スナックで唄ったとき、悪酔いをしていたジイサンに、「うるさい!」と言われたことがあった。ママさんがしきりに止めていたが、酔った本人は、「うるさい!」の連発だった。
こちらも酔っていたので、なんら気遣いをしなかった。マイクの順番を返すまで、大声を出し切った。
大人げない仕儀だった。
持ち歌は、一向に増えなかった。努力しないのだから、それは当然だ。
十年一日の如く、同じような歌を唄っていた。仲間たちも、唄える範囲の中から、上手い具合にリクエストをしてくれた。
私も同じように、仲間が唄える歌をリクエストした。
軍歌を唄いたかったが、なかなかそんな雰囲気はなかった。童謡も同じで、唄いにくい。
唄いたかった軍歌は、「戦友の遺骨を抱いて」と「戦友」。
調べたところによると、「戦友の遺骨を抱いて」は、昭和18年発表で、「戦友」にあっては、明治34年発表となっていた。
二つの曲は、どちらかと言えば「厭戦歌」の感じだ。戦意高揚するとは思えなかった、
どんな経緯で、いつ覚えたのか、私の記憶からは消えている。
参考のために、「戦友の遺骨を抱いて」の一部を紹介する。
♪ 一番乗りを やるんだと
力んで死んだ 戦友の
遺骨を抱いて 今入る
シンガポールの 街の朝 ♪
(略)
♪ 負けず嫌いの 戦友の
形見の旗を 取り出して
汗によごれた 寄書を
山の頂上に 立ててやる ♪
(後略)
これで戦意は高揚しないと思うのだが……。しかも、曲は哀調を帯びている。
つまり、変わった軍歌だ。
童謡は、「月の砂漠」、「雨降りお月さん」などだった。
カミさんと二人で、カラオケへ行ったことがあった。
かねて唄いたかった軍歌や童謡を、遠慮せずに唄った。、涙がこぼれて仕方がなかった。
歳をとると涙腺が緩む。思い出と重なったりすれば、情けなくも涙が出るのだ。
童謡や演歌については、次の機会に書くこととしたい。
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