箔と波のつれづれ日記

日本スピッツ波とゆかいな仲間たち

江戸の賑わいここにあり!(東京見物その2)

2018-04-18 00:43:36 | 旅行記
こんばんは、白黒茶々です。
前回から、私は東京のど真ん中にある江戸城(現在の皇居)に来ています。 時季限定の乾通りの通り抜けを経て、お城の中心部の本丸跡になだれ込んだのですけど………
話の流れとしては、少しずつテンションを上げていきたいので、実際に私が歩いた順路とは異なるのですけど、レポートは別の入口から入らせていただきます。



………ということで、大手門の前にやって来ました こちらは江戸城の正門で、東御苑の東側の三の丸に位置しています。 桝形門形式で、高麗門は現存しているのですけど、櫓門の部分は昭和40年(1965年)に復元されました。そこを潜っていくと、三の丸跡の見学可能ゾーンに至るのですけど、そこは範囲が狭いので、そのまま二の丸跡に向かいます。



二の丸の正門に当たる大手三の門跡には、同心番所が現存していて………



そこから程近いところには、長さ50mを超える百人番所が江戸時代からの佇まいを今に伝えています。こちらには鉄砲百人組と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、廿五騎組の4組が交代で詰めていました。各組とも与力20人、同心100人が配置され、昼夜を問わず警護に当たっていました。



二の丸の敷地内には、昭和43年(1968年)にかつての絵図などを参考にして、二の丸庭園が造られました。 角度によっては高層ビルが借景となるのですけど、都心の中の静寂という感じでかえって落ち着きます。



本丸の東側も、高い石垣と深い堀によって守られています。ちなみに向こうに見えるのは、白鳥濠と汐見坂にございます。その坂を上がっていって、いざ本丸跡へ



表・奥・大奥の3つのゾーンによって構成されていた巨大な本丸御殿の跡は、満開の桜や芝生広場となっていました。



その片隅には、元禄14年(1701年)3月14日に浅野内匠頭吉良上野介に刃傷事件を起こし、忠臣蔵の発端となった、松の廊下跡を記す石碑があります。



前回の日記にも出てきた富士見多聞櫓は、現在公開中 江戸城の建築遺構としては唯一、その内部を見学できるようになっています。



多聞櫓とは、単層または二層の細長い櫓のことで、見学の順路は一方通行となっていました。 古い柱や梁などの構造だけではなく、窓からは蓮池濠を経て乾通りの行列の様子を見渡すこともできました。



本丸の北側には、巨大な天守台の石垣があります。江戸城のなかでは、この上が最も標高が高いということもあって、上る人の行列ができていました。 江戸城の天守は、徳川家康が造営してから2度建て替えられ………



3代将軍家光の代の寛永15年(1638年に、外観5層内部5階地下1階の、棟高51mの巨大な天守が完成しました。 屋根は銅瓦葺きで、壁は銅板黒塗り。最上階の屋根には、金のシャチホコが輝いていました。高さと体積は日本一の規模を誇り、将軍にふさわしいお城となりました。
ところが、竣工から19年後の明暦3年(1657年)に、呪いの振り袖から起こったという大火で、江戸の町とともに焼失してしまいました。 ちなみにその時の将軍は、4代目の家綱でした。

幕府はすぐに火事で傷んだ天守台を改修し、天守再建の準備をしたのですけど……… 
家光の異母兄弟の保科正之の「天守より城下町の再建を優先させては」という進言によって、断念。それ以降は、江戸城に天守が上がることはありませんでした。 そのかわりと言ってはナンですけど………



本丸南側の、天守台の次に標高が高くて目立つところにある、こちらの富士見櫓が天守の代わりを勤めました。三重櫓とはいっても、他のお城の三層天守に相当するぐらいの規模と美しさです。
それから、最近になって建物に覆いかかっていた木が伐採され、フェンスも近くまで移動されたので、より見やすくなりました。
江戸城のレポートは、以上で終わりです。 そのあと、私は山手線に乗って御茶ノ水駅まで行き………



その駅から程近いところにある、湯島聖堂にやって来ました。 こちらは、元禄3年(1690年)に5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟であり、後に幕府直轄の学問所となりました。



大成殿の建物は大正12年(1923年)の関東大震災で焼失し、現在のものは昭和10年(1935年)に鉄筋コンクリート製で再建されました。
敷地内は無料で見学できるのですけど、17時には閉門となるのでお気をつけくださいませ。 その湯島聖堂のすぐ北側には………



神田明神が鎮座しております。 こちらの歴史は古く、天平2年(730年)に創建されたと云われていています。正式名は「神田神社」。神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神であります。



本殿は、銅瓦葺き朱塗りのきらびやかな建物です。 大正12年の関東大震災で焼失してしまったのですけど、昭和9年(1934年)に鉄筋コンクリート製で再建されました。



さらに境内には「ラブライブ」の各キャラクターののぼりが!彼女らの学校は我らが静岡県の沼津市にあるのですけど、神田明神もその舞台となってちょくちょく出てくるということもあって、ファンにとっては聖地となっているそうです。そのお守りやグッズも売られているみたいですけど、私はチェックしないで帰ってきてしまいました。

………という感じで、あちこち寄り道していたら、夕方になっていました。 そうしたら、別行動を取っているたつぴと、そろそろ合流しなければ 彼とは、渋谷で待ち合わせすることになっていたのですけど………



その駅の待ち合わせ場所といえば、やっぱりハチ公前ですよね こちらでは、ハチ公効果(略してハチ効果)もあって、すぐに彼と行き逢うことができました。 そうしたらせっかくなので、そのハチ公と記念撮影をしておきたいですね。



しかし、特に外国人の方がひっきりなしにハチ公横に並んで写真を撮っていたので、なかなかそのスキを狙って入り込むことができませんでした。なんとかこの1枚を撮れたので、退散



私たちが泊まる予定のホテルにはディナーは付いていなくて、代わりに5千円ぶんの商品券が送られてきたので、そいつが使える秋葉原にあるファミレスので食べていくことにしました。
※せっかく店名を伏せ字にしても、そこにリンクを貼ったらバレバレではないですか。それよりも、伏せ字にする意味はあるのでしょうか?(編集部注)
ちなみに私は、おろしハンバーグと牡蠣フライ膳(選べる小鉢つき)に、ドリンクバーをチョイスしました。しかも、このお店のドリンクバーには、セブンカフェのコーヒーが置いてあったのですよ!あの機械から抽出されるあの味を、陶製のカップでいただくなんて、不思議な感じでした。



私たちのその日の宿は、中央区日本橋にある、ロイヤルパークホテル そのホテルは、地下鉄半蔵門線の水天宮前駅を出て、すぐのところにあります。チェックインのときの受付には、最新式の機器が備え付けられていて、タブレットに電子ペンでサインするという方式となっていました。 また、カード式のルームキーには、エレベーターで下りる階を指定できる機能も付いていて………



私たちに割り当てられたスタンダードツインの部屋も、豪華そのもの。 気になって値段を調べてみたら、なんと 1泊4万円以上となっていました。ちなみにお風呂はユニットタイプ。 そこで旅の疲れを癒し………



翌朝には、ホテル内のレストランでビュッフェスタイルの朝食をいただきました。 その中には、シェフが目の前でオムレツを焼いてくれるというサービスもありました。ちなみに1人ぶんの値段は、3800円 昨晩の2人ぶんのご飯代より、高いです。しかし、私はいくら目が欲しがっていても、歳のせいか胃袋が追い付きませんでした。



2日目は、たつぴと行動をともにすることになっていて、まずは西郷さんの銅像があるこちらの公園にやって来ました。これだけの大ヒントがあれば、皆さまはもうどこの公園のことかおわかりですよね。そうです 上野恩賜公園です。
この像は、西郷隆盛が亡くなってから21年後の明治31年(1898年)に除幕式がおこなわれたのですけど、それに列席した彼の3番目の妻の糸子は「うちの人じゃなか」と言ったそうです。 写真ギライの西郷どんは肖像画の類いは残さず、資料に乏しい中で銅像が製作されたので、本人と容姿が似ていない……… と思われていたのですけど、恰幅がよくて目が大きいところなど、かなり特徴をつかんでいて、いいセンいっているハズです。 それならば、彼女の「うちの人じゃなか」の意味するところは………

西郷どんは常におしゃれに気を付けていて、大衆が集まるようなところでは、このようなくだけた着流しはしない人でした。なので糸子の発言は、彼の内面のことを示していたという説が、最近は主流となっています。
いや、箔母さんは「眼球の部分がくり抜かれた銅像は、生理的に許せない」と言っているので、実はそこだったのかも知れません。 とにかく、後世になってからも論争のネタになっているので、糸子さん、その部分はハッキリと言っておいてもらいたかったです。



それから、西郷どんは犬が好きで、山狩りによく連れていったそうです。 ちなみに、こちらの銅像のモデルになったのは、彼が最も可愛がっていた、薩摩犬のツン。その子はメスだったのですけど、よく見てみると銅像にはなんか⚪棒が付いているみたいですね。
………なんて、つい西郷どんの西郷像を前にして西郷論を長々と論じてしまいましたけど、私たちがこちらに来た本来の目的は、上野動物園で昨年の6月に生まれた、ジャイアントパンダのシャンシャンでした。 せっかく東京に来たのだから、できたら彼女も見ておきたかったのです。



この日の上野公園は桜の花が満開で、たくさんの人で賑わっていました。 上野動物園は、この先にあります。
シャンシャンの観覧は、その頃は先着順で、動物園の入場券を購入し、正門から入った人にだけその整理券が配られるというシステムになっていました。 ところが………



その正門前には、入場券を買う段階からとんでもない数の人が行列を作っていたのです 果たして、私とたつぴはシャンシャンを見ることができるのでしょうか?
………といういいところで、次回に続けさせていただきます。


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