波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

どうする家康 浜松大河ドラマ館CCと崖の上の波狛

2024-02-21 02:12:35 | その他

こんばんは、白黒茶々です。

せっかく節分の話をしたばかりなのに、季節ネタの都合で半月ほど前にまでさかのぼらせていただきます。 なんか「3歩進んで2歩下がる」か「七転び八起き」みたいになってしまいました。 いや、それらは少しは進んでいるのですけど、これはすごろくの「○○前まで戻りなさい 」のような後退となります。 それでもそれは一時的なもので、次回は節分の翌日のネタを用意しているので、どうかご安心くださいませ。 それと、今回の日記のタイトルに出ている「CC」はカントリークラブではなく、クロージングセレモニーのことであります。 全部記したらタイトルが長くなってしまうので、省略させていただきました。 ということで、時は1月14日の日曜日、所は浜松市の浜松城公園から入らせていただきます。

私はその日は朝から、を連れて浜松城に来ていました。 ということは、私たちにとっては今年3つ目のお城となりますね。 そうしたら………

本丸跡にある「若き日の徳川家康公」像を仰ぎ見て………

石段の先にある天守門をくぐっていったら………

模擬天守が私たちを出迎えてくれました。 ただし今回はワンコ連れで、ここだけの話、浜松城はついでに寄っただけなので、外から眺めるだけとさせていただきます。

それでも、その模擬天守がある天守曲輪で記念撮影をしておきました。 その際に、「わぁ~、白くてふわふわ 」とか「おとなしく座っていてエラいね 」という声が聞こえてきて、私の心は浜松城より高いところにまで浮遊していました。

それと天守曲輪の西側の埋(うずみ)門跡を出たところでも、往来が少ないところを狙ってワンコ写真を撮りました。 ほとんどの時季は木が茂って模擬天守が隠れているので、冬枯れのこの時がチャンスだったのですよ さらに西に向かって歩いていき、浜松市美術館を越えた先には………

お城を模した建物が これは浜松城公園の西の入口にある交番で、私は久しぶりに見ました。 さらに、どうする家康 浜松大河ドラマ館がある浜松出世パークになだれ込んだら………

浜松徳川武将隊の皆さんが太鼓を叩いていて………

大河ドラマ館には、入場待ちの長蛇の列ができていました。 その施設の開設期間はこの日が最後で、浜松市民には無料で開放されていたのです。 私は地元民ではなくて、閉館を惜しんで入るつもりもありませんでした。 それでは、なぜこちらに来たのかというと………

大河ドラマ館の前ほうの特設ステージクロージングセレモニーがあって、そのイベントを波&狛と一緒に見届けたかったのです ゲストとして、徳川宗家19代当主で大河ドラマ館の名誉館長でもある徳川家広公と、松潤ならぬ松若こと松本若菜さんが来ることになっていたのですよ ちなみに「どうする家康」では、松若さんは阿茶局役をやっていました。 彼らの出番までまだ時間があったので、そのあたりをブラブラしていたら………

信康さんと行き逢いました 徳川家康の長男で非業の死を遂げた、徳川(松平)信康をモチーフとした信康さん。 彼と逢うのは、3ヶ月前の家康楽市&家康公祭りの時以来となります。 さらに出世大名家康くん出世法師直虎ちゃんも見かけたのですけど、後回しにしていたらいなくなってしまいました。

そうしているうちに、特設ステージのまわりに人が集まってきたので、私もセレモニーの開始時刻の30分以上も前から待ち構えていました。 波と狛は、私の側でカートに乗っているので、大丈夫です。 このくらい視野が開けていたら、しっかりと見えると思っていたのですけど………

場所を動いていないハズなのに、いつの間にか背の高い人が私の前方に立っていたりして、見辛くなっていました。 それに加えて「セレモニーの撮影はご遠慮ください」とこかれてしまいましたよ そして、13時に浜松市長の挨拶を皮切りにして、セレモニーは始まりました。 さらに、家康プロジェクト推進協議会の会長や徳川家広公のスピーチのあとに………

松本若菜さんが登壇しました 皆さまには翌日の新聞記事でしかお見せできないのですけど、確かにあの時の服装あの時のお姿の通りでした。 そのステージでは、彼女は記念品を授与されたり、浜松まつりの法被を羽織らされたりしていました。
「どうする家康」は最新の研究に基づいていて、最初はどこにでもいるような平凡な人間(むしろダメ人間)が、有能な家臣たちに支えられて成長していくというストーリーでした。 そのドラマとリンクして、私たちのほうも家康に関する地元の史跡などを巡ったりして、楽しませてもらいました。 その反面、話の展開の都合もあって、本多作左衛門重次松平忠輝の出番はなくて、天海は最終回にちょっと出ただけでした。

クロージングセレモニーが大方終わったところで、私たちは一旦ステージから離れました。 それにしても、こちらにもかなりたくさんの人が集まりましたね。 そんなクロージングセレモニーがクロージングしたところには………

家広公のお姿が 大河ドラマ館の建物はそのまま残され、徳川家に伝わるお宝の展示施設にリニューアルする計画があるそうです。 そのオープニングセレモニーなどで、是非また浜松にお越しくださいませ
今回のイベントを見届けた私たちは、居合わせた人たちが大挙して押し寄せて、帰りの道がぐちゃぐちゃに混む前にその場を離れ………

浜松城公園から西北に1.5km程のところにある、犀ヶ崖古戦場跡にやって来ました 元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦いで、徳川家康が率いる織田との連合軍は、武田信玄の軍に大敗。 その後、この犀ヶ崖に夜営していた一部の武田軍に家康は奇襲をかけて、一矢報いました。

現在は小さな公園となっている犀ヶ崖には展望台が設けられていて、そこから下を見ると………

深い崖となっています。 現在の深さは10m程ですけど、かつては20mはあったそうです。 徳川家康はこの崖に布を渡して橋に見せ、夜襲された武田の兵はそれにダマされて谷底に転落。 その際には、多くの死者を出したと云われています。

さらにこちらには、入場無料の犀ヶ崖資料館があって………

三方ヶ原の戦いや犀ヶ崖に関する資料が展示されています。 それと、その戦死者の亡霊や祟りをなだめるために発足したという、遠州大念仏のことについても知ることができます。

私は今までスルーしてきて申し訳ないのですけど、その公園の奥のほうには本多忠真顕彰碑が立てられています。 忠真は本多忠勝の叔父で、三方ヶ原の戦いでは徳川軍のしんがりを務めて犠牲になった人物です。 「どうする家康」ではその時の様子が丁寧に描かれていて、忠真の役の波岡一喜さんの演技も見事でした。

その本多忠真の顕彰碑の前には、「どうする家康」で徳川家康役だった松本潤さんと、瀬名役の有村架純さんがいますね。 彼らは昨年こちらを訪れ………

三方ヶ原の戦い関連の場所として特定できる犀ヶ崖で、記念碑の鍬入れの儀式に参列したのですよ 私はこの石碑を今回初めて見ました。 「平和への祈りを込めて」と刻まれた裏側には………

「どうする家康」の主要メンバーの名前が記されていました。 これは記念になりますね

このドラマが終わっても、時々思い出したりして、今後も変わらず徳川家康関連の場所を訪れるようにしたいです。



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