沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

おっさん1人受検旅@福岡

2023年11月05日 | 県外 8 Scene

 2023年(R5)の中小企業診断士2次試験@福岡を終えて帰宅しました。

 7科目もある1次試験を突破した高学歴エリートたちの8割が落とされる難関試験であり(酷)、かつ診断士の根幹とされるコンサル助言をスピーディーにまとめあげるスキルが試される記述式の2次試験。1次すら受かっていないどころか勉強時間も足りていない50歳8郎が無謀とも言える挑戦をした理由については、これまでに書いてきたところです。不運を幸運に変え、自分の強みを生かして、人生一大勝負に挑みたかったからです。その結果やいかに。右肩下がりの会社に勤めるサラリーマンの県外の地での孤軍奮闘記をお伝えいたします。

 と、かっこよく書きましたが、結果から言うと事例Ⅳ「財務会計」が不発で足切り(40点未満)になりそうです。それはつまり他3科目で合格ラインをとっても不合格となることを意味します。予備校解答などを見てもⅠ~Ⅲはそれなりに得点できているのですが、Ⅳ「財務会計」で大きな失点がありました。どちらにしろ、結果はこれから受ける1次試験同様に来年1月31日に発表されます。でもホント、今考えても1次に受かってない沖縄県民に2次を受けさせるなんておかしな話ではありますよ。主催団体は「学力の低いウチナンチュはどうせ落ちる」と処理上の観点から実施しているのでしょうね。チクショ~!

 突如現れたコウメ太8は置いといて、以下が2次試験挑戦のてんまつです。

 今回の1人受験旅は下写真のように天候に恵まれました~。帰りの福岡空港で撮影。観光旅行だったらなぁ~.。

 あらためて振り返ると2023年の診断士試験は台風6号の影響で激動しました。8月の1次試験が沖縄地区で中止→12月末に再実施と変遷し、同時に沖縄地区受験生には1次より先に行われることになった2次の受験資格が与えられ、1次と2次の合格発表が年越しの同日になるという異例ずくめの展開でした。8郎含め沖縄の受験生のメンタルはかなりボロボロのはずです。勉強をやめた人も一定いるはずです。

 下写真は1次に受かってもいないのに届いた2次試験受験票(ある意味、日本の国家試験史上においても希少価値があるでしょう。不合格となったらメルカリで売ってやろうか。笑)。今年受けてもどうせ受からないとマイナスに考えるか、逆に「1次の前に受かって歴史に名を残してやる」と燃えるかは自分次第です。8郎は後者を選択しました。養成大学校狙いの金融機関勤め人が多いであろう沖縄地区の受験生はほとんど受けていないと思います。

 さて本題に入る前に、前回お伝えした減量計画の結果をお伝えします。2週間ほど真剣に取り組んだ結果は、こちら!

 はい、70㌔台の世界には行けませんでした(泣)。残り1日水だけ飲んででも達成しようかと考えたのですが、試験日に変な反動が出てもまずいと考え直し、出発前日は普通の食事をしたのです。でもここ数年で一番身軽な状態で試験に臨むことができました。やっぱ体は軽いほうがいいですね!

 10月28日土曜日、社宅から歩いて3分のバス停から高速バスに乗って那覇空港に向かいます。人生大一番のスタートです。あとで空港で計測されたトランクの重量は10.7㌔。分厚いテキストが原因です。

 バス車内でも時間を惜しんで勉強します! 使えそうなフレーズを徹底的に頭に叩き込むのです。2次試験は直前詰め込みはあまり意味がないとされていますが、勉強時間と実力が不足している8郎、少しでも得点可能性を高めようと一心不乱に読み込みます。やはり少しの努力でも意味なくはないですね。

 朝食を取ってなかったので那覇空港でブランチ。ロイヤルホストさんを利用しました。大好きメニューのロイヤルカツカレーに目が行きましたが「これは帰沖後に取っておこう」と我慢。野菜中心メニューに切り替えました。

 2時間弱で福岡空港に到着。地下鉄経由で博多駅に移動しました。映画告知用のゴジラが出迎えてくれました。

 駅から歩いて2分のホテルセンチュリーアートさんです。

 室内はこんな感じ。HPによると米国製の硬めのベッドが売りだとか。

 ベッドに備え付けの小型ライト。出張サラリーマン対策でしょうか。8郎も「寝る前までテキストが読める」と安心。

 冷蔵庫もありました。

 最近の8郎に欠かせないアイテムも沖縄から持参しました。ヤクブーツです。訂正、鼻うがい用の塩です。これ、このまま置き忘れたら、掃除のおばちゃんビックリするでしょうね!

 小さな机で最後の調整をします。試験直前になってシャープペンシルの太さを変える決断をしました。記述式なので汚い字はマイナス要素だとネット情報があったためです。採点者のことを考えるとあながち誤報でもないと思い、0.3㍉の極細に変更しました。確かに線が細くなり多少きれいに見えます。でも従来のイメージで使うとポキポキ芯が折れます。この直前判断が凶と出るか、吉と出るか、やってみないと分かりません。あとは、心を整えて試験のイメージをします。大学受験も県内だった8郎、ホテルで勉強するなんて人生で初めてなので新鮮でした。ホテルって集中できますね。

 ホテルは博多駅近くの飲食店街に立地するので、たまに酔客の嬌声が聞こえたりしますが、部屋は10階だったので特に影響はありませんでした。

 歩いて30秒のコンビニで買った夕飯。万全を期して、この日は生もの系だけは避けると決めていました。あったかおでん、おいしかったです。

 2週間我慢していたスイーツを解禁! 明日へのモチベーションを上げるためです。これは生ものだと言われればそれまでです。

 シメにご当地カップラーメンも食べたのですが、それは別のカタチでお伝えします。完全にリバウンドしてるあらに!

 この日は緊張して眠れないかもと心配もしたのですが、朝からの移動疲れもあってすーっと眠りにつくことができました。硬い米国製マットのお陰でしょうか。。。

 

 さぁ、ついに試験本番の日です。午前6時に起床。

 とあるネット情報にこのホテルの名物朝食として「ブラックカレー」とあったので期待していました。しかし配膳されたのを見ると、明らかに普通のカレー。ちょっと幸運が遠のいたようが気がしたものです。後日ネット情報を最確認すると古い情報だったようですね(泣)。公式サイトには表記すらありませんでした。幻のブラックカレー食べたかったなぁ。

 徒歩で試験会場へ。17分で着きました。南近代ビルという建物でした(画像はネットから転用)。

 会場着入口では、予備校スタッフが受験生応援の名のもとに(笑)入校PRの販促活動にいそしんでいました。撮影はここまでなので海を越えてきた記念にと縦幕をパチリ。縦幕には「2次」の2文字を入れてほしかったなぁ~。

 下写真もネットから転用させていただきました。こんな感じの試験会場でした。

 受験生は9割が男性でしたね。もっと女性人気が高まっていると思っていましたが予想外でした。年齢は30~50代が8割超、残りを60代以降やフレッシュ20代という感じでしょうか。それにしても中年男性層の「生活に疲れた感」が漂っていること! ネットでよく書き込まれる「診断士試験会場は加齢臭おっさんのたまり場」という大変失礼な表現に思わず納得しかけた50歳です。2次試験会場なので当然ここにいる方々はすべて、8郎が4度も落ちている1次試験を突破してきた高学歴エリート集団のはずです。失礼ながら、そんな感じがまったくしませんでした(笑)。冗談はともかく、でもそれこそがこの試験、受験層の本質でもあると思います。みなさん、輝きが出ないほど勉強に注力してきた方々、というふうにとらえるべきだと思います。敵を見くびると負け戦確定です。ましてや、この視界不良の経済状況において、将来のリスクを想定し一生懸命頑張っているおっさんたち、と考えるべきなのです。休日をゴルフや昼寝に費やすよりずっと意味があると思っています(将来が間違いなく安泰だという方はゴルフや昼寝をどうぞどうぞ!)。

 では、80分×4科目の激闘🔥を振り返ります!

 

事例Ⅰ(組織・人事)

 最初の科目。ここで転んだら立ち上がるのに時間を要します。何としてでも好ダッシュで勢いを付けなければなりません! 高品質を売りとし、他社との協業を考えている、職場環境のよい「蕎麦屋」がテーマ(そんな蕎麦屋、本当にあるんですか?という質問は診断士試験の世界ではご法度です)。協業へのリスク対策と立地条件を生かした新市場開拓のための組織編成について書きました。うん、書けた、書けた。高得点が期待できそう! 想定通りいいスタートが切れたと思います。

 

事例Ⅱ(流通・マーケティング)

 なんと少年野球チームがテーマではありませんか。昨年は愛息の野球チームで保護者会長を務め金策含むチーム運営に尽力した8郎にとって願ってもないテーマです! 格安店の登場で低価格に目移りする監督、保護者を、専門性が売りの自社製品にどう呼び戻すか、自分なりに書くことができました。また女子野球人気を盛り上げるためのイベントも、かつていた女子選手たちのことを思い出し、彼女たちを野球に誘導するには・・・とイメージし書くことができました。まあまあ取れたと思います。ただし予備校講師らが第2問の正解と予想する「サブスク」については全く想定できませんでしたね。「教科書で習ったものしか書いてはいけない」という都市伝説がおっさんの思考回路をフリーズさせたのかもしれません。でも、不合格答案ではないと気持ちを切り替えます。前半戦2科目は合格ラインに乗せているんじゃないか? ミラクルのために必要な土台は次の事例Ⅲにかかっている! まずはコンビニ弁当で腹ごしらえだ。

 

事例Ⅲ(生産・管理)

 イメージにしにくい工場がよく出るので苦手な科目ではありますが「なんでも書いてやる。書き切ってやる」と闘志前面で正面から立ち向かいました。業務用食品製造業がテーマです。「一貫生産」「レシピ標準化」など重要フレーズを書けなかったことが不安材料。解答欄はほぼ埋め尽くしたものの、ちょっと組織人事風に偏ってしまったかなと反省が残ります。しかし方向性の選択で採点が二極化する第5問では「妥当」とし、具体的な理由と留意点を書き上げることができました。「妥当ではない」だと大きく減点される可能性がありました。悪くはない、うん、悪くはないぞ、と言い聞かせます。さぁ、何とかミラクルのための土台は築き上げたはずだ!(多分)。いざ、最難関の「財務会計」へ! 5割近く取れればミラクル合格可能性が高まるぞ。

 

事例Ⅳ(財務・会計)

 泣いても笑っても最後の科目かつ、ミラクル合格に向けた最大の壁です。4科目中唯一、ほぼ計算問題という特色もあります。「財務会計を制すものが診断士試験を制す」とまで言われるほど、まさに2次試験におけるラスボス👹です。8郎は全く制しておりません!(1次の財務会計は2年前に合格済ですが)。まずは絶対に高得点が必要な経営指標に時間を費やします。おかげですべて解答することができました。個別の指標の妥当性については多少の減点があるかもですが(設問1で売上高総利益率を選んだので設問2の加点は低いかもです)、算出した数字も計算は合っています。20点中最低でも14点は取れているはずです(でも時間かけすぎた。汗)。第2、第3は複雑な計算式なので、いったん飛ばし第4問のOEM(他社ブランド製造)に関する記述回答を優先します(記述式は何か書けば部分点が取れるので)。1次試験で覚えた知識をフルに活用し何とか書き上げました。20点満点中12点は取れるだろうと希望も込めて想定。第1問と合わせて30点程度。つまり50点獲得のための残り20点プラスはきついっ。40点以上の足切り回避作戦がいいか。やはりラスボス、手ごわい。

 急ぎ第2問のCVP(損益分岐点分析)に移ります。問題文を読むと、何と練習問題で繰り返してきた「連立方程式」が出ているではありませんか。心が躍りました。「もしかして今年は俺にラッキーな年なのか」と。しかし問題文を読み込んでも、なぜか解答方法につながりません。「あれ?どうしてだ?先日やった問題と同じはずだ。何が違うんだろう」。おそらく20分は考えました。しかし、何度やっても途中で計算が止まってしまいます。何かが足りない、しかし何が足りないのか全く分からない! 脇から汗がどっと出てくるのが自分でも分かりました。「こんなときこそ落ち着け。焦ってパニくったらその時点で負けだ」と言い聞かせます。しかし目の前の暗雲は晴れません。

 いったん第3問に移りました。ここは毎年高難度の問題が出されるところです。今年はNPV(正味現在価値)で予想通り、問題文から難解です。「これは触るだけ時間の無駄。俺にとっては完全に捨て問だ」と判断。30点を遠慮なく捨て、第2問に戻ります。時計を見ると残り5分! 恥ずかしながらシャーペンを持つ手も震え始めました。

 再び第2問の問題に取りかかりましたが、やはり解答の道筋が見えません。何かが足りないのは分かっているのですが。。。心理的にパニック寸前です。このパニックから逃れるためには、あきらめるしかなさそうです。もう今さらあがいても無駄だ、30点ちょっとでは足切りで不合格確定だ、と。追い込まれた50歳です。胸の動悸が「もうレフリーにタオルを投げて楽になれ」と言わんばかりに激しく鳴ります。

 その時、8郎は自分の胸に問うてみました。俺はなぜ、この試験を受けたんだと。理由はいくつかあります。右肩下がりの将来に対するリスク対策、純粋な自己成長、社業貢献で評価アップ、ポスト50歳に向けたアイテムの確保などです。しかしそれはすべて利己的なものです。沖縄から筆箱に忍ばせてきた、愛息10郎が作ってくれたお守りが違う観点を教えてくれました。

 そうです。有言実行です。10郎には「父ちゃんは必ず受かる」と約束しました。そのために行動すると誓いました。なので4回落ちてもあきらめずに5回目の挑戦を始めたのです。そして今現在、試合は終わっていません。なのに、あきらめるという選択肢があるのでしょうか。あろうはずがありません!(イチロー風)。最後の最後まで全力で戦うのです。それこそが真の有言実行です。終わってもいないのに自分から負けを認めるなんて戦士としてあってはならないことです。そんな姿を息子に教えたくないのです。おっさんは闘志を取り戻しました。そのために1分間費やしてしまいましたが(笑)。

 結果を予想し嘆いている時間など1秒たりともありゃしない。今ここは戦場で勝つためだけに時間を費やすべきなんだ。時間を気にせずあえて深呼吸をします。そして「これが最後だ」と言い聞かせ、第2問の問題文を血眼になって読み込みます。そしてようやく過去の練習問題との違いに気づいたのです。第2問は2カ年度の損益分岐点の変化を比べる問題なのですが、「変動費」については「2年とも同じ」と書いてあるのですが「固定費」については一切触れていないのです。練習問題では「固定費も同様に変わらない」等注釈は付いていました。「注釈がないため固定費が分からないから次に進めないんだ」と気づいたものの「では固定費をどうやって算出するのか」どう考えても思い浮かびません。過去の練習問題と似ているように見えて実は異次元レベルの難問なのか? それならもう手の打ちようがない。。。などと考えていて、また気づきました。

 「固定費だから2年とも『固定』されている、つまり変わっていない、と出題者は言いたいのでは?」

 と。

 その瞬間に8郎の左手が急稼働しました。高速で電卓を叩きまくります。まさに秒速8連打の高名人です。問題文のおかしさ、不親切さなどを気にしている時間はありません。もう残り1分を切っています。それに懸けるしかないのです。とりあえず固定費は2年度とも同じだという前提なら連立方程式が組み立てられます。それから3問くらいは正解につなげるはずだからです。左手も緊張のあまり震えます。しかも計算が長い! 数字の桁も長い! ようやく①変動費率を算出しました。そして次はそれを元に②固定費と③損益分岐点売上高を算出します。時計を見るともう秒単位で終わりが近づいています。検算などしている時間はありません。解答欄に数字を書き込みます。ちょっと早めに設定していた自分の時計はすでに終了時刻を過ぎました。と、そこで、大きなミスに気付いたのです! ②の単位がおかしい! 問題文では数字の単位は万円ですが、解答欄は千円になっているのです。②を万円のまま解答していたのです。またずるっこい落とし穴作りやがったな! 計算は当たっているんだぞ!

 千円単位に直すべきか、そのままで行くべきか、今試験最大の選択を迫られました。

 結果、直しませんでした。理由は、万一修正している間に終了タイムが鳴ったら、その時点でペンを置かねばならないからです。万から千に書き直すと数字が増えるので記入ミスも想定されます。書きかけであればもちろん正解にはなりません。

 一方で現在の万円単位なら正解ではないが、大枠の数字では当たっているので部分点を取れる可能性は少ないながらも残っています(あって1点ですが)。本当は1点でも積み上げたいので直すべきなのですが、リスクを取るのはやめました。現時点での総括としては、直さなくてよかったです。すぐにタイムが鳴り「ペンを置いてください。何か書く仕草を見せた受験生は不正行為と見て不合格となります」とアナウンスが鳴ったからです。書き直してたら大変なことになっていた可能性があります。

 ミスを直さなかった選択が結果にどうつながるかは今のところ分かりません。しかし、足切り回避を絶対条件に掲げた財務会計においては大きな分岐点となるのは間違いありません。練習してきた内容だったのにと思うと悔しくてなりません。どうして固定費についてああいう不親切な書き方をするのでしょうか。また問題文と解答欄の単位を変えるのでしょうか。最初からそれが分かっていれば、②と③は正解できていたはずです(計算がほぼ間に合わなかった③は結果不正解でした。悲)。出題の在り方は、もちろんネットでも炎上していました。でも1次試験と違って没問がないとされる2次試験(そもそも回答すら公表しないという唯一の国家試験)なので、加点等もないでしょう。2次はまさに出題者完全優位の世界なので。

 

 以上、激動の80分×4科目でした。書いてきたように最後の事例Ⅳで半分以上のエネルギーを使ったことは言うまでもありません。まさに「財務会計を制すものがなんとやら」です。

 悔しさに押しつぶされそうになる心境ではありましたが、10郎のお守りによって逆境から立ち直り1問を正解に結びつけたことについては充足感がありました。息子に最後の最後まであきらめるなと言える親であれたかな、という意味で。

 

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 後悔と少しの充足感にメンタルバランスを操られたまま、帰路に着きます。「加齢臭ただようおっさんたち」も一言も交わさずに黙々と行列で駅方向に集団帰路に就きます。日曜の夕方に異様な光景だったでしょうね。この中から合格できるのは2割弱だけという過酷なサバイバルレースがやっと終わったのです。

 ホテルでシャワーを浴びて、近くの居酒屋へ向かいます。沖縄から電話で個室を予約していた「楽蔵」さんです。

 居酒屋に入る目的はもちろん一人打ち上げもありますが「再現答案」を作るためでもあります。「再現答案」とは、提出した解答を、記憶と問題用紙に残したメモを頼りにもう一度作り直すことです。理由は後日の自己採点や口述試験対策です。なのでPC打ち込み作業が必要なので、個室が絶対必要だったのです。だったらホテルでやればいいあらに、という至極ごもっともなツッコミは受け付けません。そうです、ホテルから出てビールが飲みたかったのですよ!(笑)。コンパクトな造りで希望以上の個室でした。

 早速、YEBISU瓶ビール! ほかの名だたる国産ビールと比べてもゴールド感が違う。味も1ランク上ですね。

 まず頼んだのは刺身三点盛と、オムライス同様におっさんを永遠の少年に戻らせてくれるメニュー、ポテトサラダです。

 こちらは奇をてらったメニュー「カマンベールチーズのラー油漬け」です。つまみにはいいのですが、ちょっと量が多かったです。複数人で頼むやつだったかも。味は何だか懐かしい感じ。沖縄名産の豆腐ようと似ていることに気づきました。

 今回の受験旅で一番おいしかったのがこの「中落カルビの牛串 北海道産わさび掛け」(税込み429円)です。愛想のいい女性店員さんのおススメ。例えて言うとフィレステーキ肉にわさびとチーズをのせた感じでしょうか。思わずお代わりしてしまいました。ニセ豆腐よう(失礼)を頼むくらいだったらこっちを3本頼めばよかった。ビールとの相性もよかったです。

 ビールを3杯飲みながら1時間半かけて再現答案を完成させました。試験が終わって2時間しかたっていなかったので記憶が十分に残っていましたね(でも正確に反映できるのは8割程度と聞きます)。この時間帯からはネットでも正解予想が徐々に出てくるので一喜一憂しました。自信をもって解答した経営指標が模範解答と違うことに落ち込み、終了間際に書き上げた小数第二位の変動費率が正解だったことに安堵したり。。。これは受けた人にしか分からないメンタルの乱高下です。

 これ以上のネット検索はやめよう、ネットには負け組の不満も爆発しているので同じ環境にいないようにしよう、明日以降に続々出てくる大手予備校やYoutuberさんの模範解答を待つのみだ、と決め、お会計。

 それにしても財務の問題つくった大学教授~。どうしてあんな不親切な問題文作るの~。固定費が2年連続で同じってどこの誰が決めたんですか! 万円単位で質問しておきながらなぜ千円単位で答えさせるのですか!(まだ、言う~。いや、不合格だったら一生言う~)。

 

 店を出てシメ飯へ。歩いて2分の博多駅に向かいます。2階にラーメン街道みたいなスペースがあったので、そこで客が並んでいない店を選びました。わたし並ぶの嫌いなんで(ドクター8登場)。豚骨しょうゆを頼みます。

 お味はというと、おいしかったのですが、ラーメン激戦区博多のおひざ元であることを考えると採点は厳しくなりますね~。沖縄の通堂さんやもとなりさんの方が上かなと思いました。なので店名は書きません。※好みは人それぞれ。普通においしかったですよ!

 その夜は午後10時にはベッドに入りました。自分が思っていたより、疲れがたまっていました。「冷静に考えると、やっぱ不合格だろうなぁ」という気持ちとともに寝入りました。

 

 朝が来ました。日程はタイトなので朝食を食べたらすぐチェックアウトです。トーストにしました。普通においしゅうございました。店員さんは男性、女性ともに対応のいい方々でした。福岡に所用のある方は「センチュリーアート」さん、ぜひご利用ください。立地のよさにおどろかされます(コンビニ、薬局、駅、飲食店すべて隣接しています)。

 福岡空港のカフェで最後の休憩。冷たく超甘のアイスカフェモカでこの熱く燃えたぎった受験旅を締めます。

 余談ですが、帰りの便にはお相撲さんが数人いました。沖縄で相撲イベントがあったのですね。その中に沖縄出身の美ノ海関がいたことを後で知りました。本人とは知らずすれ違ったのですが8郎より背がちょっと低かったことを覚えています。その体格でよく入幕を果たしてくれました。けいこ、けいこのたまものでしょうね。沖縄の誇りです。幕内でチバリヨー!

 那覇空港に着くと、空港飯の定番ロイヤルホストのロイヤルカツカレーには目もくれず、バス停に向かいました。食欲より帰宅欲が強かったからです。思っていた以上に疲れていたんでしょうね。

 往路と同じバスで無事帰宅しました。ザ・単身赴任男の殺風景な部屋が待っていました。散らかったままの部屋を見て、この2カ月間の自分の努力を確認することができました。仕事以外の時間をほぼ勉強に充ててきたと、限られた時間の中でできるはすべてやってこれた、という充足感です。自分で自分をほめてあげようと思います(独学の身では誰も褒めてくれませんので)。おつかれ、おれ。→今年の流行語大賞に推薦願います。

 さて、冒頭にも書いたように2次試験合格の可能性ははっきり言って低いです。しかし、前述の通り短い時間で全力を投入できたという達成感と、自分には2次試験の方が向いているということを再認識できたことで、満足度の高い受験旅となりました。ポスト50歳の挑戦として実行して本当によかったと思っています。2次試験の内容は負担は大きいけれど勉強していて楽しい分野ですね。本当に診断士の核となる内容だと思います。この日をもって1次試験に完全シフトなので、分厚いテキスト、長い問題文とお別れです。ちょっと寂しい気持ちもこみ上げてきました。

 応援していただいた方々には厚くお礼申し上げます。こいつ、一体いつ受かるんじゃ、と思われている方も多いと思いますが(笑)。

 受験旅の様子を動画にまとめYOUTUBEにアップしました(丸一日かかりました。勉強せい!)。勝手ながら8郎が敬愛してやまないYOUTUBEチャンネル『たっちゃんねる おっさんの旅』に対するオマージュの意味も込めました。本家とは違い、こちらは相変わらずストーリー性も構成力もない駄作ではありますが、いい記念になったので、お暇な方はご覧ください。

※ついでに本家本元もリンクしておきます。「たっちゃん」さんが沖縄を訪れた際の動画です。ご参考までに。

 では、クリスマスイブイブ&イブ🎅の1次試験2DAYSに気持ちを切り替えて、また勉強と体力改善の努力をリスタートさせます。何度も書いてますが、今度の1次に落ちると例え2次に合格していても2次も同時不合格となるのです。なので今年の本丸はなんだかんだ言っても1次試験なんです! これだけ疲れたのに本当のヤマ場は年末に待ち構えているのです。そしてその1次挑戦は今年が最後と決めています。2次試験で培ったリズムを維持し、いつか「一生で一番勉強した」と振り返られる1カ月半にしたいと思います。

 50歳最後の挑戦🔥に応援のほど、よろしくお願いいたします!


仲間と架けた虹@佐賀(後編)

2022年09月06日 | 県外 8 Scene

 準決勝から舞台はSHOWAハンバーガースタジアム唐津に格上げされました。ところで不思議な名前のスタジアムですが、全国大手ハンバーガーチェーン店をフランチャイズ運営する地元企業のネーミングライツだそうです。両翼96メートル、中堅121メートル。LEDのスコアボードや照明灯を備え、スピードガンも設置されています。総工費は約16億7千万円で2年前に完成したばかりのまだピッカピカ。こげな立派な球場でおらがチームが試合さできるなんて夢みたいだべさ。たーやが!

 さぁ、事実上の決勝戦と見据えた準決勝です。相手は、同じく沖縄県勢で先の九州大会も制していた優勝候補筆頭のTMを下した地元のNHが相手です。あのTMを破ったのか!とチーム内にも衝撃が走りました。監督はもちろん10郎を先発に指名。マウンドにたった息子を見てると、さすがに10郎の胸にもこみ上げるものがありました。うしろの8太郎👻の怨念も年々薄れていくね!

 自慢のストレートで真っ向勝負だ!

 そしてついに出ました! 自己最速110㌔/hです。ボールスリーから連続3球ストレートで三振を奪った最後の1球がそれでした。電光掲示板にしっかり表示されていました。妻がその瞬間を逃さずに激写! 息子は父との約束をまず1つ果たしてくれました。

  そのシーンを動画で。いい音出してまっせ!

 しかし10郎より背の高い相手技巧派エースもさるもの。初回のワイルドピッチによる1失点を守ります。わがチームも打ちあぐねるまま、5回表まで1-0と心臓バクバクの緊迫した展開。10郎は4回を無安打無失点4奪三振🔥と大舞台の先発の役目を十分すぎるほど果たして、あとにマウンドを継ぎます。投球制限まであと11球残していたので5回も十分行けるのでは?と思いましたが、監督が決勝戦のために温存したのは明らかでした。

 そして、5回表、ついにその時が来たのです!

 仲間たちが連続四球で1,2塁とし、2番Y君が芸術的な犠牲バントで2,3塁と舞台をお膳立て。3番10郎に回ってきたのです。今大会でまだホームランの出ていない10郎。某プロ野球団ジュニア選考会での打撃テスト不調をそのまま引きずっているのではないかと不安でもありました。しかし、ここで打たなきゃ、男じゃない! 迷わず振れよ、振れば分かるさ! チバリヨー 🔥

 その結果も動画でお伝えします。

 痛烈に右中間を破るランニングホームランでした。3打点! スタンドの盛り上がりでカメラも揺れたので映像もブレブレです(笑)。このダメ押し3点を皮きりにチームついに猛打爆発。相手中継ぎ陣も力尽きたようで、結局9-0の完封リレーで勝利、夢にも思わなかった(笑)決勝進出を果たしたのです! 10郎は大役を見事に果たしてくれました。そして父との2つ目の約束も。ありがとう。

 

 ついに決勝戦です。相手は同じく沖縄勢のTSが勝ち上がってきていました。このチームは今年の強化大会で、10郎が先発2回で4三振を奪うなど力でねじ伏せた相手です。チームにも「もしかして本当に優勝しちゃう!?」という期待感(油断?)が高まりました。油断大敵を実感した試合となりました!

 決勝戦の始球式では、開会式で頑張っていたご当地ゆるキャラからワンが始球式。ワンバウンドで打者の胸元を突いていました。

 泣いても笑っても最後の試合。全43チームの頂上に立つチームが決まるのです。監督はまたしても10郎を先発に指名。11球しか残っていなかったので抑え起用かと思っていた8郎もビックリ。でも、決勝戦の先発を10郎を立たせたかったのだと理解しました。

 しかし10郎、緊張と連戦の疲れからか、先頭打者から2連続フォアボールを出してしまいます。球速もMAX105㌔/hです。先発の役目を果たせません。それでも意地を見せ3番打者から空振り三振を奪ったところで、投球制限によりマウンドを降りました。変わったN君が直後4番に3塁打を打たれるなど一気に3点献上! 10郎の大会自責点も一気に3点になりました(笑)。ベンチにまたも嫌な雰囲気が漂いました。

 しかし、この夏に成長した子供たちのエネルギーはすごいものがありました。相手に先制3塁打を打たれたN君がその裏に2点タイムリーを放つなど3点を取り返したのです。そのあとも5点を追加し、8-3。優勝へのリミットが近づきました。しかし、相手も海を渡ってきた意地があります。4点を取り返してきました。実は準決勝で力投したR君がひじを痛め、決勝には出ていません。残りの投手陣に不安が残ります。

 最後の最後まで一致団結して戦おう! 監督の激に18人が心を一つにします。

 しかしもう一人、成長していました! 経験は不足ながら身体能力の高さで4番目の投手として急成長したT君がMAX96㌔/hで相手の反撃を抑え込んだのです。あっぱれ!

 そして5回裏の攻撃中に時間切れで見事優勝が確定! 県外大会としてはもちろんチーム初です! 歴史的な快挙を達成してくれました。おめでとう~! 県大会の出場を2度も失った悔しさを、この栄冠が思い切り晴らしてくれました。えらいぞ、子供たち!

 10郎は準決勝ほどの大活躍ではありませんでしたが、2打数1安打1打点1四球2盗塁で見事勝利に貢献しました!

 

 この世代としてはすべての大会を通して初優勝! 表彰式で整列する子供たちを誇りに思いました。もちろんわが息子が一番輝いて見えました 

 ところで、10郎。最後の最後のベースタッチプレーでまたも骨折してしまいました。今回は左手親指です。近くの整形外科で「全治一カ月」と診断されました。オーマイガッ。栄冠と引き換えの名誉の負傷、と考えるしかないね~。骨細の家系ですね~。今も固定具をはめていますが、元気なのでご心配なく。

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 大会4試合での10郎の成績を記録として残しておきます。チームの中心としてよくやったと思います。両翼96㍍のスタンドに打ち込めなかったのだけが残念!(それは求めすぎですね)。

【打撃走塁】

13打席10打数5安打

打率 5割 

HR 1本(公式戦第10号)

打点 5

盗塁 3

四死球 3

出塁率 6割1分5厘

【投手】

投球回数 8回

勝利 1

自責点 3

奪三振 11

最高球速 110㌔/h

 

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 その夜は、父ちゃんたちで飲み会。父ちゃんたちも疲れと嬉しさの混じり合ったいい顔をしていましたね。佐賀で飲むビールもおいしかったです!

 以上が夏の夢を実現した子供たちの激戦記です。つたない文章ですが伝わったでしょうか。

 

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 大きな夢を与えてくれたご褒美にと、最後の予備日は熊本県にまで足を運んで遊園地を満喫しました。

 8郎はあまりの暑さで、入口付近のパーラーで1人缶ビール。しかし、あっという間にぬるくなり全部飲み干すことはありませんでした。

 妻から送られてきた写真には、ジェットコースターを楽しむ10郎の姿が。安全のためメガネを外した顔にまだ幼さを感じました。楽しそうだね~。高所恐怖症の父の遺伝は薄いようです!

 30分経つころには、一人ブラブラしているのも限界だったので、ついに10郎たちと合流。その流れで8郎もジェットコースターに乗ることに。ほかのお母さんがいたので逃げるわけにもいかなくなったのです。

  

 立ち乗り型ジェットコースター「ミルキーウェイ彦星」です(こんな怖い乗り物つくって、こんなかわいい名前つけんけ!)。隣の着席型「ミルキーウェイ織姫」のほうがよかったな~。妻と10郎は楽し気でしたが、8郎は死刑台に立たされた気分。いざ、発射!

 最後まで目をつぶって恐怖を耐えしのごうと思ったのですが、予想以上に上下のが激しいのです! 膝がガックンと思ったら、次は空に向かって放り出されるでのはないかというくらいの反重力! 目を空ける恐怖より、次に何が起きるか分からない恐怖が勝りました。高所恐怖症の49歳が、無理やり目を開けてみた地獄の光景を言葉にするのは難しいので、公式サイトのYoutubeをご覧ください(笑)。

 恐怖感が伝わったでしょうか。あまり伝わってないと思います・・・(笑)。後半失速型のアトラクションでしたね(だからこそおじさん耐えられたのでしょう)。

 フリーパス5千円相当を払ったにもかかわらず、アトラクションはこの1台だけ。めっちゃ高く付きました。でも、子供たちはみな満足そうでした。

 バスで空港に移動。5日間機敏に貢献してくれたF田さんという高齢の運転手さんに子供たちからお礼を告げました。いい感じのおじいちゃんでしたね。大型バスで忘れものを取りに行ってもらい(酷)、一部の保護者にビールの買い出しに付き合わされ(再酷)、本当にお世話になりました。

 福岡空港で最後のランチ。10郎はハンバーガー、8郎はカツカレー。遊園地に時間をかけすぎて、空港でゆったりできませんでしたね。お土産も足りなかったかもしれません(謝)。

 帰りの飛行機では機内アナウンスでチームの偉業をたたえてくれるハッピーサプライズがありました。JTAさん、粋だね!

 貸し切りバスで地元の公園に到着。すると、在沖組のメンバーらが横幕を作って歓迎をしてくれていました。感動です! 遠路の疲れも吹っ飛びました。ありがとうございました。優勝という最高の報告をすることができてうれしいです。下写真は他の保護者さん撮影を無断借用しています(謝)。

 10郎、チームメート、その保護者の方々、そして何といっても、金銭面でご支援いただいた多くの方々に感謝ですね。

 

 この夏、父子はそれぞれの大きな目標に挑戦しました。しかし、父は油断した挙句に国家試験4度目の不合格。10郎も頑張ったけど長期計画での準備不足が否めなかったためジュニア2次選考会を落選。いずれも虹を架けることはできませんでした。しかし、10郎は仲間たちと力を合わせて佐賀唐津の地で、九州大会優勝という美しいを架けてくれたのです。夏の終わりに架けた。甲子園のようなサイレンが鳴り響く中で見た光景はそれはもうこの上なく美しいものでした。8郎家にとって一生忘れられない思い出となるでしょう。

 以上、2022年夏、野球の神様がくれた熱い熱いクライマックスのてんまつでした。何度でも言いましょう、野球って素晴らしい! 


仲間と架けた虹@佐賀(前編)

2022年09月01日 | 県外 8 Scene

 野球の神様が用意してくれた2022年夏のクライマックス、と前回書きました。それは、愛息10郎が所属する学童野球チームが、九州・山口大会で見事優勝👑した!ということです! 夢のようで今でも信じられません。また優勝という偉業だけでなく、家族以外の部員とその保護者達約40人の大所帯で過ごした4泊5日の旅も、学生時代に部活経験などなかった8郎の49年間の人生において非常に貴重な体験となりました。下写真は、今大会の開催地となった佐賀県唐津市の観光シンボル唐津城から妻が撮影した、同じく観光シンボルの虹の松原という名所です。風光明媚な観光地の野球大会で10郎とその仲間たちが見せた熱き夏のドラマを前後編の2回に分けて報告いたします。仙台育英が東北初の甲子園優勝を果たしたのと同じ日に、おらがチームも初めて県外大会で栄冠を勝ち取ったのです! 子どもたちに感謝。そして野球って素晴らしい!

 8郎10郎父子にとっては先週の某プロ野球団ジュニア選考会から2週連続の飛行機。8郎にとって人生初ですね。今回はともに天候に恵まれ最高の空の旅でした。何度でも言いましょう。沖縄に生まれてよかった~、そして絶対にまた帰ってくるぞ~。40人の大所帯なので飛行機内もにぎやかでした。

 福岡空港から貸し切りバスで唐津市へ。1時間ちょっとのバス旅でした。開会式には保護者会長である8郎も監督と出席。佐賀県知事も出席するなど、35回目を迎えるこの大会に懸ける地域の思いが伝わりました。からワンというご当地ゆるキャラがおり、いろいろ頑張っていましたよ!(笑)

 トーナメント初戦の相手がコロナで辞退していたので、わがチームの初戦突破は旅立つ前から決まっていました。いろんな方から金銭面でご支援いただいているので、辞退したチームさんには悪いのですが、初戦敗退がなくなったことを素直に喜びました~。下写真は唐津城の天守閣。唐津城は豊臣秀吉の家臣が7年かけてつくったのだそうです。天守閣は登ることができ、子供たちは観光してきたようです。保護者会長の8郎は調整・雑務でそれどころではありませんでした(汗)。

 唐津城は夜はライトアップするそうです。妻がママ友と散歩しながら撮影した写真をアップします。会長8郎はこちらも拝むことはできませんでした。

 宿泊場所は全国チェーン展開のホテルでした。部屋の窓からは、川越しに唐津市内を一望できる絶景。毎日美しい夕焼けを拝むことができました。

 廊下の窓からは反対側の景色。虹の松原越しの朝日が拝めました。

 夜は子供たちにも自習の時間をしっかり確保。でもほとんどお互いの部屋を行ったり来たりで遊びまくっていましたけどね!

 さて、試合ですが、われらがチームは3回戦からの登場となりました。長崎代表のIW。10郎が先発しました。3回を投げ2失点(明らかな誤審とエラー)でしたが、相手打線から5者連続含む6奪三振を奪い(ロッテの佐々木朗希か!)、力で押さえつけました。打撃は3打数2安打1打点1四球。試合も7対2で勝利! 1回勝っただけで早くも準々決勝、ベスト8進出です(学童野球あるあるですね)。

 ズバッ!

 カキーン!

 セーフ! ユニフォームも泥まみれのハッスルプレーでした。

 スリーボールから三振につなげた場面が複数あり、マウンド上で自分をコントロールできたことをコーチ陣も褒めてくれました。前週の某プロ野球団のジュニア選考会の大舞台が経験として生きているのを実感しましたね!

 

 さぁ、準々決勝です。地元の強豪OR。ネット調べでは7月の市大会で優勝していました。初戦で65球を投げていた10郎はファーストです(学童野球は1日70球の投球制限があります)。この試合は盗塁2つと好守備で貢献しましたが、打撃は3打数ノーヒット(相手エラーで2回出塁)。記録上はヒット2本でしたが、鬼父8郎はエラーと認定しました。ということで大活躍とはいきませんでしたが、仲間たちが意地の猛反撃。最終6回裏に3点を取り、逆転サヨナラ勝ちを収めたのです。ベスト4進出です! 保護者たちも大喜び。沖縄の応援組からの熱いメッセージもLINEを通して数えきれないほど届きました。

 まさか、大会最終日までグラウンドに立てるとは本当に想像もしていませんでしたよ。子供たちに感謝です。 

 実は佐賀に来る前に、父8郎と息子10郎は2つの約束をしていました。1つは、公式戦通算10号のホームランを放ち2桁に乗せる、もう1つはピッチングで時速110㌔を達成する、です。ここまでの2試合では達成できませんでした(スピードガンがないだけで球速は測りようがなかったのですが)。事前に調べていた8郎は、準決勝からの舞台となるメーン球場SHOWAハンバーガースタジアム唐津の電光掲示板には球速表示があることを知っていたのです。本当にその舞台に行くとは考えてもいませんでしたが!

 父と息子の約束は実現するのか!? 10郎と仲間たちの夢を追った熱き戦いの行方は? いずれも後編でお伝えします。今日はもう寝ます!


12歳 真夏の大冒険@福岡(後編)

2022年08月27日 | 県外 8 Scene

 愛息10郎が挑戦した某プロ野球団のジュニアチーム選考会の2次選考会に参加してきました。700人から選抜された100人をさらに30人に絞るという狭き門に果敢に挑んだ10郎ですが、残念ながら最終選考に残ることはできませんでした(泣)。やはり、2、3年かけて準備してきた子がいっぱいおり、レベルが高かったですね。でも49歳8郎としては、息子とともに夢を追った、とても楽しい夏の旅だったので、満足感でいっぱいです! 早速ご報告いたします。

 往路のANA機から撮影。いつ見ても「どこに行こうが必ずこの島に戻ってくるぞ!」と郷土愛に突き動かされる光景です。沖縄に生まれてよかった~。10郎にもそう思ってほしいな。

 10郎がまだ1歳のときに旅した与論島もきれいに見えました。あまりに美しいヨロンブルーに、窓を開けてダイブしたくなりました(これから息子の大事な試験あらに!)。

 天気もよくとても美しかった窓からの光景を動画にしました。編集もほぼしていない切り取り垂れ流しコンテンツですが、お暇な方は45秒間の空旅をお楽しみください。一応BGM付です。

 福岡空港から地下鉄で博多駅に到着。乗り換え快速の切符を買うのに、結局、沖縄にいる母ちゃんに☎してしまった方向音痴父子です(笑)。宿泊地である羽犬塚(はいぬづか)駅へ向かいます。10郎がかぶるのは1次試験のさいに購入していたソフトバンクホークスのキャップです。おっしゃれ~。

 羽犬塚駅に到着。地名の通り、背に羽根がついた謎の犬の銅像がありました。

 謎の犬について興味のある方のために、筑後市観光協会の説明を転載しておきます。

 地名の由来になっている羽犬伝説には、豊臣秀吉が九州遠征の際にこの地で羽の生えた怪犬に出くわし、退治して塚に葬ったという説と秀吉の愛犬(羽の生えたように速い犬)が病死したため塚を立てて弔ったという2つの伝説が伝えられています。

 だそうです。

 ホテルは「エルモント」というヨーロッパ風のミニホテル。さらにその向かいの、アーティストの作品が飾られているという別館に案内されました。芸術と言われても、選考会前日の8郎父子にとって、そんなのカンケーねぇ!(笑)。しかも芸術性を重んじるためかテレビもありません。

 壁に飾ら得た絵画はそれなりに味がありました。温かいような、さみしいような、怖いような・・・でもやっぱり選考会前日なので、そんなのカンケーねぇ!

 早速2人で近くの公園に移動し、キャッチボールをしました。自分の人生で、県外の初見の地の公園で息子とキャッチボールをする日が来るとは思いもしませんでしたね(ほとんどの父子がそうですよね。笑)。10郎のコントロールは不調でした。バッティングは大丈夫なので、コントロールと守備が課題だという共通認識を持っていました。本番までになんとか少しでもコントロールの精度を高めようと決めていたのですが、特効薬なく不安なまま練習終了。

 遅めの昼飯。近くの中華そば屋に入りました。初老男性が一人で切り盛りしていました。

 豚骨の中華そばでした。見た目より薄味でしたね。10郎は「あんまりおいしくない」とポツリ(大将、すいません!)。写真には写ってませんがギョーザはあっつあつでおいしかったです。

 ホテルに戻り、シャワー。最近色気づいてきた12歳。ドライヤーを使って髪型を整えます。ラスベガスの高級ホテルに宿泊しているハリウッドスターのような後姿です。最近よく「お父さんみたいなハゲチャビンにはなりたくない!」と主張します

 中華そばを食べたばかりなので、夕飯は軽めに。駅の軽食屋で買った総菜です。なぜか缶ビールはロング。

 その日は旅の疲れもあり、ぐっすり眠ることができました。未明には雷が鳴るほどの大雨でした。

 さぁ、本番当日、午前6時に起床。早速、昨日の公園に出向き、ピッチング練習です🔥

 前日から迷える息子を前に、父は大勝負に出ました。

 

 「お父さんが構えたここにドンピシャで投げ入れたら1万円💴くれてやる!」

 

 そうです。金で釣ったのです(爆)。

 効果はてきめん。次の球は、あやうく1万円を払うことになりそうなところにバシッと来たのです! 8郎は内心焦りながら「惜しい!そうだ!投球は守りじゃない。自分で攻めて取りに行くんだ!」と呼び掛けました。それからはほとんどがストライクコースに決まりました。 

 本当に1万円を払うことになったら大変(この旅でさらに1万円はきつい)なので「前日に肩を消耗しないよう、そろそろ終わりにしよう」と大人の事情で練習を終えることにしました。10郎は1万円をもらえなかった不満こそあるものの、ストライクを取る感覚を得たようで、表情にも満足感が見えました。よかった!

 さぁ、朝飯を食べて決戦の地へ移動だ。ホテルのフロントのお姉さんは優しくてとても愛想のある方でした。朝飯も和洋選択でき、おいしかったです。エルモントさん、テレビはないけど(まだ言う)快適な宿でした。お世話になりました。羽のある犬の像がある地に用事のある方はぜひ! 

 一駅だけ電車に乗って、筑後船小屋駅という長くて珍名の駅に到着。そこから歩いて3分で某プロ野球団の2軍スタジアムがあるのです。先日の1次選考会に次いで再び訪れた10郎。誇り高く記念写真! 俺は帰ってきたぞー!

 

 受付で支給されたビブスの番号は106。「まさにジュ―・ローだな!」と2人で無理やり縁起をかつぎました。参加する野球少年たちは大きかったですね。170㌢超えも数人いました。190㌢の父親もいました。負けんな、われらがウチナンチュボーイ!

 と、勢いづけて臨んだ2次選考会ですが、冒頭にお伝えしたように涙の落選でした(1週間後に球団公式サイトで公表)。早朝練習のかいもあってピッチングテストはよかったのですが(ただ1球だけフェンスを超える大暴投!しかも監督の目の前で!)、最大の強みであるバッティングテストで大きなアピールができませんでしたね(一番えぐいスイングをしていただけに残念です)。なので、詳細をここに書くことはしません。その代わり選考会の模様を動画でアップしておきます。スマホ画像なので画質が悪いことをご了承ください(ビデオカメラも持っていったのですが、撮影する場所がネットの目前。ピント合わせの関係でスマホのほうがよかったためです)。

 では、12歳10郎の奮闘をどうぞ!

 選考会終了後、先にグラウンドを出た10郎に8郎が追いつくと、ほかの少年2人と楽し気におしゃべりをしていました。なんと相手2人とも沖縄の子でした。互いに初見だったようですが、ユニフォーム袖の沖縄県章やイントネーションでウチナンチュだと分かったのだとか(笑)。2人とも「バッティングが全然だめだった」と不満げでしたね。8郎も2人の父親とも交流、情報交換ができ、とてもいい経験となりました! ウチナンチュ野球少年たちよ、これからも切磋琢磨していってほしい。

 帰りは豪華に新幹線!(時間がないので)。駅で先のウチナンチュ父子と、さらに別の父子と遭遇。結局ウチナンチュ3組と顔を合わせたことになります。選考会のライバル同士ではありますが、ウチナンチュと言う意味では同士でもあります。海を渡った挑戦を互いに讃え、別れを告げました。10郎もライバルたちと「また美ら島リーグ(卒業前に県内の選抜組で構成するリーグ)で会おうぜ」と約束していました。別れにちょっと寂し気な10郎です。突然の出会いがあればあっという間の別れもある。それが夏だよ! 

 帰路の新幹線でも地下鉄でも、自慢の打撃が振るわなかったことを10郎が悔しがっているのは重々承知していました。ピッチングの好調さをもみ消すくらいの悔しさだったと思います。でも、親の身勝手ではありますが、父としてはすべてが楽しかったです。挑戦することすら許されなかった幼少時代の自分の夢を、今息子が体験してくれている、という感慨もあったかもですね。

 空港のレストランで2人反省会。父は「ストレートは最高だった。バッティングは他のみんなもよくなかった。守備含め最後まであきらめずに攻めの姿勢はよかった」と褒めてあげました。大きな悔しさとほどよい達成感(この時点で合否は分かりませんので)に翻弄される息子の顔を見ながら飲むビールは最高でしたね(笑)。息子よ、夏の思い出をありがとう!

 以上、12歳 真夏の大冒険 のてんまつでした。1週間後に判明した落選はもちろんショックでしたが、息子のひと夏の挑戦🔥を間近で見ることができたことは、8郎にとって一生の思い出、宝物となることは間違いありません。お金はそこそこかかりましたが、後悔などあろうはずもありません!(byイチロー)。ホント、楽しかったです!

 もちろん息子にとっても大きな経験となったはずです(それが今回の狙いでしたから)。経験値とは野球のスキルだけではありません。高いレベルで頑張っている同世代の存在を知ったというメンタル的な経験値ですね。8郎は息子に井の中の蛙🐸だけにはなってほしくありません(知らなかった、というのは人生最大の損だと思っています)。勉強してほしい、たくさん本を読んでほしい、というのはそこですね。人生には、経験だけでは乗り越えることができないことがたくさんあります。知らないまま生きるより、勉強して、本を読んで、たくさん知っておいたほうが絶対にいい。8郎が息子に伝えたい人生訓です。それを野球、そして今回の選考会を通して体感してくれたはずだと思います。

 

 さて、前後編の2回にわたってお伝えした12歳の大冒険は上記のような結末となりましたが、2022年夏、野球の神様は10郎にさらなる興奮をクライマックスとして用意してくれていました! 野球の神様、あなたは本当に存在するのですね!

 その記録を当ブログでなるはやでアップするために今日はこれにて。


12歳 真夏の大冒険@福岡(前編)

2022年08月11日 | 県外 8 Scene

 前回は49歳の哀れな惨敗報告でしたが、今日は一転、12歳のおめでたいニュースを報告させてください! 

 愛息10郎が某プロ野球チームのジュニアチーム選考会に参加し、めでたく1次選考突破しました! 応援ありがとうございました。選考日が8郎の試験とかぶっていたので、妻が開催地の福岡県まで同行してくれました。ということで今日の写真はすべて、激闘の1日に密着してきた妻のスマホ撮影です。下写真は選考会を終え、充実した表情の12歳です。

 800人から105人に絞られるサバイバルレースを自慢の強打、強肩、俊足で勝ち残りました! 30㍍走では、初の人工芝ですべったようですが(笑)。トスバッティングでは、その飛距離を見た10郎より大きい子に「お前、化け物か!」と驚かれたそうです。でも遠投では「俺より遠くに投げたやつがいた。あいつはすごい」と、県内ではなかなか遭遇しない全国レベルの身体能力に驚愕もしたそうです。170㌢超の小学生(驚)も数人いたようです。いい経験になったね! そして妻ともどもコロナにも感染せず元気に帰沖してくれました。

 下写真は受け付け時。ここだけでも163㌢の10郎より大きな子が2は人いますね。

  選考会の雰囲気を少しでもお伝えするために、妻撮影の打撃テストの動画(無修正)をアップしておきます。左から2番目が10郎です。画質が悪く打球の行方が分かりにくいですが、妻いわく「誰よりも遠くに飛ばしていた」そうです。

 合格が発表された8月10日は、メジャーの大谷翔平選手が初の10勝目を挙げ、ベーブ・ルース以来104年ぶりの「二けた勝利、二けたHR」という偉業を成し遂げた日でもありました(大谷がHR打った日には10郎もよくHRを打つんです!)。仕事中の8郎に、10郎自らがLINEで合格の知らせを送ってきたのには驚きました。HPをみずから検索し、自分の受験番号をスクショして送ってきたのです(今の小学生なら普通ですかね?)。

 

 ということで、今週末、2次選考に挑んできます。105人から30数人にまで絞られます。今回は妻ではなく、先日試験に落ちたばかりの8郎が同行します!(縁起わりぃ!)。ビデオでいっぱい撮影したいと思います。

 試験に落ちたチルダイ感は8郎の胸からもちろん消えないものの、横に目を向けるとワクワクすらする2022年の不思議な夏☀です。すべて愛息12歳のおかげですね。

 さぁ、10郎、相手にとって不足はない。九州の野球エリート少年たちを相手にフルスイングしてこようぜ🔥

 チバリヨー、沖縄生まれ沖縄育ちの小さなホームランバッター! 

 12歳 真夏の大冒険@福岡の経過については、当ブログで報告していきます。応援のほど宜しくお願いいたします!


金田一と歩く旅@岡山(後編)

2019年12月07日 | 県外 8 Scene

  ついに清音駅(きよね・えき)に着きました。駅名もきれいですが、外見もとても小さくてかわいいですね。 名探偵金田一耕助の顔出しパネルがありました。

 倉敷駅からの電車内にも、金田一耕助にふんしたコスプレの集団がいたのですが、彼ら、彼女らは電車を降りると早速記念撮影。金田一耕助の記念すべきデビューシーンを体感するなんて、粋ですね。

 実は8郎も当初はコスプレを考えたのです(笑)。一生に一度くらいは・・・と。しかし、コスプレとなると、写真を写す側から写される側の被写体へと立ち位置が変わり、このツアー内で終始「集団行動」を取らざるを得ないはめになります。それは、好き勝手に写真を撮ることが難しくなるデメリットも意味しています。この旅を一生の思い出として残すためには、絶対に多くの写真が必要なのです。という理由で、コスプレはあきらめました。集団行動から外れたかった確信的な理由はほかにもあるのですが、それについては後ほど。

 ちなみに、もしコスプレをするなら、どのキャラクターを想定していたかというと・・・もちろん、これです。

 

 【閲覧注意】もし8郎が横溝ワールドのコスプレをするなら

 

 だれですか?  頭部に白いペンキ塗るだけで完成あらに、とツッこんだ人は? その通~り。

 ツアーの受け付けは駅の東側の広場で行われていました。数人のマスコミらしき人達も散見しました。

  おそらく地元の市職員であろう受付の方に、「コスプレに参加せず、写真だけ撮影したい」旨を伝えると、なんと「参加料(500円)はいりません」とのこと。「写真をたくさん撮って、このイベントをもっとひろめてください」とまで言ってくれるではありませんか。感激した8郎、せめてもの地域貢献として記念グッズを買うことにしました。

  購入したのは以下の3つ。計1600円程度でした。使ったり、飾ったりするシチュエーションが想定できないので(笑)、純粋に旅の思い出となります。真備町の復興のためなら安いもの!(2000円で買いたいという方いれば即売いたします)。

 晴れの国とはまさにこの青空のこと! 

 上写真の左下にパトカーが停まっているのが、いかにも金田一ワールドでウケましたね(イベントの警戒だと思いますが)。このパトカーから磯川警部コスプレが降りてきたらもっとウケたのですが。。。司会の方はじめ、コスプレの3分の1は金田一耕助でしたね。人気はもちろん、金田一だけ貸衣裳(¥1000)が用意されていたこともあるでしょう。

 ほかにも、落武者や妙連の尼久野医師ら「八つ墓村」ファミリーがいました。みんな殺される運命です(笑)

 意外に若い女性も多かったです。横溝氏の没後に生まれたはずなのに。やはり名作は世代を超えるのですね。下写真のお二人とも快く撮影に応じてくれました。左の女性は、希代の悪女犬神松子とその息子、スケキヨをコラボさせるという奇抜なアイデア、素晴らしい! 横溝氏も著作権侵害を主張したりしないでしょう(笑)。 

 駅に戻って全員で記念撮影。壮観!

 さあ、出発です。目的地の横溝正史の疎開宅&記念館まで5㌔の道のりです。過去最多の143人となったため、先発の「金田一耕助」と後発の「八つ墓村&その他」という2グループに分かれました。そのため、先頭集団は老若男女、金田一耕助ばかりです。

 時間が停まったかのような真備町ののどかな風景を横目に歩きます。

  みんな楽しそう!

  川辺橋です。長蛇のコスプレが一番絵になるということで、地元の各マスコミもそろっていました。ネットで見る限り、メディアでの露出は毎年、ここからの絵が使われているようでした。

 マスコミがどいた後、どどーっと押し寄せてきました。最初からここで撮った方がいいんじゃない(笑)

 それにしても、これだけ名探偵がいたら、そこらじゅうの難事件は即解決ですな。っていう~。

 8郎が“ただ撮っただけ”の動画もあります。雰囲気だけ感じていただければ。

 『1000人の金田一耕助』@川辺橋

 

 ところで、この旅行記において、書いておかなければならないことがあります。

 この真備町、実は昨年2018年7月の西日本豪雨で大水害に見舞われ、51人が亡くなるという惨事に見舞われていたのです(「晴れの国」とうたう県ですら水害の危険性に直面する時代です)。真備町は今も復興活動の途上です。しかし、その大災害の直後でも、昨年のこの金田一イベントは中止となりませんでした。それどころか、復興の呼び水として全国から寄付が届き、10回目となるイベントを行ったのです(昨年行きたかった、というのはそういう意味です)。地域の方々も金田一耕助は地域のシンボルであると思っているのでしょう。

 散策コース沿いにも復興の途上の光景がまだまだありました。

 更地のそばを歩く金田一たちも真備町の復興を願う気持ちは一つです。

 この日の夜に配信された地元メディアの山陽新聞(デジタル版)の記事はこんな感じでした。ただのコスプレイベントというより、復興支援の側面を強調したいのでしょうね。それでいいと思います。

 

 『“金田一耕助”が真備復興見届け』(山陽新聞デジタル 2019/11/23)

 

 地元有志らによる寸劇第一幕が始まりました。『本陣殺人事件』で、金田一耕助シリーズ最初の怪奇キャラクターともいえる「3本指の男」が売店に水をもらいに訪れるシーンです。原作を読んだ方はおわかりでしょうが、原作におけるこの「3本指の男」の存在意義たるや! 田治見要蔵の使い方と同様、横溝氏のミスディレクションの極致です。

 地元テレビ局もしっかり取材。夕方のニュースでしっかり使われていました。後半で動画をアップしておりますので、後ほどご確認ください。

  歩きに歩いて、やっと看板が見えてきました。

 かわいらしい看板です。

 寸劇第二幕が始まりました。「やだわか」ではなく、一膳飯屋の「川田屋」です。

 

 ところで、8郎はこの寸劇第二幕を最後まで見ることなく、ひとり、集団から離れます(その判断を多少後悔する後日談あり)。

 単独行動に出た理由は一つ。「真備ふるさと歴史館」(実質、横溝正史記念館)の近くにある大池周辺の散策コースを、一人でゆっくり歩いてみたかったのです。そこは、横溝正史が小説のプロットとトリックを考えながら、鬼のような形相で歩きまくった道だと、中学生時分のころ、関連本で読んだ記憶があったからです。33年のときを経て、46歳おっさんも自分の足で歩き、横溝文学のルーツを体感してみたいのですよ! 

 歩いて5分程度で「真備ふるさと歴史館」に到着。まずはここから。

 入口にある金田一耕助像。写真では分かりにくいのですが、像の全校は50㌢ほど。小さくて素通りする方も多いでしょう(笑)。ほかのキャラクターも同じようなサイズですが、金田一だけはもっと予算かけて大きく作ったほうがよかった気がします。まぁ、架空の人物だからでしょうが。

 歴史館を含むこの一帯は「大池ふるさと公園」というようです。

  記念館に入ります。無料! 本陣(大名らが宿泊できる公式の宿場)などで栄えた真備町の古い歴史を一覧できます(『本陣殺人事件』の題名ももちろんこれが由来)。この館は写真撮影OK! 

 横溝氏のご遺族の希望で、疎開宅から移転展示されている書斎がありました。

 この机で『八つ墓村』をはじめ、『獄門島』『本陣殺人事件』『悪魔の手毬唄』などを世に上梓したのだと思うと、一ファンとして感無量です。シンプルです。

 手書きの原稿です。

 ここで、おそらく地元の方でしょう、初老のガイドさんが近づいてきました。この方、右目に眼帯をかけていました。8郎、眼帯をかけている人を生まれて初めて見たので、「誰のコスプレですか?」と思わず聞きそうになったのですが、万一、持病だったりしたら大変失礼なことになります。質問を飲み込みました。コスプレするようなハイな方には見えなかったというのもあります。

 眼帯ガイドさんは、ていねいに、かつ長々と(失礼)、展示物の説明をしてくれました。

 横溝氏の息子さんは音楽家になったそう。偉大なる父の思い出を書き記したパネルがありました。

 横溝氏の執念がにじんだ傑作推理小説がズラリ。

 イラストレーター杉下一文ワールドともいえます!

 横溝ワールドに浸っていると、時間が過ぎていることに気づきました。一生懸命説明してくれる眼帯ガイドさん(コスプレと聞かないことが逆に失礼かもと思いながら・・・)にお礼を伝え、そそくさと退館することに。やばい、予定より遅れている!

 急いで、大池周辺の散策路へ。ついに来ました。横溝文学を生んだ、まさに「金田一の小径(こみち)」です。横溝氏はこの道を繰り返し歩きながら頭の中で描いた原案を、さきほどの書斎で形にしたのですね。池からのさわやかな風が吹き込み、気持ちいい小径でした。向こうから、鬼の形相でプロットを考える横溝正史が、てくてく歩いてきそうではありませんか! 8郎の胸にも感慨がこみ上げてきました。

 道の脇には、赤い藻がなんともミステリーな大池。『犬神家の一族』の名シーン、スケキヨの足が突き出ていても不思議ではありません。

 散策路を歩いていくと、地蔵と小さな銅像がありました。銅像をよく見ると、『悪魔の手毬唄』の“おりんさん”ではありませんか! 

 頭巾で顔が見えない「おりんさん」らしき老婆と、金田一が峠ですれ違うシーンは、横溝文学の中でも、屈指の名シーン。

 「おりんでござりやす。お庄屋さんおところへ、もどってまいりました。なにぶん可愛がってやってつかあさい」

 せっかくなので逆光で撮影。原作を読んだ、または映画を見たファンなら知っています。すれ違ったとき、金田一がおりんさんの顔を確認さえしていれば、あんな惨事は起こらなかったはず! 

 銅像の顔は老婆なのか、はたまた美しい女性なのか、試しに見てみました。感想はもちろんここに書きません。 

 周辺の田園風景。あの傾斜はまさに、田治見要蔵が猟銃と日本刀で大暴れした場所?

 そんなくだらぬことを考えている間に、8郎は時間配分ミスをしていることに気づきました。まるで、すべてが後手にまわった『八つ墓村』での金田一耕助のように。

 ついに、この旅のクライマックスともいえる横溝正史の疎開宅(下写真左)が見えたのですが、コスプレ集団がすでにその直前までたどりついていたのです。それはすなわち、第三幕にして最大の見どころである濃茶の尼の寸劇がすでに終わっていることを意味しているのです。まじか! ここまで来て「たたりじゃ~」🔥を聞けないなんて! 

 走って濃茶の尼の祠に到着。やはり人っ子一人いません。ショック! ここで、金田一ファンにとって最高の歓迎セリフ『来るな、来るな、帰れ、帰れ、八つ墓明神はお怒りじゃ』を聞きたかったのですがっ。

 ぼけ~と立ちすくむ46歳です。

 

 しかし、この地に眠る巨匠横溝正史の魂は、遠く沖縄からやってきた46歳のファンを見捨てることはしませんでした。

 

 がっかりして振り向くと、なんと、助手の方と一緒に車のトランクに荷物を詰め込んでいる濃茶の尼の後姿を見つけたのです!(爆)。もちろんコスプレの中は一般の方(当然)で、地域の商工会関係者のようです。

 「すいません!写真撮っていいですか」。46歳のおっさんは恥も隠さず、頼み込みました。

 濃茶の尼(だから一般人だっちゅーの)は、とてもにこやかな笑みで「いいですよ」と応じてくれたのです。そして、トランクから今しまったばかりの大鎌を持ち出して(笑)、「日の向きはどこがいいかな」と立ち位置まで考えてくれたのです。助手の方が8郎のスマホで撮ってくれました。記念すべき、たたりじゃ~!🔥 カシャ! 

 この旅で、一番思い入れのある写真となりました。この旅一番の写真は、愛機D300ではなくスマホで、しかも他人様に撮ってもらった、という結果と相成りました。濃茶の尼、お名前も知らない方ですが、本当にありがとうございました! 「呪」の鉢巻きが本当にチャーミングでした。

  いざ、遅ればせながら横溝正史の疎開宅へ、コスプレ集団と合流します。意外に豪邸! 

 金田一耕助も入ります(笑)

 しっかりとした日本庭園があり、とても品と風情のあるお屋敷です。ただ今日はコスプレのみなさんでごった返しています。

 紅葉あふれる美しい庭園でした。戦時中の疎開先というので、もっとしなびた屋敷を想像していたのですが。。。この地が、空襲や地上戦に見舞われなかったからでしょうね。74年前にほとんどが焼き尽くされた、わがふるさとを思いました。

 

 美しい庭の動画もアップします。

横溝正史の疎開宅跡

  玄関には粋な2枚の名札が。そして奥には金田一耕助のシルエット! ネットでみたやつだ。ついに来たぞ~(嬉)。たとえ偶像でも、少年時代のヒーローに会えることは、男として感無量以外なにものでもありません。

  動画でもお分かりのように、まるで『本陣殺人事件』さながらの琴の演奏がありました。ちなみにこの部屋こそ、横溝正史の仕事場だったそうです。さきほどの記念館でみた書斎がここにあったということです。70年前に『八つ墓村』はじめ、日本の本格推理小説の夜明けとなる傑作群をここから世に送り出したのですね。再び感無量。 

 いろいろな資料があって、ゆっくり見たかったのですが、ごった返していて、余裕はありませんでした。写真もいまいち。

 裏庭では即席記念撮影会が始まっていました。菊の花はまさに『犬神家の一族』の世界。そして、横溝ワールドの怪奇キャラの中で、最大知名度を誇るスケキヨは、もちろん一番人気でした。8郎も白塗りしていれば、和服のきれいなお姉さんたちに囲まれたかもしれません(笑)

 ところで忘れてはいけません。和服女性の後ろに鎮座しますは、まさに横溝正史大先生の銅像です!(これまたちっせ~。笑)。国民的ベストセラー作家ですよ、もっと大きくして~。

 地域のお母さんたちが甘酒をふるまってくれました。

 集団はこの後、さきほどの記念館へ移動し閉会式を行うのですが、8郎は、すべて見切った、とい満足感があったので、先に切り上げることにしました。電車で込み合うのもいやだったので。

 途中で、さきほどの寸劇第二幕の舞台だった一膳飯屋「川田屋」の中を拝見。しっかりメニューがありました。70年前当時、「豚キムチ丼」などがあったのか疑問ですが(笑)、手作り感に心打たれました。

 街中まで歩きましたが、足が限界。20分待ってもタクシーを捕まえきれないので、スマホで地元のタクシー会社の電話番号を検索し、呼びました(ネットってすごい)。車中で自分の体が非常に汗臭くなっているのが分かりました。コスプレしていた皆さんはもっとそうだったことでしょうね。おつかれさまでした。清音駅から岡山駅まで戻りました。真備町では結局往復7㌔ほどのウオーキングだったのですが、その倍くらい歩いたような疲労感でした。

 

 ホテルに戻ると、早速地元テレビ局のニュースをチェック。放送されていました!

 金田一ニュース

 ちなみに、すべてのメディアのカメラに写らないよう、慎重に動いた8郎ですが、後姿だけちょっとだけ写ってしまいました。妻と10郎はすぐわかったようです(笑)。お暇な方は探してみてください。

  最終日の夜の予定は本来、ホテルから歩いて10分の「後楽園」でライトアップされた紅葉を見るはずだったのですが、足があまりに棒のようになっていたので、断念。「ホテルの部屋付けのせまい風呂に入る」というめったにやらない行動で体を癒しました。多少回復したので、街へ繰り出します。ビールを飲まなければ!

 これまたネット予約していた「魚河岸えびす」という店。酒場詩人こと吉田類さんが選びそうな、こってこての居酒屋でした。

 昨夜と同じくカウンターの隅っこに案内されたのですが、このカウンターと厨房と仕切る壁が高く、大将や店員さんと気軽に話せるつくりではありません。同じくカウンター席の3席となりには二人の若い女性が座っていたのですが、聞こえてくる話の中身からすると、なんと離婚の相談をしているではありませんか! とても、お友達になる気力が起きず(笑)、疲れもあって、純粋に酒とつまみを楽しむことにしました。

 女性店員さんおすすめの「でびら」。木の葉カレイの干物、だそうです。瀬戸内レモンサワー(写真左上)と合いました。 でもエイヒレのほうが好きですね。

 おとなり広島県の名産牡蠣を使ったカキフライ。これは問答無用においしゅうございました。

 実は一番おいしかったのは、刺し盛り(特にハマチ)だったのですが、写真を消してしまい、ご紹介できません。料理は大満足の居酒屋さんでした。

 特に誰とも会話することなく(寂)、1時間ほどで店を出ました。にぎやかな酒場通りには、ひとり旅の身にはちょっと冷たい風が吹いていました。さぁ、明日は一便で沖縄に帰ります。朝食を食べる時間もないほど早めにチェックアウトしなければなりません。このままホテルに帰ろう。そう、82㌔を超えないためにも、コンビニにすら寄らないぞ!・・・。そう心に言い聞かせた46歳です。まっすぐ後楽ホテルに向かいます。

 気づくと、豚の角煮がたっぷり入ったつけ麺を完食していました。

 ホテルに帰り、妻子と電話で会話したあと、爆睡。膨満感に多少苦しんだものの、充実した一日を振り返ると、何かを達成したかのような気分で心地よく眠れました。

 翌朝は午前5時半起き。胃の中の太麺はもちろん消化しきれていません。でも、晴れの国の朝はさわやかです。絶品朝食を取らずにチェックアウト。 

 岡山駅へ向かって歩いていると、ギャー、ギャーという鳴き声とともに黒い影が上空を舞っています。な、なんだ!

 まさか『悪霊島』のぬえが大群で押し寄せたのか。ぬえの泣く夜、だけでなく、朝も恐ろしいのか~。

 ネットで調べると、鳥はスズメの仲間ムクドリの群れで、この時期になるとよく見られる光景だそうです。

 ぬえではなかったのですが、ご参考までに、ぬえの鳴き声を録音したマニアな動画をYOUTUBEで発見。きれいですが暗闇で聞くと確かに怖いですね! お暇な方はぜひ聞いてみてください(笑)。横溝氏はこの鳴き声に着想を得たのでしょうね。

 鵺の鳴き声

 さて、駅発の空港行のバスですが、余裕ぶっこいてバス停に時間ギリギリで到着したところ、何と満席! 予約すればよかったのか。先日のアルプスの旅のような大どんでん返しかと思い、冷や汗が出ましたが、奇跡的に最後の席を空けてもらうことができました(補助席をすべて使ったうえでの最後の1席ですよ!)。旅行は時間に余裕をもって動かなければなりませんね(アルプスの旅の教訓を生かし切れていない46歳です)。

 30分かけて到着した空港では、空腹を我慢できずに、牡蠣弁当を購入(牡蠣好きね~)。1000円近くした割には手のひらサイズでした。アルプスの旅で食べた駅弁「かきめし」を横綱とすると、前頭14枚目くらいのお味でした。

 旅立つ朝も晴れの国、岡山、さようなら。

 帰りの便の座席は、往路よりも空いていました。3列席を独り占めです。気楽~。

 窓からは紅葉の山々が。妻に見せたかったなぁ。

 飛行機の影が雲海に映る珍しいショットです。しかも太陽が落とした光に包まれている? 幻想的なシーンとなりました。

 名残惜しむかのようにまた手に取ります。

 2時間立つと、美しい青空と雲海の世界に入りました。愛しきふるさとももうすぐです。

 帰ってきたぞ~。わったーうちなー。

 空港からはバスで30分かけて、自宅に到着。まだ正午ごろでした(早!)。もっと便数があれば、岡山での時間を有効に使えたのにな~。

 帰宅して、早速体重計に乗ります。せこく100㌘でも軽くするために、もちろん全裸監督状態です(映画『全裸監督』山田孝之主演はネットフリックスで絶賛公開中)。さぁ、こい。

 なんとか、誓いを守りとおせました! でも、あのつけ麺さえ我慢できていれば、81㌔を切っていたはず(悔)

  

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 46歳にして、やっと聖地の旅が完結しました。いい年こいて子供っぽい、と笑われても全然構いません。そう言われたと仮定してみると、子供のころのヒーローに会いに行くことが目的だったこの旅は、同時に子供のころの自分に会いに行ったようなものかもしれない、と考えたりもします。33年前の伏線を回収する旅の結末は、『八つ墓村』の章見出しを借りれば、そう、大団円でしたね。

 ありがとう、横溝正史。ありがとう、金田一耕助。そして、復興の途上ながら、毎年、金田一ファンを迎えていただいている真備町のみなさんに感謝とリスペクトの念が絶えません。

 岡山県、倉敷市、真備町。いつか、また、きっと訪ねます。巨匠横溝正史が岡山で書き上げた物語には、8郎が気づいてすらいない伏線がまだ隠されているはずですから。

【後日談】地元のライターさんが書いたイベントの記事が、後日WEBにアップされていました。そこには何と、8郎が中座した寸劇第二幕で、積年の目標だった「延べ1000人目の金田一耕助」が誕生したセレモニーがあったようです。見たかった!(悔) ところで、このWEB記事には、これまた8郎が見逃した濃茶の尼の寸劇の様子も詳しく報告されているので、8郎と記念撮影してくれたあの女性の一世一代の大芝居を確認することができます。ぜひこちらも! ちなみに、すべての写真を確認しましたが、8郎はどこにも写っていません(ほっ)

『倉敷とことこ』


金田一と歩く旅@岡山(前編)

2019年11月28日 | 県外 8 Scene

 突然ですが、40代後半男性こと8郎から、同世代の殿方たちに質問です。

 

 子どものころにできなかったことを、50歳を前に急にやってみたくなる瞬間ってありませんか? 

 

 もちろん働き盛りの一サラリーマンとして、仕事が第一、家族を最優先に、という使命は肝に銘じているところですが、ただ単調に繰り返される日々を漫然と生きることに無常観を感じることも多い今日このごろ。同時に、発散できていないエネルギーが蓄積し、オーバーフロー状態であることを感じていました。世の中にはそのエネルギーを、起業する、親の後を継ぐ、陶器を焼き始める(笑)などいろんな選択肢に向けている方もいると思います(エネルギーを安易な脱サラ、または不倫に向けると人生計画は破綻しますが)。幸運にも脱サラするほどの計画性・資金力もなく、さらに不倫するほどモテない悲しいおっさん8郎ではありますが、心の水面下で30数年来、消えることなく静かに燃え続けてきた火が、ここ数年で一気に強まったので、一つの決断を下しました。

 それは・・・。

 

 そうだ、金田一耕助のふるさと、岡山行こう! 

 

です(笑)。なんちゅうマニアな夢だばぁ~。

 上写真は、岡山県倉敷市真備町(まび・ちょう)にある「真備ふるさと歴史館」の入口に立つ、名探偵・金田一耕助の銅像です。真備町は、金田一耕助の生みの親、故・横溝正史が戦時中に疎開していた場所で、同館内には横溝氏の特設コーナーもあります(ファンにとっては横溝正史記念館でしかありません!)。

 ということで、2泊3日(実質1泊2日)、8郎の少年時代のヒーローである金田一耕助と作者の横溝正史の足跡を追った岡山一人旅を敢行してきました。寂しい一人旅ではありましたが、無常観に包まれる40代後半おっさんの心を、まるで『八つ墓村』の冒頭シーンにある杉の木に落ちた落雷のように、ビビビ⚡と充電してくれた旅となったので、横溝氏の晩年の超大作『病院坂の首隘りの家』にならい、前後編の2回に分けてご報告いたします!

 

(補記)ちなみに岡山県は、降水量が1㍉未満の日が日本一多いことから、「晴れの国」をキャッチコピーに観光地をPRをしているそう。確かにずっと青空でした!

 

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 とはいえ、横溝正史が傑作を書き上げた地、ということ以外、ほとんど岡山県のことを知らない8郎(もちろん桃太郎くらいは知っていましたが・・・)。とりあえずネットで出身有名人を検索すると、アーティストではB’Zの稲葉浩司、甲本ヒロト(超大物が二人も)。スポーツ選手では燃える男こと星野仙一、今を時めく女子プロゴルファー渋野日向子選手。タレントではブルゾンちえみ、千鳥などBクラス(謝)。政治家で言うと、犬養毅、菅直人という総理大臣を生んでいるようです。ちなみに横溝正史は岡山県出身ではありません。前述のとおり、戦時中に疎開していただけです(父親の出身地らしいです)。終戦後にこの地で執筆活動を本格的に再開し、岡山の文化、風俗、景色、人情を取り入れながら、『八つ墓村』などの傑作を立て続けに世に送り出したことから、熱烈なファンからは“聖地”とされているわけです。間違いなく金田一耕助生誕の地であります。

 しかし、8郎的には、結婚15周年アルプスの旅で散財した直後です。「金田一のふるさとを見てみたい」というだけの理由では岡山行きを決断できません。決断した大きな理由は、もちろんほかにあるのです。それは、今年で11回目を迎える「1000人の金田一耕助 コスプレイベント」なる催しものが真備町で行われることを知ったからです!(実際に1000人集まるわけではありません。イベントの詳細については後ほど)。10月にネットでそれを知ってから、46歳、1カ月迷いに迷いました。妻に相談したところ、快く決裁してくれたのです! ぎりぎりホテルパックが取れました。本当は節目の昨年に行きたかったのですが、去年知ったときにはイベントは終わっていたのです。今行かなければ来年以降もタイミングを逃すかもしれない、今行くしかない!

 ついでに言うと、傑作『八つ墓村』が世に出てから今年で70周年(8郎調べ)。世間様は一言も触れてくれませんが、横溝ファンにとっては大きな節目であります。聖地を目指すためには何でもこじつけるのがファンというもの。

 

 新規購入した一人用トランクに準備。先のアルプスの旅には帯同させなかった愛機一眼レフ、NIKON D300もしのばせました。購入から11年を迎えた老体なので、今のうちにいい景色を見せておきたい、撮らせてあげたい、という親心からです。2年ほど前にNIKONに問い合わせたところ、もう部品を生産しておらず修理できないとのこと。それはつまり、今度故障したら即引退ということを意味しています。さらに、文庫本の『八つ墓村』も忘れないように入れます。この日のために買ったのですから!

 タイミングよく、NHKのBSプレミアムドラマ『八つ墓村』が再放送されていたので録画していました(これもきっと八つ墓明神のお導きじゃ、と勝手に妄想する46歳)。自宅を出る前に流し見しましたが、残念ながら完成度はイマイチでしたね。流し見のせいかもしれませんが。前回の記事の通り、この傑作の映像化には限界がありますよ。横溝氏の執念が文字となった原作を読みましょう!

  岡山行きは一日一便。夜の便で向かいます。多少の空席ありで、8郎の隣も空席。おかげさまでゆったりできました。

 この旅のために百均で購入した老眼鏡(2.0)をかけ、コーヒーを飲みながら『八つ墓村』を堪能します。おかげさまで2時間弱、どっぷりと横溝ワールドに浸ることができました。傑作は何度読んでも面白いですね。それにしても読書にブラックコーヒーの合うこと、合うこと。「金田一が生まれた町に行ってみたい」という40代後半夫のまるで中2病のような希望に、快く決裁してくれた妻に、地上3千㍍の上空から感謝しきりです。 

 岡山の夜景が見えてきました。

 岡山桃太郎空港に初上陸。那覇空港に比べるとこぶりでした。

 歴史ある風景を残す岡山県は映画のロケ地にも多く利用されているようです。

 バスで30分かけて夜の岡山駅に到着。岡山の代名詞ともいえる桃太郎が迎えてくれました。しかし、8郎にとって岡山県イコール金田一耕助なのです! 沖縄イコール安室奈美恵だっていう岡山県民だって、きっといるでしょうから、許しくてください。

 駅から歩いて5分、2泊お世話になる「後楽ホテル」に到着です(写真は翌朝撮影)。スタッフさんの対応がとてもよくて、清潔感のあるホテルでした。ここにしてよかった。

 エレベーターホールには、日本六古窯に数えられる「備前焼」も陳列。

 とても静かな廊下。ロビーに客はそれなりにいたのに、2日間、誰ともすれ違いませんでした。

 部屋もとてもきれい。散らかしたのはおっさん8郎です。

 時計はすでに21時半。あとは遅めの夕飯を食い、ビールを飲んで、明日に備えて寝るだけです。ホテルを出て、事前に予約していた、歩いて5分のおでん屋「くじら」へ入りました。

  思っていたより、上品な店内(失礼)。リニューアルして半年だとか。店員さんに常連客と離れたカウンターの端っこに案内されます。こう見えても一人飲みのカウンターで友達をつくるのが得意な8郎、離れ席はちょっと残念でしたが、仕方なく(笑)、大将とバイトの男子大学生に話しかけます。まずはモルツで乾杯。今回は搭乗前の一杯がなかったので、余計うまい! でもピントは合っていない(笑)

 和歌山出身という大将はケツメイシのリーダー大蔵(だいぞう)似の気さくな方でした。しかも、8月に沖縄を観光したのだそう。調理、接客で忙しいにも関わらず、沖縄で撮影した写真をスマホで見せてくれるなど、8郎の相手をしてくれました。

 おすすめの創作おでんをまず注文。ボルチーノソースに浸された大根。最高です! これは食べる価値あり。ソースも完飲間違いなしです。

 牛すじと一緒に煮込んだものグレードアップしたやつも注文。値段は倍以上しましたが、やはりうまい! 最初からこれにすればよかった(笑)

 岡山は日本酒に使われる米の大生産地とのこと。せっかくなので地酒も飲んでみることに。大阪出身というバイトの男子大学生が勧めてくれた「十八盛」(じゅうはちざかり)をいただきます。甘さマイナス6と書かれていた通り、甘い甘い。それにしてもこの店のスタッフに岡山県民いないのですか!?(笑) 別にいいけど。

 ところで、日本酒はおいしいのは間違いないのですが、水割りや炭酸に慣れたウチナンチュの飲み方ではきついっすね。この一杯だけで翌日の二日酔いがきつかったです。

 と、ここで若い女性客👩が一人で入ってきました。8郎との会話よりまな板に集中したい大将が「ちょうどいい」と思ったのか、女性を8郎の隣席に案内します。臨席は肩が触れ合うくらい近かったので、8郎は「まさかや」と思ったのですが、心配ご無用。女性客はこわもて8郎をチラ見したあと、1席空けて着席しました(爆。女性はそれくらい警戒心が強いほうがいいっす)。しかし、この女性、Iさんとしておきますが、なんとウチナンチュだったのです! 8郎と大将の、沖縄の有名おでん屋「東大」に関する話が聞こえたらしく、8郎に「もしかして沖縄の方ですか」と声をかけてきたのです。

 それからはIさんも加わり、楽しく飲みました。Iさんは、年は8郎より20近く下(もはや娘世代ですね)でしたが、何と、沖縄での互いのオフィスがかなり近いことが判明。日々利用するコンビニまで同じことが分かりました。何という偶然でしょう! 横溝ワールドでも“偶然”は頻繁に起こりますが(笑)、別行動のウチナンチュ2人が岡山のおでん屋でたまたま隣に座る、ってどれほどの確率でしょうか? 

 Iさんは一人旅ではなく、出張中の旦那さんと山陰地方で合流するために、一人先んじて県外に出たのだとか。京都行きの便が満席だったので、仕方なく岡山(悲)を経由地に選択、明日朝すぐに鳥取に移動するのだそう。寒かったので、おでん屋に入ったのだと(ウチナ―女性の行動力!)。今日岡山入りしたということは、もちろん飛行機もバスも8郎と一緒だったということです。お互い「全然気が付かなったねぇ」と盛り上がりました。

 Iさんは金田一耕助なるキャラクターのことをほとんど知りませんでした(20代だから当然か)。それより悲しかったのは、大将が翌日の金田一イベントを全く知らなかったことです!「え? キンダイチのイベントが? 明日、真備で? よう知らんですわ」(by大将)。地元は盛り上がっていないのか!?

 閉店時間の12時を前に退店。大将にお礼を言い、Iさんとも沖縄での再会(@日々利用するコンビニ)を約束し別れました。それにしてもこんな偶然ってあるんですね。

 と、初日はこんな感じで終了。いい店と素晴らしい出会いのお陰で、寂しい一人旅の夜を楽しく過ごせましたね。

 

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 さて、メーンとなる2日目は早起きして、午前7時すぎに出発です。「1000人の金田一耕助」は午後なので、午前中はせっかくだからと、岡山一の観光スポット、倉敷美観地区に寄り道するためです。そうです、倉敷はあくまで脇役で、真備が主役です。こんなの金田一ファンだけでしょうね。

 後楽ホテルは朝食バイキングの品が豊富でよかったです。ところで、気軽な一人旅とは言え、食事の時はさすがにさみしいですね。妻にLINEしたところ、10郎の野球チームの試合は雨で中止になったそうです。

 この旅を前に、個人的に誓ったことがあります。それは旅を終えた時点で82キロを超えないこと(笑)です。いつもの旅なら、恒例の「もったいないお化け」が登場し、必要以上にたくさん食べてしまう8郎。何度後悔したか分かりません。今回はその誓いを守るために、バイキングを抑えめにし、お代わりもしませんでした。下写真のセレクト、どうです?(笑) 

 しかし、なぜ、あれだけ種類がそろったサラダ系を取らぬ!

 さて、外に出ると、口から白い息が。気温は10度を下回っていたようです。街路樹もシーズンでした。とてもきれいな街並みでした。

 文化の日かつ土曜日ということで、ラッシュアワーもなく。地下通路もとても静か。10郎がいたら絶対にダッシュしていたでしょう。

  倉敷駅に到着。何だか横浜に来たかのようなおしゃれな街でした。

 西洋風の時計台。 

 駅から歩いて10分ほどで、「倉敷美観地区」に到着。倉敷市の町並保存地区・観光地区です。8郎の記憶は定かではないのですが、これまた岡山県が舞台の『悪霊島』で金田一耕助が駆け足で観光する描写があるようですね。横溝氏の岡山愛は無尽です。

 白と黒のコントラストが美しい倉敷名物「なまこ壁」。白い部分が漆喰で黒は何と瓦だそうです。なぜ、こんなつくりなのかは、8郎のネット取材だけでは分かりませんでした(謝)。

 朝日の入る角度によっては、このようなコントラストの世界も。

 消防班の施設を発見。10月末に焼失してしまった首里城にはこういう設備がなかったのかなぁ。

 なんだか親しみのある名前がついたギャラリーも。

 美観地区の中央を這う水流。倉敷川だそうですが、流れがなく、まるで池のように静か。“晴れの国”らしく雲ひとつない青空だったこともあって水面は鏡のようでした。

  逆光での撮影はなぜかD300よりスマホの方がいい写りです(驚)。でも、心配するな、わがD300よ。スマホには写真みたいな“絵”は撮れても、君が撮る、真を写した“写真”は撮れない!(今年の流行語大賞にご推薦願います)。

  明治時代に建てられた倉敷紡績所の本社工場を再開発し、複合文化施設として再生したのが下写真の「アイビースクエア」。アイビーとはツタの意味らしいです。ツタがからまる赤いレンガが目をひく敷地内には、陶芸が体験できる工房やホテルなどがあるようです。

 入ってみると異国情緒あふれる赤レンガの光景が。

 ここで後述のお土産を買って、また倉敷川周辺に戻ります。

 沖縄では見られない越しの風景をパチリ。

  古きよき街並みの上には、墓が乱立! まるで八つ墓村です(笑)。さぁ、金田一ネタ、3連発です。

 三本の木が。これはまさに『犬神家の一族』の美魔女3姉妹こと、松子、竹子、梅子をイメージ?

 豪邸の前を人力車が走る。これはまさに『病院坂の首隘りの家』のラストシーン!?

 しつこい金田一ネタは後編に譲るとして(笑)。美しい秋の倉敷をご紹介します。 

 紅葉に彩られた倉敷川はそれだけで美しいのですが、舟が加わると、旅情度が格段にアップしますね。

 野鳥も絵になる。

 人からもらえる餌を待っているのか、ずっと8郎の前をうろつく小鳥。

 ちょっと歩きつかれたので、なぜか陶芸店で売っている謎のコンセプト飲料「抹茶ビール」(600円)を買い、川辺のベンチで一服しました。お味は文字通りそのままの組み合わせ(合わねぇ~)。日差しも気温も本当に心地よかったです。妻を連れてきてあげたかったと心底思いました。

 途中でこんな看板を発見。昨年国会を揺るがした、あの学園!? 

 ところで、このほど安倍政権は憲政史上最長記録を更新したそうです。あの問題も国家権力によってもみ消されましたね。長期政権にいいところなど一つもありません。国民で監視しなければなりませんが、無関心層が爆発的に増えていますね。これも長期政権のなす罪です。

(注)8郎の愚痴はこの立派な美術館とは一切関係ない、はず!

 ところで、倉敷市は日本で初めてジーンズをつくったところでも有名だそうです。この美観地区にも「倉敷デニムストリート」なるものがあり、デニム一色。こんな食べ物まで!

 8郎も1つ買って食べましたが、お味はただの豚まんです! 通りすがりのカップルの男性が女性に向けてはなった一言が耳に入りました。「は食べ物に使っちゃいけない色だよ」。全く同感です(笑) でも今はSNS映えという楽しみもあるし、ここは観光地だからいいのではないでしょうか。ただ、どうせなら生地表面をデニム風に粗くするとか、もうひと工夫ほしかったですね。注文の多い46歳のおっさんです。

 ちなみに8郎は、前述の通り、先ほどのアイビースクエアで「おにぎりポーチ」(1540円)を購入していました。デニム生地がかわいいですね。妻にプレゼントすると喜んでくれました。10郎の野球の応援の際に使ってほしいと思います。

 岡山出身の燃える男、星野仙一! その記念館がなぜかデニムストリート内にあります。

 8郎は特に星野氏のファンではないのですが、せっかくなので入館。

 母子家庭で生活が厳しいながらも、母が買ってくれたというグローブが陳列されていました(もちろん半世紀以上前のものなのでボロボロでしたが)。星野氏は、どんなに苦しい練習でも母の気持ちを思い出し、乗り越えたのでしょうね。グローブが現存することがその証拠ですよね。そのグローブを見ただけでも、入館料500円を払った価値がありました。ちなみに館内の写真はありません。一人で受け付けしていた、きれいなお姉さんに「撮影は可能ですが、SNS等での拡散はお控えください」と言われたので、おっさん、守っています!

 倉敷美観地区、予想以上にすばらしく、心地よい時間が過ごせました。駆け足だった金田一耕助とは違い(笑)、ゆったりとした時間を過ごせました。ありがとう。

 歩いて倉敷駅へ戻る途中、こんな看板が目に飛び込んできました。「波照間」。こんな街並みで沖縄に出会うとは。しかも日本最西端の有人島!

 裏に回るとこんな感じ。ネットで検索すると、沖縄料理と沖縄民謡が売りの居酒屋のようです。さすがに行きませんでしたが(笑)。もし、オーナーさんがウチナンチュなら、ぜひ頑張っていただきたいものです!

 気持ちよいウォーキングのあと、倉敷駅に到着。ドトールで軽めのランチ(82㌔だけは超えないぞ!)。ドトールに入ると、いつも思い出すことがあります。8郎の姉妹が高校時代に生計を助けるためにドトールでバイトをしていたことです。一人旅はいろんなことを思い出させてくれます。

 いよいよ、金田一イベントへ向かいます。目的駅は清音駅(きよねえき)。この駅自体が、横溝ファンにとって一つの聖地なのです。なぜなら、金田一耕助のデビュー作である『本陣殺人事件』で、金田一が初登場する駅がこの清音駅だからです。横溝は実際にある駅を金田一の記念すべきデビューの場に選んだのですよ。

 電車が来た、いざ、 清音駅へ。金田一耕助のふるさとへ!

 清音駅から始まる「1000人の金田一耕助 コスプレイベント」の模様は後編でお伝えします。

 表題通り、8郎の幼いころのヒーローである金田一耕助の記憶とともに、歩きまくった聖地巡礼となりました! 


祝15年 アルプスの旅(最終日)

2019年10月22日 | 県外 8 Scene

  結婚15周年記念旅行の最終日5日目です。早朝5時、目が覚めると、すでに妻が起きており、暗がりの中でスマホを見ていました(背中からものすごい執念が漂っていました)。8郎が起きたのに気づくと妻は「長野駅までの臨時バスが出ている!」というではありませんか。さらに長野駅から東京までの新幹線も減便ながら出るとのことで、新幹線はネット予約できたそうです。よくやった! とはいえ、臨時バスはおそらく早く並んだもの勝ち。早く行かなきゃ。

 どちらにしろ、東京に戻れる手段が見つかったのです! ほっとしました。神様、ありがとう!

 臨時バスは9時発。どれだけの人が並ぶか想定できないので、とりあえず早めに行くことにしました。10郎を起こし、朝食も取らずにホテルを出ました。どちらにしろスーパーホテルの朝食はコンビニに劣りますので。。。

 先日も利用したバスターミナルで臨時バスのチケットを購入。指定されたホームに行くと、すでに女性が一人並んでいました。2時間以上も前ですからすごい。彼女もどうしても帰らなければならない事情があったはずです。

 その後、徐々に並ぶ人が増えてきます。半分は外国人でした。彼らの情報収集力に驚かされます。スマホの翻訳機能を活用したのか、それとも外国語が得意な駅スタッフがいるのか。8郎は外国でここまで動ける自信は全くありません(笑)。

 どちらにしろ、ここで、ほっと一息。ネット予約の新幹線に無事乗れるかはまだ分かりませんが、長野駅まで行けることがはっきりしたからです。コンビニのチーズバーガーを食べる10郎。 このあと駅のスタッフが来て、臨時バスは2台あるので並んでいる人全員が乗れるとアナウンスしてくれました。さらに、ほっ。

 予定の午前9時よりちょっと早めにバスが到着。満席になったので出発しました。窓越しに昨日宿泊したホテルが見えました。さようなら~。

  台風災害の現状を目の当たりにしました。

 沖縄で見られない堤防。この地域は決壊しなかったようですね。

 長野I.C.です。高速も利用できました。バックには壮大なアルプスの山々が。これで見納めですね。

  40分ほどで長野駅に到着。長野市も被害を受けたようですが、駅周辺を見る限り、全くそんな感じは受けなかったですね。スタバにも普通に客がいるし、日常的な光景でした。

 しかしチケット売り場には長蛇の列。ダイヤの混乱が明らかです。みなさんも昨日は大変な夜を過ごされたことでしょう。ネット予約の8郎家は並ばずにホームへ向かいます。 

 乗れました! おそらく家族そろってでは初の新幹線。

 体中の力が抜けたような気分です。これで東京に帰れる! そして飛行機に乗れる!! つまりは今日で沖縄に帰れる!!! ということです。

 10郎はコロコロタイム(もうほとんど暗記していそう)。妻はまだスマホで情報収集にいそしみます。キャンセルしようとしていた東京スカイツリーの入場券(時間制限あり)に、間に合いそうだったからです。ここまで来たからには行ってみよう、となりました。

 東京駅でタクシーに乗り換え、東京で唯一の目的地へと向かいます。

 ついに念願の東京スカイツリーです! 愛息10郎、この旅一番の笑顔。やったね。

 制限時間をオーバーしていたのですが、何とか入場できました。電波塔としては堂々、世界1位634㍍建築物としてはブルジュ・ハリファ(828㍍)に次ぐ世界2位だとか。向こうはオイルマネー垂れ流しだから、世界2位でも十分にすごい! 日本人の生産力、技術力の結晶です。まさに「2番じゃだめなんですか?」です。

 ウチナンチュならみな知っています。沖縄一高い山である石垣島の於茂登岳(525.5㍍)より高いということを! 

 ドキドキの初入場。

  まずは高さ340㍍付近の第一展望フロア。3連休の最後だけに人がいっぱい。

 大都会東京。那覇新都心が2000個くらいありそう。

 東京の街並みを詳しく紹介するモニターで遊びます。

 記念撮影です。

 さらに高速エレベータに乗って、高さ450㍍と一般人が行ける一番高い第二展望台へ。その様子は動画でも。

 

 またしても「晴れた日にはここまで見えるんです」的なプレートが。今日は見えませんよ。

 おい、10郎、怖くないのか?(高所恐怖症の父)

  

 立派なカメラ小僧がいました。

 恐怖の「ガラス床」です。10郎は父に似ず高いところも平気なようです。

 恐怖症の8郎、ツリーにいる間、ずっとおしりがムズムズしていました。とはいえ松本城同様、日本人の建築技術の高さに心底感動したものです。

 あまり時間もないので降ります。下りのエレベーターのデコレーションのテーマは夏の花火だそうです。10郎がパチリ。

 空港までのシャトルバスに間に合いました。ラッキー! でもここまで手配、調べてくれたのはすべて妻です。非常に助かりました。

  羽田空港には40分程度で到着。つ、ついに空港にたどり着きました。これで本当に沖縄に帰れる~。 

 この旅行で初めてというくらい、気持ちが安定し、時間や台風被害に脅かされない中で食事ができます。空いていた蕎麦屋に入ります。余裕ぶっこいた8郎はブログ映えを狙い、「ブラックカレー蕎麦」(¥1,200程度)を注文。確かに“映え”ますが、このコラボははっきり言って失敗です。うどんのほうが絶対にいいっす(泣)。

 しっかりとした肉が入っていましたが、ホルモン系も混ざっています。好みは分かれますね。

 さあ、ゆったりと腹を満たしたところで、搭乗口に向かいます。もう急ぐことなんてありませんので。トランクはすでに手荷物として預けていたのですが、リュック2つも預けようと、自動預かり機なるものに初めて挑戦。

 

 しかし、うまくいきません。近くにいたおきれいな女性スタッフさんに聞くと、「バーコードの位置が悪いですね」ということで、やり直しをさせられる始末。しかし、いくらやり直しても機械が反応しないのです。おきれいな女性スタッフもどこかに消えていました。 

 5分くらいかかったところで、今度は違う女性スタッフに聞いたところ、そのスタッフが、いろいろなことがあったこの旅において、最も衝撃の一言を放ったのです!

 

 「あ~。機械が反応しないのは、お客様の搭乗時間がもう過ぎているからです」

 

 「はー!」。その時、確かに妻はそう叫びました。結婚15年間で初めて聞いた声でした。そして荷物をもって搭乗ゲートに向かってダッシュするではありませんか! それは、いつも盗塁のスタートが遅いと監督に叱られる10郎に見習ってほしいほどの点火ぶりです。あわてて追いかける8郎と10郎父子。走りながら腕時計を見ると19時半を過ぎています。出発時刻は19時40分。操作に手間取っている間に門限を過ぎていたのです。やばい! これまで幾多の時間の壁を乗り越えてきたのに、最後の搭乗口で、しかも手続きミスで引っかかるなんて、ありえない! 神様、こんなオチだけは勘弁してください。

 妻はもちろん一人先頭のまま搭乗ゲートに滑り込みます。これが正社員の危機管理能力でしょうか。係官に止められますが、搭乗券を見せ、ちょっとした押し問答の末、なんとかパス。遅れてやってきた父子が同じように見せると、係官は何と「次の便を考えましょう」というではありませんか。まさかや~。家族あらに! 一瞬、目が合った妻は何だか一人だけ乗る気満々。8郎は、これまでハリウッド系パニック映画でしか聞いたことのないセリフがのど元まで出かかりました。

 「あんた、自分だけ助かるつもりじゃねえだろうな!?」(笑)。

 係官とちょっとしたすったもんだの末、奥の若い青年スタッフがさりげなくゲートを開け、父子ともに通してくれました。ほっ。なんとか3人とも搭乗することができたのです。ほかの客の冷たい視線を気にする余裕はありませんでした。

 

 ふ~。あぶねえ!!! まさか、最後の最後に一番焦るなんて。。。神様のいたずらにしてはひどい!

 

 3時間近くかけて、那覇空港に到着。沖縄の地がこれだけ恋しいと思ったことはありません(そりゃ、そうだろう)。疲れ切った3人は帰路のタクシーの中でもほとんど口を聞きませんでした。本当に本当に疲れたんです!

 

 以上、8郎夫妻、結婚15周年記念アルプスの旅のてんまつでした。長々とした記事にお付き合いいただきありがとうございました。

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 振り返ると多くの方に祝ってもらった結婚式から、あっという間の15年でした。8郎夫妻も決して順風満帆ではなく数えきれないほどけんかもしました。妻は流産という悲しい経験もしました。しかし、愛息10郎が妻の誕生日に生まれてくるというスーパースターぶりで登場。結婚生活の主役に躍り出ました。そして今回、いろいろなことがあった15年間を総括、そして妻への感謝を形にする旅をまっとうすることができたのは、支えてくれたみなさんのお陰です。台風19号に見舞われるなど不運もありましたが、美しいアルプスの山々、高原の涼しい風、そして何より家族3人で力を合わせ、幾多のピンチを乗り越えた5日間のこの旅を、8郎家は一生忘れないでしょう。
 
 アルプスの山、川、森、そして風は最高でした! by沖縄生まれ沖縄育ちの一家

 
 
【追記】5年後の祝20周年ワイハ旅行は巨大ハリケーンとぶつからないよう、今からネットで情報収集いたします(笑)。

祝15年 アルプスの旅(4日目)

2019年10月21日 | 県外 8 Scene

 結婚15周年記念旅行の4日目です。朝、起きてニュースを見ると、台風19号による水害が大変なことになっていました。長野県内を流れる千曲川が決壊し、多くの水、土砂が住宅街を襲っていたのです。8郎らがいる浅間温泉はほとんど被害がありませんでしたが、長野市などは多くの被害を受けていました。被災された方々の無事を祈るばかりです。

 さらに、8郎家にも大きな影響が。この日の午前中で乗って東京まで戻るはずだった特急「あずさ」が終日運休となったのです。午後に帰京するという手段も消えました。ほかの手段を探したのですが、長野県内の陸路がほぼ壊滅状態ということで難しそうです。

 そう二人悩んでいるときに、部屋の電話が鳴ったのでびっくりしました。フロントから朝食の案内でした。飯を食うのも忘れるくらい、8郎夫妻、テンパっていたのですよ。スタッフの皆さんのプロ意識に感謝します。

 昨夜、暗さのあまり怖くて近づけなかった階段が、3階の食堂へ通じる道でした。金田一ワールド、意識しすぎ(笑)。

 お姉さん二人が準備してくれていました。山菜中心の健康メニューです。

 食堂はもちろん貸し切り。おいしゅうございました。

  さあ、今日はどう動くか、決めなければなりません。スマホで情報収集する妻。どうやら上高地へのアクセス規制は解除されたようです。ひまな10郎は寝ころんでコロコロタイム。

 ニュースでは悲惨な水害の状況が報道され、見ているだけで心が塞ぎ込み、動く気になれません。しかし、今は、15周年記念旅行の最中であることも間違いありません。畳間でごろごろしている時間がもったいないのです。天気も台風一過の快晴。今、できることは何か。。。窓越しの青空を見て8郎夫妻は決めました。

 

 「そうだ。もう一度、上高地に行こう!」です(笑)。

 

 上高地のシンボル、名山の奥穂高岳が一度も拝めなかったことは、いつまでも後悔しそうだからです。今日の天気なら拝めるはず。行くしかない! そう決めると、動くしかありません。チェックアウトをすませ、旅館を出ました。

 入口には大きな松明がありました。実は昨日とこの日、浅間温泉名物「たいまつ祭り」が予定されていたのですが、台風の影響で中止となっていたのです。これは奉納されるはずだった巨大たいまつなのです。台風さえなければ、祭りも見られたのに~。残念無念。

 ご参考までに ⇒ 浅間温泉『たいまつ祭り』

 さようなら「梅の湯」さん。歴史的な台風直撃の日に、大変お世話になりました。

 レンタカーで松本駅に向かいます。1泊延長したレンタカーですが、台風という特殊な事情ということで、延滞料はありませんでした。とてもありがたかったので、店名を紹介します。松本駅近くのタイムズレンタカーさんです! みなさん、機会あれば使ってあげてください(笑)

 リベンジの思いを込め、バスターミナルで上高地行きのチケットを購入します。ん? 昨日もバスでよかったあらに!? なんで8郎は難儀して運転したのかな?

 とは言え、バス停までは電車で移動です。車窓から見るアルプスの山々。台風とは無縁の美しい光景です。乗客は外国人観光客が4分の1くらいですかね。 

 川は土砂の色になっていました。

 やっとYOUTUBEを見ることができた10郎。昨日は8郎がネット情報収集で使いっぱなしだったからね。ネット料が心配です(汗)。

 新島々(しんしまじま)というターミナルでバスに乗り換え。いざ、2日連続の上高地へバスで出陣! 自分が運転していないと景色も楽しめます。

 10郎が父のスマホで何やらしていたので、後ほど確認すると、自撮りの顔をLINEで妻に送っていたのです。出た! ネズミ!

 アンデッド!

 一人後ろに座るお母さんを楽しませようとした息子の思いやりかな。

 途中で見る川はやはり土砂の色。本来は清流なのでしょうが。 

 途中でこのような山小屋バス停で一人待つ外国人がいました。ていうか、どうやってこのバス停まで来たのでしょうか。何十㌔も林道続きでしたが。結局このバスにも乗りませんでした。ん? 誰です? 8郎と間違えたのは?

  ひまつぶしに愛息の表情を写そうと思っても、隠してしまいます。もう疲れたのかな。

  ついには、このようにダースベーダーのようになってしまいました。でも、つぶらな瞳は隠せません!(笑)

 しまいには完全武装。

  さて、前回も書きましたが、山間部のトンネルは狭くて怖い! 地下鉄なみに壁とスレスレに走るさまを動画に収めているので、体感していただければと思います。

 1時間半近くかけて上高地に着きました! 1日ぶりです(笑)。昨日と違い観光客もたくさんいました。しかし、期待していた天気はそれほど快晴でなく、奥穂高岳など全く見えません。移り変わりの激しい山の天気に期待するしかありません。

 まずはランチ。河童橋近くのカフェです。

 8郎はトマトカレー(¥930)。旅行太りを押さえようと勇気をもってカツカレーを断念したのです。でも、ちょっと足りないな~。

 それを見越した妻が飛騨牛コロッケを半分くれました。

  さあ、出発です。昨日、雨でびしょぬれになった二人。おニューの靴で足取りも軽く。

 沖縄では体験できない高原散策のスタートです。昨日と違い心地よく歩けそうです。

 途中にNIKON製の望遠鏡がありました。今回の旅にもNIKON製のマイ双眼鏡を持参したのですが、結局使わなかったかなぁ。文字通りお荷物になってしまった。

 晴れていたらこれだけの山並みが見えるんですよ、というプレート。雲をかぶって全く分かりません。まぁ、昨日のように雨に打たれないだけいいか。

 途中、昨日宿泊した「上高地ルミエスタホテル」を通過。1日越しに記念写真を撮ることができましたた。やったね。ところでアルプスにもネズミはいるのですね。

 上高地を世界に紹介した英国人宣教師で登山家のウォルター・ウェストンの功績を讚えて日本山岳会が立てた碑、だそうです。

 10郎撮影。

 アルプスの中心で愛を叫ぶ。「やっほー」。

 さぁ、上高地の美しい風景を、父8郎と愛息10郎の写真対決🔥でご紹介します! まずは46歳の父撮影。今回の旅には、台風を想定してスーパーエースのD300は帯同させませんでした。水に濡れても、1㍍の高さから落としても大丈夫の、タフネス2番手のSTYLUS TG-2が5日間フル回転しました!

 湿原を這うように作られたウッドデッキ。

 ススキ?

 川面に半身を沈める倒木に何とも風情がありました。

 いたるところに流れ出るアルプスの清流。

 白樺好きね~。「高原の白い貴公子」と呼ばれているそうです。木材としての評価は低いらしいっす。

 STYLUS TG-2でこそ撮れた半水面の景色。

 まさに高原~。沖縄にこんなところない。

 そして愛息10郎、9歳の渾身の一枚がこちらです! 奥穂高岳とは真逆の焼岳(やけだけ、2,455㍍)方向に焦点当て、逆光でとらえていました。子供ながらの逆転の発想です。親バカながら、美すぃ~。カップルをうまく(無許可で?)モデルに使っています。

 10郎撮影のおまけ。ナナメ感がいい味出していませんか。

 最後に妻撮影も。

 歩いていると、奥穂高岳方面から雲が移動しつつあるのが見えました。もしかしたら! 歩く足もスピードアップ。

 雲がいなくなるの期待して、妻セレクトのカフェでコーヒータイムで時間をつぶします。アップルパイが有名だとか。

 せっかくだからと外でいただきます。ちょっと寒かったけど。

 10郎はリンゴ味のソフトクリーム。長野県はリンゴ🍎の名産地でもあるそうです。 

 8郎はくるみケーキでした。とてもおいしゅうございました。高原という環境が風味を倍増したようです。

  カフェを出て、妻子がお土産品店でお土産を探しているとき、8郎は気づきました。奥穂高岳方面の雲がかなり薄まり、青空が出てきているのです! 慌てて妻に電話しました。走ってきた妻が父子の写真を撮ってくれました。

 母子のも一枚!

 2枚とも10郎の変顔に目が行ってしまったという方、申し訳ございません(笑)

 最後は通行人にお願いしてスリーショット。

 帰り際には青空MAXになりました。上高地の神様から最後で最高のプレゼントです。妻も喜んでいました。もう一度来てよかった! 山の神が15周年を祝ってくれたに違いありません。

 バスターミナルからも美しき連山の姿が。

 ありがとう、上高地。ありがとう、アルプスの神々。

 ついに今回の旅の最大目的を果たすことができました。妻にご希望の景色を見せてあげることができました。満足して帰路に就きます。

 バスの中でぐったりする10郎。そりゃあ、つかれたことでしょう。寝たふりではありませんでした。

(おまけ) 上高地を出る前に、大正池に写る「逆さ穂高」を撮ることができました。窓越しなので画像が粗いですが、ご容赦下さい。

 バスターミナルに着くころにはもう真っ暗。これでも17時半くらいです。

 ここからまた電車。

 やっと松本駅に到着。怪しげな満月が光っていました。松本市内はほとんど被害がなかったようです。

 しかし、これから正念場です。最終日である明日の行動計画を立てなければならないのです。駅校内のチケット売り場で情報を収集していた妻が青ざめた表情で走ってきました。

 「特急あずさが明日も全面運休だって」

 大変なことになりました。つまり当初の計画がとん挫したのです! 最終日に東京に戻れなくなってしまったのです。

 あわてた8郎一家は、急ぎ構内の食堂「花のれん」に入り、緊急鼎談を開くことにしました。

 下写真は8郎が注文した、松本市の名物だという「松本丼」です。なんでも卵とじに山芋(とろろ)を使っているのだとか。しかし、意外にもとろろの存在感は薄く、普通のカツ丼でしたね(笑)。ただ、明日のことが心配で心配で、ほとんど味を感じないまま完食。食事中ずっと片手にスマホだった妻もカツカレーの味をほとんど覚えてないそうです。【閑話休題】

 8郎夫妻は箸、スプーンを片手に、もう片方にスマホ。東京へ戻る代替案として、臨時バス、レンタカー、タクシーを検索。ネット、電話で調べまくります。しかし、ほとんどの道路が水害にあっているということで、陸路🚅は全滅。血の気が引く思いでした。こうなったら別途費用に10数万円かけても仕方ないと、空路🛫まで検討しました。しか~し、長野県から陸路で行けそうなセントラル空港、石川空港発の沖縄便がすべて満席なのです。「最後の最後」の手段として、松本空港から北海道の千歳に生き、千歳から沖縄に帰るという壮大なプラン(笑)も検討しましたが、千歳行きが満席でした。なんといっても3連休の最終日ですから。

 ダメのダメ元で航路🚢まで検索しましたが、なんと、2017年に本土と沖縄を結ぶ旅客フェリーは全廃されていたようです(もちろんLCCの影響です)。そもそもあったとしても一日でたどり着きませんが。

 8郎の心に、これまで歴史小説などでしか字面を見たことがないセリフがよぎりました。 

 「万策尽きたか・・・」

 レンタカー会社には断られ、タクシー会社との連絡もうまくいかず、まさにもうすることがなくなりました。時間なのでホテルに移動することにしました。帰り際、10郎が珍しく「自由帳を買いたい」とだだをこねるので、仕方なく本屋で購入。歩いて3分のスーパーホテルにチェックイン。地ビール「信州浪漫を自販機で購入。350円と高価な割に、あまりおいしくなかったですね(謝)。緊張のせいかもしれません。

 狭い部屋でスマホ片手にピリピリする8郎夫婦。8郎も、この状況で決して妻に言ってはいけない言葉「だからワイハがよかったあらに!」(笑)という言葉を何とか唾と一緒に飲み込みました。顔に出ていたかもしれませんが、なんとか飲み込んだのです。今回の旅は妻への感謝の思いを込めた中身にしたかったはず、と心に言い聞かせました。そして何より、このほど正社員になったばかりの妻だけに、妻の方が「旅行で延泊しました」とは口が裂けても言えない状況なのです(笑)。妻のほうが焦っていたことは間違いありません。

 そんな両親の不穏な空気を読んだのか、愛息10郎が突然「俺、漫画描くね」と言い出したのです。そして、先ほど買った自由帳をめくると、ホテルのボールペンを使って、コロコロコミックを参考に写実を始めたのです! 

 緊張度を高める両親を前に、自分の心を落ち着かせるためか、または、逆に両親を落ち着かせるためだったのでしょうか。8郎にはどちらにも見えました。1時間後立派に描き上げた息子をたくさん褒めてあげました。

 さらに10郎は、シャワーを浴びた後も、すっぽんぽんのまま、コロコロコミックを仁王立ちで読み始めます(おそらく10回目)。 その姿に父と母も爆笑。あまりの面白さにパチリ!

 「おい!勝手に撮んなよ~」by10郎。

 お尻を撮られて恥ずかしかったのか、それとも眠たかったのか、10郎はベッドの2階に逃げ込んでしまいました。

 と思ったら、久々に妖怪「のぞキッズ」の登場です! 早く寝巻着ろ~。

 こういう写真を撮れるのも今年が最後かなぁ(しかもネットに流出してるし)。10郎、和ませてくれてありがとう! 

 とは言え、社会人である父と母の不安とストレスはもちろん簡単には消えません。わずかな望みとしては、①仮予約していた翌日の「あずさ」の奇跡的な復旧(結局、壊滅的被害で数日運休でした)、②連絡つかずの相乗りタクシーに空席発生、③臨時バスの運行、に期待するしかない状況です。つまり運任せの状況なのです。

 それ以上、どうすればいいのか手段を探せないまま、力尽きた8郎夫妻も深夜1時過ぎに眠りに着きました。本当につかれましたね。まさに苦楽両方の面で、この旅の山場となった4日日でした。

 明日、東京に戻れなかったら、延泊するしかありません。会社・学校を休むことになり、最悪の結果となります。費用もどれだけ追加されることやら。一体、どうなる8郎家の旅!

 長々と書いてきた結婚15周年旅行記も次回で大団円を迎えますので、最後までお付き合いください。


祝15年 アルプスの旅(3日目)

2019年10月20日 | 県外 8 Scene

 結婚15周年記念旅行3日目の朝が来ました。台風19号がこの日の夕方に長野県を直撃するということで、時間を大切しなければならない一日でもあります。雨天ではありますが、この旅最大のイベントである上高地散策へ出かけることにしました。10郎は元気いっぱい!

 部屋の窓からの眺め。アルプスの山が雲で見えません(泣)。

 

 フロントで長靴を借ります。

 一夜明けた「ルミエスタ」の外観です。まさに高原ホテル。赤川次郎や東野圭吾のホテルミステリーの舞台にふさわしいたたずまいです。

 早速、河童橋に向けて出発。風は強くないのですが、小雨はずっと続いていました。この雨水の蓄積があの大水害につながったのでしょうね。

 まずは名流梓川の様子を動画で。

 白樺の幹にレインボーの模様があったのでパチリ。

 途中にはこんな注意喚起文書が。怖いっす! 特に家族だけの道中では危機感を感じました。この砂利道でムーンウオークなんてできません。

 「河童橋」に到着。沖縄にいるときからライブカメラでチェックしていた映像とは違う暗い雰囲気です。そして、人がいない! 早朝というのもありますが、観光地とは思えません。

 上高地のシンボル奥穂高岳など、雨雲に隠れて見えません。楽しみにしていた妻に少しでも見せたかったのですが残念無念!

 普段は観光客であふれるところですが、この日は貸し切り状態です。

 はるばる日本アルプスまで来て雨に打たれるウチナンチュ母子。

 雨の河童橋の様子は動画もアップしますね。

 天然水の水道がありました。

 ありがたくいただきます。冷たい!

 上高地バスターミナルまで足を延ばします。 

 歩いて戻るのも難儀ということで、ホテルまでのバスチケットを購入。歩くためにアルプスまで来たのに。。。まさにウチナンチュ一家! まぁ、災害対策でもありますが。

 やっぱり、バスはらくち~ん。

 バスで5分、徒歩で10分ほどかけて、ホテルに戻りました。高原ホテルの朝食ブッフェが待っていました。川魚や山菜を使った山の幸メニューを中心においしくいただきました。

 昨夜のディナーと同じレストランですが、外からの光が入るとずいぶん雰囲気が違います。

 ついにチェックアウトです。とてもいいホテルだったので、本来なら天気のいい日に満喫したかったのですが・・・。妻は「最低でも2回入る」と意気込んでいた露天風呂に、疲れのため、結局1回しか入れませんでした。「いつかまた来ることがあったら2泊しよう」と誓いあった田舎者夫婦です(笑)。じいちゃん、ばあちゃんになった8郎夫妻を、10郎夫妻と孫たちが連れて行ってくれるかな。そんな幸せが訪れたら、8郎翁はいつ死んでもいいんじゃが。

 ホテルから10分ほど歩いて、タクシー乗り場へ。タクシーで、昨日レンタカーを止めた沢渡駐車場へ向かいます。運転手さんによると、この日の夕方に台風が最接近するため、この道はあと数時間で通行止めになる可能性が高いと。早めに脱出しなければ、今日は上高地から出られないだろうということでした(結論からすると危機管理的には脱出して正解だったのですが、旅行的には残ってもよかったのでは? と妻と今でも振り返ります)。

 途中でサルに遭遇。

 画像は粗いですが親子もいました。撮影のためにタクシーの運ちゃんが停めてくれました。母猿の目には、たとえ台風が来ても、おぶった子供を守るんだという決意がにじみ出ていました🔥

 レンタカーを置いてある沢渡駐車場に戻ります。下写真はお土産を買いに立ち寄った「グレンパークさわんど」です。

 沢渡からレンタカーを走らせ、2時間かけて松本駅まで戻りました。台風の影響は特に感じませんでした。。。。アルプスの壁が風を防いでくれたのでしょう。

 予定変更のため、どこに行こうか迷った挙句、少ない候補地(失礼)の中から、国宝の松本城を選択しました。近くにある松本神社で手を清めます。それにしても城下町だけあって松本市はゴミ一つ見つけるのが困難なほどきれいな街並みでした。ウチナンチュも見習いたいものです。

 壮観の松本城がありました。リアルなお堀を初めて見ました。

  松本城公園は広かったですね。遠近法を使って松本城を10郎が持ち上げます。

 母子二人で記念写真。愛機コンデジのSTYLUS TG-2の望遠機能をめいいっぱい使って撮影。高さ30㍍のお城が一気に近くなりました。

 さあ、お堀を渡って、いざ城郭へ。8郎も日本本土のお城に入るのは初めてです。忍者になる10郎。

 入口で濡れた靴やカッパを脱ぎます。 

 もちろん木造。巨大建築物を何百年も支え続ける匠の技がそこにありました。

 教科書でしか見たことがないリアル「鉄砲狭間」。

 火縄銃もたくさん。おや?小さなスナイパーがこちらを狙っていますね。

 鎧甲冑もありました。兵士の怨霊を感じます。20㌔あるそうです。10郎を背負って戦うようなものです。

 徳川家康と武田勝頼の決戦である長篠の合戦が描かれた絵? 屏風?も展示。ちなみにこの長篠の合戦、8郎らが教科書で習った織田・徳川連合軍vs武田軍という構図、また鉄砲が騎馬隊を破った歴史的合戦などという位置づけは、今や史実ではないと指摘されているようですね。歴史とはなんぞや、という感にもかられます。だからこそロマンがあるのでしょうが。

 急傾斜の階段(もはやはしご)を登り切り、ついに5階の天守閣へ。天守閣のさらに上には何があるのか、ずっと興味があったのですが、ついに分かりました。神棚です。命を懸けた闘いで殿様が最後に信じたのは神だったのですね。士農工商の頂点に立つ殿様に残された最終手段、それは神頼みだったのです。

 天守閣から見る城下町。8郎も殿様になった気分です。でも、「天下獲ったどぉー」的な気分にはなれませんでした。生きることに必死だった殿様の心情も分かるような気がして。。。人はみな何かに怯えながら生きているのです。

 

 降りるのも一苦労。雨による湿気で滑り落ちたら大けがをしそうです。

 出口では、謎のお侍さんが記念写真に応じてくれました。やったね。

 城を出ると、近くにある蕎麦と天ぷらの店「やまとう」でランチ。松本城に合わせた白黒の色調ですね。なんでも、食を通じて130年もの間、地域貢献している一族が経営しているのだとか(笑)。店が130年というわけではないようです。

 ミニ天丼と蕎麦のセット(¥1,350)を注文。天ぷらといい、そばのコシといい、沖縄では食べたことのない上品さでした。本土の人が沖縄に来て「飯がまずい」というのは分かる気もします。

 グルメ小僧も貪り食います。コンビニのそばとは違うね~。

 デザートはそば茶をつかったプリンだそうです。おいしゅうございました。ごちそうさまでした~。

 この日の宿泊先である「梅の湯旅館」に向かいます。何でも同じ松本市の浅間温泉♨という地域にあるそう。浅間と聞いて、「浅間山荘事件」と関連があるのかと調べたところ、事件の方は同じ長野県ではありますが、軽井沢方面で起こったようです。一方の浅間温泉は1300年の歴史があるれっきとした名湯だそうです。(アーケードは翌日撮影)。

 「梅の湯」に到着。古き良き和風の建物。青空から分かりますように、これまた翌日撮影。

  チェックインすると、宿のオーナー一族らしき男性が「キャンセルが相次ぎお客様はほどんといません。よくお越しになられましたね」と出迎えてくれました。確かに建物内は薄暗く人の気配がしません。結果的に妻は2組しか客を見なかったそうです。

 朝からの雨で10郎の靴がびしょぬれなので、一足買うことに。市街地へ出るというと、旅館が粋な下駄を貸してくれました。

 決まってるぜ!

 外はずっと雨が降り続けています。次第に台風らしくなってきました。旅館に戻る15時ごろにはかなり薄暗くなっていました。

 というわけで、悪天候もあって、なんとなく暗い雰囲気が漂っている旅館「梅の湯」。8郎的には敬愛する横溝正史ワールドを思い起こさせました(笑)。まずは8郎らが宿泊した部屋ですが、いかにも金田一耕助が泊まりそうな部屋です。灰皿は金田一が吸ったタバコであふれていてもおかしくありません。

 

  不気味だったのが、階段の途中にあった二つの謎のソファ。なぜこんなところに2つも置く!?  「八つ墓村」の双子の老女である小竹小梅が座っていそうではありませんか! さらに中央の小窓は、懐中電灯を頭に巻き日本刀を持った“32人殺し”こと田治見要蔵がのぞいてもおかしくありません。あまりに不気味だったので妻子には教えませんでした。

 階段はまるで「犬神家の一族」映画版で金田一耕助が駆け下りてくる那須ホテル(同じく長野県)のそれではありませんか。

 そして人っ子一人いない廊下。同じく「犬神家の一族」に登場する白いゴムマスクで有名なスケキヨが走ってきそうではありませんか!  

 などと考えていると、8郎の背中越しに、誰か近づく音が! 振り返ると…。

 金田一耕助でも明智小五郎でもなく、家と同じスウェットの10郎でした!

  冗談はともかく、部屋のふすま上部にあるこの謎の出っ張りにはリアルに困りました。175㌢くらいのところに設置されているので、身長約180㌢の8郎、5回もおでこをぶつけてしまったのです。何のためにあるんじゃ! まさか密室トリックの傑作「本陣殺人事件」のように、部屋から日本刀を抜き取る琴の糸でふすまを傷つけない役割を果たしているのか。。。思わずトリックをばらしてしまったおっさんを許してください。

 しつこいので横溝ネタはこれくらいにしておきます~。

(注)旅館について不気味だ何だと書いてきましたが、当旅館「梅の湯」さんは横綱白鳳も宿泊したことのある由緒正しき民宿です! ちなみに「悪魔の手毬歌」の舞台となる旅館は一文字違いの「亀の湯」です(まだ言う~。笑)。

 もともと外食するつもりで、宿に夕食はつけていませんでした。台風接近により、ほとんどの飲食店が閉店。仕方なく、8郎一人で車を出し、地元のスーパー「デリシア」で、総菜、カップラーメン等を買い出ししてきました。初日の自販機コーナー同様、なんとも冴えない夕飯となったのです。夫婦とも情報収集のためにテレビ、スマホとにらめっこ。することのない10郎はコロコロコミックで時間をしのぎます。 

 テレビやネットからは、長野県内で水害が発生しはじめたニュースが徐々に増えてきました。フロントでパソコンとにらめっこするオーナーらしき男性に台風の被害可能性や、旅館の自家発電などについて聞いても、「自家発電はさすがにないですが、うちは大丈夫だと思いますよ」とあいまいな返事。確かに風はそう強くなかったのですが、停電と水害が心配でした。

 明日の午前の特急「あずさ」で東京にもどらなければならないのですが、水害で長野県内の交通網がマヒする可能性が高まってきたのです。もし、そのような状態が続いたら、沖縄に戻ることができず、会社と学校を休まなければならないのです。それだけは絶対に避けたいと思いました。妻が一生懸命、代替案をネットで探しますが、台風直撃で情報源もマヒしている様子。

 そして、明日以降のリスケにも頭を悩ませます。この夜は台風ですが、明日はまさに台風一過、旅行日和の晴天という予報なのです。しかし、長野県内の被害状況がどうなっているかは神しか知らずで、どう動いていいか判断できません。薄暗い部屋の中で、8郎夫妻、悩みに悩みました。8郎は「デリシア」で買ってきた信州の銘酒「真澄」のカップ酒も一口飲んだだけで、あとはのどを通りませんでした。

 こうやって、計画上は最大の山場だったはずの3日目は、総菜の油ぎったかほり漂う部屋での川の字就寝と相成りました(涙)。楽しいはずの旅行で、不安にさらされる時間を過ごします。しかし、8郎家は幸せでした。そのころ、8郎家がひきこもる浅間温泉から数10㌔離れた長野市では千曲川が決壊し、大変なことになっていたのです。