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東欧・旧ソ連で民主化が後退

 東欧・旧ソ連で民主化が後退というのは判断が間違っている。民主主義社会は資本主義経済の発展が不可欠である。経済が発展しない段階で民主主国家をつくっても国家は後退するだけである。

 戦争や紛争が続いていては経済の発展望めない。戦争や紛争を解決するのは民主化には必要である。
 ブッシュ大統領の武力で民主化を進める方法は限界がある。武力は独裁者を倒すことはできるが経済を発展させることはできない。イラクやアフガンの民主化はかなり困難な状態である。

 しかし、悲観的なことだけではない。中国、インドの高度成長は回りの国にも影響を与える。まずは経済発展ありきである。経済発展なしの民主化はないし、これからアジアとロシアの経済は発展するのだから、民主化もこれからである。
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うつのままに




こころを  慰めて  おくれ

こころを  歌って  おくれ
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ひとりの 部屋で

けだるい 時間




とまる  時間

歩かない  時間








たわむれる   たわむれる   たわむれる   たわむれる





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部屋のひかりの中で

わたしの夢が たわむれる







どこに 行こうか

どこに 行こうか

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ひかりの中の   こころの   闇

闇の中の    やすらぎの   希望

    あれば   いいね



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沖縄に「構造的矛盾」はない

目取真 俊
「復帰」35年目の現実・・・無視される「構造的矛盾」
琉球新法2007年6月2日掲載

目取真氏は新崎清輝氏の「平和憲法の成立せしめたのは沖縄の分離がその前提としてあった。」を引用しているが、平和憲法は日本が再び軍国主義国家にならないための憲法であり、沖縄の分離は日本を警戒しているアメリカが暫くの間様子を見るために日本政府から切り離したのであり、アメリカの日本対応としては必要なことであった。
 軍国主義国家であった日本を日本国憲法を作っただけで信用できるはずはない。もし、日本が軍国主義復活の兆しがあれば日本を軍事力叩くつもりがアメリカにはあった。そのための沖縄の軍事基地化であった。新崎氏の解釈はあまりにも沖縄を中心に考えている。考えすぎである。

 戦後沖縄にアメリカ軍事基地が集中したのは戦争でアメリカ軍は日本本土を攻略する目的で沖縄を占領し、沖縄に軍事力を集中させたからである。日本国憲法と沖縄の軍事基地は関係ない。アメリカが平和憲法を作ったのは日本の軍事力を無力化する目的であったのであり、そのことは有名である。平和憲法が成立過程は沖縄の問題とは関係なく素直に認めるべきである。
 戦争が終わっても日本を見張るためにアメリカが沖縄や日本本土に軍事基地を常駐させるのは当然のことである。新崎氏は日本が真珠湾攻撃をしてアメリカと戦争を仕掛けたことを軽視している。アメリカにとって日本は天皇崇拝の軍国主義社会であり、日本を自由にさせれば再び日本は軍国主義国家なると判断していた。アメリカが予想していた通り、日本の政治家が作成した憲法草案は帝国憲法と似ていたのだ。アメリカが帝国憲法に近い憲法草案を認めないで、現在の憲法の草案を作ったのは有名な話である。

 沖縄を軍事基地化する条件で日本を民主化したというのは新崎氏の思い込みである。アメリカは民主主義国家である。植民地を持つ帝国主義国家ではない。アメリカは日本が民主主義国家になれば次第にアメリカ軍基地は縮小する方針であった。
 しかし、朝鮮戦争、キューバや中国が社会主義国家になったように、アメリカと敵対する社会主義国家との対立がアメリカの日本政策を転換させたのだ。朝鮮戦争が勃発したときにアメリカは沖縄の基地を拡張しようとして昆布の土地闘争が起こっている。朝鮮戦争が起こらなければ沖縄の基地拡大もなかっただろう。そして、ベトナム戦争である。ベトナム戦争は沖縄の軍事基地が重要な働きをした。

 憲法成立と沖縄をめぐる問題を「構造的矛盾」と感じるのは太平洋戦争の過程を無視し、戦後の社会主義国家と資本主義国家の対立を無視して沖縄に対する視点が閉鎖的であるからである。
 事実、ベトナム戦争では沖縄が重要な軍事基地となった。アメリカ側から見ればアジアの扇の要の位置にある沖縄が軍事戦略で最重要な場所だったのである。
 沖縄戦で悲惨な体験をしたことがトラウマになり、絶対平和主義である沖縄の知識人の論理は視野の狭い沖縄限定の論理になり、外の世界状況を見ようとしない。それゆえに外の世界には通用しない論理となってしまう。

 目取真氏は「憲法と沖縄の『構造的矛盾』をどれだけ『本土』に突きつけられるか、今あらためて重要になっている。」と書いているが「構造的矛盾」という考えは沖縄のトラウマから出てきた発想である。「構造的矛盾」は本土と共有できる問題にはなりえない。だから「構造的矛盾」を本土に突きつけることはできないだろう。

 目取真氏が県立博物館の初代館長に前副知事が就任することに反対しているのは賛成である。夕張市の破綻の原因は市長が経営に手を出したからである。沖縄の知識人は第三セクターに県トップが天下ることに厳しく批判するべきであるし第三セクターについて厳しい目を向けるべきである。

 モノレール事業は莫大な県税が使われている。モノレール経営には優れた人物が社長になるべきであるし、天下り人事は止めるべきである。せっかく黒字経営までこぎつけたなんとか物産を天下り人事で県の副知事が社長になってから赤字転落させている。
 ソ連が崩壊したのは官僚が政治家が企業経営したからである。中国は小平が自由主義経済を導入したから崩壊は免れた。企業経営は政治家の特権でやるべきではない。

 県は第三セクターから手を引くべきである。第三セクターへの投資は株式化して民間に売りさばき第三セクターの会社は民間会社に移行していった方がいい。
 沖縄の知識人はアメリカ軍基地の問題に傾注し過ぎている。アメリカ軍基地問題は論理的には難しい問題ではない。同時に沖縄のアメリカ軍基地は国際情勢が関係しているし、アメリカ政府と日本政府の決定で左右する要素が強い。
 第三セクター、教育、公務員問題、地方自治など沖縄の問題は多い。沖縄の知識人は沖縄の問題について広く論議を展開するべきである。

 

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俺は君のためにこそ死ににいく

石原慎太郎原作・プロデュース映画
「俺は君のためにこそ死ににいく 」
      の監督新城卓監督に聞く   
    
  私はなぜ特攻を撮ったのか 琉球新報2007年5月30日掲載  

 高校生の時だったが特攻隊の映画について、私には疑問が出てきた。映画では特攻隊がアメリカの艦船に突撃する直前にみんな「天皇陛下ばんざい。」と叫んでいたことに対してである。私の疑問というのは特攻隊全員が本当に「天皇陛下ばんざい。」と叫んで死んでいったのかどうかであった。いくら軍国主義教育を受けたからといって戦前の若者は天皇陛下のために死ぬことになんの疑問も抱かなかったのか。平気で死ぬことができたのかというような疑問であった。
 芥川龍之介、夏目漱石、武者小路実篤など戦前の小説に「天皇陛下バンザイ」で死ぬような人間は描かれていない。戦争映画に限って「天皇陛下ばんざい」と叫んで芯で行く人間が描かれるのだ。

 ひとの嫌がる
 軍隊に
 志願で出てくる
 バカもある
 お国のためとは言いながら
 可愛いスーちゃんと生き別れ
という戦前の歌もある。庶民は好きで戦争に行っているのではない。国の命令で無理やり戦場に行かされているのだというのが私の推理であった。天皇陛下のために死ぬというのは疑問であった。しかし、私の疑問を解くことは田舎の高校には資料がないのでできなかった。

 私の疑問が解けたのは大学生になって「聞けわだつみのうた」の存在を知ってからである。戦場に行くのは自分の親兄弟を守るためであったと考えていた若者が多かったことを知った時、私は納得した。
 特攻隊員は国家の命令で特攻隊員にさせられた。国家が決めたことに逆らえば犯罪人になる。だから彼らは特攻隊から逃げることはできないし国家が決めた通りに従うだけである。特攻隊に納得する者も居れば納得できない者もいたはずである。そして、全員が「天皇陛下ばんざい」と叫んで死んでいったのではなかった。むしろ、親兄弟を守るために彼らは死んでいった。「俺は君のためにこそ死ににいく 」である。


 軍国主義国家となった日本は国民は天皇の子と教え、天皇のために戦うことを強いた。私が子供の頃に見た戦争映画は嵐寛十郎主演の「明治天皇」をはじめ、「天皇陛下ばんざい」の映画がけっこう多かった。「君のために死にに行く」のような映画はなかった。戦前では「君のために死にに行く」の君が親兄弟や恋人であればめめしいと見なされた時代である。天皇よりも親兄弟や恋人を愛することは禁じられた思想の時代である。
「戦友」という歌の中に
 軍律厳しき仲なれど
 これが見捨てて置かりょうか
 しっかりせよと抱き起こし
 仮包帯も弾の中
 と友が銃弾で倒れたの抱き起こしただけで軍律に違反している歌として判断されて放送禁止歌になっているのだ。

 新城卓監督は「俺は、君のためにこそ死ににいく」という映画で特攻隊員たちの青春群像を撮りたかったと言いながら、「靖国で会おう」と言ったのは事実であり美化ではないと言っている。しかし、靖国で会うという考えは国や天皇のために死ににいくことを賞賛していることであり軍国主義を美化していることに違いない。
 軍国主義の象徴である「靖国で会おう」と「君のために死ににいく」は思想として矛盾することである。特攻隊員の「靖国で会おう」精神を描きながら「俺は、君のためにこそ死ににいく」と言わすのは特攻隊を美化した映画であると言うしかない。
 石原氏も戦争から60年以上も離れた現在、「天皇陛下のために死ぬ」というのは今の若者にはこっけいに感じられるだろうという心配があり、、「天皇陛下のために死ぬ」というのは控えたのだろう。「俺は、君のためにこそ死ににいく」は美しい。この題名通りの内容なら「誰がために鐘は鳴る」の主人公も仲間を守るに死んだし、地球危機を救うためにみづからの命を犠牲する外国映画もある。。「俺は、君のためにこそ死ににいく」の心情は外国にもある。しかし、「靖国で会おう」「天皇陛下ばんざい」は軍国主義・天皇崇拝の映画であり外国の映画にはないし理解をされないだろう。

 新城監督は「真実の特攻隊員の人間像に迫ろう」としたというが、しかし、真実を追究する前に「青春群像」と「靖国で会おう」というテーマが前提にあるのだから「真実を追究する」努力は小さかったに違いない。この映画は新城監督がどんなにカムフラージュしても特攻隊員を美化した映画であることを隠すことはできない。

 「特攻隊の政治的背景、歴史的背景を詳しくは勉強していない。」「隊員の内面を完璧にはとらえていない。」と新城監督自身が話している。この映画に対する新城監督の態度は中途半端である。
 沖縄出身の監督が特攻隊の映画を撮ったということはタブーを破ったことに意味はある。この映画が「日本の鎮魂歌」になりえるかは別にして、沖縄出身だから特攻隊の映画を撮ってはならという不文律はあるべきではない。どんな映画を作るかは監督の自由である。自分の魂を打ち込める映画を作ることが大事である。ただ,新城監督がこの映画に自分の魂を本当に打ち込めたのかどうかは疑問である。特攻隊員についての勉強を疎かにしたことを吐露し、インタビューの歯切れが悪い。



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