波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

箔がいなくなったあとの波

2018-04-07 01:44:01 | ワンコ
こんばんは、白黒茶々です。
ちょっと前から私は、時間に迫られている映画のネタを用意していたのですけど、このようなことになってしまったので、あと1話だけお付き合いくださいませ。 が亡くなったあと………



皆さまからたくさんのお花やお供えものをいただき、嬉しいです。日本スピッツとはいっても、箔ははみ出し者だったのですけど、それでも温かく受け入れてくださったこと、とても感謝しています。



大急ぎで遺影に使える写真を探したのですけど、最近はと一緒に写っているものばかりで、箔が単独のものはなかなか見つかりませんでした。 いや、昨年5月のスピクラ展は、箔だけを連れていったので、使えるかも



そうしたら、ありましたよ。 彼を大きく写したとき、私は「年齢的にも、これからいつXデーが来てもおかしくないから、もしかしたらこれを遺影に使うことになるかも」のようなことを考えていましたけど、現実となってしまいました。
それから、頂き物の縦にも横にも使える写真立てには、やはりブンブン写真を入れておきました。ちなみにこちらも、スピクラ展と同じ日に私が写したものです。

箔の最期からお見送りをしたときの様子はおおよそお伝えしたのですけど、そちらでは彼の妹ぶんの波のことについては、ほとんど触れていなかったような………
ということで、ここからは彼女をメインにして、語らせていただきます。

箔が闘病中でも波は元気で、それだけでも私は救われる思いでした。 もしかしたら、箔に元気を分けようとしていたのかも知れません。
箔の散歩できる距離が縮んでいくに連れて、朝は時間的制約もあり、多少は追加してあげたものの、波の運動量は減っていきました。それに加えて、箔が残した犬缶や犬ジュレを、ついつい波にもったいないあげをしてしまったこともあり、彼女の体重は増えていきました。「箔が軽くなったから、そう感じたに違いない うん」と、私は自分に言い聞かせたのですけど、堪えきれなくなって量ってみました。そうしたら………

なんと、9,3Kgもありましたよ そうしたら、波の犬生史上で最も重いということになります。しかし、これは私の責任です。



前の日記には「箔は誰にも看取られず、1頭で逝った」と書きましたけど、実際にはすぐ近くにいた波だけが見送ったことになります。彼女が白黒茶々家のウチの子になった日、生まれ育ったけいママさんの家までは、私とたつぴは箔も伴って迎えに行きました。それ以来、彼女はずっと彼と一緒にいました。慣れない環境で暮らすことになっても、箔がいたおかげで自然と溶け込んでいくことができたみたいです。それから彼女はずっと、彼のことを頼りにしていました。



箔が亡くなってから、悲しそうな表情で彼の亡骸を見つめたり、散歩から帰ってきたあとなどに、彼のことを探したりしていたのですけど、彼女は食欲が落ちたり体調を崩したりといったことはありませんでした。 これまで、箔とともに歩んできたので、悲しくないハズはないのですけど………
波は今まで以上に元気で明るく、笑顔を絶やしません。 特に散歩やご飯の直前は、弾けています。波って、以前からこのようなキャラでしたっけ?どこか若い頃の箔に似ていますし。



もしかしたら、箔が彼女に乗り移ったのか、それか彼女は箔イズムみたいなものを受け継いだのかも知れません。 それでも、そんな波から元気をもらい続けているおかげで、私たちは普通に働き、笑い、食べ、生活できているような気がします。寂しくないといったらウソになりますけど、違う形で箔がいるので、大丈夫です。



その一方で、今まで2頭にあげていた犬餌やおやつだけではなく、⚪ンコの処分量も半減したことにはまだ慣れていません。 だからといって、波に余分に与えてはいけませんよ。
これからは、オフ会やワンコイベントなどには波だけを連れていくことになります。それから、ワンコを伴った歴史散歩や列車の旅にも、近々再出発するつもりでいます。 それらをネタにして、箔波日記を続けていくので、皆さまには以前と変わらずお付き合いしていただけたら、嬉しいです。


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コメント (8)
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