沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

やんばるでGW2018

2018年04月30日 | キャンプ、車中泊

 2018年の大型連休の前半、8郎家は恒例のやんばるで1泊グラキャンをしてまいりました。早速、ご報告いたします。

 いつもの通り、高速道路を宜野座ICで降りるコースです。キャンプ・シュワブのゲート前では、辺野古移設工事の反対集会が開かれていました。この日は沖縄が日本から切り離されたサンフランシスコ講和条約締結日(いわゆる『屈辱の日』)から66年目の節目集会だったとか・・・お疲れ様です。

 今回の国頭ツアーには、残念ながらじいじは所用で参加できませんでしたが、ばあばが同行してくれました。食材の買い出しに名護のイオンに向かうと、駐車場にはごらんのような個性的な改造車が停まっていました(無許可で撮影しUPするのはどうかと思いますが、ほかにもたくさんの人が映撮影していました。謝)。所有者の方はこれで旅を続けているのでしょうか。楽しそうですね。

 名護からまた1時間使くのドライブを経て、国頭村のレストラン「浜風」に到着。8郎が北部に勤務時代によく通っていたお店です。肉料理を中心になんでもおいしいです。

 8郎はカツカレー。まあまあおいしゅうございました。高校生らしきホールスタッフのお姉さんは一人にも関わらず、てきぱきと働いていました。お姉さんの頑張りがお店のポイントをさらに上げていることでしょう(時給も上げてやってください!)。妻と10郎は白身魚のバター焼きという渋いメニューを選択。10郎は「バターにレモンかけるとおいしい」と中尾彬のようなグルメコメントを発していました。

 さらに北上。茅打ちバンタが見えてきました。沖縄本島の最北端に近づいてきたということです。いつ見ても滑り台のような台地ですね。

 目的地「奥ヤンバルの里」に行くまでに、近くの共同売店で足りない備品などを購入。ただ、残念なことに釣り針の種類が少なかったです。希望外のタイプを買うことに。

 不要物の処理をめぐって、ゆいまーるとリサイクルの精神が融合したようです。ご自由にどうぞ!

 宿に到着。昨年秋のどぅしぐゎーツアーと同様、ウニシ(3~5人タイプ)という一棟貸し。

 妻とばあばは宿に残ってバーベキューの準備。男二人は海の食材を捕りに港へ移動。かっちょい~。どぅしぐゎツアーでは小さな魚2匹だけしか釣れなかったので、父子二人で気合を入れます。

 しかし、数分後に10郎はこのありさま。

 なんと一匹も釣れませんでした! 大潮でしたが、タイミングが悪かったのでしょう。釣り針も・・・。満潮時間まで2時間を残して、あえなく納竿。「大きなマグロを釣ったけどかわいそうだから逃がしてやったよ」という言い訳を口裏合わせして、宿に戻りました。

 「奥やんばるの里」は翌日から、千匹単位で鯉のぼりがつるされるということで、この日までは静かな雰囲気。でも宿自体は満室でした。口裏合わせた言い訳を言う前に、ばあばに「魚は逃がしてきたんでしょ」と先手を打たれました!

  名護の我那覇焼き肉店で購入したTボーンステーキ(1450円)。4人で仲良く分けて食べました。

 骨の周りがおいしいことを知った愛息10郎。むしゃぶりつきます。ちょっとは野性的になったかな。

 すきっ歯でも完食!

 日が暮れ、曇り空の中、満月が力強く発光。にぎやかなお隣さんに負けじと、8郎家も花火をすることに。

 安い花火でしたが、楽しいものでした。

 風呂に入ると疲れがどっと押し寄せます。畳間で4人並んで就寝。毛布は、ばあばが日中に日干ししてくれていたので、気持ちよく寝床に入れました。

 電気を消しても、ふすまの向こうには赤い光がぼんやりと輝いているので、10郎が不安げ。確認すると消火設備の灯りでした。試しに写真に撮ってみるとかなりホラーな写り。国産ホラー映画の傑作「黒い家」を彷彿とさせます(怖)。

 さて、朝が明け、父子最大の楽しみキャッチボールです。30球程度やりました。今のところ、父は野球についてプラス思考全開で教えているので、愛息も自分にはなかなかの才能があると信じ切っている様子(笑)。やんばるの緑を背に、自信満々の決めポーズです。この後「肩が痛い」というので、氷で冷やしてあげると、数十秒で「治った」と言っていました(驚)。

 10郎のもう一つの楽しみが。それはココナッツ。イオン名護店で皮をむいたやつが400円ほどで売っていたので、興味半分で購入。8郎も幼いころからアニメなどで、漂流者がごくごくと飲むシーンを思い出し、懐かしく感じていました。

 包丁で割るにはあまりに硬いので、宿に備え付けのアイスピックで穴を二つあけ、天然のジュースを出します。思い切りこぼれているあらに。

 ココナッツジュースは細微な果肉や繊維のようなものが混入していますが、ほぼ透明。お味は想像通り。市販のジュースにはかないませんが、漂流した島で見つけたら「なんておいしいんだ」と思ってしまうであろうレベルです(8郎想像)。味覚的には、まさに、ココナッツケーキのあの不思議な風味です。コップ1・5杯分くらいの量がありました。

 鯉のぼりの設営作業がピークを迎える中、チェックアウト時間が迫っていたので宿を出発。エクストレイルが通りやすいように、地元の方々がロープを下げてくれるなどしてくれました。ありがとうございました。来年は祭りの最中に訪れますね。

 帰路は東海岸を選択。「チル橋」という橋から太平洋の壮大な絶景を拝みます。残念ながら空がかすんで水平線がわかりづらいですね。10郎はまるでジュノンボーイのような爽やかポーズを決めています。10年後、好きな女の子をドライブに誘って、この絶景を背にその笑顔で告ったらどうだい?

 県道2号に入り、普久川(フンガワ)ダムで休憩。きれいな鳴き声を発する茶色い野鳥が一羽、地面でえさを探していたので、近づいてみると、なんとホントウアカヒゲではありませんか。ヤンバルクイナノグチゲラという双璧と並ぶ、やんばる野鳥の3大固有種の一種です! 警戒心が強く、近づこうとすると、背中を向けたまま遠ざかります。愛機D300と望遠レンズがあれば、と後悔。しかし、ロボットダンスをしながら近づいた10郎(なぜ?)はアカヒゲさんの目を見るところまで行けたそうです。やはり純粋な子供のほうが野鳥も警戒心を抱かないのでしょうね。

 アカヒゲさんとの遭遇の余韻に浸りながら、おやつのチョコパイをほおばる10郎。いい経験になったね。

  大宜味村の塩屋湾沿いには、立派なデイゴの花が咲き誇っていました。今年は大きな台風が来るかな、と沖縄県民共通のてっぱんネタを共有しました。冒頭の写真もここで撮影。

 8郎らも車を降りて鑑賞。塩屋湾から回遊してくる海風に吹かれ、心地よい時間でした。

 ほんでもって記念撮影。10郎にとって背面のデイゴだけでなく、両手にも花、というところでしょうか。

 その後は名護で、じいじと合流し、くら寿司でランチ。21世紀運動公園で、じいじとキャッチボールもしました。

 たった1泊のやんばるツアーでしたが、とても充実したものでした。ちょっとお金をかければ、この島にはいろんな楽しみがあることを再認識しました。沖縄に生まれてよかった~。な、10郎。 

  10郎も来年は小学校3年生。身長も伸び、体重も増え、歯もかなり生え変わっているでしょう。両親に素直についてきてくれるのはあとわずかだなと考えるととても寂しいものです。

 まだまだ、一緒にいっぱい遊ぼうぜ!

 

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【後記】名護のじいじが10郎の誕生日プレゼントとして金属バットを買ってくれました。いろいろ試し振りした中から10郎自ら究極の一本を選びました。小学校3~4年生用です。右打者である父8郎が、左バッターに仕向けました。右のほうが渋くてかっこいいと思うのですが、少しでも一塁に近い打席をという親心が働いてしまいました(笑)。あと、テレビで見る大谷に親近感を抱いてほしいという気持ちが大きいですね。父所属の草野球チーム「ダン〇ンズ」のユニフォームを借用して記念撮影。いつだってフルスイングする野球選手になれ! 


成長眩しいバースデー

2018年04月29日 | 食事処&飲み屋

 40代前半最後の人間ドックを受けてまいりました。身長・体重は驚くべきことに、昨年とミリグラム単位で変化なし! 血糖値だけが上がっており、医師からは「ほとんど健康。ですが甘いものなど血糖値を上げる食べ物にだけは注意してください」と、ここ数年同じ指摘をいただきました。下半身の筋力を増やすようアドバイスも受けました。内臓脂肪を減らせば、成人病予備軍にある数値はすべて下がるとも。やっぱ、中途半端な筋トレだけではだめなんですね。歩く距離を増やすなど頑張ります!

 さて、愛息10郎がめでたく8回目の誕生日を迎えました。その数日前には上の歯が初めて抜けるなど、成長の証も見せてくれました。手に持つ乳歯が眩しいです。身体測定では身長127㌢、体重26.7㌔㌘。父と違って体もすくすく成長しているね! 親としては眩しい限り、うれしい限りです。

 家族3人での誕生会です。この日は妻も誕生日なので、毎年8郎家にとっては、一年で最大のメモリアルーデーなのです。

 かーかーと一緒に、ふーっ! バースデーケーキもすきっ歯で完食しました!

 そして10郎からかーかーに花束のプレゼント(もちろん8郎が購入)。手作りの「マッサージ券」も添えて。かーかーも大喜びでした。

 灰色だった8郎の人生に突如現れ、彩りをつけてくれた二人。これからもよろしくお願いいたします。

 

 さて、2006年のブログ開設以来、地味に続けているロングラン企画「おいしゅうございましたシリーズ」です(笑)。

 まずは一銀通りにある老舗食堂「いちぎん食堂」。ソーキそば(700円)です。テレビ番組でアンガールズの田中がおいしそうに食べていたので、足を運んでみました。オーソドックスなお味で、おいしゅうございました。でもやっぱ、ウチナンチュからすれば、庶民の味であるそばが700円というのは、なんだかとても高く感じます。ジモティより観光客が注文するのでしょうね。

 お次は浦添のシーサー通りにある、とあるラーメン屋のつけ麺(750円)。おいしゅうございました。ギョーザもおいしかったです。でも店内では、警報音(厨房でゆで具合を知らせるやつか?)が鳴りまくり、テレビ、有線スピーカーの音量が必要以上にうるさかったのが、個人的には大きなマイナスポイントです。店内環境が改善されていれば、また足を運ぶことでしょう。。。

 人間ドックで医師から「ご飯や麺などの炭水化物が血糖値を上げるんです。減らしましょう」と勧告されたのを、いまさら思い出した45歳間近のメタボおやじです。 

 

 さて、2018年の大型連休が始まりました。家族3人、毎年恒例のやんばるツアーに行ってまいりました。昨年秋、どぅしぐわぁたーと利用した国頭村の「奥ヤンバルの里」です。なるはやでUPいたしますので、引き続きお楽しみください。


強いのどっち

2018年04月22日 | 食事処&飲み屋

 財務省トップの女性TV記者に対するセクハラ問題が世間を賑わしています。世論的には、この東大卒のエロおやじがせこいウソをついているのは明らかなのですが、決定的証拠がない中で、辞任という形で幕引きを図ろうとしています。ウン千万円の退職金が出るということです。安部政権主導の役人人事がこういう結果をもたらした一因でしょう。どっちが言っていることが正しいのか、を見極めるときは、弱い立場の意見を最大尊重するのは当たり前ですよね。

 

 愛息10郎の近況から。最近ハマっているのが漫画『どっちが強い!?』シリーズです。トラとライオンなど動物や昆虫界で最強とされる双璧は、本当はどっちが強いの? という男児の究極の好奇心をくすぐりながら、生き物の知識を得ていく、新しいタイプの学習系漫画です。もう7、8冊購入しています。角川文庫のヒット商品らしいですね。10郎、楽しみながら、いっぱい勉強しろよ~。

 おいしゅうございましたシリーズです。国際通りの「カフェ沖縄式&琉球珈琲館」の古酒カレー。メニューでは一番低価なものでしたが、1000円と完全に観光客値段! おいしゅうございましたが、やっぱりジモティが行く店ではありませんね。いい経験になりました。ちなみにカレーの香辛料と古酒のアルコール、どちらが強いかといえば、もちろんカレー風味でした。

 お次は、たま~に行く那覇市内の喫茶店「くりすたる」のオムレツカレー(650円)。これにアイスコーヒーなどワンドリンクも付くのでお手頃です。トンカツをつけたメニューもあるのですが、40代前半最後の人間ドックが近づく中、「旺盛な食欲」より「いまさら減量」の気持ちがギリギリ勝りました。先日、減量に失敗し王座をはく奪された比嘉大吾選手の苦しみがほんのちょっとわかるような気がしました(レベルが全然違うあらに)。この店はおいしい上にメガ盛り系のメニューがずらりと並んでいるので、メタボさんは至福の時を過ごせます。

 2店のカレー。また行くならどっち? と聞かれれば、個人的には後者ですね。

 

 中小企業診断士試験の勉強ですが、先日、1次試7科目目の「中小企業経営・中小企業政策」のテキストが届きました。これで全科目のテキストが届いたことになります。しかし、このテキストを使うことはほぼないでしょう。なぜなら、まず8月の試験に間に合わないので今年は捨てる科目である上に、この科目は毎年の時事ネタがからむそうなので、毎年最新のテキストでなければ意味がないといわれているからです。この科目の合格を狙うのは早くても来年なので、来年度以降の配布テキストで勉強することになります。勉強のペースはといえば、かなりダウン。計画に全然追いつかない状況です。さぼった分だけ、どんどん追い込まれています。 このままでは今年最低目標の2科目合格すら危ういっ。

 と弱気になりつつも、迷ったり、焦ったりする時間があったら、1時間でも前に進めよう、というのが40代後半の至上命題です。右肩下がりの会社など将来に対する「不安」と、頑張ったところで個人の力ではどうにもならないから何もしないという「怠惰」、どっちの心理が強い? と聞かれれば、その答えははっきりしています。「不安」です。近い大型連休も、それなりの家族のレクリエーション計画は立てていますが、それ以外はほぼ勉強に充てます! 


グローブをはめる時

2018年04月15日 | 学童野球

 いきなりですが、メジャーリーグに渡った大谷翔平選手、すごいですね! 永遠の草野球少年44歳8郎も「ここまでできるのか」と驚きを持って見ております。8郎の永遠のスター野茂英雄のトルネード旋風を上回るインパクトをベースボールの母国に与えているのかもしれません。まぁ、まだまだこれからだとは思いますが、球界の重鎮ノムさんや張本オヤジの苦言にも臆することなく二刀流を貫き、そして成果を残している彼は褒めるしかありませんね。昭和世代8郎も二刀流には懐疑的でしたし、今でもピッチャーひと筋がいいのではとは思うものの、これが新時代の野球なんだと思い直されたりもしています。400勝、4千本安打より、2千本打って200勝も挙げることが大きな価値を持つということでしょうね。8郎も前世代がつくりあげた古いライフスタイルから脱却する気持ちを持たなければと、若き23歳の背中から学びました。実は大谷に感謝していることがもう一つあるのですが、それは後ほどお伝えします。

  さて、小学2年生になった愛息10郎。まだまだかわいいもんです。父8郎の足の甲に乗り、一緒に歩くという数年来のふれあいはまだ続けています。甘やかしすぎかな、と思いますが、そのうち離れていく寂しさを考えると、好きなようにさせています。いまだに、抱っこやおんぶをせがんでくるし、卒業したはずの「とーとーの物語」も週一ペースで続けています(笑)最近彼の一番のアイドル三浦大知になりきったダンスバトル大会物語を要求してきます。睡魔に襲われながら筋書たてるのが超めんどいっす! でも「聞きたい」という愛息の要求を断り切れない親ばかです。

 親離れより子離れが難しいとも聞きますが、自分もそうなるのでは、と心配な今日このごろです そういう意味で一人っ子は大変だっ。

 

 さて、遅まきながら本題です。先日、子育てしてきた8年弱でベスト3に入ると言っていいほどうれしい発言を、愛息の口から聞くことができました。この一言です!

 

 「お父さん、俺、部活は野球に決めたよ」

  

 これまでサッカーをやると言い続けてきた10郎の180度変わった発言に驚きました。

 野球に興味を示してほしい父は、サッカーの試合を見るたびに「ほら、サッカーは外国人のためのスポーツで日本人には向いていないんだよ」「あんなにヘディングしていると頭悪くなるよ」などなど、サッカーファンが聞いたら激怒しそうな(笑)マイナス要素をさんざん植え付けてきました。さらにハリルホジッチ監督の解任騒動や大相撲の暴行問題まで持ち出して「相撲もサッカーもしょうもないなぁ。やっぱ野球だな」などと、清原騒動や八百長事件を忘れたかの如くプロ野球を礼賛しました。それでも、父に似て意固地の愛息は「俺、サッカーするって決めたんだよ」と我を張っていたのです(実は丸刈りにするのが嫌なだけでは?とも見抜いていましたが)。

 そんな折、野球の聖地にわたって大活躍する大谷のニュースがこれでもかと流れはじめました。父は「かっこいねー」「あの球、早いね」「すごいホームランだ」と徹底的にほめ続けたのです。知らんパーしていた10郎ですが、「オオタニサ~ン!」と叫ぶメジャーリーグの実況中継を耳にするにつれ、次第に自分で紙ボールをつくり、父に投げつけるようになったのです(暗示成功!)。

 とはいえ、野球人気は低迷しています。新聞によると、全国の野球少年の数はサッカー少年の数より7万人も低いようです。愛息の興味がそこに向かうことはほぼ絶望的だと思っていました。それならそれで、本人が決めたことをさせてあげようと心に決めていました。

 そんな中での「俺、野球やる」発言。父は本当にうれしかったです。これまでに妻や妻方の父の暗示(守備位置を紙に書いてわかりやすく説明)も功を奏したようですが、なんといっても、大谷の姿をかっこいいと思ったのが決断の理由だったはずです。20歳も年下のオオタニサンに感謝です。

 もちろんプロ野球選手になってほしいなどとは思っていません。純粋に、野球というスポーツで、団結力、そしてここぞというときには、それまで自分が積み重ねてきた努力しか頼れないんだという自立心を学んでほしいのです。

 冒頭の写真のとおり、早速メイクマンでグローブを二つ買いました!(8郎も数年前に紛失していたので)。

 

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 数年後の10郎へ。お父さんのグローブに対する思いをここに書いておきます。

 お父さんは小学校4年のときに、友達を追うように、少年野球チームに入りました。でも、当時お父さんの家は母子家庭、母親が連れ込んだチンピラとの共生生活。水道光熱費や給食費も滞納する悲惨な生活でした。そんな中でも野球をかっこいいと思うだけの少年の心はありました。

 でも現実は残酷でした。

 グローブは人からもらって用意できたものの、使い古しでボロボロ。速い球を受けるとものすごい激痛が走りました。からかい半分で8郎のグラブを使った先輩に「これ手袋か。お前よくこんなのでやってるな」と笑われた悔しさを今も忘れません。

 さらにユニフォームやスパイクなど買うお金など当然ありません。つまり公式戦に出場することも不可能なのです。自分より明らかに下手なやつらがピカピカのユニフォームを着てレギュラーに選ばれるのを悔しく思っていました。でも8郎は地道に練習を続け、自分でもうまくなっていく実感はありました。上級生より遠くへボールを飛ばすようになり、野球って楽しいと心から思いました。そんな折、A老監督が「上がなくて悪いが。これを使いなさい」とユニフォームの下(練習用ズボン)をくれたのです。練習着がなく普段着のまま練習に参加する少年を哀れんだのでしょう。その後、グローブも貸してくれた記憶があります。当時グローブはまだ高価で、チームといえども予備はない時代でした。

 そんな折、別居状態だった父がふと練習を見にグラウンドまでやってきました。今思えば、「野球を頑張っている息子」を見にきたのではなくて、捨てた子供たちの生活状態と元妻とチンピラの関係など情報を探りに来ただけでしょう。それでも当時の8郎としてはうれしかったです。するとA老監督が父のところに歩み寄るのが見えました。二人でなにか話していました。遠目に見た父のしかめっ面を今でも覚えています。それから1カ月後、父に呼ばれ、ユニフォームを手渡されました。ライトブルーのユニフォームを手にしたときの時の感動は今も忘れません(本当はグローブもスパイクも必要だと言いたかったのですが高圧的な父には言えませんでした)。おそらくA老監督が一言伝えたのだと幼き8郎は直感で分かりました。

 その後、公式戦で初めてレギュラーに選ばれました。しかも先発ピッチャーです(4年生だったのでおそらく2軍試合)。得意なのは打撃だったので意外でしたが、心踊りました(スパイクは持っていなかったのになぜ出場できたのか今でも不思議です)。家族に伝えたものの、母と父はもちろん来ず、姉妹が遊びがてら見に来てくれました。たかだか数十人の観衆でしたが、人生初の舞台に緊張感と高揚感に包まれました。結果はというと、実戦で初めて牽制球にルールがあることを知るなど、さんざん(笑)。ストライクも思うように入らず、試合も大敗した記憶があります。でも8郎の中ではキラキラ光る思い出です。モーションに入るとき、会場の目線を一身に浴びるピッチャーのだいご味を思う存分味わえたのですから。そして今になって気づくのです。それこそA老監督のさい配目的だったのだろうと。

 その後、8郎と野球の関係は突然終わりを告げました。家庭環境がどん底に陥ったからです。借金取りが毎夜のようにアパートの扉をたたき怒号を上げるようになりました。8郎らは兄妹3人で、電気水道も止められた暗い室内で泣きながら震えながら過ごしていました。そのころから、野球の記憶はブツっと切れています。それから2,3年後に母元を離れ、父との新生活を始めることになるのですが、父は野球に時間を割くことを許してくれませんでした。つまり、A老監督の一言がなければ、父はあの時もユニフォームを買ってあげようなんて気はそもそもなかったということでしょう。

 A老監督のお名前も忘れてしまいました。風貌的には、当時甲子園で春夏連覇していた池田高校の名監督・故蔦文也監督に似ていたのを覚えています。いつかお礼をしたいと思っていたのですが、できないまま。年齢的にももう亡くなられている可能性が高いです。この場を借りて感謝を伝えたいです。勝利至上主義のスパルタ監督であれば、8郎はチーム内で居場所すら確保できず、辞めていたでしょう。でもA老監督は勝利より子供の教育を優先していたはずです。夕方の外野守備練習では、暗い部屋での生活で視力が急激に落ちつつありフライが見えなくなっていた8郎のために、必ずゴロを打ってくれました。フライなんか取れなくてもいい、練習に参加しなさい、そういうメッセージだと受け止めました。当時はそういう教育者がまだいました。1年にも満たないお付き合いでしたが、A老監督に対する感謝の念は尽きません。

 あれから30数年経ちました。今でも草野球などで左手にグローブをはめる時、心にこみあげるのは、少年時代の苦しい思い出とA老監督に対する敬意です。 

 

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 長々と、ああだこうだと書いてきましたが、10郎。簡単に言うと、グローブを大切にしろ、ということだ(笑)。

 10郎は「俺はキャッチャーもやって三刀流やるよ」とのたまっています。その心意気やよしとしておきましょう(キャッチボールで身をよけながらボールを受けているくせにです。笑)。

 なんだかんだいいながら、いつの日か、10郎が8郎の母校N高の野球部で4番(守備はどこでもいいっす)を打つ姿を夢みている父心をお笑いください。

 今日はこれにて。


駆け足シーミー

2018年04月08日 | 家族、親戚

 シーミー(清明祭)で妻の実家に行ってまいりました。ネットの道路情報では許田ICが激混みだということで、宜野座ICから迂回して向かうことに。このルートは、距離的には遠回りなのでが、途中に絶景があるので、よく使っています。晴れていましたが、黄砂が出ているということですっきり青空ではありませんでした。

 多少、新緑が残るやんばるの木々。

  じいじばあばもお元気そうで、いつもながらに初孫10郎を大歓迎してくれました。1泊したあと、お昼からシーミーです。ご先祖さまが眠る亀甲墓にお供えものをし、ウ―トートー。義母と妻が二人で作ったお弁当を親戚でいただきました。妻兄の一家も参加し、10郎のいとこであるタカ坊とHANAちゃんともご対面。ご先祖さまも喜んでいたことでしょう。

 実家の仏壇でもウートートー。新年度の誓いをたてました。

 ご先祖さまに成長ぶりをお見せするということで、10郎が空手の型を披露。代表選出で後輩にも抜かれるほど伸び悩んでいる空手ですが、ここはご先祖さまのために、力いっぱい披露しました! ちなみに5月の大会では昨年同様組手で出場します。

 週末の爆飲の影響で体調不良の8郎でしたが、親戚とふれあい、10郎の成長を確認することができた、1泊2日駆け足のシーミーでした。

 

 さて、せっかく名護まで来たのだからと帰路は、名護市の国際海洋環境情報センター「ゴーダック」へ。仕事で寄ったことはありますが、10郎を連れて行くのは初めてです。 海洋学者に憧れを抱く父8郎の思いもあります。しかし、辺鄙な場所によくこれだけの豪勢な施設を造りましたね。保育園など必要な施設はほかにもありますよ! と文句を垂れつつも見学することに(笑)

 早速、サメのはく製がお出迎え。なかなかの迫力です。

 その他、いろんなはく製がありました。

 絵本で学んだ10郎が畏敬の念を抱くダイオウイカも! 予想以上の大きさに多少緊張気味です。

  日本が世界に誇る潜水調査船「しんかい6500」の模型に大興奮。男なら誰だってあこがれるものです。

 コクピットもありました。

  不思議で愛嬌のある深海魚とツーショット。

 試着コーナーで、キャプテン10郎の誕生です!

 以上、すべて愛息が被写体の見学会でした。

 帰宅後は疲労感たっぷり(往復とも妻が運転。謝)。10郎に背中をマッサージしてもらいました。

 

 10郎も明日から新2年生! 後輩ができます。新しいシーズンが始まります。家族3人、頑張ります! 


うりずんの宮古ブルー(番外編)

2018年04月01日 | 離島物語

 宮古島ダイブツアーの番外編です。ダイビング以外のもろもろを書きつづっています。

 今回利用したダイビングショップ「カラカラ先生ダイビングスクール」は2階が宿になっています。

 8郎は和室を選択。6畳一間。もちろんクーラー完備(1時間100円)。3人は泊まれます。

 なんとテレビ、冷蔵庫も!

 小さいながらも設置されているベランダには驚きの水道まで。これで一泊3600円(ダイビングした場合かつ素泊まり)です。良心的です。

 シャワーやトイレは共同ですが、清潔感にあふれていました。共同の洗面台や洗濯機も複数あり、長期滞在者は不便を感じないでしょう。

 2ダイブを終えて宿に戻ると、宿の原付バイク(無料!)を借りて、伊良部大橋に向かいます。当初は自転車でのんびり行こうと考えていたのですが、ガイドさんに「かなりきついですよ」と言われたのでバイクを選択。途中「人頭税石」という標識があり、薩摩藩に重税を課せられていた琉球王府が転嫁の対象にした宮古・八重山の苦難の歴史を学びたいと思いましたが、道が複雑そうだったのでこれまた断念(人頭税石については諸説が混在しているようですね)。とにかく人間がつくった現代の巨大インフラだけはこの目で見ておかなければ、と出川哲郎のように原付バイクを走らせます。

 伊良部大橋のふもとにある展望台に着くと、大橋の全貌が見えました。全長3540㍍。無料で渡れる橋としては日本一だそうです。8郎が生まれた翌年の1974年に地元民が国に建設を要請したということなので、40年超の離島苦(しまちゃび)解消の願いが2015年に結実したということですね。総工費380億円だとか。

 期待の展望台はメンテナンスを理由に立ち入り禁止。なにをメンテナンスしているのでしょうか。

 いざ、大橋にエントリー。改めてみると、すごく長い! そして予想以上に頂上が高い! 自転車でなくてよかった。

 駐車禁止ながら、頂上付近には車が横付けできるスペースがあり、数台停まっていました。すばらしい景観です。台風のときはめっちゃ怖いでしょうね。もちろん通行止めになると思いますが。

 反対側(東側)です。このように欄干の向こうにもスペースがあります。昨年起きた悲しいプロポーズ中の男性転落事故の現場なのでしょうか。確かに酔った勢いで降りてみる若者がいそうです。

 上ってきた道を振り返ってみるとこれまた絶景。

  伊良部島に着きました。

  近くの空き地にぽつんと立っていたパーラーでブルーシールアイス(300円)を購入。44歳、一人でいろいろなことを考えながら完食しました(はたから見るとかなり怪しいおっさんですね)。

 伊良部島滞在5分。さて戻ります。帰りのほうが傾斜が高く見えますなぁ。バイクでよかった(もちろん自転車の方もいました)。

 夜の酒場放浪に備え、宿に戻りシャワーを浴びて一休みすることに。早起き2ダイブの疲れがどっと来ます。3ダイブを終えたお客さんたちがぼちぼち帰ってきました。

 

 今回の旅で、行こうと決めていた店が2つあります。居酒屋「でいりぐち」と喫茶店「レオン」です。「でいりぐち」はネットでの評判がすこぶる高かったからで、一方の「レオン」は宮古島勤務経験があるいちどぅしてっちゃんのおすすめです。もちろん喫茶目当てで行くのではなく、宮古名物〆飯のステーキで有名だからです。ネットで情報収集すると、なんと、奇跡的にこの2店は隣同士ではありませんか! (もちろん経営者は違います)。

 「でいりぐち」は予約するのも困難らしいのですが、ものは試しと当日17時に電話すると、カウンターを予約できました! おひとり様の特権ですね。

 タクシーで繰り出します。今回の旅でタクシーは3回利用しましたが、いずれも宮古んちゅの方でした。彼らからいろんな話を聞きました。運ちゃんたちの個人的見解をまとめると、宮古島の中心的飲み屋街である西里通りは「ナイチャーがやっている店ばかり。若い人が通って繁盛している」のだそうです。一方の生粋の地元民が経営する店が多い旧中心繁華街イーザトは「経営者やスタッフは若くても五十代。あとは年よりだらけ。客足が激減している」とのこと。また、宮古の経済についても「(おいしいところは)ナイチャーに持っていかれている」と苦々し気。宮古の若者については「働こうとしないで朝まで飲んだくれている」と嘆いていました。すべての若者像ではないと思いますが、本島のどこも同じ問題を抱えていますね。ウチナンチュは怠け者、という切り口だけでは解決できない歴史、社会的な理由がある問題だと思います。

 ちなみにある運ちゃんのおすすめクラブはイーザトの「みつき」と言ってました。もちろん行きませんでしたが、興味のある方はぜひ調べてみてください(笑)。

  西里通りの「でいりぐち」に着きました。いい感じの外観です。そしてその左隣にある喫茶店が「レオン」です。今宵は半径5㍍で完結しそうだ!

 開店直後に入ったのでカウンターはガラガラ(7時過ぎると一気に満席になりました)。喫煙可能の特等席を抑えてくれていました。雰囲気もとてもいいです。 

 ネットで高い評価を得ていたウェルカムカードもしっかりありました(本当にあるかどうか楽しみだったのです。笑)。早速、生ビール。 もちろんオリ・・・(ピー)ではありません。キンキンに冷えたキリン一番搾りです。

 埼玉出身というおかみさんが積極的に話かけてくれました。性格的に話好きのような感じでした。本当に気が利く方で、接客で忙しいはずなのに、注文しようと思ったらいつの間にかそばにいるし、お手拭きを気づかないうちに5回くらい補充してくれました。こういう頑張り屋さんのヤマトンチュにウチナンチュはどんどん居場所を奪われていきますね。複雑な心境です。

 最初のつまみは、おかみさんの話術にまんまと乗せられ、お薦めの長崎直送の生ガキ(700円)を迷うことなく注文(宮古産を注文せんかい)。とてもクリーミーでした。2個頼もうと思いましたが、財布の中身を考え、なんとかセーブ。

 刺身盛り合わせ。これは宮古近海でとれたもので新鮮この上ない! 

 ほかにも、裂きイカ天ぷらやラフテーなども食べました。もうお腹いっぱいです。

 おかみさんからのサービスで「うでぃさんの酒」をグラス一杯いただきました。宮古の酒造メーカー「宮の華」の女性杜氏が作ったのだとか。しかも泡盛特有のタイ米でなく国産米を使っているのだそう。ロックでいただきましたが、まろやかな味でした。しかし、これが酔いを加速させましたね。そのあと菊の露古酒を2号弱飲みましたので。

 満腹ながらも気になるメニューがあったので、それを〆飯にすることに。「イクラウニ醤油卵かけご飯」です。絶品でした。今まで食べた〆飯で一番おいしかったといっても過言ではありません(ステーキ食う前に言うな)。これを食べるために飲む、という人がいてもおかしくないです。これほんと。今度自分で作ってみようっと。ところで、イクラってどこで買うんですか?

 おかみさんに再来を約束して21時ごろには店を出ました。18時からガンガン飲んだので、かなり酔っていました。おかみさんからチョコレート「ブラックサンダー」の新商品をいただきました。

 西里通りをちょっと散策。それなりに賑やかでした。おしゃれなカウンターバーやガールズバーなどもあり、せっかくだからもう一軒飲み屋に、と思ったのですが、44歳、体力が落ちてきているのでしょう、足がそこに向きませんでした。

 おそらく菊の露本店。

 結局来た道を戻り「レオン」へ(笑)。

 「レオンステーキ」(1250円)です。お味はというと、熾烈を極めるステーキ戦争真っ只中の那覇の店に比べると、肉質はじめ格下になりますでしょうが、ていねいな味付けと庶民的な雰囲気に満足しました。A1ソースではなく、自家製ソースでした。お腹はもう限界です!

 一応、イーザトもチラ見。確かに平日というのもあってか午後9時過ぎなのに人はほとんど歩いていませんでした。てっちゃんに案内された10数年前を思い出しました。右手前の店は有名な「島おでん たから」。ここも入ってみたかったのですが、前述の理由により断念。く~、分散投資すればよかったぁ。

 宿に戻ったのは22時ごろ。酔いすぎたのか、寝つきが悪かったですね。妻と10郎とLINE交換している間に眠りました。

 強烈な朝日が入ってきて起床。

 お世話になったガイドさんとダイビングに向かう常連さんらにお別れを告げ、タクシーで空港に向かいます。

 早めに着いたので、肩と背中のマッサージを受けることに。20分2000円。愛息10郎なら1分10円です。旅疲れが多少癒されました。弱めにもんでもらったのがよかったですね。もみ返しはなかったです。

 空港内食堂「ぱいぱいのむら」でブランチを取りました。「ぱいぱい」とは、みゃ~くふつ(宮古方言)で「素晴らしい」という意味だそうですね。では「ぱいぱいぱいぱい」はどういう意味になるのでしょうか・・・(あ、真剣に考えないで下さい)。ここはかなり広い店でした。最後の最後にやっと宮古そばを注文。なぜかカツ丼もつけて。。。おいしゅうございました。

 家族へのお土産も宮古そば。自分が食べたかっただけですが。個人的にはそばは八重山より宮古ですね。

 帰りの便は通路側でした。宮古んちゅのおばあちゃんと孫らしき男の子が窓側に座っていました。男の子は初めての飛行機なのか窓の外を見て興奮していました。美しい生まれ島?をいつまでも大切に!

 空港からはバスで帰宅。ところが、このバスは途中、思い切り会社の前を通ったので、年度末で忙しい同僚たちに申し訳ない思いに駆られました(笑) 旅の最後にそんな気分にさんけ~よ~。

 

 機会があれば、洞窟ダイブのリベンジを賭けて、もう一度訪れたいものです。もちろん、ショップと飲み屋は同じところを選ぶことでしょう。機会があればリゾート気分だけでなく史跡にも足を運んでみたいものですね。

 以上、うりずんの季節に訪れた宮古島一人旅の報告でした。