これからは維新の会VS立憲共産党の勢力競争に注目すべき

これからは維新の会VS立憲共産党の勢力競争に注目すべき


 衆院東京15区補欠選挙の応援演説で日本維新の会の馬場伸幸代表は立憲に対し「憲法審査会とか、重要なことを議論する審議の場をサボタージュする。もう子供がね、おなかが痛いから、頭が重いから学校に行きたくない。そういうことを常日ごろしているのは立憲民主党です」と主張し「立憲に投票しないで」と訴えた。維新ははっきりと立憲を否定している。
 日本維新の会の三木圭恵衆院議員は「野党の筆頭幹事だという言い方は今後、しないでいただきたい。(立民と護憲を掲げる共産党を合わせた)『立憲共産党』の意見だけを反映した野党幹事ということだ」と維新は立憲が共産党と共闘したことを立憲共産党と批判している。維新は野党でありながら野党の立憲を批判し、立憲には投票するなと主張している。このようなことは過去になかったことである。野党であるなら政権を握るために協力しあう。それが今までの野党であった。ところが維新は共産党と組んでいる立憲を立憲共産党と呼び、敵視している。
 野党が保守維新・国民と左翼立憲共産がはっきりと敵対関係になった。
 これから注目するべきは野党内の保守と左翼の勢力争いである。保守が勢力を増していくのは確実である。

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デニー知事は辺野古完全敗北の弁解しかできない

デニー知事は辺野古完全敗北の弁解しかできない


辺野古埋め立てで玉木デニー知事は完全敗北した。裁判で敗北して政府が代執行をすることになった。デニー知事は辺野古埋め立ての権限をすべて失った。辺野古移設に関してはデニー知事は完全敗北したのである。
辺野古完全敗北したデニー知事はオール沖縄会議の県民集会で「辺野古新基地建設は絶対に認めないという思い」であることを述べた。「思い」である。デニー知事の個人的な思いとして「絶対に認めない」と言えるが沖縄県知事としては言えない。知事は沖縄の政治を行う存在である。実際は辺野古移設が行われる。知事としてはむしろ「絶対に認める」と言わざるを得ないのである。
知事は個人ではない。日本の法律によって定められた存在であり、知事は法律を遵守して政治を行う存在である。違法な政治を行うことはできない。デニー氏は県知事としては裁判で決まった政府の代執行を阻止することはできない。認めるしかない。だから、「辺野古新基地建設は絶対に認めない」ことはできない。認めることしかできないのが県知事としてのデニー氏である。
デニー知事が辺野古埋め立て反対を訴訟することはできないし、県職員や県民を埋め立て阻止に動員することもできない。できるのはオール沖縄などの集会で個人として発言するだけである。


 デニー知事は県民集会で防衛省が計画を断念した、うるま市石川の陸上自衛隊訓練場整備計画について、「政治家として、米軍基地の整理縮小、撤去の上にのしかかるような自衛隊の基地は作らせない」と述べた。デニー知事はうるま市のほとんどの住民が反対したことを理由に「基地を作らせない」とは言っていない。住民が反対していることを根拠に「基地を作らせない」なら県知事としての民主主義の立場から発言したことになるが、そうではなくデニー知事の自衛隊基地反対のイデオロギーを根拠に「作らせない」と言っている。オール沖縄に参加したデニー知事は県知事としての発言ではなく個人のむ意見を知事の顔をして主張したのである。
デニー知事の自衛隊基地建設反対は日本の議会制民主主義に則った発言ではない。デニー知事には県知事としての内なる民主主義がないことをオール沖縄の集会で明らかになった。


 デニー知事が参加したオール沖縄会議の県民大集会は名護・瀬嵩の浜で行われた。「民意・自治・尊厳を守り抜く4・14県民大集会」である。オール沖縄は辺野古移設反対を掲げて結成した団体である。オール沖縄は辺野古移設反対を正当化する手段として「民主・自治を守る」を口実にしている。辺野古移設は政府が名護市長、県知事と民主ルールに則って合意して決まったことである。民主ルールで決まったことを民主・自治を口実にした非民主運動で辺野古埋め立てを阻止することはできない。だから、阻止することはできなかった。オール沖縄の辺野古移設反対運動は日本の議会制民主主義に完全敗北する運命にある。


「沖縄を再び戦場にさせないという心からの願いは、未来の子どもたちに対して、私たちが取れる最大の責任だ」には苦笑する。戦後の沖縄は一度も戦場になることはなかった。朝鮮戦争、ベトナム戦争などがあったが沖縄が戦場になる可能性は全然なかった。沖縄に米軍基地が存在し、沖縄を攻撃するということは米軍と戦争をすることになる。アジアに米軍と戦争する国はない。沖縄の米軍は朝鮮戦争、ベトナム戦争と外国に進出して戦争をした。台湾やフィリピンを中国の攻撃から守るためにも米軍は存在している。沖縄を再び戦場にしないために米軍は存在しているのだ。デニー知事は未来のどもたちのためにできることは沖縄を戦場にさせないと「心から願う」ことである。つまり、願うことしかできない。願いで戦争を止めることはできない。デニー知事は未来の子供たちのために戦争を止めることはできない。止めることができるのは米軍であり、自衛隊であり、英、豪などの民主主義国家の連合軍である。「願い」で戦争を防ぐことができないのはウクライナ戦争、イスラエル・ハマスの戦争など世界の戦争を見ればわかることだ。
 デニー知事には内なる民主主義はない。デニー知事にあるのは左翼のエセ民主主義である。


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