こんばんは、白黒茶々です。
前回からの日記のノリというか勢いのまま、私は波&狛とともに次の目的地を目指して、東海市の聚楽園公園から南下していきました。 実際には最初に大草城跡を訪れたのですけど、話の構成の都合でその次に行った大野城跡のほうを先に採り挙げさせていただきます。
………ということで、やって来ましたよ 大野城跡に。 こちらのお城は常滑市の北西部の小高い丘の上にあります。 その南側は住宅地となっているのですけど………
本丸跡の周辺には空堀の跡を確認することができて、戦国時代の城の面影を感じることができます。
その本丸跡に、天守っぽい建物が見えてきましたね。 このあたりでこのお城の説明をさせていただきます。
大野城は観応年間(1350年~1352年)に、一色範光によって築かれたのが最初と云われています。 のちに佐治宗貞が入城し、4代目の一成までの100年の間、佐治氏による統治が続きました。
その本丸の南側の櫓の跡は、現在は佐治神社(略して「さじんじゃ」)となっていて………
ちょっと小ぢんまりとしているのですけど、塀に囲まれた神域の中には………
佐治一成の石像が鎮座しています。 平成23年(2011年)に大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」が放送されました。 その主人公にもなった浅井三姉妹の末っ子のお江(小督)は、10歳のときに最初の嫁ぎ先となる大野城の一成のもとにやって来ました。 しかしその3年後に、一成は小牧・長久手の戦いの際に、羽柴(のちの豊臣)秀吉と敵対していた徳川家康に手を貸しました。そのことに激怒した秀吉は、一成とお江を離縁させ、さらに彼を大野城から追放してしまいました。
その後、大野城には織田長益(有楽斎)が入ったのですけど、水利が悪いこともあって、彼が新たに築いた大草城に移り住んだことによって、廃城となりました。 その本丸跡には、昭和50年(1975年)に小さな模擬天守が建てられました。 はい、先ほど見えていたお城のようなヤツです。 その建物は無料で解放されていて………
鉄筋コンクリート製の構造や、ちょっとした掲示資料などを見ながら上っていくと………
最上階の回廊からは、伊勢湾などを臨むことができます。
さらにその北西には、お城のような建物が見えますね。 あのあたりはまさに先述した大草城があったところで、市の境をまたいだ知多市に位置しています。 今から話の中ではそちらにひとっ飛びするところなのですけど………
その前に、ちょっと寄り道してもいいですか? 大野城跡に造られた城山公園内には遊具広場があって、その中の亀の遊具が可愛かったので、波狛と一緒に撮っておきました。 そうしたら、いよいよ場面を大草城跡に切り替えます。
………ということで、大草城跡にやって来ましたよ 正確には見学者用の駐車場ですけど、すでに後方にお城のような建物が見えていますね。 いきなりそこに迫るのもナンなので………
まずは、お城を巡っている遊歩道から入っていきます。 ちなみに向こうに見える池のようなところは、かつての水堀にございます。
こちらの土手は、本丸と二の丸を仕切る土塁であります。 お城の遺構をいくつか確認したところで、このお城の説明に入らせていただきます。
大草城は、佐治一成に代わって知多郡を統治することになった織田長益(有楽斎)によって築かれました。 その時期については諸説あるのですけど、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの後に長益が摂津国(大阪府)に移封されることになったため、工事は打ち切られ、大草城は未完成のまま廃城となりました。 江戸時代に入ってからは、この地方に封じられた山澄英龍が麓に屋敷を構え、歴代にわたって城址を保全したおかげで、大草城の保存状態はきわめて良好なのですよ。 さらにその本丸跡は………
広めに縄張りされたその大部分はグラウンドとして利用されているのですけど、その一角には昭和54年(1979年)にお城を模した展望台が建てられました。 天守台にあたる土台の四方に出入口が開けられているところは、洲本城の模擬天守を連想させます。 ただし、洲本城のほうは老朽化で危険なため、模擬天守に上る階段は取り外されているのですけど。
大草城の模擬天守は、無料で解放されていていました。 規模が小さい展望台ということもあって、展示スペースはほとんどないのですけど………
最上階の回廊からの視界は開けていました。 しかし逆光ということもあって、大野城を見つけることはできませんでした。
それでも、西側では伊勢湾を臨むことができました。 大草城でのミッションは、以上で終わりです。 1日に凝縮した歴史散策シリーズはまだまだ続くのですけど、次回はその舞台を名古屋市緑区にある広大な公園に移します。 そちらの公園は、私は先代犬の箔と一緒に訪れて以来なので、10ン年ぶり。波と狛にとっては初めてとなります。 さらにその公園には、スピッツとの遭遇率が高いというウワサがあるのですけど、それは昔のこと。 果たして、その伝説(?)は現在でも生きているのでしょうか?………と、さんざん話を膨らませたところで、次回に続けさせていただきます。