沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

GO! ヤンバル

2008年02月28日 | どぅしぐわぁ

 昨日(27日)は寒かったですね。気温が低いというより、風が強くて体感温度が急降下したといえる一日でした。下写真は、寒さのせいか、群れをつくってえさを探すスズメたち。アスファルトの上にどんだけの食べ物が落ちているんでしょうねぇ。でも強風に負けじと、必死で羽ばたいています。ハチロー、見習うべし。

Photo

 さて夜は、幼馴染のてっちゃんと飲んできました。場所は美栄橋駅下の「串清」。美味しい串焼きとビスビールで人気の小さな人気店です。初めてかと思いきや、入店してみると数年前に営業の先輩に連れられて入った記憶が蘇りました。相変わらず串焼きは美味しかっPhoto_2たです。店内にはきれいな女性二人組みが二組もいました(チラ見で確認)、女性に人気がある店はいい店だといいますね。右写真は酔いも回り、仕事上のこぼれ話を次から次へと繰り出すてっちゃん。決して鬼嫁に怯えるプロレスラーではありません(独身ですから)。

 ご参考までに⇒「鬼嫁に怯えるプロレスラー」

 に、似てるぅ~。

 さて、写真には写ってませんが、酒席には同じく野球メンバーのすすむちゃん、職場が近いというミズエも同席。でも話題は男の職場の話ばっかり・・・。ミズエには悪いことしたかなぁ。次回は別の話題で楽しみましょう!

 建設会社の営業マンというすすむちゃんからは、建築基準法改正談合疑惑に揺れる建設業界の現状を聞きました。営業マンってそういうあおりを一番受ける部署なんですよね。みんな大変だなぁ。

 ところで、すすむちゃんは業界の不況にも負けず、最近カメラにはまっているとのこと。先日、貯めていた小遣いを投入し、RICHOのcaplio GX100を8万円で購入したようです。コンパクトデジカメながら24-72㍉の超広角ズームで、1000万画素のハイエンド機です(詳しくは下を)。触らせてもらいましたが、使い勝手がいい! 「カメラの王道は一眼レフ」というのに変りはないでしょうが、こういう小さくても高性能なものが出てくると、スナップショットにおいては断然有利かと。サッと出てきて、パシャですからね。上のてっちゃんの写真はもちろん愛機D300ですが、カバンから取り出すのにハチローはあたふたと・・・(笑)。

 追記:すすむちゃんは奥さんに「会社の経費で買った」と偽装報告したようです。これだからこの業界は!(笑)

  リコー「caplio GX100」について

 そうそう、大事なことを書き忘れていました。てっちゃんからついに受け取ったのです。われらが愛すべき弱小球団ダンキンズの新ユニフォームを!(下写真)。どうです、かっこいいでしょう? 何でも、王監督の指揮のもと、イチロー、松坂らが大活躍し、見事第1回大会で優勝したWBC日本代表と同じデザインだとか。背番号は希望のがかなわず、これまでどおりの1番(全盛期の西武・秋山に憧れてつけたものの、今となっては恥ずかしいばかり。笑)。しかしヤンバルに行くと、さらに参加率が低くなるであろうハチロー。送別飲み会で渡すところに、エース兼監督であるてっちゃんからの「参加しろ」という無言のプレッシャーをひしひしと感じています(笑)。頑張るけど・・・。

Photo_3

 てっちゃんよ、忙しい中、ありがとう。ゴルフも覚えて、たまにはヤンバルに遊びに来なさい。俺が那覇に行くよりは、現実的だはず・・・(笑)。

 さて、これから大急ぎで最後の詰め込み作業に入ります。深夜までかかるかと。そして明日、会社にてめでたく辞令交付を受けた後、運送会社とともにヤンバルへ向かいます。※本社勤務はあと2日残しているのでいったん戻ってきますが。

 引越し先のアパートでのネット環境がスムーズに行くかどうか(工事は発注していますが)、多少疑問なので、当ブログの更新が案外遅れるかもしれませんね。コメントの返信が遅れた場合はご了承ください。

 34歳と9ヶ月、庶民派サラリーマンハチロー、自分なりの夢と希望を持ってと二人、北に向かいます。

 

 テルおばぁヤスーン!が、追い風を送ってくれることでしょう。

 いや、とっくの昔から吹いていたのかもしれません。

 

 最後に、迷えるハチローの背中を押してくれた皆さん、ありがとうございました。そしてこれからもお世話になります。

 では、行ってまいります!


35回目の春

2008年02月25日 | どぅしぐわぁ

 昨日(2/24)はテルおばぁ四十九日でした。数少ない親戚が実家に集まり、弔いの儀式に一応のけじめをつけました。ハチローも線香をあげ、遺影の中のテルおばぁヤンバル異動の旨を伝えました。最後のメッセージを忘れずに、二度とない35歳を頑張ります、と。

 その前日の土曜日はヤスーンの初七日だったようです。ハチローは仕事で参列できませんでしたが・・・。四十九日(4/5)は何があってもヤンバルから戻って来るつもりです。

 ヤスーン、君がくれた最後のメールにロックをかけたよ。俺にとっては宝物だからね。帰京前の君が感謝の言葉でつづった文面に、今更ながら泣けてくるよ。  Photo_2 

 さて今日もOFFだったハチロー、引越し作業を一人黙々と続けて・・・のはずが、その前に家事に忙殺されました(泣)。パートに向かう妻の送迎、洗濯二回、炊事場を埋めていた皿と生ごみの片付け、そして夕飯の支度・・・。家事もこなすサラリーマンを目指すハチローですが、さすがにこの時期にこういうことに時間をとられるとなると、本当にストレスがたまります。思わず控えていたビールに手が伸びました(笑)。久々のモルツ、うまかったっす。でも最後まで飲めませんでしたが。

 気付くと、すでに夕方。泣く泣く妻を迎えに行きました。ああ、俺はこの大事な時期に何をやっているのだろう・・・。

 途中で寄った末吉公園ではサクラが散りかけていましたねぇ。夕日を浴びるサクラのアップです(下写真)。もちろんD300で撮影。今や肌身離さず持ち歩いているD300。助手席に置いてあるのを見ているだけでも高揚感につつまれる34歳と9ヶ月です。気分は、伊東美咲を連れてドライブする電車男、といったところでしょうか(笑)。

Sakura

 

 この冬、大切な人が二人も去っていきました。

 それでも季節は巡るのですね。

 沖縄は、もうのようです。

 

 ヤンバル異動を前にいろいろ勉強したいこともあるのですが、その余裕がまったくないのが本当に悲しいっす。さらに、プライベートになるとまったく時間がありません。ヤンバルへ行く前に一杯飲みたい面々がまだまだいる(同じアパートに住む後輩のT.N.、KINKOら大学の友人、他社でありながら色々教えて頂いた諸先輩、その他よく飲む常連さん)のですが、難しそうです(泣)。あ、でもゆっくりできる最後の日になるであろう27日は、ハチローの数少ない幼馴染であるいちどぅしてっちゃんと飲む約束をしております!ハチローの事情で一度は直前キャンセルしたため、今回は必ず行きます。それが恐らく旅立ち前の最後の杯になるかと。

※しかし「いつもの居酒屋は避けようぜ(笑)」とわがまま言って他の店にしてもらったのですが、そこもイマイチ(超失礼!)なので、もうハチローが予約しようかなぁ(笑)。一度行ってみたかった串焼き屋があるので・・・。

 どちらにしろ、楽しんでくるしかないっ。

 てっちゃんよ、美味しいお酒にしようぜ。 

 さ、これから本をヒモでしばる作業に入ります。

 暗いなぁ・・・。


最高のどぅしぐわぁでいてくれ

2008年02月21日 | どぅしぐわぁ

 昨日2月20日、ハチローのいちどぅしヤスーンの通夜が執り行われました。

 霧雨が降る中、Tら~、ポン先生、森どぅ、砂吉、ミズエ、ちぃかぁ、ハチローの7名でヤスーンの実家を訪れました。亀さんは残念ながらシフト上の都合で見送りました(しかし深夜からの供花の手配、本当にありがとう)。

 ヤスーンは棺の中で静かに横になっていました。顔色はすでに紫色になっており、さわってみると冷却用の氷のせいでとっても冷たくなっていました。

 先日のテルおばぁのように「まだ生きているんじゃないか」という思い込みは、全く起こりませんでした。当然でしょう。先月19日に不慮の事故に遭い、それから約一ヶ月も病床での激闘の末、17日力尽き、静かに目を閉じたんです。棺の中のヤスーンに、生命の匂いはありませんでした。

 しかし、ヤスーンを見れば、いなくなったことの実感がわくと思っていたハチロー。間違っていました。

 ヤスーンにもう会えないということが、未だに信じられないのです。なぜでしょうか・・・。

 お父さん、お母さん、弟さんをはじめ、たくさんのご親戚が迎えてくれました。ご両親がとても気丈にふるまっていたのは、連絡をくれたときの弟さん同様、長い入院期間を経て覚悟ができていらっしゃったのでしょう。日頃クールな砂吉が号泣していました。ミズエ、ちぃかぁの女性二人は、家に入る前から泣いてたね。

 ハチローは今までの思い出の写真と、ヤスーンへの心からの感謝の言葉を綴った手紙を 棺に入れました。そして「東京の海は冷たかっただろう。俺達は君と出会えて本当に幸せだった。君の笑顔を見るのが年二回最高の楽しみだったよ。その喜びがもう訪れないというのはどんなにつらいことか。ヤスーン、お疲れ様。素晴らしい思い出を、本当にありがとう」と伝えました。頭はボーっとしていましたが、なぜだか涙は出てきませんでした。

 もちろんヤスーンは何も言いませんでした。

 部屋には、去年ハチローが撮影した真栄田岬でのヤスーンの写真(右)が置かれていましPhoto_2 た。お母さんが言いました。「ハチローさんのことはよく話していましたよ。この写真にはみんなで喜んでいました」と。ハチローは目頭が熱くなりました。あの時、照れながらもCOOLに受け取ったヤスーンが、実家で親戚中に披露し、こんなにも喜んでいてくれたとは・・・。そしてそのヤスーンは今、目の前に物言わず横たわっているのです。

 どぅしぐわぁ一人ひとりがそれぞれの思いを棺の中に伝え、ヤスーンの実家を後にしました。まるでスプレーを吹きかけているような霧雨は、何とも表現しようのないハチローらの気持ちを表すかのようでした。

 そのまま別れて帰る気にもなれず、近くの居酒屋へ。ヤスーンとの思い出が詰まった写真を眺めながら、みんなでしまぁを飲みました。暗くなりがちな場をTら~が精一杯明るくしてくれました。そんな陽気な彼も、まぶたがはれていました。昨晩一人涙を落としたのでしょう。Tら~、お前こそ無理するなよな。

 下写真はみんなが「これいいね」と評した写真。こちらも以前、当ブログでもUPさせていただいておりますが再掲します。さよなら、ていう感じで手を振っている様子に見えて悲しくもありますが、「COOLなヤスーンの雰囲気が伝わってくる」とのこと。この二枚ともハチローにとってヤスーンと過ごした貴重な時間の証拠であり、大事な2枚であることに変りはありません。「かっこいい絵を撮りたい」とヤスーンにお願いをしていた2人の共作でもありますから。会社のD200という高級一眼レフも使用しましたし。

Photo_3

 しかし、ハチローにとってヤスーン最高のショットは最後にUPする一枚なんです。 

 ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    

 話を戻して・・・。酒を飲み、写真を見ながら次第にこれまでの思い出話へと。ハチローの心にもヤスーンと過ごした数々のSCENEがよみがえりました。

 高校時代からシャイだったヤスーン。ある英語の授業時間(「生きた英会話を」が流行りだしたころだったため)、ハチローらのクラスにも外国人教師がやってきました。大柄な白人男性だった彼は、日いずる国NIPPONの高校生と早く打ち解けようと必死でした。そして一人ひとりに「ワッチュアネイム?」と聞きまくりました。ハチローも聞かれたため答えると「Oh! ユー・アー・ハブロー!ベリーグッゥ」と(笑)。笑いをとろうとわざと間違えているのは一目瞭然でした。そしてその順番がヤスーンにも回ってきたのです。シャイだったヤスーンは顔を赤くしながら「マイ・ネイム・イズ・ヤスフミ」とボソッと答えました。すると外国人教師は大げさに手をひろげ「Oh! ユー・アー・ヤスーン!」と言ったのです。そうです、それが、ヤスーンというその後15年以上も続く愛称を拝命した瞬間だったのです。忘れかけていた淡い記憶が鮮明によみがえりました。

 学校帰りはよく7人で歩いて帰りました。その時もシャイで寡黙なヤスーンは黙りっぱなし。周りのヤツらのギャグを聞いて静かに笑うだけでした。次第に「ヤスーンが笑ったらそのギャグは面白かった」という評価基準までできてしまったほどです(笑)。

 またクラス会のあとの深夜のラーメン屋で一人しぶく「しお」と注文し、食後に一言「うまい」といっただけで、内輪でのそのラーメン屋の株が上がったこともあります。

 中学時代は野球部だったらしいので、一緒にバッティングセンターにも行きました。しかしフォームとスイングスピードはいいのですが、なかなか快音が聞かれず。ハチローが「どうしたヤスーン?」と聞くと「ボールが見えない」とポツリ。かなり視力が悪いことを誰にも言ってなかったようです。それでも何も言わず黙々とバットを振り続けたヤスーン(笑)。友達との付き合いに自分の事情を持ち込みたくなかったのかな。彼らしいといえば彼らしい思い出。 

 高校を卒業すると、ヤスーンは急に音信不通になりました。物静かだった彼だけに、急激にその存在は薄れていきました。ハチローも宅ハチローだったころで、「市内の古本屋でバイトしているのを見た」という情報が入ってきたのみでした。二浪して地元の国立R大学に入学してから「ヤスーンは一浪で合格し工学部にいるらしい」という話を聞きましたが、学費を稼ぐためにバイトに明け暮れる毎日だったハチロー、結局在学中の四年間一度も会うことがありませんでした。そして「ヤスーンは別の目標があって3年次で中退したらしい」ということを風の便りに聞いたのです。

 1999年、現在の会社に入社したハチローを待っていたのは、新入社員を震え上がらす営業ノルマでした。血縁の強いここ沖縄にとって、営業ノルマなんて本人の努力よりも親戚の数で達成率が決まってきます(笑)。育ちのいいボンボンほど左うちわで肩で風切って歩ける社風なんです(悲)。片親でしかも県内にいとこすらいないハチローにとってそれは大変な壁でした。もう友達を頼るしかない、と卒業アルバムの住所録をめくって電話攻勢にでました。その時、初めてヤスーンの実家にもかけたのです。ヤス母は言いました。「残念だけどヤスフミは今沖縄本島にはいないのよ。西表島でダイビングガイドをしているの。携帯番号教えるからかけてごらん」と。ハチローはビックリしました。あのシャイなヤスーンが離島でガイドをしていると! 国立大学を中退してまでやりたかったことはこれなのか、と。

 早速かけてみました。ほぼ6年ぶりに聞く声は、照れくさそうに笑っていました。本島でダイビングガイドをやっていたが流れ流れて西表島までやってきたと。小さいショップで大変だが、何とか頑張っていると。ハチローの脳裏にはヤスーンの笑顔と西表島の大自然が浮かびました。「今度の夏休み遊びに行くからよ」と約束をして電話を切りました。結局ノルマは達成できませんでした(笑)

 そして2000年か01年の夏、ハチローは一人西表に旅に出ました。初の石垣、そして初の西表。旅疲れのハチローを迎えてくれたヤスーンは高校時代とは別人のようでした。茶色いアフロヘアーに小麦色で筋肉質の体! 高校時代「星の王子様」と呼ばれていた品のよさが消え去り、西表でつちかった野生の匂いがプンプンしていたのです。当時、体重がリバウンドし85㌔あった新人サラリーマン・ハチロー、わが身を恥じました(笑)。 

 その日一日、楽しかったよ、ヤスーン。カヌーでマングローブ流域を上り、沖縄最高の滝ピナイサーラまで行ったね。滝をバックに野郎二人で記念撮影をしたね。ショップに戻ってからは客のいないフロアーでビールを飲んだなぁ。そして「いつかTら~なんかとみんなで来て、店ごと貸し切るからよ」と出来ない約束までしたね(笑)。

 その後、ヤスーンはそのショップも退職し、本格的に潜水作業士の道へ。やはり性格上、ハイテンションで来る観光客の相手をする接待業務につかれていたよう。君は、安っぽいお世辞を言える性格ではなかったからね。

 西表での再会をきっかけにヤスーンとハチローらの交流も復活しました。下写真は貴重なレディースも揃ったいつかのビーチパーティー。ミィーも写ってますね。

 Photo_4

 そうそう、このときヤスーンは潜水作業で指を骨折したまま帰沖。ふくれた指にみんな絶句したよ。そしてヤスーンの誕生日が近いこともあって、みんなで救急箱をプレゼントしたなぁ(ポン先生が「俺の方が誕生日近くね?」とぼやいていたのを思い出します(笑))。そのころから、潜水業務の危険さをみんな感じてはいたんだけどね・・・。

 ヤスーン、本当に楽しかったよ。一枚一枚の写真に数え切れないほどの思い出が詰まっています。 

◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆

 ヤスーン。君に謝りたいことがあるんだ。二つある。

 一つは4年前のハチローの披露宴のときのことだ。ヤスーンにはぜひ出席してほしくて前々から航空チケットを郵送していたね。ヤスーンも「喜んで出席する」と言ってくれてた。でも披露宴のまさに前日、君から電話が・・・。「ハチロー、ご免。いけそうにない・・・」と。俺は本当にショックだったよ。というのも、言い訳になるが、披露園前日の新郎というのはすべてのゴタゴタを背負っていてストレスもピークの状態ではある(ここまでは完全に言い訳)、さらにその1時間前に会社の同僚からも「明日やっぱり行けんやっさー。ご免なぁ」というアホな電話を2,3件も受けて怒り心頭に達していたハチロー(出席可否も確認したのに前日に言うなどアホ。席代として祝儀を渡すのは最低限の礼儀だろうが。お前らは社会人失格じゃ)。そんな状態ながら「明日までの我慢」と自分に言い聞かせていた矢先の君からの電話だったんだ。まさか、ヤスーンまでもが・・・と、俺はもうショックでショックで声を出すこともできなかったよ。君は言ったね「同僚が突然の事故死で俺がどうしても現場に入らなくちゃいけないことになって・・・」と。「分かったよ。ヤスーン。そんな事情なら仕方ないが、本当にガッカリだよ」と俺は言ってしまったんだ。

 披露宴当日、どぅしぐわぁたぁの協力の下、無事宴席を終わらせ、2次会、3次会に移ったころ、君は目の前に現れたね。「ハチロー、遅れてご免。おめでとう」と。目を疑ったが、心の底から嬉しかったよ。代理業務を何とかこなし、急ぎ最終便でやってきたと。ほとんど作業服だったから聞かなくても分かったよ。握手した手も油で汚れていたね。相変わらず笑顔だったが、かなり疲れているのと、どことなく悲しげな目をしていたのを覚えています。

 それから数年たって、Tら~(多分)から聞きました。その時事故死したのはヤスーンの最高のバディだったと。ヤスーンは自分の相棒の事故死という悲しみのどん底にいながら、ハチローに電話をかけていたのだと。そんな彼にハチローは「ガッカリだ」と言ってしまったのだと・・・。

 いつか謝ろうと思っていたが、ヤスーンの笑顔を見るたびに、結局できなかったよ。ご免よ。あの時は、俺が悪かった。自分のことで頭がいっぱいだった小さな俺は、大事な友達の心の痛みに気付かなかったんだ。親友として失格だね。

 でもこれだけは間違いない。あの日、ヤスーンの顔を見て初めて、俺は「やっと終わった」という実感を感じたんだよ。みんなに祝ってもらえた、という幸せを感じたんだよ。ありがとう。

 もう一つは、二週間前のこと。ヤンバル異動が確定してから、早速君にメールを送ったね。ヤンバルは君がかつて働いていたリゾートホテルもあるし、いつかそのショップでダイビングしようと約束もしていたからね。異動は君も喜んでくれるだろうと・・・。でも待てども待てども返信がなかった。「何だよ。ヤスーン、つれないなぁ」と俺は思っていた。昨夜、自分の送信履歴を確認してみたよ。2月7日の送信だった。返信がなくて当たり前だ。

 その時、君はすでに脳死状態で病室に横たわっていたんだね。

 俺は本当に自分のことしか頭にない小さな男だね。君が一人、東京の海中で苦しんでいるときに、俺は自分の人事の話で浮き足立っていたんだ。そして君が一人生死の境をさまよっているときに、メールの返信を求めていた・・・。本当に親友として失格だよ、俺は。

 ご免な、ヤスーン。これだけは謝っても謝りきれないよ。

 いつか天国で逢ったときに、一番最初に、まず謝らせてくれ。

◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆ 

 今日21日、告別式に参列しました。通夜には来れなかった亀さんとミスミの顔もありました。そして久々に見るN高生の顔もチラホラ。ヤスーンの人柄を偲び、みんな顔がくしゃくしゃでした。

 ヤスーン、君の弟さんは立派だったよ。遺族代表あいさつでもしっかりと話していた。高校のころ一回見たことがある、あのひょろっとした眼鏡っ子だろ。それがここまで立派になっていて・・・。顔立ち、声、君に似ていたよ(笑)。

 ヤスーン。親友として言わせてくれ。ご両親のことは心配するなと。「親より先に死ぬのが一番の親不幸」という。俺もそれを心配していた。もし、ヤスーンのご両親が泣き崩れて立ち直れなかったら・・・と。でも弟さんを見て安心したよ。年老いた親を守る子としての義務、彼なら大丈夫だ。

 だからヤスーン、何の心配もせず、ゆっくりと安息の地を探せばいいさ。

 通夜のあと、居酒屋でみんなと話したよ。「悲しむだけなら友達じゃないのでは」と。俺達は悲しむだけじゃなく、君と一緒に過ごした大切な思い出を守っていくという義務があるんだとね。それは写真という形もあると思う。でも一番大切なのは、今後もみんなが仲良く集まるということだと。Tら~が強く言ってたよ。飲みたいだけかもしれないが(笑)。でも、それが今までもこれからも一番の理由だよ。もちろん、その場にはヤスーンの席も用意しているからな。

◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆ 

 でもね、ヤスーン。

 君が海の世界に目覚めたという慶良間の海。今年こそ、シーサーのボートで行って3DIVEして、帰りの船上からビールを飲んで、そのまま焼き鳥屋へ直行しよう!っていう約束。もう果たせないんだね。俺にとっての最高のバディがいなくなってしまったという現実。本当に、本当に寂しいよ。どんだけきれいごと書いても、この心にぽっかりと出来た空洞は埋まらないんだ。俺はこれから誰と沖縄の海に潜ればいいんだい? 海が嫌いになってしまうかもしれないよ。先に逝った君を恨むことがあるかもしれません。

  今頃、涙があふれてきた俺を許してくれ。

 この34歳、鼻水もとまらないよ。

◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆    ◆ 

 ここで、ハチローが撮ったヤスーン最高のショットをUPします(下写真)。カメラは自身最初で最後のフィルム一眼レフ(CANONのEOS KISS α)で、2000年前後の撮影かと。ヤスーン、Tら~、亀さん、ハチローという彼女いない寂しい男4名(当時)でドライブしたときのものです。夕暮れ時バイクに乗るヤスーンを、亀さん自家用車の後部座席から撮影。

 どこが、いい絵かって? ただのアップじゃないかって? 分からない人には分からないんです。構図、ピント、色彩、背景、そんなことどうだっていいんです。

 まず、男4名のドライブでなぜ彼だけバイクに乗っているのか。それはTら~のプチわがままがあったからなのです。不免許ながらなぜかバイクの運転がうまかったTら~。ドライブが決まったときに「ヤスーン!お前のバイク持ってきてぇ。警官の来ない荒地で乗らせてくれ」という彼の破天荒なお願いを断りきれず、ヤスーンは一人だけバイク出動したからです(笑)。確か読谷あたりまで行ったよなぁ。ひどいっ。

 三人が乗る車を一人がバイクで追う。こんなドライブ見たことありませんがね(笑)。でもこの写真は、信号待ちしていたハチローらの車にやっと追いついたときのヤスーンの照れた笑顔、その瞬間を切り取った一枚なんです。ハチローらが年二回会うのを楽しみにしていたヤスーンの最高の笑顔なんです。上の海中写真は、確かにかっこいいかもしれません。でもヤスーンにポーズをお願いした時点で本当のヤスーンではないのです。少なくともハチローらにとって。

 スタンドを立てたまま、国道を走行し(危険!)、それをTら~に指摘された後だっただけに、照れくささがいっそう笑顔ににじみ出ていますね。 

 最高の笑顔を見せてくれたヤスーンはもういない。

 でもこの写真で、いつまでも変らないヤスーンに会える

 間違いなくハチローのベストショットです。

 すべての思いが詰まった一枚だからです。

 Photo_5

  

  新城安史(アラシロ・ヤスフミ) 

  享年36歳(数え年)  職業:ダイバー

  沖縄の海をこよなく愛した生粋のウチナーンチュ

  2008年2月17日 不慮の事故が原因で天国に召される

   

 ヤスーン、俺はしぶとくあと何十年も生きるはず。だから天国で逢うのは、まだ先だな。

 でもいい案がある。寂しくなったら、海の中に来ればいい。

 (陸上だと幽霊だからな) 

 美しいさんご礁の前で、再会できる日を、心から楽しみにしています。

 

 ヤスーン、最高の笑顔と思い出を、本当にありがとう。

 これからも最高のどぅしぐわぁでいてくれ。


会いにいこう

2008年02月18日 | どぅしぐわぁ

世の中にこうも残酷な連絡があるでしょうか。

午後9時をまわり、引越しの準備を着々と勧めているハチロー。

いちどぅしヤスーンの弟さんから、電話がありました。

彼は告げました。

 

「アニキが昨日亡くなりました」と・・・。

 

ハチローは耳を疑いました。

足がふらつきました。

弟さんの低いしっかりとした声が続きました。

先月の十九日に潜水作業中に心配停止の状態で見つかり、

そのまま意識が戻らなかったとのこと。

入院先の病院で昨日(17日)、死亡が確認されたと。

 

ヤスーン、ウソだろ? 

年末年始と一緒にダイビングもして酒も飲んでカラオケも歌ったよな?

その二週間後に命を落とす事故に遭ったっていうのかい?

それから、一ヶ月もの間、意識不明で病床にいたっていうのかい?

そして昨日、息を引き取ったっていうのかい?

これは夢ではないのかい?

 

弟さんの声はとてもしっかりしていました。落ち着いていました。

それはすなわち、事故からの一ヶ月にも及ぶ入院生活で、

弟としての覚悟ができていたのかと・・・。

でも、その経過を5分間で聞かされたハチローは、頭がへんになっています。

 

明後日の通夜に参列しようと思います。

告別式は明々後日のようですが、ヤスーンに会わなければどうしても信じられないから。

 

心の底から夢であってほしい。

ヤスーンがもうこの世にいないなんて、認めたくない。

胸の中がどす黒く変になっています。

 

どぅしぐわぁたちよ。

現実をみんなで受け止めに行こう。

いつもと変らぬ気持ちで、ヤスーンに会いに行こう。 

連絡します。


最強の相棒がやってきました!

2008年02月15日 | カメラ

 そうです。そうなんです。ついにアイツがやってきたのです! 何ちゃってカメラマン・ハチローの頼りない腕を、ここぞというときに必ず助けてくれるであろう最強の相棒が! その名もD300(でぃーさんびゃく)。キムタクのCMでお馴染み、NIKON製のハイアマチュア向けデジタル一眼レフカメラです(下写真)。※ミューにて撮影。ところでミューよ、心配するでない。君と彼とは存在意義が違うのだ。どんなに彼が優秀でも、わしのポケットに入るのは君だけなのだ!

D300

 しかし、買っちゃいましたぁ・・・(笑)。値段はもう言いません。3年前に妻に買ってあげた結婚指輪より高い、という衝撃の事実だけお伝えしておきます・・・(購入決済を下した妻に感謝です)。もちろんボディだけでなくレンズ&ストロボもセット。レンズは喉から手が出るほどほしかった18-200㍉(手ブレ防止機能付き。開放値はF3.5)を選択。かつての広角、望遠という世界観をぶち壊すような性能です。ストロボはSB600を(写真には写ってません)。もちろんD300は内臓ストロボも備えているのですが、このクラスになると外付けが必須ですなぁ。

 日頃使用しているD200の後継機だけあって、ホールディングも違和感なし。ISO感度も3200までの設定(試し撮りしましたが画像に荒れなし!)。素晴らしいですねー。

 カメラに興味のない方にはまったく何の話だか分からないと思いますが(笑)。とにかくすごいんですよー。

 もうちょっと語っていたり、触ったりしていたいのですが・・・。

 PL時代の清原がバットを抱いて眠っていたというように、ハチローも抱いて寝ようかな。

 間違いなく壊すからやめとこう!(笑)

 明日も早いのでもう寝まーす。


後輩からの教え

2008年02月13日 | お仕事

 今夜は後輩のJUNちゃんの誘いで軽く飲んできました。彼いわく「ヤンバルに左遷されるハPhotoゲちゃびんを哀れんだ僕なりの送別会ですよぉ」とのこと・・・。先輩としては、こらこらこらぁ~!ってつっこむところですが、正直嬉しかったのがハチローの率直な気持ち。

ヤンバル異動というと、たいていが「可愛そうに都落ちかぁ」のような表情になるのは、どうしてでしょう(笑)。わしは希望をもって行くんじゃい!

 実は今日も職場のガキンチョぶりに辟易したハチロー。上司がそれを指摘しない時点でもう終わっている部署ですが。まぁ来月にはこの部署をめでたく脱出するハチローですからもう何も言いませんでしたが・・・。指摘するやつがいなくなったら本当に終わりだっていうこと知らないのですね。

 そんな悲しい業務時間を過ごしたハチローにとって(それでも給料が発生するのが悲しい)、相棒とも言える後輩JUNちゃんのお誘い、正直うれしかったのです。が風邪気味という状況ながら、お誘いを断ることはできませんでした(酷夫!)。

 ※ハチローの愛すべき後輩JUNちゃんについては過去記事を

 ⇒「昼、夜、相棒との交流」(07/05/29記事)

 しかしいい酒でした! 何といってもJUNちゃんの正直な気持ちが聞けたのがよかったです。実はハチローと同じ部局を希望し、異動希望を出していたとのこと。残念ながら今回はそれが叶わなかった彼ですが、彼なりの会社に対する思いを聞かせてくれました。それはそれは熱いものでした。社内の勘違いどもに聞かせてやりたいものですなぁ。一方はここまで会社の存続に命をかけているのに、他方は自分のセコいプライドを守るために一日一日を費やして給料を要求する。あ、もういいか。消費期限がとっくに過ぎたことを一生懸命偽装しているヤツらは、早いうちに時代に淘汰されるでしょうから。

 その時、自分でつけた「優良品」の名札をあわてて隠し、泣いて会社にすがりつくんでしょう。「僕ちゃん、ただのサラリーマン。何でもやりますから助けてください」と。

 JUNちゃん、いい酒だったよ。こちらが礼を言いたいくらいです。忘れかけていた熱い魂を思い起こさせてくれました。来年こそは、同じフィールドで一緒に仕事をしようぜ。勘違いペーペーの額にそのまんま「勘違い」という札を張ってやろうではないか。それが出来るのは「外様」とさげすまされる俺達だけだ(悲!)。楽しみに待ってるよ!

 しかし・・・仕事はどこでも一緒だよ。どこにいようと頑張ろうぜ。

 さて、下写真はヤンバル異動を見越してネットで購入したマイバッグ。うわ!おっさんくさいとは言わないで下さい(笑)。カタログを何冊も読み続け、やっと探し当てた一品なんです。デルセイというメーカーらしいっす。A4型のPC一眼レフ一台がすっぽり入るところに一目ぼれでした。

Photo_2

  ところで、一眼レフと言ったって何を入れるの? とお考えの方。鋭いっす! 確かにヤンバル異動が確定したハチローにとって、すでに会社支給の一眼レフはないにも等しいのですから。さて、何をいれるのでしょうか・・・。

 感の鋭い方ならもうお分かりのはず。そうです、買っちゃったのです! あのブツを! 30万円に届こうかというあの代物を!!!

 納品次第、ご報告させていただきます・・・。 

 ※ハチロー給料の手取り二か月分が吹っ飛びました(怖)


ヤンバラー宣言!

2008年02月07日 | お仕事

 正式発表を待たずに打ち明けましょう・・・。これ以上黙っているのは「我慢の限界!」(千代の富士風)だからです(笑)

 山原ヤンバル)への異動が内定しました。というかほぼ確定です。ぱちぱちぱちぃ~!

 ※ヤンバル=方言で沖縄本島北部一帯のこと。 

  嬉しさのあまり、深夜までヤンバルの地図を眺める少々アブナイ34歳サラリーマンです(笑)。※しかし地図を見るのがこんなに楽しいものだとは・・・。

 ということで、OFFの今日、妻と一緒に新居を探しにN市に行ってきました。実は、今回の異動を当のハチローよりも喜んでいる妻。理由はもちろんN市が地元だからです。今日も通常のドライブ以上にウキウキ感を漂わせていました(笑)。おいおい、地元に帰るからと言って、実家のお母さんに甘えるんじゃないぞぅ。それだけが心配の夫です・・・(笑)。

 下写真は高速を北上中、妻が撮った車上のヤギ。ヤギ汁にするために搬送中なのでしょうか・・・。希望に満ちて北上するハチロー夫妻と対照的に、悲しい目をしていました。食うものと食われるもの、これも自然の摂理。ヤギさんの命の分まで頑張らなければなりませぬな。

Photo

 3件不動産を当たりましたが、現在は異動のピーク時のちょっと前で、実は物件が少ない状況のよう。空き部屋が出るのは、退去者が出始める3月を過ぎたあたりのこと。とは言え、3月頭には転居を完了しておかないといけないハチローにとって、少ない物件の中から決めておく必要があるのです。数件見せてもらった中で一番気に入ったのが下写真です。

Photo_2

  うぅ~ん、入ったときの感動が全然伝わらない写真ですが・・・(笑)。広角38㍉のミューで撮影したためこれが精一杯。ただご覧のように白を貴重とした内装に加え、窓も南向のため採光性が抜群。明るい清潔な感じでした。間取りは念願の3LDK(やっとMY書斎への第一歩です)。さらに新築でオートロック。なので家賃は全て込みで、7万弱(高いっす!ヤンバルではプチセレブっす)。しかし会社から手当が出るので実際の負担は微々たるものなんですが・・・。

 外観、間取り、内装などなどほとんどに満足(角部屋でない、畳間がないの二点だけがPhoto_3残念)。更にハチローの心をつかんだのがベランダの蛇口! ダイビングにはまっているハチローにとって潜水器材を洗うスペース、これも小さな夢だったんです。現在は風呂場で洗っているので、ベランダに移動するとき部屋に水滴を落としまくりだったのですよ(泣)。

 地理的には、異動先である北部支社までわずか3㌔弱、車だと7分というアクセス。新興住宅地のため周りがちょっと草ボーボーで寂しいのが難点ですが。妻もかなり気に入ったようです。明日にでも仮予約をいれたようと思います。右写真はランチで行ったおなじみ前田食堂(名護店)。手前がハチローのソーキそば。奥が妻の焼きそばです。言うまでもなく、おいしゅうございました。

 山にはヤンバルクイナ、海にはジュゴン。自然豊かなヤンバルには短くとも2年間はいることになります。辺野古沖には普天間飛行場もやってくるとかこないとか・・・。新生ヤンバラー(山原の人)となるハチローの前にどれだけのSCENEが現れるのでしょうか。期待大です! 当ブログも「ヤンバル 8 SCENE」に改題が必要かな・・・(笑)。

 さて、先ほどいちどぅしの亀さんから連絡があり、早速送別会を催してくれるとのこと(早!)。ありがとねー。でも会などという大げさなものでなくてただの飲み会で結構結構コケコッコーだ!(おっと、オヤジギャグは大都会那覇に置いていくので心配無用)。

 どぅしぐわぁたぁと簡単に飲めなくなるのが異動で失う最大のものかな・・・(悲)

 明日は仕事、もう寝ます。


「日本一のさんご礁」デビュー

2008年02月02日 | ダイビング

 先日、ついに石西礁湖デビューを果たしました! 石西礁湖とは言わずと知れた国内最大のさんご礁群垣と西表の間にあることが名の由来)。さらにサンゴの種類数では世界一とも言われ、まさに沖縄が世界に誇る海の財産なんです。慶良間、与那国、辺戸岬ドーム、大浦湾などなど、初心者ダイバーにしてはかなり広範囲に潜ってきたハチローですが、ここを潜らなきゃウチナンチュダイバーとはいえない、と常々自分にプレッシャーをかけていました(笑)。

 案内してくれたのは地元ダイビング界で長老的存在のSさん。ショップ経営だけでなくオニヒトデ退治やらリーフチェックなどで率先して活躍されている、八重山ダイバーを代表する方です。が「昨年の台風、オニヒトデ、白化現象でサンゴが激減しているから、あまり期待しないでね」とのこと。そうです。石西礁湖は昨年、今年と過去最大に匹敵する致命的ダメージを受けているのです・・・。まぁ、どの程度の被害なのかも目に焼き付けておきたかったのではありますが。

 ポイントは竹富島の南。曇り空で寒かったのですが水温は23度、崎本部よりはマシでした(笑)。下写真は多彩なサンゴが息づく上を浮遊するSさん。彼の言うとおり、海底は砂地や、死んでただの岩のようになったサンゴが数多く見られましたね。あと昨年の巨大台風で、根からごっそり折れたサンゴの姿も・・・。

Photo

 2本目は場所を移動。「少しでもきれいなサンゴを見てもらいたい」というSさんの気持ちです。「巨大なコモンシロサンゴの群落を見せましょう」とのこと。期待して潜ったハチローを裏切らない光景が目の前に現れました!下写真です。

Photo_2

 多少、近寄りすぎた感もありますが・・・イボイボが気持ち悪いという方もおられるかと(笑)。しかし、サンゴから飛び出てくるデバスズメダイの数も凄くて、幻想的なSCENEでしたよ。さんご礁は「海の命のゆりかご」と言われるのが分かるような気がしました。

 最後に向かったのは「スカシテンジグダイの群れを」と案内されたポイント(下写真)。確かに群れていましたが、一匹一匹のあまりの小ささによく分からない絵に(笑)。ハチローの腕のせいでしょうね・・・(泣)。

Photo_3

 コモンシロサンゴに感動し、そして思っていた以上に沖縄の海の危機的状況を感じる2DIVEでした。

 おまけの一枚を・・・。石西礁湖で狩りをするカツオドリです(船上からミューで撮影)。初めて見ましたが、大きかったですねー。

Photo_5

 ところで、ハチローが海の中にいる間、陸地では千葉ロッテマリーンズのキャンプインがPhoto_4 あり、盛り上がっていました。何といっても地元が生んだ英雄大嶺祐太の凱旋でもありますからね(八重山商工旋風を覚えていますか?)。時間のなかったハチロー、空港に向かう前に妻へのお土産として八重山名物のかまぼこを購入(右写真)。その名も「マリーン・ボール」(!)。サイン入りボールを真似た紙ケースに入っているところと、まさにボールのように丸い形がウケますな。アーサとボーボーの2種類を選びました。お味は・・・まぁまぁだったかな(笑)。

 さてさて話は変って・・・。

 以前、新しい世界への挑戦として異動願いを出したハチロー。その願いが現実のものとなりそうです! まだ正式に決まったわけではありませんが、上司らの話を聞いていると、ほぼ間違いないかと・・・。

 34歳、体力低下とおでこの広がりが加速するプチおじさんですが(泣)、また新たなエネルギーが沸いてくるような気がします! 正式決定にはまだ一ヶ月ほどかかりますが、その際は改めてご報告させてください。

 石西礁湖ダイビングでの筋肉痛が今更襲ってきたので(笑)、今日はもう寝まーす。