「あまり、ものごとに拘泥しないほうがいいですよ」
これは多くの識者の説だ。
私も、お医者にはよく言われた。
「あまりこだわりを持っていると、自律神経が異常をきたしますよ。こだわらないほうがいいと思いますがねえ」
こんな言い方なのだ。
宗教家の多くも、同じように説いている。
般若心経なども、「ものごとにはこだわるな」と説いている面がありそうだ。
一方では、「強く思わなければ、なにごとも成就しない」という言い方もある。「念じて」こそ、成功するのだと説いている。
どちらの説が正しいか、私はそんなことを言うつもりはない。
恐らく、双方が真理なのだ。私にはそのように思える。
私自身、身体を壊した折り、何かにこだわり過ぎている自分を自覚したことがあった。
「ああ、このこだわりが身体を壊しているかなあ」 という自覚だ。
こだわりが過ぎて健康を害した。こだわりが過ぎて人間関係にヒビが入った。こだわり過ぎて経済的な損失を招くいた。
いろいろな経験をさせられた。
一方では、こだわりがあったからこそ、得ることができた成功体験もあった。
こだわりを持たないことの欠陥もありそうなのだ。
いや、違う、違う。そんな理屈を言うつもりはない。
私はこだわりを捨てられないのだ。失敗を承知しながらも、捨てられない。戦略でも戦術でもない。持って生まれた性根なのだ。
だから、空気を吸うと同じように、こだわり続けている。すでに損得を超えている。
拘泥りを捨てもできずに秋夕日 鵯 一平
(こだはりをすてもできずにあきゆうひ)
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