波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

山頂の足助城と街中の桜城

2022-12-03 01:07:43 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

前回から、私はとともに香嵐渓のある豊田市の旧足助町に来ています。 朝のうちに紅葉狩りを済ませた私たちは、車に乗り込んで標高301mの真弓山を上っていきました。 曲がりくねった急な坂道の先の山頂には………

足助城というお城があるのですよ ここから先の有料ゾーンは私が1人で入っていくので、波と狛は車の中で休んでいてくださいませ。 ということで、そこからちょっと歩いていくと………

お城の主要部に行き着きます。 山頂部に平坦地の曲輪を設け、その上に木柵や掘立ての小屋を建ててあって、いかにも中世の山城という姿ですね。
足助城の築城年代は不明なのですけど、15世紀以降に足助鈴木氏によって築かれました。 鈴木氏は岡崎の松平氏との間で従属離反を繰り返したのですけど、永禄7年(1564年)以降は完全に松平氏の味方となり、高天神城の戦いなどで武功を挙げました。 そして5代目の鈴木康重が、天正18年(1590年)の徳川家康の関東移封に従ったことによって廃城となりました。

そうしたら、順路に従って足助城内を巡っていくことにしましょう。 現在地は案内図の右下の「①堀切」の手前あたりで、通路を歩いて「②南の丸腰曲輪1」や「③南の丸腰曲輪2」などを経て、「⑥西の丸」に向かいます。 その曲輪跡は現在は………

このようになっています。 細長く伸びた曲輪は木柵で囲まれていて、本丸寄りの大きな岩盤の上には西物見台が復元されています。 2層の掘立て柱の建物で、茅葺きの屋根は最近葺き替えられたみたいですね。

さらに私は「⑧本丸腰曲輪3」を通って、「⑨南の丸」に行き着きました。 こちらには原始的というか、簡素で野外的なカマド小屋が再現されているのですけど………

掘立てで板葺きの2棟も設けられていました。 それらの入口は開け広げられていたので………

もちろん上がり込んで、その内部を見学してきましたよ 囲炉裏があって、こちらでも煮炊きができますね。 南の丸は、台所の役割を担っていたみたいです。 そして、私はいよいよ山頂の本丸跡へ。 そこには………

こちらも発掘調査に基づいて、掘立て式で長屋と天守に相当する高櫓が復元されました。 これらは平成元年の「ふるさと創生事業」の資金をもとにして建てられました。 実は私は30年ほど前に、新築されたばかりのこれらの建物を見に来ていたのですよ その後も足助城の復元整備は進められ、今日見られるような姿となりました。

気になるその内部は、このようになっています。 掘立て式とは思えないしっかりとした造りで、復元から年月を重ねて風格も感じます。 「あれ、こんなに急だったっけ?」という階段を上って、2階の窓から外を見たら………

このような絶景が広がっていました。 眼下の足助の町並みはもちろんのこと、遠くの山々も臨むことができますよ。 それに、手前の紅葉が赤く色鮮やかですし。
足助城はいろんな要素が含まれていて、見応えがありました。 私は数十年ぶりに訪れて、改めてその魅力を感じました。 しかし、知名度が低いからでしょうか?訪問客はまばらで、もったいないような気がします。 私たちがその足助城や香嵐渓の界隈から出ていく頃には、あちこちで駐車待ちの車が溢れていたり、渋滞が起きていたりしました。 その様子を尻目にしつつ、次に向かったところは………

豊田市の街中にある、桜城址公園というところでした。 はい、その名前にある通り、こちらはお城の跡にできた公園であります。 すでに後方にそれっぽい石垣が見えるのですけど………

公園のど真ん中には、立派な櫓台の石垣が残っています。 豊田市内には「挙母城」と称するお城が3つあるのですけど、こちらはそのうちの2番目で、一般的には「桜城」と呼ばれています。 ちなみに同市内金谷町に鎌倉時代に築かれた金谷城が、最初の挙母城とされています。

桜城は寛延2年(1749年)に、新たに挙母藩主となった内藤政苗によって築城工事がおこなわれました。 本丸の三重櫓や二重の隅櫓を設け、周囲に400間(720m)の堀を巡らし、総面積は32町(32ha)にも及ぶ計画でした。 しかし、たびたび矢作川の洪水に悩まされ、築城は断念することに。 代わりに1kmほど南西の童子山に3番目となる七州城が築かれ、桜城は造りかけのまま終わってしまいました。

それでも、取り壊されたり新たな挙母城に転用されたりすることもなく、市街地のど真ん中に櫓台の石垣が残っているなんて、スゴいことです。 目に見える桜城の遺構はこの石垣だけですけど、地中にも何かが残っているのかも知れません。 ただし石段のようなものはないので、登ることはできません。 石段を造る前に工事が終わってしまったのでしょうか?それとも、洪水でそこだけ流されたのでしょうか? いや、子供が登っていったら危険なので、撤去されたのかも知れません。
この流れでいくと、次に私たちが向かうところは七州城となります。 車に乗って、そのお城がある方向に走っていったら………

間もなくして、立派なお城が見えてきましたよ もしかして、これが挙母城

残念ながら(?)違います。 ヒントは左下に写っているカニにあるのですけど……… そう、お城を模したこの建物は、札幌かに本家豊田城店でした。お店のHPには「殿様、姫様気分でお過ごし下さい」とあるのがいいですね 嗚呼、私も今すぐカニを食べたい。
話が脱線してしまいましたけど、次回こそ本物の七州城に行きます。 そちらには、スペシャルなゲストをお招きして……… いや、そのあたりはその子のテリトリーで、その中に入り込むことになるので、私たちのほうがゲストになるのかも。 波狛日記には1度登場したことがあるその子は誰なのか?それも次回の日記で発表いたします。


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