波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

なぜハムなのか

2007-09-14 00:58:04 | Weblog
こんばんは、白黒茶々です。
以前にも触れたことがあるのですけど、私は現在プロ野球の北海道日本ハムファイターズを応援しています。 なぜハムなのかというと………
「美味しそうだから」
………いえいえ、違います。話せば長くなるのですけど、今回はなるべく手短かにまとめるつもりなので、野球に興味のある方もない方もどうかできるだけ最後までお付き合いくださいませ~~~

そういう私も、実をいうとかつてはセ・リーグのある球団を応援していました。それはそこのファンだった父の影響もあるのですけど、やはりアニメの「○○の星」や「侍○○」に感化されていたことも否めません。 さらにその後名古屋近郊の大学に入った際に、アンチ○○の多いドラファン(中日ドラゴンズのファン)に揉まれているうちに余計その結束力を強めたという経歴もあります。 そのような中で、私は日本ハム球団を一応2番目に応援していたのですけど、それはあくまでも申し訳程度で、本命はやはり圧倒的に○○ でした。



○○球団は全国的に人気のチームで、そのチケットを入手するのは難しかったです。 そのはけ口として当日券でも余裕で入ることのできる日本ハムの試合をたまに観に行っていたのですけど、この画像はナゴヤ球場でおこなわれていたそのオープン戦の様子です。それでも、心はやはり○○のほうに向いていました。私はその時は○○の終生名誉ファンになるつもりでいました。



あ、それからこちらの画像は先ほどのオープン戦のスコアです。

かつて○○の四番で派手さでは誰にも負けないNさんが監督に就任し、劇的な優勝を果たしたりしたところまでは良かったのですけど……… そのうち彼は他球団の名選手漁りに走り、そのおかげでチームも、内外から勝って当然という目で見られるようになっていきました。そして2000年にぶっちぎりで優勝 私はその際にも万歳三唱で喜んだのですけど、それと同時にどこか虚しさを感じていました。さらにチームはその2年後に、かつて若大将と呼ばれたHさんを迎えて優勝 しかしその翌年は低迷してしまいました。それにガマンが効かなかった当時のWオーナーは一方的にH監督を解任、いや、形の上では辞任ということになっていましたけど、それはファンを無視した暴挙と言ってもいいでしょう。 それに加えて今まで以上に露骨に他球団の4番打者を集めだしたので、ついに私の堪忍袋の尾が切れてしまいました。
「一緒に応援してくれた私の親きょうだいや義兄、義姉には申し訳ないのですけど、○○党辞めます」
そしてそのままプロ野球ファンを辞めてしまったのかというと………

そうは問屋が卸しませんでした。 またしても私のはけ口は日本ハム球団に向けられたのです。 当初はとりあえずそこのファン所属程度にしておくつもりだったのですけど、チームの内容をいろいろと調べていったら……… 予想に反して面白いじゃないですかっ

チームはその年に札幌に移転し、球団名も北海道日本ハムファイターズに変わりました。その本拠地となる札幌ドームも構造からデザインまで気に入った 新しくなったユニフォームも私のツボにハマっておるぞよ そして極めつけはその頃日本に戻ってきた新庄剛志選手です。彼はオフシーズンに出演した「クイズミリオネア」という番組で、サイコロ鉛筆を頼りに賞金の1000万円を獲得するという神業を成し遂げたのです。



昨年の画像になりますけど、向かって右側が新庄選手、左が稀哲(ひちょり)選手になります。


さらに、球団のマスコットのB☆Bもサービス精神満点です。

その後、日本ハムはヒルマン監督のもとでメキメキと力を伸ばし、昨年は44年ぶりに日本一の座に輝きました。 もちろんその時に私はこの世に存在していなかったので(途中、昭和56年にリーグ優勝というのもありましたけど、その時は野球そのものに興味がなかったので、ゴメンナサイ )、その優勝シーンを見るのは初めてでした。
その際には、サッポロビールと日本ハム製のソーセージで祝勝会を開いたのですけど、箔の呼び名が一時的に変わりました。

今年も日本ハムの快進撃は続いていて、今現在リーグ優勝の一歩手前の位置に来ています。 もし今回も優勝したら、箔のことをハムと呼んでもいいですか?



結局、そう来るんかいっ
………という箔の声が聞こえてきそうですけど、「ハム」と呼んで彼が振り返ったら、容認してくれたとみなして実行させていただくようにします。ただし、一日限定ということで………   
コメント (18)
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