波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

狛の誕生日の6月10日にあったこと

2023-06-28 01:20:01 | ワンコ

こんばんは、白黒茶々です。

今回の日記のタイトルにも記した通り、6月10日はの誕生日でした。 そして、今年のその日に5歳になりました。 彼は平成30年(2018年)の戌年に生まれたのですけど、私と干支が同じということに それよりも、戌年生まれの犬を飼うのは、私にとっては初めてのことでしたよ ちなみには、午年生まれの馬……… ではなく犬です

とかなんとか言っているうちに、その当日を迎えました。 ちなみにこれは、いつも同じ時刻におこなわれている朝散歩の光景です。 話せば長くなるのですけど、狛は前の飼い主さんの都合で生後7ヶ月のときに里子に出され、縁があってウチの子になりました。 しかし、ペットショップが後から送ると言っていた血統書は前の飼い主さんのもとにも届かなかったので、血筋を調べたり親戚犬探しをすることはできません。

それでも、正確な誕生日や長野県軽井沢町のブリーダーのもとで生まれたということはハッキリしているので、毎年狛のお誕生会をすることがすることができるのですよ そのペットショップではずっと売れ残っていたみたいですけど、親バカを承知で言わせてもらうと、こんなに可愛いのに~ そのお誕生会がおこなわれる夕方まで時間があるので、その間に記念すべき6月10日に歴史上で起こったことを採り挙げていきます。 1900年のこの日に清国(現在の中国)で義和団の乱が勃発し、昭和10年(1935年)に脚本家のジェームス三木さん、昭和33年(1958年)には漫画家の新沢基栄さんが生まれました。 さらに寛永7年(1630年)の6月10日には、織田信雄(のぶかつ、のぶおという説も)が亡くなりました。 旧暦では4月30日なのですけど、これから「どうする家康」にも出てきて徳川家康を翻弄する役どころでもあるので、今回は彼について触れさせていただきます。 ちなみにそのドラマでは、信雄を浜野謙太さんが演じることになっています。

織田信雄は永禄元年(1558年)3月に、織田信長の次男(信孝を次男、信雄を三男とする説も)として生まれました。 母は生駒𠮷乃で、幼名は茶筅丸。永禄12年(1569年)に、信長は交戦していた伊勢(現在の三重県北中部)の北畠氏と和睦するために、茶筅丸を養嗣子に出しました。 それに伴って、彼は北畠具豊(ともとよ)と名乗ることに。 さらに北畠家の家督を相続し、信意(のぶおき)と改名。 しかし、その一族の北畠具教は不服でした。 天正4年(1576年)11月、信意は父信長と共謀して具教と従者を誘い出し、謀殺(三瀬の変)。 これによって、信意は北畠氏の所領の伊勢を掌握することに。

しかし、天正7年(1579年)に信意は信長に無断で伊賀国の伊賀総国一揆を攻めたのですけど、惨敗(第一次天正伊賀の乱)。 信長はこのことに激怒し、信意に「親子の縁を切る 」とまで言わせてしまいました。 それでも、その2年後には信長の伊賀攻めに従事(第二次天正伊賀の乱)。 やがて、伊賀国の大半を所領することになりました。 天正10年(1582年)6月の本能寺の変では、近江国甲賀(現在の滋賀県甲賀市)まで進軍するも、戦わないまま撤退。 信長の後継者を決める「清洲会議」では、その役に就くことはできず、信孝とともに三法師の後見人に任じられました。 それと同時に、尾張・伊賀・南伊勢100万石を相続し、名を織田信雄と改めました。
間もなくして、信雄と羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)との関係は悪化し、信雄は徳川家康に泣きついて、いや、協力を求めて、宣戦布告することに。 このようにして、天正12年(1584年)3月から小牧・長久手の戦いが始まりました。 両軍の睨み合いとなった小牧では勝負がつかず、長久手での場外戦では徳川軍が勝ったのですけど、信雄は勝手に秀吉と和睦を結んだのです その結果、家康は秀吉と同盟を結ぶことに。

信雄は、天正18年(1590年)の小田原征伐にも参戦し、その武功によって秀吉から新たな領地を与えられました。 ところが、馴染みのある土地から離れるのを拒否したら、秀吉の怒りを買って改易されてしまいました。 改易とは、大名の身分や領地、住まいを没収され、大名としての家を断絶させられる処分のことです。 その後、関東への流罪となったのですけど、家康の執り成しもあって、豊臣の臣下に返り咲き。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、信雄は傍観に徹していたのですけど、西軍に付いていたと思われたのか、またしても改易の憂き目に。 2回も改易されるなんて、多くないですか? それでも、徳川家が豊臣家を攻めた慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では、信雄は徳川方に寝返るという驚きの行動に 結果的にその行動が功を奏して、再び大名に返り咲くことができました。

その後、徳川幕府のもとで信雄は大和国宇陀郡(現在の奈良県宇陀郡)や上野国甘楽郡(現在の群馬県甘楽郡)など5万石の大名となります。 それらの地域の発展に貢献し、やがて息子らに家督を譲って京都で隠居。 寛永7年(1630年)6月10日に、その地で穏やかに死を迎えました。 享年73歳。
信雄はたびたび予測不能な行動を取り、「愚将」と評価されることもあったのですけど、戦国乱世をのらりくらりと生き抜き、後の世まで子孫を遺して天寿を全うしたので、真の勝者は彼なのかも知れません。 特異な人物として、織田信雄を大河ドラマの主人公にしたら、面白くなりそうです。

余興というか前置きが長くなってしまい、「何でここで織田信雄が?」という声も聞こえてきそうですけど、ようやく狛のお誕生会の時間となりました。 その華やかな(?)祭典のために、ワンコ用ケーキを用意しました。 狛ちゃ~、かぼちゃと豆乳のショートケーキですよ~

波のぶんは用意してなかったので、一口の味見だけでお許しくださいませ。 それにしても、スゴい形相です。

狛は食べる前にそのままの状態で、私からのお祝いの歌をお聴きください。 せっかくなので、パソコンやスマホの前の皆さまもご一緒にご唱和くださいませ さん、はいっ
♪はっぴば~すでぃ、つぅ~ゆ~………

私の「よし」という合図とともに、狛は勢いよくケーキに喰らい付きました。 そういえば、私からの「はっぴば~すでぃ………」の間、波はケーキをガン見していたのですけど、狛は「ねぇ、食べてもいい?」とでも言っているかのように、私の顔をうかがっていましたね。 とかなんとか言っているうちに、彼はケーキを平らげ、今回の華やかな(?)宴はお開きとなりました。

改めて狛、5歳の誕生日おめでとう これからも元気で、波と仲良く過ごしてください。 それから、私と一緒に楽しいことを見つけていきましょう。



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