波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

今年の年賀状秘話

2021-01-09 01:16:35 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

お正月といえば、初日の出やおせち、お年玉……… はウチにはその対象となる人がいないので省きますけど、年賀状も忘れてはいけません。 白黒茶々家では毎年、その年賀状に家族写真や旅行先での記念写真を載せているのですけど、昨年はコロナ禍の影響で旅行の類には行けませんでした。 それだけではなく、家族全員で撮った写真もありませんし。これから撮るとしたら、絵になるような背景が欲しいのですけど、たつぴが日曜日のバイトに行くようになったので、一緒に出かけるのは難しいですし。それに加えて、箔母さんは以前にも増して出不精となりましたし。 2021年の年賀状は、どうなるどうする?

そんな昨年の7月に、愛知県西尾市にある西尾城二の丸丑寅櫓が木造で復元されました。 その建物は新築なので、今までに使ったことのない背景となりますし、ウチからは車で2時間弱で行くことができるので、手の届く範囲ですし。 できることなら西尾城に行きたいたつぴは豊橋市のコンビニで働いていて13時に終わるので、そのあとに列車で蒲郡駅まで来てもらってそこで合流すれば、一緒に西尾城に行けますよ あと、箔母さんのほうは西尾の抹茶で釣りました。 そうしたら、も連れていってあげましょう。そしてその計画は、晴れ予報の出ている11月1日に実行することになりました。

まずはたつぴとの待ち合わせ場所となる、蒲郡駅前まで来ました。 本来ならその駅の外観を写すべきところなのに、たまたま入り込んだ蒲郡北駅前地下街があまりにも昭和レトロな佇まいだったので、そこだけ撮って満足してしまいました。 それでも、そのあとは計画通りにいき………

14時30分頃には西尾城にたどり着きましたよ 私たちがこのお城に来るのは、3年ぶりとなります。

その城跡には現在、平成8年(1996年)に木造で復元された鍮石門(ちゅうじゃくもん)や………

同じ年に復元された本丸丑寅櫓(うしとらやぐら)があります。 こちらは無料で開放されていて自由に内部を見学することができるのですけど、ワンコは立ち入り禁止となっていました。
西尾城は13世紀初めに足利義氏が築いたのが最初と云われています。戦国時代には今川方や徳川方の領地となり、天正13年(1585年)に徳川家康の命で、酒井重忠が大規模な改築をおこないました。さらにその5年後には、代わって入城した田中吉政によって城が拡張され、全体が整いました。

それから、その本丸に鎮座する御剱八幡宮には珍しい陶製の狛犬があったので、久しぶりに「狛(犬)と狛」をやっておきました。

このお城の天守は二の丸にあったのですけど、明治初期に破却されてしまいました。 近年になって復元の機運は高まったのですけど予算的に厳しく、その土台となる天守台のみ復元されました。

その天守がどのような姿だったのか気になったら、案内看板に貼付されているQRコードをスマホで読み取って、出てきた西尾城のアプリをダウンロードしてみてください。 そうすると………

なんということでしょう 今、目の前にある風景の中に、天守が降臨してきましたよ。 下見板張りで、2層の大屋根の上に3層目を乗せた形の望楼型の構造で、かつての立派な雄姿を見ることができました。それだけではなく………

その中に、波と狛を入り込ませることもできるのですよ ただし、リアルな世界の中に合成でかぶせているので、多少建物がふよふよしていたり、芝生広場で遊んでいる人の上に乗っかったりするのですけど、そのあたりのことはどうかスルーしてくださいませ。
※白黒茶々さんがスルーしていないのでは!?というよりは、そのように指摘されたら、かえって意識してしまいますよ。(編集部注)

………と、焦らし戦法というか、またしても前フリが長くなってしまいましたけど、いよいよ私たちにとってはこの日の本命となる二の丸丑寅櫓を登場いたしました。 これは本丸丑寅櫓からの眺めで、先ほどの鍮石門との位置関係はこのようになっています。そうしたら、二の丸丑寅櫓にさらに迫ってみましょう

………ということで、櫓の東側の駐車場まで来てみました。

さらに、天守台からの眺めはこうです こちらとは土塀で繋がっていて………

その土塀と下の土塁は、屏風折れとなっているのですよ。 これは狭間(土塀に開けられた穴)から鉄砲で狙い撃ちする際の死角をなくすために設けられていて、これが再現された例は今のところ少なく貴重です。

その二の丸丑寅櫓は史料に基づいて材質や工法なども引っくるめて、忠実に再現されました。 しかし、低い天井や急な階段、狭い出入口などは消防法に引っ掛かるので、安全面からして基本的に内部は非公開となっています。

それでも出入口は開けられていて、そこから1階の内部を覗くことができるようになっています。 まだ建てられたばかりということもあって、外まで木の香りがしてきましたよ。 建物を堪能したら………

そいつをバックにして、家族写真を撮りました。

せっかくなので、波と狛も同じ構図で。 その後の厳正な選考の結果、この写真はワンコ仕様の年賀状に起用されました。

それらが済んだら、旧近衛邸で西尾の抹茶をいただくことにしましょう こちらの建物は、平成7年(1995年)に京都から移築した邸宅にございます。

先ほどの本丸丑寅櫓がいい感じで借景となっている庭を眺めながら………

季節の和菓子と一緒に、抹茶をいただきます。 西尾は抹茶の産地でもあるので、こちらを訪れたら必ず味わいたくなります。今回の記念写真も、この抹茶のおかげで実現できたようなものですし。
西尾城での目的は、これをもって終了となったのですけど、こちら方面に来たらもう1ヶ所寄っておきたいところがありました。しかし、日没までに間に合うのか微妙なので、とにかく急ぎますよ

………ということで、西尾市の南部にある常福寺に到着しました。 すでに大々的に姿を現しているのですけど………

こちらのお寺には、昭和3年(1928年)に建立されたコンクリート大仏があるのですよ その年は昭和天皇が即位され、日本全体がお祭りムードでテンションが高まり、このような大仏が各地に造られました。 ちなみにこちらの大仏の正式名は仮宿の大仏(かりやどのおおぼとけ)といいます。

それにしても、変わった指使いをしていますね。 見る角度を変えたら………

箔母さんの「よしなさい」という制止を振り切り、「鼻ほじり大仏」にしてしまいました。 さらにこの大仏様、実は御胎内巡りもできるようになっているのですよ しかし、日没直前でその内部は不気味さを増し、以前入ったことがある私でも躊躇するほどでした。 それでも、皆さんの「見たい 」という要望に応えるためにも………

しっかり潜入してきました。 そこは参拝の場となっているのですけど、失礼ながら異次元の世界のように思えます。 御胎内とはいっても、台座の部分がメインで………

そこから見上げたら、コンクリート大仏の内側の構造を確認することができました。

子供が成長し、親が歳を取っていくと一緒に行動するのは難しくなりつつあるのですけど、来年の年賀状で白黒茶々家はどのようになっているのでしょうか?いずれにしてもコロナ問題が終息し、外的要因がなくなることを願っています。


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