29Lib 分館

図書館・情報学関連の雑記、読書ノート、音楽ノート、日常生活の愚痴など。

武雄市図書館の何が問題か

2013-05-08 23:18:46 | 図書館・情報学
  佐賀県武雄市が市の図書館運営を蔦屋CCCに委託したことについて雑感。5月初めの新聞報道では、武雄市図書館の入館者数は、改装開業後のひと月で前年度4月の約5倍にのぼったという。今のところ樋渡市長の目論見通り以上の大成功ということになるだろう。僕の知人の図書館情報学者らも、新しい試みにとても寛容ということもあって「暖かく」見守る立場の人が多い。僕も考えをまとめておくために筆を起こした。

  僕は同館を訪問したことが無いので、ウェブと報道の情報に基づいてまとめる。同館は今年度からCCCを指定管理者とし、開館時間を9時から21時に延長、年中無休とし、貸出対象を日本国内居住者に拡大している。館内のスターバックスで閲覧しながらお茶ができ、また書籍・雑誌販売、有料のレンタルCD/DVDのコーナーも併設されている。貸出用カードとして蔦屋のTカード併用版も利用できる。改装された館内は美麗で快適そうであり、ホームページも洗練されている。

  開館時間の長さや貸出対象の範囲は評価したい。一方、スタバや書店併設についてはあまり驚くようなことではない。商業施設の中に場所をもつ公立図書館は日本全国に普通にある。武雄市は図書館の中に店舗があるという逆パターンであるが、その書架への近さが斬新であると言えるものの、高いハードルを乗り越えたというものではないだろう。公営施設に商店を入れるなという主張もあるようだが、そんなことを言いだしたら全国で飲食店を中心とするかなりのテナントが撤退しなければならなくなる。

  カードを通じて一企業が貸出履歴を入手することを問題視する声もある。けれども契約で貸出履歴等の個人情報は図書館運営以外に使用されないということになっているようなので、現時点ではそれを信じるべきだろう。また、Tポイントの付与は商行為となり、著作権法(貸与権)に抵触するのではないかという日本書籍出版協会の指摘もあった。武雄市側はポイント付与は自動貸出機の使用に対してであり、著作物に対してではないので著作権法上問題ないとしている。

  図書館を観光資源とできるという意見もあるようだ。しかしながら、武雄市は人口5万人ほどでその図書館の蔵書数は約18万冊にすぎない。率直に言って小規模であり、おそらく都会の読書家が満足するよう蔵書にはなっていないと推測される。偏ったサンプルだが、『ヤバい経済学』やジャレド・ダイヤモンドの書籍はあるが、ブルデューのほとんどとエスピン-アンデルセンは所蔵していない、と書いたらそのレベルがわかるだろうか。まあ、公立図書館の世界では僕のような読書ジャンキーを相手にする必要はないという考えも強い。職業的に本を読んでいるわけではない平均的な読者層がこの図書館を訪れてくれれば、成功なのだろう。

  指定管理者云々という批判は、武雄市に限らない話なのでパス。こうしてみると、公立図書館の概念を揺さぶるような新しいことをやっている印象はない。ささやかながら利用者志向に向けて一歩進んだ、ただの地方の小さな公立図書館である。指摘された問題はクリアしているようだし、反対派が騒ぐほどのことでもないように思える。管理者が軟派なイメージの蔦屋であるというのが彼らの気に障ったのかもしれないが、結果として広く宣伝されることになってしまった。市長の炎上マーケティングの勝利でもあるだろう。

  敢えて問題を挙げるとすれば、武雄市図書館が論争を引き寄せるような何か新しいものとして考えられてしまうことに対してである。

  公立図書館一般の運営方針をめぐっては、10年以上も前にその過剰な利用者志向に対して関係者の間で反省がなされてきた。公立図書館は利用量の最大化を目指せばいいわけではない。単純にそうすることは民業圧迫であるとすでに批判を受けた。また、図書館利用の結果が利用者の私的利益に留まるならば、図書館に税金を投入する意味はなくなる。こうした認識の結果、一部の図書館関係者の間で、公共性のある成果を追及すべきだというゆるい合意が今世紀になって形成されてきた。目指すべき方向についてはっきりした結論は出ていないけれども、今さら利用者が多くなって良かったねという話にはならないのである。

  こうした視点から見ると、今世紀に交わされてきた議論の回答となるような試みが同図書館で展開されているわけではないこともあって、それに大きな期待を寄せることは難しい。新しい意匠はあるが、本質は利用者満足を追求する従来型の公立図書館と想像され、それはすでに多くの公立図書館が通ってきた道だろう。叩かなければならないような逸脱や、賞賛に値する斬新な方針転換があるわけではないのだ。したがって、図書館関係者の態度としては、それこそ暖かく見守ってその成功を願うというのでよいのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

独り用の変態リズム殺伐電子音楽

2013-05-06 21:37:24 | 音盤ノート
Autechre "Confield" Warp, 2001.

  エレクトロニカ。金属的な電子音が打ち込みドラムに絡みつくインスト音楽である。ビートが当初のパターンから外れて展開してゆくところが特徴で、Track 3 "Pen Expers"が代表的なように、後半になって打ち込みビート音が滅茶苦茶に乱打されながら曲が終わる。しかし、曲の反復パターンは微妙に短くちょん切られたりしながらも、テンポなどコアな部分は維持されたままであるため、曲のまとまりは破壊されていない。その点、フリージャズ的な無秩序とは違う。また、情緒のかけらも無く殺伐としているけれども、ヒップホップ系の躍動感のあるリズムが加えられており、灰色ばかりの世界ではない。これらのため、聴きとおすのはそれほど苦痛ではない。とはいえ、初心者向けでもないが。家族や友達のいないときを狙って独りで聴こう。なお、日本盤には11分に及ぶライブ録音がボーナストラックが付いており、音は悪いけどかなり激しく攻撃的な曲で面白い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新規学卒採用のブルーカラーはどのように形成されたか

2013-05-03 08:04:09 | 読書ノート
菅山真次『「就社」社会の誕生:ホワイトカラーからブルーカラーへ』名古屋大学出版会, 2011.

  労働史。日本で産業化が進展しはじめた1890年代から、高度成長期をむかえた1960年代までの期間、労働者のキャリア形成がどのように変化していったのかを探った大著。履歴書などの個人の雇用データや、就職を斡旋した学校の手紙、各種政府通達などを材料に、微に入り細を穿つ分析が施されている。その精緻を極める著者の学究ぶりに敬意を感じつつも、正直全体像を見失いそうになることがしばしばあり、途中まで読むのがしんどかった。とはいえ、1950年代から60年代を扱う章になるとがぜん面白くなる。

  その1950年代の半ばになってやっと日本的雇用慣行が確立したというのが著者の主張である。時期については、1920年代成立説という対立説もあった。ホワイトカラーの終身雇用と年功賃金の形成という意味でならば1920年代説は正しいかもしれない。だが、それは日本的と言える特徴ではなく、欧米でもホワイトカラーの待遇は同様であった。むしろ日本的なのは、ブルーカラーのキャリアが一つのジョブの限定されず、一企業内の複数セクションを異動・出世し、また福利厚生面でホワイトカラーと同等に扱われるという点である。では、日本でブルーカラーが、中等教育を卒業すると同時に一つの企業内に囲い込まれ、外部労働市場に依存しなくなったのはいつ頃のことか。本書によれば、それは1950年代である、ということになる。

  その分析によると、20世紀初めのブルーカラーの(ホワイトカラーもまた!)転職は通常だった。その中で徐々に、各種専門学校や中等教育機関の教員による積極的な働きかけによって、学校卒業と同時に卒業者が採用される慣行が進んだ。彼らは当初、旧制高等小学校卒以下の労働者に対してホワイトカラー的な身分にあったが、時代が進むと学歴インフレのためにブルーカラーのジョブも担うようになる。戦後になると、労働運動や革新的な経営者らによって、これまで差別的に扱われてきたブルーカラーの待遇が改善される。こうして、1950年代から60年代かけての中学生の集団就職の時代を経て、高校卒業がより一般的になるにつれて、ホワイトカラーがブルーカラー化し、ブルーカラーがホワイトカラー化する日本的雇用慣行が確固としたものになった、と。

  説明が欲しいところもある。学校側の企業に対する働きかけが新規学卒者採用および学校求人という慣行を生み出していったとされる。しかし、企業側のメリットについては十分論じられていないように感じる。企業にとって、外部労働市場で人材を調達するよりも、学校求人の方に魅力があったのはなぜなのだろうか。当初は業務との関連がある商業・工業学校卒の採用だったことには合理性があるが、時代に進んで普通科卒にまで適用されるようになるとよくわからない。

  以上。手堅い学術書で気軽に読めるようなものではないが、その実証の精密さには感服する。凄い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コンビニバイトで家計を補填している」というデマがあった前衛音楽家

2013-05-01 08:52:43 | 音盤ノート
Ground Zero "Null & Void" Tzadik, 1995.

  NHKの朝ドラマ『あまちゃん』で音楽を担当している大友良英の初期作品。大手輸入盤店あるいはディスクユニオンの「ノイズ/アヴァンギャルド」なるコーナーに置いてある。この録音はJohn Zornが経営するTzadikから発表され、その存在を世界(の一部の前衛音楽愛好家)に知らしめた記念すべき作品ということになるだろう。

  一応ベースやドラムのあるロック的編成で演奏される。その中に、ターンテーブルを操る大友が、日本語・中国語・英語によるどこかから持ってきた劇のセリフや、サイレン音やスクラッチ音を取り混ぜるという趣向。ギターも弾いているが、基本ノイズを出しているだけ。それに鶏が首を絞められているかのような音を出すサックスも絡まる。全体として不快な音で構成されており、アルバムを通してパニックのような状態が続く。強烈で重い塊がこちらに向かってくるような音楽であり、ノイジーかつパワフル。正直、しょっちゅう聴く気にはならないが、たまにはいいだろう。

  現在はジャズというフォーマットでの活動が目立つ大友だが、当初は東京暗黒地下系の知る人ぞ知るアーティストだった。僕はその昔、新宿PIT-INで菊地成孔とのデュオを観たことがあるが、その頃はもうこのGround Zeroは解散していたと思う。かつて2chで「前衛音楽家は食べていけない」という話の例として、「大友良英は深夜コンビニでレジ打ちして生計を補っている」というデマが流れていた。そんな人が朝ドラの仕事とは。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする