結婚を考えるってそんなにすごい事なんですかねぇ。
今日、こんなコメントをくださった方がおられました。
「ありえな~い 会ったことない人と結婚 うそでしょ」
って。
別にうそでも無いんですけどねぇ。
Andyっちとはまだ会った事はないけれど、
知り合ってからもう8ヶ月経ったし、
総時間にしたら、他の友達とかよりも話をしているし、
結婚するまでにも何回か会う予定だし、
そんでもって、途中で嫌になったら結婚するのやめるだろうし。。。
何を基準にしてありえて、何を基準にしてありえないかなんて、それぞれ違うんじゃないかな。
昔とかだったら、親が決めた相手と結婚式当日に会うって人もいたらしいよね。
それでも生涯連れ添う方たちもいれば、長年交際しても破局してしまう人たちもいる。
ほんと、決まった型ってないなぁって思う。
決してコメントくれた方を否定するつもりは無く、
ただ、やっぱり、みんなそれぞれ違うんだなぁって改めて感じさせてもらった。
須藤元気さんが本の中で
他者がいて初めて自分という概念を定義できる。
つまり、自分という存在を定義するために他者が必要で、その逆もしかり。
というような事を話しておられます。
自分が微笑んでいると、目の前にいる相手も微笑んでおり、自分が敵意を見せていると、相手も敵意を持った表情をする
といった風にも説明されています。
考えてみれば、前回の日記の中で私は、自分の中にある自分自身への疑いを吐露しました。
だから、その波動に協調した方がコメントを下さったのでしょう。
何かを信じようとする時に、実は何かを疑っている自分が存在するのです。
そういえば、ガンになった時も、
絶対治る!!!
という心を持とうとする自分がいる反面、
もう死ぬかもしれない。
という恐怖と闘っている自分もいました。
そんな時、気付いたのです。
「あぁ、治らないという恐怖を捨てるためには、治りたいという気持ちも同時にどこかに置いておけば良いんかぁ。」
と。。。
治りたいと強く思うほど、治らなかったらどうしようという反面の感情も強くなってしまうのです。
そんな事を考えているよりも、最大限の物質的努力(病気の場合は治療)をしさえすれば、
その後はただ、思うがままにやりたい事を考えていたら良いのです。
私の場合は、放射線治療で味覚が無くなったので、味覚が戻ったときに何を食べようかばかり考えていました。
で、
これを書きながら、その時の心の感覚を思い出しました。
今はただ、結婚できるかできないか、アメリカに行けるか行けないかなど、願望の根幹ではないところでイマジネーションを使わず、
Andyっちと会ってどんなデートをし、結婚した後どんな生活をしていくかをわくわくしながら想像していたいと思います。
あ~、何か今、すっきりした。
いつも勝手気ままに書いていますが、良かったら、
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「ありえな~い 会ったことない人と結婚 うそでしょ」
って。
別にうそでも無いんですけどねぇ。
Andyっちとはまだ会った事はないけれど、
知り合ってからもう8ヶ月経ったし、
総時間にしたら、他の友達とかよりも話をしているし、
結婚するまでにも何回か会う予定だし、
そんでもって、途中で嫌になったら結婚するのやめるだろうし。。。
何を基準にしてありえて、何を基準にしてありえないかなんて、それぞれ違うんじゃないかな。
昔とかだったら、親が決めた相手と結婚式当日に会うって人もいたらしいよね。
それでも生涯連れ添う方たちもいれば、長年交際しても破局してしまう人たちもいる。
ほんと、決まった型ってないなぁって思う。
決してコメントくれた方を否定するつもりは無く、
ただ、やっぱり、みんなそれぞれ違うんだなぁって改めて感じさせてもらった。
須藤元気さんが本の中で
他者がいて初めて自分という概念を定義できる。
つまり、自分という存在を定義するために他者が必要で、その逆もしかり。
というような事を話しておられます。
自分が微笑んでいると、目の前にいる相手も微笑んでおり、自分が敵意を見せていると、相手も敵意を持った表情をする
といった風にも説明されています。
考えてみれば、前回の日記の中で私は、自分の中にある自分自身への疑いを吐露しました。
だから、その波動に協調した方がコメントを下さったのでしょう。
何かを信じようとする時に、実は何かを疑っている自分が存在するのです。
そういえば、ガンになった時も、
絶対治る!!!
という心を持とうとする自分がいる反面、
もう死ぬかもしれない。
という恐怖と闘っている自分もいました。
そんな時、気付いたのです。
「あぁ、治らないという恐怖を捨てるためには、治りたいという気持ちも同時にどこかに置いておけば良いんかぁ。」
と。。。
治りたいと強く思うほど、治らなかったらどうしようという反面の感情も強くなってしまうのです。
そんな事を考えているよりも、最大限の物質的努力(病気の場合は治療)をしさえすれば、
その後はただ、思うがままにやりたい事を考えていたら良いのです。
私の場合は、放射線治療で味覚が無くなったので、味覚が戻ったときに何を食べようかばかり考えていました。
で、
これを書きながら、その時の心の感覚を思い出しました。
今はただ、結婚できるかできないか、アメリカに行けるか行けないかなど、願望の根幹ではないところでイマジネーションを使わず、
Andyっちと会ってどんなデートをし、結婚した後どんな生活をしていくかをわくわくしながら想像していたいと思います。
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