波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

七州城で逢いましょう。あと、奥殿陣屋も

2022-12-07 01:34:33 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの続きで、私は波&狛とともに豊田市にある七州城のほうの挙母城に向かっています。 そのお城は豊田の市街地の西側の童子山という小高い丘の上に築かれていて………

見えてきましたね。 皆さまが想像されていたお城に近かったでしょうか? ちなみに私がこちらを訪れるのは13年ぶりで、波と狛にとっては初めてとなります。

まずは挙母城のシンボル的存在ともいうべき、隅櫓(二重櫓)の前で写真を撮っておきましょう。 ちなみにこちらの建物は、昭和53年(1978年)に建てられました。

その土台となる櫓台の石垣は、築城当時からのものです。 挙母城のうちでも3番目となるこちらのお城は、桜城に代わって童子山に築かれ、天明5年(1785年)に完成しました。 2万石の小藩ということもあって簡素な造りだったのですけど、お城からの眺望は優れていて、三河、尾張、美濃、信濃、伊勢、伊賀、近江の7つの国を見渡せたことから「七州城」とも呼ばれていました。ちょっと話が盛られているような気がしますけど、こちらでは洪水の心配もないまま、明治を迎えたそうです。

そうしたら、その城内を散策することにしましょう 私が初めてこちらのお城を訪れた頃には、東側には童子山小学校があって城跡との一体感があったのですけど、現在はその一帯はモダンで広大な豊田市美術館となっています。 それでも、隅櫓の北側は森となっていて、城跡の雰囲気は残っていました。

さらにその北側には、又日亭(ゆうじつてい)という書院があります。 こちらの建物は明治まで寺部城にあったもので、千足町の竜寿院に移された後、現在地に移築されました。 ガッチリと閉められていて中の様子は見られないのですけど、歴史のある建物ということは感じます。
すると、そこで警備員に呼び止められ「美術館が開館している間は、この敷地内に犬を連れ込んではいけないことになっているよ」と言われました。 注意書きのようなものは見当たらなかったのですけど、そういうことになっているのなら仕方がありません。 私たちはそこからより近いところから退出しました。

前回の日記のラストでも触れたのですけど、近くに住んでいてこのあたりをテリトリー(散歩コース)にしているワンコと、これから逢うことになっていました。 隅櫓の前あたりにいれば見つけやすいのですけど、そこからちょっと遠いところに出てきてしまいました。
以前お逢いした際に「こちら(豊田市)方面に来ることがあったら、お声をかけてください」と仰っていたので、遠慮なくお願いしたのですけど、今回私たちは雨に翻弄されたこともあって、前日の急な申し出となってしまいました。 それでも、都合をつけて来てくださることになりました。 私たちが隅櫓のところに戻ってきてから間もなくして………

ママさん豆兄君に連れられて、姿を現しました パソコンやスマホの前の皆さんも、拍手でお迎えくださいませ。

こちらの子は、ポメシュナのルナちゃんです。 私たちとはインスタで繋がっていて、今年の5月末に渚園のドッグランで初めて逢いました。 あれから半年ほど経ったのですけど、波と狛のことは覚えていてくれたでしょうか? 最初はちょっと警戒気味でしたけど、すぐに馴染んでくれました。 ママさんによると「馴れない子には、犬パンチを喰らわすこともある」そうですけど、今回はそのような事態にはなりませんでした。 そこには、ルナちゃんの犬パンチを見てみたいという私もいたのですけど。 それはさておき、白ふわ3頭の再会を記念して………

挙母城の隅櫓をバックにして、記念撮影をしましょう 距離感も近くて、いい感じで揃ってくれました。 そのあと、私たちは一緒に近くの枝下緑道を散歩したり………

落葉のじゅうたんの上で写真を撮ったりしたのですけど………

ルナちゃんが「だるまさんが転んだ」をやっているみたいにピタッと止まりながらこちらに近づいてきたのが、なんとも。 やっぱり、旅先でお友達のワンコと逢うと、楽しさが倍増しますよね。 ママさん、豆兄君、ルナちゃん、この日はご一緒してくださり、ありがとうございました。
といいつつも、この日の日程では挙母城がゴールではありませんでした。 そのあと、私たちは岡崎市の郊外のほうに向かっていき………

岡崎市奥殿町の雑谷下にある、奥殿陣屋に行き着きました。 陣屋とは、石高の小さな大名や旗本の役所や居所となっていたところで、お城の石垣やお堀のような防御機能は簡略化されています。

奥殿藩は徳川家康の遠戚の大給(おぎゅう)松平氏の藩庁だったところなのですけど………

その敷地内には北欧風ガーデンや………

バラ園が整備されています。

さらに西の駐車場に至る道には、見事な「ジンヤ」という植込みの文字が これを見て、「ドラえもん」コエカタマリンを連想したのは、私だけでしょうか?

その陣屋跡には、鯉のエサやり体験ができる池を中心とした和風の庭園や………

明治以降に竜溪院の庫裏となっていたのを、昭和60年(1985年)に再び現在地に移築した書院があります。 ちなみにその後方に見える建物は、金鳳亭にございます。 そちらでは季節の食事も提供していて、秋は松茸ごはんと麦とろご飯のセットとなっていました。

また書院は内部を見学できるので、入っていきました。 こちらでは庭を眺めながら抹茶を味わうことができて………

さらに、イス席も用意されていました。

あと、敷地内には資料展示室も設けられていて、いずれの施設も無料で見学できるようになっていました。 ちなみにこちらの人物は奥殿藩主の8代目、大給松平氏としては11代目となる松平乗謨(大給恒)であります。 乗謨は幕末に信州の五稜郭こと龍岡城を築いて移り住み、明治以降は日本赤十字社の創設にも尽力しました。 ちなみに私たちは昨年の秋に、その龍岡城に行きました。

奥殿陣屋は色々な要素が盛りだくさんで、私は思っていた以上に楽しむことができました。 今度はこちらをメインに訪れて、食事や抹茶を味わいたいですね。 ちょっと天気が怪しいのですけど、次回の日記ではこの日の最終目的地での様子をお伝えします。



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