こんばんは、白黒茶々です。
先月の香嵐渓での紅葉狩りから始まった名所旧跡の探訪シリーズを、私が長々と語っている間に、季節は冬になっていました。 今年の秋は暖かい日が多くて、白黒茶々家は11月はストーブなしでも乗り切ることができました。 ところが、12月に入った途端に季節の辻褄を合わせるかのように、急激に寒くなりました。 それでも、冬は私の好きなスキーのシーズンでもあり、おでんやシチューがより美味しくなるのですよね。
ちょっと話が横道に逸れてしまいましたけど、11月20日の散策レポートは今回で最後となります。その1日を締める場所として、私は波&狛とともに豊田市の静かな山あいにある松平郷を訪れたのですけど、その頃には雨が降ってきていました。 ここまでよくもってくれたので、このまま帰路に就こうかとも思っていたのですけど………
私が揺れている間に雨がやんできたので、予定通りにそのあたりを散策することにしました。 松平郷は徳川家康の先祖となる松平氏が発祥した地で、そのことに関連した神社やお寺、史跡などが点在しています。 その頃には、このあたりの紅葉は綺麗に色付いていました。
私たちは最初に、松平東照宮を訪れました。 そのあたりには再び雨が降りだしたので、雨宿りをしながらの参拝となりました。 こちらは松平氏の屋敷があったところで、当初は松平家の屋敷神を祀る八幡宮だったのですけど、のちに徳川家康公を合祀して名称を東照宮に変更。 さらに松平氏の御初代となる松平親氏公も合わせて祀りました。
その東照宮は立派な石垣と水堀に囲まれているのですけど、それらは関ヶ原の戦いのあとに、松平太郎左衛門家9代の尚栄によって築かれました。 そのお堀には、観光客の気を引くほどの見事な鯉が泳いでいました。
さらにその境内には、「産湯の井戸」なるものもあります。 玉垣などによって厳重に囲まれ、神聖な雰囲気が漂うこちらの古井戸は、在原信盛が掘ったと云われています。 松平家は代々この井戸の水を産湯に用いたこともあって、天文11年(1542年)12月26日に岡崎城主で8代目の松平広忠と於大の方との間に竹千代(のちの徳川家康)が誕生した際に、広忠は「松平の水をもて」と指示しました。 至急、この井戸の水を竹筒に入れ、早馬で届けたのですけど……… 竹筒の水だけでは産湯には足りないですよね? 岡崎城内にも「東照公産湯の井戸」があることから、足りないぶんは近場の井戸水を継ぎ足したというか、岡崎城のほうに松平郷のものを混ぜたといったほうがいいのかも知れません。 その説明書きには「双方の水をブレンドした」となっていますし。以上、竹千代君(ぎみ)の誕生秘話(?)でした。
松平東照宮をあとにした私たちは、次のチェックポイントに向かいました。 石橋を渡って、両側に石柱が並べられていて、こちらも聖地感がありありでした。 その最深部には………
「松平太郎左衛門親氏像」なる銅像があるのですけど……… 思いっきり胸板や膝を露出しておられる。 これは、文献や肖像画を参照にしたのでしょうか?それとも、製作側のイメージによるものでしょうか? それでも、土着の野武士という感じで、親しみやすさとカッコよさを感じます。
松平親氏公は太平の世を築いた徳川家康の始祖で、親氏没後600年となる平成5年(1993年)に、地域住民と彼を讃える多くの人々の熱い期待に応えて、この像が建立されました。 そうすると「どうする家康」が放送される来年は、没後630年となりますね。
さらに私たちは、室町塀と紅葉が続く坂道を上っていきました。 その突き当たりには………
本松山高月院があります。 こちらの寺院は貞治6年・正平22年(1367年)に、在原信重の援護を受けて寛立上人(足助重政)が建立した寂静寺が最初と云われています。 天授3年・永和3年(1377年)に松平親氏が本尊阿弥陀仏をはじめとして、お堂・塔のすべてを寄進してから名前を「高月院」と改め、以降は松平氏の菩提寺となりました。
※その頃は南北朝時代の真っ只中なので、元号が2つあるのですよね。(編集部豆知識)
その後、徳川家康によって寺領100石が与えられ、明治維新まで将軍家から厚い保護を受けてきました。 今日見られる山門や本堂は、寛永18年(1641年)に徳川家光によって建てられたと云われています。
その境内は静寂な空気に包まれていて、松平郷の中でもより聖地感が漂っていました。 その本堂の奥の小高いところには………
石壁や扉に囲まれた松平家墓所があります。 ちなみに中央が松平親氏、向かって右側が2代目泰親、左側が4代目親忠の夫人の墓塔とされています。
あと、境内には鐘楼もありました。 誰でも自由に突くことができるみたいなので、私は遠慮なく体験させていただきました。 静かな山あいに響き渡る鐘の音。 もう一突きいきたかったのですけど、ここは遠慮しておいたほうがいいでしょう。
………と、ここまで波と狛を伴ったままグイグイと境内に入ってきてしまったのですけど、このような歴史があって神聖なところにワンコを連れ込んでも大丈夫だったのでしょうか?
………なんて急に心配になったのですけど、門のところにこのような案内がありました。 それだけではなく、独自にYouTubeチャンネルを持っているとは、なんて敷居が低くてポップな寺院なのでしょうか
この日は松平城跡にも行きたかったのですけど、時間の都合で見送ることとなりました。 それでも、松平郷は静かで見どころが点在していて、また訪れたくなりました。 そのあとはラリーカーとすれ違いながら、山側の国道301号線を通って帰りました。
徳川家康のご先祖様の松平親氏に「どうする家康」のナレーターとナビゲーターを、あの姿でやってもらいたいという方は、こちらに投票してやってください。