波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

静岡のケイキ様(大政奉還後の徳川慶喜、スピッツクラブ展覧会その1)

2018-05-26 01:14:50 | 人物伝
こんばんは、白黒茶々です。
5月13日は、スピッツクラブの展覧会の日でした。 私は今回もそのイベントに行くために、朝早く……… というよりは未明に支度を始め……… そうしたら、波ちゃのお出かけセンサーが過剰に反応して、吠え出しました。 以前はそれほどでもなかったのですけど、その能力は箔から伝授したのでしょうか?とにかくこんな時間(2時台)はご近所に迷惑となるので、静かにしなさい

3:34


日が長い5月とはいっても、3時台はさすがにまだ真っ暗なのですけど、その時間帯に朝散歩をしておきました。 さらに準備が整ったら、いよいよ出発しますよ

5:21


私たちは始発列車に乗るために、浜松駅に来ました。この日は天気はしだいに下り坂になるみたいで、自宅のある白すぴ地区では出発する頃にはすでに小雨が降っていました。 私たちはあるミッションを実行するために、この先で途中下車するのですけど、雨雲が迫る前に終わらせなければなりません。



その駅前には、モザイカルチャー的な出世大名家康くんがあるのですよ そこでの記念撮影はハズせない……… なんて言っていたら、列車の時刻が迫っていました。急げ

5:33


………ということで、まずはペットを乗車させるための手回り品の切符(280円)を波の列車用キャリーにくくり付け、いざ東へ向かわん 彼女にとっては、先月の名古屋行きに続いての列車の旅となりますけど、今回もその中で静かにしていてくれました。

6:59


浜松から約1時間半で、静岡駅に到着。 今までだったらそちらでの用事を淡々とこなすところなのですけど、私は最近Instagram(インスタ)に手を出し、戌年生まれだからなのでしょうか?スマホからマーキングというか「今、ここにいるぜ 」アピールをせずにはいられませんでした。



こちらの駅前には、徳川家康の幼少時代こと竹千代君(ぎみ)の像があります。 ちょうどいい高さのところにあるので、ワンコを連れていたら、このような「お散歩竹千代君」をやりたくなりますよね? そういえば、1年前のスピクラ展の道中でも、箔で同じことをやっていました。さらにその北西の方向には………



葵タワーをバックにして、老年期の鎧姿の徳川家康像が立っています。 しかし、こちらの像は高い台座の上にあるので、「お散歩………」はできないのですよ。 それはさておき、静岡市は家康にとっては、ゆかりの地でもあります。彼は人質として、8歳から19歳まで今川義元のいるこの地で過ごし、戦国大名として成長した45歳からの4年間は、駿府城を築いて移り住みました。 さらに、徳川幕府の初代将軍の座を辞してから75歳で亡くなるまで再びこちらに赴き、隠居生活という名の江戸との二元政治の拠点としました。
時代は移って、15代目で徳川幕府最後の将軍として知られている徳川慶喜も、この地で過ごしたことがあるのですよ 慶喜といえば、現在放送中のNHKの大河ドラマ「西郷どん」では「江戸のヒー様(一橋慶喜)」として登場し、松田翔太さんが好演していますよね。 その20年前の大河ドラマ「徳川慶喜」では、慶喜に最も容姿が似ているということで、本木雅弘さんが主役を務めました。
………ということで、前置きが長くなってしまいましたけど、今回は「人物伝」として徳川慶喜を採り上げさせていただきます。 こちらで長々と語るのもナンですから、駅から程近いところを散策しながらさせていただきます。 とはいっても、雨雲に追い付かれたみたいで、雨がポツポツと降り始めたので、急がなければなりません。 とにかく、静岡駅から老年期の家康像の前を通り、北西の方向に6分ほど歩いていくと………



現在はホテルや結婚式場、料亭として営業している、浮月楼に行き着きます。



徳川慶喜は、土方歳三松平容保東郷平八郎、………といった方たちと肩を並べる、幕末明治のイケメン偉人10選のうちの1人でもあります。 好みは人それぞれなのですけど、私も彼のことをハンサムだと思っているので、間違いありません。たぶん、きっと。
慶喜といえば、14代家茂亡きあとの慶応2年(1866年)将軍に就任したのですけど、その頃には薩摩と長州が手を結んだりと、世は倒幕の動きの真っ只中にありました。 慶喜はその矛先を外に向け、徳川家を存続させるために、翌慶応3年(1867年)に京都の二条城で大政奉還をおこない、政権を朝廷に返上しました。これにて政治の混乱が収まると思っていたのですけど、薩長連合は朝廷側の岩倉具視と結束し、天皇家の権威を復活させて、錦の御旗を立てて幕府に立ち向かうことに。世に言う「王政復古の大号令」です。これによって、慶応4年(1868年)の鳥羽伏見の戦いが勃発しました。 歴史でいうところの、戊辰戦争の始まりです。



その際に慶喜は、幕府軍の総司令官として大坂城での指揮を任されることになったのですけど、旧幕府軍=朝敵となることを避けるために、船で江戸に逃亡 その年の2月には、彼は上野寛永寺で謹慎生活を始めました。



※白黒茶々さん、浮月楼は素通りしてしまうのですか?(編集部注)
はい、話の流れからしてこの先にあるところから入りたいので、そうさせていただきます。
薩長を中心とした新政府軍はその後、東日本に進攻し、江戸に差し掛かりました。と、そこで「このまま江戸の町を戦火に巻き込んではいけない 」ということで、勝海舟西郷隆盛天璋院(篤姫)らの尽力によって、同年の4月に江戸城は無血開城されました。時を同じくして、慶喜は謹慎場所を水戸の藩校弘道館に移しました。



私たちは浮月楼から5分ほど西のほうに歩いていき、宝台院という寺院にたどり着きました。 こちらには、家康の側室であり2代将軍秀忠の生母でもある、お愛の方(西郷の局)のネタを書くために、私は7年半前に箔と一緒に訪れたことがあるのですよ。 かつては立派な伽藍が建ち並んでいたのですけど、静岡大火や戦災で焼失してしまい、現在はこじんまりとした境内に鉄筋コンクリート製の本堂や………



お愛の方のお墓があります。このあたりで雨がやんで、雲の間から日が差し込んできましたよ。 さらに、その隣には………



「徳川慶喜公謹慎之地」という石碑が立てられているのですよ。慶喜は慶応4年の7月に、こちらにひっそりと移り、謹慎生活を続けました。 翌年の明治2年(1869年)6月に、新政府軍の箱館制圧でもって戊辰戦争が終結したら、彼の謹慎は解かれました。 その後、慶喜はどうしたのかというと………



………ということで、私たちは再び浮月楼に戻ってきました。 その北側には「徳川慶喜公屋敷跡」という石碑があるのですけど………



正面入口にも、同じような石碑が設置されています。 自由の身となった慶喜は、政治からは遠ざかり、こちらに屋敷を構えて悠々自適な生活を送りました。 さらに油絵、写真術、自転車、狩猟など多才な趣味に目覚めました。そんな彼は、地元の人々から親しみを込めて音読みの名前で「ケイキ様」とも呼ばれるようになりました。



そのうちの写真は、若い頃から興味があったみたいで、このような自画像ならぬ自写真、いや、自撮りともいうべきものも残っています。 こうして見ると、やはりなかなかのイケメンなのですけど、屋内では露光不足となってしまうということで、机や本、筆記用具などの小道具をわざわざ屋外まで出してきて撮影したそうです。 しかも、このようなポーズまで編み出して
彼はカメラを持ち歩いては気に入った風景を写し、写真雑誌などに投稿したのですけど、なかなか採用してもらえませんでした。 もし彼が現在の世にいたら、インスタ映えに執着していたかも知れませんね。



また、自転車で静岡の町を走り回ったりもしました。 しかし、運転はニガテだったみたいで、お堀に落ちたり、美女に見とれて看板に激突したりと、伝説を残してしまいました。

しかし、明治21年(1888年)に屋敷の近くに鉄道が敷かれることが決まると「汽車の往来がうるさくなったら、かなわん 」と言って、静かな環境を求めて同市内でも内陸部の、現在の葵区西草深町に引っ越してしまいました。 その屋敷の面影はまったく残っていないのですけど、西草深町のポケットパークには屋敷跡の石碑が設けられています。ただし時間がないので、そちらのほうはハショらせていただきます。
静岡県民としては大河ドラマの「徳川慶喜」で、静岡での彼の生活がどのように描かれるのか楽しみにしていたのですけど、そのドラマは大政奉還をもって終わってしまったのですよ。私の「あ…あ………」という嘆き声も聞かずに。



浮月楼のほうには、ケイキ様の屋敷の頃からの庭園が残っています。 彼は明治30年(1897年)まで静岡で過ごし、その後は東京の巣鴨に移り住みました。その翌年、60歳となった彼は、明治天皇と謁見し、さらにその4年後には、貴族院議員として再び政治に関わることになります。

8:12


静岡で語りきれなかったこともあるのですけど、慶喜氏が東京の住人となったということで、私たちは列車に乗り込みました。 そして、このような天気の中でも、富士川に差し掛かったところで奇跡的に富士山が見えてきましたよ



慶喜氏は大正2年(1913年)11月に、77歳(満76歳)でその生涯を終えました。 家康の75歳(満74歳)を超え、徳川歴代将軍のなかでは最高齢ということになります。 彼は現在、東京でも静かな環境のなかにある、谷中霊園で眠っています。

10:33


そういう私たちは、東京までは行かずにこちらの横浜駅で下車しました。先ほどまで慶喜氏の話で一人で盛り上がってしまいましたけど、この日の目的はこちらにあるのですよ。

10:41


まだ雨は降ってなかったので、スピッツクラブ展覧会の会場となっている横浜そごうの鐘の広場までは、駅から直結しているこちらの歩道橋を歩いていきますよ。 その先には、すでにたくさんの白ふわたちが集まっていました。そのスピクラ展の様子については、次回の日記で語らせていただきます。


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