沖縄 8 Scene

沖縄で生まれ沖縄に生きる
      8郎家の日記

キャンバスの描き方

2024年04月13日 | お仕事

 2024年度が始まって2週間が経とうとしています。年度明け早々の4月3日に大ニュースが飛び込んできましたね。朝の出勤時に発生した「台湾東部沖地震」でした。ここ沖縄地方にも数メートル規模の津波警報が発表され、沿岸部の住民らが高台に避難するなど混乱しました。結果的に津波は最大でも30㌢ほど。大きな被害がなくてよかったです。一方で震度6が直撃し、被災された台湾の方々には深くお見舞い申し上げます。この地震を象徴する傾斜したマンションには本当に驚かされました。

 年度初めの沖縄は雨天続きでした。記録的な渇水状態だったダムも多少改善されたようです。下写真は8郎宅のベランダ、いや絶景テラスから東南方向を撮影したもの。普段は首里城が見えるのですがこの日は空全体が灰色のキャンバスに塗りつぶされていました。

 

 ・  ・  ・  ・  ・

 

 さて、本題に入る前に、サラリーマン8郎の人事にまつわる話を書き残しておきます。年度末に書き残しておくのを忘れていたので追記となります。昇進、異動ともになし、でした。去年異動したばかりなので異動なしは願ってもないことですが、相変わらずの「昇進なし」には怒りすら覚えずに笑ってしまいました。なにがおかしいかって? 毎年恒例なのですが、「またあいつ(人事権者)が最後の最後で握りつぶした。あいつはそれを楽しむ人間だ」という情報が日を置くほどに五月雨で入ってくるからです(こんな腐った会社でもクサレ人事権者の密室の愚行を8郎に教えてくれる心ある先輩が多少はいるのです)。悲しいことに2代続くクサレ人事権者のおかげで8郎はここ10年、ほぼ昇進なしです。そして毎年恒例ですが、その余波をくらった意味不明で不要なスクランブル辞令も発生したそうです。急に特進した後輩がいたようなので火種はその辺りだったのでしょう。

 ま、8郎は証拠隠滅と自己保身に全エネルギーを注入する老害クサレとその取り巻きどもに評価されるつもりは全くないので、自分が決めた道を進むだけです。毎日出勤できる会社があること、当面は家族を養える給料が出ているだけでもありがたいです。10年ほぼ昇進なしとは言っても年功で昇級はしており、貧困率全国一の沖縄においては恵まれた生活ができており不満はありません。会社には心底感謝しています。

 以上のてんまつはいつか振り返るためだけにサラリーマン記として残しておきます。でも、正直、書き残すほどもない情けない社風です。。。

 

 ・  ・  ・  ・  ・

 

 はい、本題です。先日所用あって母校であるR大キャンパスに行く機会がありました。卒業してから四半世紀、その間に一度や二度は入ったことはあると思いますが・・・あまりに懐かしい風景に卒業以来初めて的な感覚になっていました。激ナツ感満載です。これも年をとった証拠かな。2日連続で行ったので雨天と晴天の写真になっています。ちなみにキャンバスとキャンパスって全く違う言葉って知ってました? どうでもいい話ですいません(笑)。

 8郎が属していた文系棟。バイトに明け暮れほとんど勉強しなかったけど懐かしさでいっぱいです。四半世紀前にお世話になったN教授や同級生の顔ぶれが浮かんできました。

 いつかも書きましたが、わがR大は国立大学としては偏差値は低いですが、戦争で荒れ果てた沖縄の地から沖縄のために貢献できるウチナンチュ人材を育てようという設立目的は崇高なものがあります。県民の付託を背負っており、ウチナンチュ8郎にとっても誇り高き母校です。2浪しましたが(笑)。

 新入生歓迎の看板が設置されていました。学費を稼ぐために家庭教師を数件掛け持ちせざるを得なかった8郎には無縁でしたね。本当はバイトなんかせずに野球部やプロレス同好会に入りたかったのですが、経済的に無理でした。楽しさとは無縁の灰色キャンパスに終わったことが今でも悔しくてなりません。

 でも、灰色のキャンパスではありましたが、R大卒であることは、その後の人生のキャンパスを大いに彩ってくれましたよ! それが言いたかったのです。

 いろいろと思いをはせた母校散策でした。

 

 ・  ・  ・  ・  ・

 

 ナカユクイで、おいしゅうざいましたシリーズです。

 先日、たまたま入った喫茶店レストランが面白かったのでご紹介します。沖縄市の『タコベル』さんです。ステーキとタコスの店と書いてありました。急遽時間をつぶすことになりグーグルマップで検索し、駐車場が空いていたので即入りました。店内は、オーナーさんの作品でしょうか、昭和のスターや風景を多様なサイズのキャンバスに油絵として描いていました。力作の迫力はまさに異空間ですね。

 8郎が座った席の真正面には昭和の大スター故・石原裕次郎氏(亡くなった後にセクハラ告発をされていましたね)と、今を時めくメジャーリーガー大谷翔平選手の肖像画が。異色のコラボですね。大谷選手のやつは油絵ではなく等身大コピーかもしれません。それにしても圧のある2人が正面にいると食べにくい。。。

 ステーキとタコスの店、ということなので、8郎は迷わずトンカツ定食を注文しました。はい、KYおじさん登場です。裕次郎と翔平ににらまれても自我を押し通す頑固者です。

 トンカツ定食は量は少なめでしたが、昭和のおじさんを郷愁の世界に誘うお味でした。個人的には好きですね。機会があればまた行きたいです。

 ただし、タバコのにおいが充満しているのでタバコがNGな方は避けたほうが無難です。

 

 ・  ・  ・  ・  ・

 

 ところで、トンカツが大好きな8郎。理由を考えると、小学校3年生のころに時を戻すことなります。当ブログに時折突然現れる50歳おじさんの回想記に、お暇な方はお付き合いください。

 姉妹ともに父親に追い出され、母子家庭だった8郎。借金取りに追われスナック勤めの母の収入は無いに等しく、水道光熱費は滞納、姉弟3人でオキコラーメンにかじりつく毎日でした。とある日、8郎だけ父親に呼び出され車で食堂に連れていかれました。呼び出された理由は覚えていませんが、母や同居するチンピラの情報収集だったのでしょう。はっきり憶えているのは、父が好きなものを注文していいというので、注文したカツ丼の美味しさです。

 久しぶりに会う父に「給食費が払えなくて毎日恥ずかしい思いをしている」「ママの相手がママを毎日殴っている」と助けを求めたかったのですが、父は「お前たちのママは最悪のダメ女だ。パパもそれでずっと苦労してきた」としか言わないのは分かっていたので、口にしませんでした。そんな気まずい雰囲気でも、その時食べたカツ丼の美味しさは一生忘れられないのです! 口の中が変になる、という表現は変ですが、それくらい感動しました。もちろん貧しい生活の反動もあったでしょうが。その時、幼き8郎は強く誓いました。「大人になったらカツ丼を自分のお金で買えるんだ。それまで頑張ろう」と(笑)。プロ野球選手になるという夢はすぐにあきらめざるを得なかった小学校3年生でしたが、たかだか一杯のカツ丼のおかげで、あまりに幼くて現実的ではありますが、夢を、そして将来像を描くことができたのです。食べ物の力って恐ろしいですね。

 以上、8郎がトンカツを好きな理由です。どうでもいい話にお付き合いいただきありがとうございます。

※その店があった道を最近車で通りました。建物はまだありましたが、食堂は別の店に変わっていました。近隣も区画整理で激変していました。40年の時の流れを感じました。

 

 ・  ・  ・  ・  ・

 

 閑話休題、話を戻します。出世とは全く無縁の8郎のサラリーマン人生ですが、苦しかった幼少期に将来のキャンバスとして描いた「カツ丼を食いたいときに食えるだけの給料をもらう大人」にはなっています(笑)。ステーキとタコスの店で迷わずトンカツを頼んでしまうのは、そういう屈折した思い出が身に沁みついているからかもしれません。

 ところで、なぜ、今回こういうせこい人事から母校の思い出、さらにはトンカツまでと全く脈絡のない記事を書いてきたかと言うと、8郎にとってここ数年来の最大の課題が「55歳以後のキャンバスをどう描いていくか」であることを自ら再確認するためです。個人的理由ですみません。なぜなら、いくらキャンバスは自由だと言えども、アフター55の世界に関しては自分の好き勝手には描けないからです。もちろん愛息10郎の大学受験シーズンともかぶるからです。R大卒という経歴が8郎の人生にもたらしてくれた財産を息子にも得てほしいと考えています(もちろんR大よりもっと上の大学を目指してほしいのですが、一人っ子なので地元でもいいかなと最近勝手に夢想しております。笑)。子育てにおいて最後にして最大かつ最も大事なお金が出ていきます。

 そのころにはわが社の経営はかなり厳しくなっていると強く懸念しています。雇用形態も激変していることでしょう(何しろ会社という社員全体のキャンバスに自己顕示欲しか描けない人間が2代続けてトップに居座っているのですから)。それでも親として言い訳をせずひとり息子の最終学歴の獲得に責任を取れるような生き方の構図を描いておかなければなりません。

 そして、そのための準備時間はどんどん減ってきています。焦る心を落ち着かせつつ、1杯のカツ丼で将来のキャンパスを描けた初心に戻って頑張ります。例えカツ丼でも具体的な夢があれば道は切り開けるんだ!と(笑)。クサレ人事権者が密室でネチネチ考えあげたクサレ人事に反応しているひまなぞ8郎にはありませんので(時間のクソ無駄です)。

 ということで、これからA4用紙というキャンバスに8月試験本番までのスケジュールを描きます。そのキャンバスがアフター55の未来像につながると信じて。

 はい。キャンバスを描く前に宅シネマを1本観ようと思いますので(観るばー)、今日はこれにて。


真夏の単身赴任

2023年07月15日 | お仕事

 お久しぶりです。7月に入って初めての更新です。殺人的な暑さが続いていますが、みなさんは元気にお過ごしでしょうか。8月頭の試験が終わるまで更新しないつもりでしたが、庶民派サラリーマン8郎が人生初の単身赴任生活を送ることになったので、その件だけ駆け足で報告いたします。

※満を持して臨んだはずの「アレルギー性鼻炎の手術」はコロナ拡大による医療体制維持のため9月末に延期となりました(泣)。待ち遠しいっ。

 7月の青空ほど美しいものはありません。しがない50歳をいつでも夏休みの少年に戻してくれます。と言ってもこの7月はどこにも遊びに行けませんが。。。

 暑さ対策で帽子を慎重しました。ノースフェイス製の5千円ちょいです。毛のない頭皮を守るための必要経費と考えました。とてもかぶりやすく気に入っています。

 さて改めまして、50歳にして初めての単身赴任となった8郎です。転勤先には浦添市の自宅から通うことも可能だったのですが、社用車を置く駐車場が近隣に見つからないという現実に直面しました。ということで勤務先近くに家具付きアパートを借りることになった次第です(借料の大半は会社が負担してくれますが水光熱費はもちろん自己負担。いろんな経費が上昇する中でのさらなる経済負担が痛いですね~)。

 建物は築6年ということでとてもきれいでした。新しい勤務地はここから歩いて10分ほどです。ちなみに鍵はスマホで開閉します。昭和生まれのおじさん、びっくりしました。

 リビングは6畳ほどでしょうか。最初見たときは「狭っ」とビビりましたが、単身で住んでみるとちょうどいいサイズです。

 バス、トイレが別なのはうれしいですね~。

 ガスコンロはなくIHヒーターです。お湯を沸かすことにしか使っていません。出るときに掃除するのが嫌なので油は使わないでおこうと考えています。

 単身のさみしい夜は、数年前にキャンプ兼インテリアとして購入したLEDランタンの暖色が癒してくれます。かっこつけて泡盛を置いていますが、ほとんど飲んでいません。この久米仙は2008年製造なので「なんちゃって15年古酒」になっているはずですが、あまり口に合わないですね~。

 単身赴任ってやっぱり寂しいですね。就寝時に電気を消すときに痛感します。一人暮らしだった20代後半を思い出しました。多くのみなさんにも経験があるでしょうが、スイッチオフにした真っ黒なテレビ画面に映る自分を見たときのさみしさ(笑)。あ、俺って独りぼっちなんだ、とものすごい寂寥感に襲われますよね。

 仕事で疲れて帰った50歳8郎の最大の癒しである、愛息10郎の全身マッサージも単身赴任ではできません(8郎がやるんですよ)。早く駐車場を見つけて自宅から通いたいものです。遅くとも年内には、、、と考えています。見つけた方、すぐ教えてください(笑)

※補足です。このような家具付きアパートを借りるさいに一番不安なのが騒音問題ですが、住んで2週間近くなる現在、何の問題もありません! 住居人のみなさん、とても静かです。もちろん隣にどんな人が住んでいるか全く分かりません。

 

 さて。徒歩での出退勤生活は景色に目が行きます。7月の太陽は暑いですが、目に映るものを一年で一番鮮やかに写してくれます。クスノキ通りと呼ばれる道です。セミがうるさいですが、木陰を作ってくれて味わいのある通りです。

 アパートまでの帰路にある名もなき急な坂道です。傑作アニメ邦画『君の名は。』にでも出てきそうではありませんか。吹き抜ける風がとても心地よいです。

 勝手に命名させていただきます。「君の名は。坂」です。まんまの上にパクリあらに!

 しかし、あまりに急傾斜なので50歳はひざを痛めそうになるのも事実(笑)。

 2009年に完成した音楽施設「コザ ミュージックタウン音市場」もチラ見。この日、オキナワンロックの祭典「ピースフルラブロックフェスティバル」が行われたようです。アパートから歩いて10分ですが、永遠の邦楽ポップ信奉派の8郎、チラ見すらしませんでした(笑)。

 過疎化やゴーストタウン化(は言い過ぎか)が叫ばれて久しい通り街も散策。

 昼間でしたが、営業している店は1~2割ほどだったでしょうか。この地出身の同世代の同僚は「30年前は毎週人であふれていた。こんなにすたれるなんて信じられない」と嘆いていました。駐車場付き大型商業施設が近隣町で相次いで開業したことが大きな要因だとは思いますが、時の流れは残酷です。

 米軍基地のゲート前ストリート。沖縄の戦後史であるアメリカ世(ゆ)がもたらした異国情緒が残っています。

 中の町の飲食店街で同僚らが歓迎会をしてくれました。楽しかったです。

 1954年創業で国内初のショッピングセンターをうたう「プラザハウス」にも寄ってみました。エレベーター内も異国情緒があふれていました。映画館もあるので、単身赴任の間に利用してみたいと思います。

 同施設にある割烹系食堂『ばん傘』さんでランチ。来店2度目なのですが初回と同じ「カツ丼」を注文。サンエー和風亭のカツ丼も好きですが、こちらは割烹職人さんのてぃーあんだ(手間ひま)が込められている感があります(ヒンスー育ちの勘違いかもしれませんが)。甘いタレがしみ込んでいるトンカツですが衣のサクサク感を失っていません。甘みを感じやすいようにスライスされた玉ねぎが入っています。おいしゅうございました。また、ご褒美メシとして食べに行きます。

 お次はふらっと立ち寄ったアーケード街の沖縄そば屋「796(ナンクル)さん。7月限定メニューのキーマカレー混ぜそば」です。珍しい味覚でおいしかったのですが、ニラは不要だったかもしれません。カレーと主張のぶつかり合いで個性が完全に消えていたからです(笑)。なのに口臭としては存在感を発揮するというおまけがついてきました。次はメーンメニューの沖縄そばに挑戦してみます。

 3番目は北中城村まで足を延ばし「縁どころ 吉嶺(よしんみ)」さんです。限定メニューの「骨汁定食」です。刺身も付いていました。昭和のおじさんからすればちょっと薄味でしたが、とってもおいしゅうございました。

 この食堂は窓越しから中城湾の景色も拝めます。もともと居酒屋としてやってきたそうですが、2年前からランチも提供しているようです。今回一番のおススメ店です。

 そして単身赴任者にとって欠かせない「ぼっち飲み」の候補店も早速見つけました。もちろん店名は明かせまん。京都の割烹で修業を積んだという大将が気さくな方で、いろいろ会話ができます。料理もおいしいです。ちょっとお値段が高めぽいので高い頻度では通えませんが。

 刺し盛には鱧(ハモ)の刺身(左下)まであります。小骨を切るのが大変らしいですが、京都の夏の風物詩だそうです。

 ということで、50歳にして初の単身赴任の様子をサクっとお届けしました(誤字脱字あればご勘弁ください)。食べてばかりあらに、と突っ込まないでください。ちゃんと新しい仕事にも取り組んでいますよ!


意味ある回り道

2021年02月11日 | お仕事

 2月になって初の更新です。公園のカンヒザクラ青空に映えていました。天気のいい日と悪い日が交互に繰り返しています。

  コロナに関する緊急事態宣言が2月いっぱいまでに延長されています。出勤時(午前9時)の久茂地スクランブル交差点もこのように人がいません。リモートだけでなく、出勤停止か、最悪解雇になった方々が在宅しているという影響もあると思います。

 外出自粛という、いわゆる遠回りの政策が、結果的に感染抑止につながることを願います。

 

 さて、2月に入り寒暖の差が激しい日が続いた上に、爆弾低気圧に見舞われた沖縄。それはつまり、万年副鼻腔に悩まされる8郎の体調も最悪の状態にあるということを意味します! 頭と顔面を襲う圧迫感のある痛み、肩こり等、寝起きの悪さ等、自律神経の異常です。我慢できずに会社を休み、半年間さぼっていた耳鼻科に行ってきました。先生には「初めて通院した6年前より悪くなっている」と厳しい指摘を受けました。定期的に通わなければ抑えることができないそうです。薬はジェネリックもあって多少安くなっていたものの2千円台後半。コロナ禍の財布に隙間風が吹きまくります。

 低気圧が近づくと、愛息10郎も全く同じ症状が出るので、負の遺伝子を与えてしまったと申し訳ない限りです。まぁ、人になかなか分かってもらえない痛みを共感できる仲間がいる、ということで息子には理解してもらおうかな。

 

 さて、ブログを書いている日の午前。8郎は上記の通りの体調の悪さで寝ており気づかなかったのですが、在沖米海兵隊のオスプレイ4機が浦添市内上空を爆音を立てて飛び交っていたようです。妻が動画を撮影。爆弾低気圧で台風なみの強風だった日にです。危険だろーが。

 辺戸岬での米軍輸送機の低空飛行に対する県議会の抗議決議に対するいやがらせに違いありません。その翌日に4機編隊組むなど、いつまでも占領意識丸出しですね。だからいつまでもたっても出ていけと言われるんだぞ。〝よき隣人〟というならせめて住宅地上空を避けて回り道するなど最大限の配慮をしろ! 

 

 ・  ・  ・  ・  ・ 

 

 さてお次は、超不人気カテゴリー資格試験です。興味のない方はここでページアウトください。

 10月予定の中小企業診断士2次試験に向けて参考書をアマゾンで購入しました。「ふぞろいな合格答案」です。不思議な名前ですが、背景には中小企業診断士の2次試験が数ある国家資格の中で唯一、正解が発表されない論文試験だという事実があります。なので、大手予備校の講師陣などが模範解答をつくって対応するなどしています。その中で、合格者の解答を集めたのがこの参考書になります。ネット情報によると、受験生必須のアイテムというので仕方なく購入しました。写真右の5色マーカーも2次試験必須のアイテムらしいので、ついでに購入。とりあえずネットでおすすめだった薄めのやつを選択しました。

 独学の8郎にとって、どう使いこなすのかよく分かりませんが、ネット先生などから教えを請い、活用していこうと思います。行かなきゃよかった回り道とならないよう、1次試験最優先を意識しながら、やるとしても3月までですね。そうです、まだ1次試験に受かってもいないのですから(笑)。

 

 ・  ・  ・  ・  ・

 

 さて、サラリーマン8郎にも人事の季節がやってきました。例年通り形だけ異動願いを出していたのですが、結果からいうと残留となりました。説明責任から逃げ続けるきったねー人事権者とそのおこぼれにあずかろうと必死な取り巻きがいるので仕方ありません。せこい、そして悲しい会社です。

 しかし、残留という結果に、昨年同様、内心ほっとしている自分がいます。理由はズバリ、定時退社が可能な部署だからです。仕事が楽という意味ではなく、自分の時間が持てるということです。現部署は入社して以来個人的にはもっとも閑職であることに疑いの余地はないのですが(悲)、定時に帰ることができるという事実は、例え窓際族だと言われようと、会社が意味のある時間をくれたというメリットととらえています。理解ある上司、同僚にも恵まれていますしね。周囲にはとても感謝しています。

 何度も書いていますが、今年こそ1次試験を突破しなければなりません。まずそれを実現しなければ、今年48歳になる8郎の50代からの展望が描けないからです。コロナショック以降の今ほど、サービス残業に代表される昭和平成バブリーズの生き方が無駄なときはありません。サラリーマン人生おいても、5年後を見据えた生き方としても無意味な回り道だと考えています。

 ちなみにくそきったねー人権者によって10年ほど止められていた昇級は、心ある上司たちのおかげで実現しました。本来なら30代後半で実現するべきものなので、何ら喜べるものでもないのですが、奮闘していただいた上司らには感謝の意を述べました。ただし、8郎的にこれは6年前から分かっていたことです。本年度にくそきったねーやつが退任し、人事においてそいつの影響力が限りなく小さくなったからです。そのときに現経営陣が何気なく昇級させるはずだと6年前から確信していました。子供みたいな人事です。笑うしかありません。

 メンタルで腐っていても全く意味がありません。いいように考えていくと「本当に運がいいのは俺ではないか」とまで思ってしまいます(笑)。6年前に始まり、現在の部署に左遷的残留というまでの道のりは、きっと神の思し召しに違いありません。なぜなら、おかげさまでこの6年、かわいい盛りの10郎との時間をたくさん取ることができたからです。さらに簿記2級宅建士等のビジネス資格を取得することもでき〝人生最後の資格〟と銘打った中小企業診断士への挑戦に1300時間も充てることができました(いまだ不合格ですが)。家族やどぅしぐゎーとの旅行、キャンプも満喫しました。さらに妻と一緒に終の棲家を探して歩き回り、ライフスタイルに合った物件を見つけることもできました。30代を過ごしたような激職にいたら非常に困難だったと思います。いつかサラリーマン生活を振り返るとき、きっと意味のある回り道だったと言えるでしょう。将来を見据え努力あるのみです。その本丸こそが1次試験突破だと位置付けています。

 

 一日、一日頑張るしかねー🔥 

 

 最後の写真は天気のいい日に、家族3人でキャッチボールをしたときのランチタイムです。ケンタッキーフライドチキンを爆食する10郎です。球速はどんどん速くなってきました。息子のすこやかな成長こそが8郎の生きがいです。

 さて、ブログを書いていることこそ一番危険な回り道ではないか💀ということに、今さら気づきましたので、今日はこれにて。


家族のために働きます

2015年01月15日 | お仕事

 異動の内示が出ました。一定の確率で想定していたものではあるものの、最悪に近い結果でした。

 

 9年前に1年半在籍していたイベント部署です。そこは「お前あさってからS部だぜ」と一方的に異動させられた部署です。なんでそこに戻すのか理由が全くないのですが、人事権者が肝っ玉の小さい野郎なので仕方ありません。人事権者は、8郎の社員生命を奪うような最低のことをしておきながら最低限の説明責任すら全うしない、きったねぇやつです。(辞令の理由ははっきりしています。そこから戻る先輩社員がいるので、その単なる代替要員にあてただけです)。

 ただ、これもサラリーマンの運命。堅物の8郎は、こざとい生き方はできません。自分が正しいと思う働き方で会社に貢献し、いつかサラリーマン人生を終えたいと考えております(この会社が8郎の定年まで安定しているか疑問ですが)。自分の生き方に反省はあれども悔いはないです。

 

 人事権者の顔面を殴りたい気持ちを抑え説明を中座しました(殴ったら犯罪です)。怒りと不安の胸中のまま、妻にメールで報告。妻からは「また新しい生活を一生に頑張ろう」との返信がありました。添付されていた10郎の無邪気な写真を見るにつけ、「負けてたまるか。俺は上司にゴマするために働いているんじゃない。家族のために働いているんだ」という気持ちが改めてふつふつ沸いてきました。妻のメールで、一番大事なものは何かはっきり分かりました。妻に感謝です。

 

 どこもそうでしょうが、これから行く部署も、本当は何でもいうことを聞く若手がほしいに違いないので、不惑を超えたおっさん社員は歓迎されないだろうなと思います。でも、8郎は逃げません。信頼できる上司から「仕事できるな」、後輩からも「頼りになる」といわれるように頑張ります。いまだに納得できないこの人事に、今すぐ思い浮かぶメリットがあるとすれば、もうこりごりの夜勤生活から、普通のサラリーマン生活に戻ることができることかな。夜や土日は家族と過ごせる時間が今よりは持てるかな。宅建などスキルアップに充てる時間も確保したいと思います。

 

 まぁ、来年もあきらめずに異動願いは出しますが。

 

 家族3人で新しい生活を始めます。狭いアパートも引っ越そうかと考えています。

 

 とりあえず、目の前のFP3級試験に全力を注がねばなりません。自分で自分を誉めてあげる与那国一人旅も控えています(予約してよかった)。くよくよしている時間はありません。気力を振り絞り、頑張ります。

 

 今日は眠れないかもしれません。


「異動」と「お金」に挑戦

2014年11月16日 | お仕事

 2014年ももう11月半ば。ここ沖縄では、米軍普天間飛行場の返還問題が最大争点といわれる県知事戦を今日(16日)に控え、各メディアはいろめきたっています。でも、多くの県民の関心はどうなんでしょうか。多様な問題を抱える島でありがなら、基地問題ばっかりに焦点が当たっている気がして、なかなか政治に興味が持てない8郎です。誰が勝つか、ということと同時に投票率も気になりますね。

 さて、そんな世知辛い世の中ですが、41歳の8郎、2015年に向けて新たな挑戦です。二つあります。一つは、2年ぶりに人事異動希望を出したということ。現在の職場について(そもそも人事権者のしょうもない保身的理由からなされたものであるのですが)、8郎としては2年間弱、自分なりに全うしてきたという満足感と、3年目以降はいたくないという危機感があるからです(笑)。希望先は、簿記2級の資格が最大限に生かせるところにしました。叶うかどうかは、半々というところですが、会社に対し自分なりの意思表示をしたつもりです。

 もう一つは、簿記2級に続く資格試験、ファイナンシャル・プランナー3級への挑戦です。難易度も知名度も低いのですが、自分に足りない「お金」に対する知識を得るために必要最小限の資格と判断しました。銀行でパートで働く妻も、8郎と職場の勧めで受験することに! 夫婦で頑張ります。もう一週間ほど勉強しているのですが、早速得るものがありました。それは住宅を建てるための有名なローン「フラット35」の支払い最終年が80歳であること、です。つまり8郎がそれを利用するには、あと3年がリミットということなんです!(もし借りれたとしても80歳までローンに追われたくないわいっ)。そういうことにも気付かせてくれるいい機会です。来年1月25日に向けて頑張ります。

 先日、家族3人、浦添大公園で遊んできました。大規模な遊具施設で有名なところです。8郎はいつもの通り、夕方から出勤なのですが久々に10郎とのふれあいを楽しみました。

 下写真は、複雑な構造のアスレチックで、いったん道に迷いながらも一人で通路を見つけ出し、はしごを上って、父母のもとへ帰ってきた10郎です。とーとーはプチ感動したぞ。

 公園名物の超ロングすべり台です。父母ともに満喫。8郎は2日間、ケツが痛かったっす(泣)。かーかーは全身筋肉痛だったとか。8郎より運動不足ですな。

 お昼ごはんは展望台でマック。メタボ親父8郎は新メニューのトンカツバーガーにしましたが、これは大失敗(笑)。中国産チキンで経営難にあるマクドナルドをさらに苦境へと追い詰めるでしょう…。冗談ですが。

 さて、12月の頭に、またしても金武町でキャンプをすることになりました! 風に悩まされた前回ながらも、夜釣りでチリリンと鈴がなったときの10郎の興奮した顔が忘れられなくて再決行を決断したのです(本当は父が一番興奮していたかも)。無事、決行できたらまたご報告いたします。楽しみぃー。


5年間ありがとうございました

2011年02月26日 | お仕事

 新緑が芽吹きだしたやんばるの森(下写真)とともに、ハチローからみなさんに、ご報告です。

Photo_2

 当ブログ「沖縄 8 scene」を今回をもって、事実上、閉鎖することを決めました。

 まことに勝手ながら、そう判断させていただきました。

 最大の理由は、人事異動です。このたび、ハチローの3年におよぶやんばる生活が終りをつげ、那覇に戻ることが決定しました 同時に業務内容も大幅に変わるため、従来のように写真で沖縄の風物詩をお伝えすることが非常に難しくなってきたからです。ただでさえ、更新ペースが滞っていた状態。このままだらだら続けても、月一回、釣りと愛息ジュウロウの話しかでてこない可能性が高いのです。すでにそうだといわれればそれまでですが(笑)

 2006年2月19日に開設してから、満5年の月日がたっていました。今回含めUPした記事は計410本。庶民派アナログサラリーマンであるハチローが、「ネットの世界で情報を伝え共有することが一体どういうことなのか」との疑問、期待から立ち上げ、実質単なる日記的側面に終始しながらも、5年以上も続けてこれたのは、みなさんの激励やコメントがあったからこそです(ひゅーひゅー)。本当に感謝しています。

 下写真は愛機NIKONのD300。当ブログは彼の存在なしには語れません。やんばる異動を前に総額30万円で購入しました。24時間365日、常にハチローのそばにいて、獅子奮迅の大活躍でした。センスもなければ大して努力もしていない最悪のご主人様ハチローを、ここぞというときに必ず助けてくれました。一点の不満もない最高の相棒だったぜ。活躍の機会は減るが、これからもよろしくな。

Photo_5

 振り返れば、いろんなことがあり、そして伝えました。

 沖縄のいろんな風物詩を撮影し、北は伊平屋から南は与那国までいろんな海に潜りました。業務での不平不満も正直に書きました(今思えば子供だったなぁと反省も多々あり)。旅行などプライベートも遠慮なく載せました。いろんなところで飯を食いました(食べすぎです)。そして、ひねくれ者ハチローなりのむぬかんげーも一方的に(謝)お伝えしました。

 テルおばぁ、いちどぅしヤスーンが亡くなりました。人の命のはかなさを痛感するとともに、大事な人はそのときに大事にしておかないと取り返しがつかない、ということも身をもって知りました。まさに後悔あとに立たずでした。でも、それを記憶に残すためにブログという記録に残しました。

 どぅしぐわぁーたちとの交流も記録しました。それはハチローにとって、いつでも少年時代に戻ることができる楽しい作業でした。40、50歳を過ぎて正真正銘の加齢臭オヤジになっても忘れることはないでしょう。

 登場していただいた方には、本当に感謝しています。

 ところで、閉鎖を「事実上」としたのには二つの理由があります。

 一つは、綴り揚げてきたハチローの「日記」でもあるため、何かしらの方法で残したいと思っており、その方法が確定するまでは、ネット上で生かしておこうと思っているからです。5年間分を効率的にデジタル保存できる方法を知っているという方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。それまでは月々3000円?のサーバー維持費を払いつつ、当面はネット上に残したいと思います。

 もう一つは、暫定的に残している間に、何かしらの話題があれば、臨時的にUPする可能性もあるかなと、いちるの期待を残しました。その可能性は低いですがね。

 つまりは、閉鎖、です。

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 前回UPした、「ゴマちゃんにリベンジ」のてんまつが気になっているマニアの方(笑)のために、簡単な報告を。

 結果からいうと、ゴマちゃんとの再会は果たせませんでした(泣)。釣果はガーラオジサンなど、寂しいものでした(下写真)。そして「小さな魚はリリースしよう」と当たり前のことを誓った37歳です。

Photo

 やんばるはシティーボーイのハチローに、釣りの楽しさを始め、自然の素晴らしさを教えてくれました。

 さて、当ブログのラスト1年で、ハイハイと勝手に主役に躍り出た愛息ジュウロウは元気いっぱい。大好きな風呂でも、座りこんで余裕の表情を見せています。最近は「ぱぱ、まま、あんまー(沖縄方言で母のこと)」と口にします(笑)。歩くのももうすぐだね

Photo_3

 やんばる最後の思い出にと、家族3人での美しい名護城(なんぐすく)公園で最後の記念撮影をしてきました(下写真)。※最後までモザイクご免。お見せするほどの顔ではないもので。 

Photo_4

 の向こうに見える名護のまち(妻とジュウロウの生まれ故郷)での3年間は、ハチロー一家にとって忘れることのない日々です。

 暗い話題ばかりの日本ですが、みなさんもお体に気をつけて、日々まい進していきましょう。

 5年間、ご愛顧のほど、まことにありがとうございした。


ゴマちゃんで決めました

2011年02月13日 | お仕事

 戻りビーサなのか、最近は寒い日が続いていますね。みなさんは風邪など引いてないでしょうか。市内の稲作地では休耕時のコスモスが満開でした。

Photo

 さて、やんばるの思い出をつくろうと空いた日を見つけては釣りにいそしんでいるハチロー。小物ながらも釣果をご報告いたします。まずはホームグラウンドともいえるN港で釣ったミーバイ。味噌汁にしました。

Photo_5

 お次は、行ったら何かしら釣れる「坊主に優しい」M港でのキントキ。目がデカっ。鮮やかな赤色でうろこがサンドペーパーのように硬かったです。刺身にしたところ(一人分しかありませんでしたが)、おいしゅうございました!

Photo

 そして、国頭のA港で、仕掛け投入から5秒で釣れた(ホントっす)オジサン。うきと錘のバランスに失敗したかと思ったくらいです。そういえば肉は冷凍したままだなぁ。素揚げにしよう。

Photo_2

 最近はバッカンも購入し、ちゃんとオキアミと魚集材をまぜた撒き餌を使っています(下写真)。かご釣りは効果はありますね。 ちなみに上の3匹はともに20㌢の小物です(笑) しかし沖縄の魚は色鮮やかですね。

Photo_6

 やんばる最後の釣りはどこにしようかと迷っていたハチロー。国頭のA港に決めたのですが、そのてん末を。

 A港は中潮の干潮時に到着。おじさん一人が静かに竿を垂れていました。漁港とはいえ、ほとんど舟やウミンチュの動きが感じられない、ある意味殺伐とした漁港です。しかし、あまりの静けさになんだか「でかいの釣れそう」感がビリビリきました。

Photo_3

 仕掛け投入後、先ほどのオジサンがあっという間にかかりました。オジサンはその後2匹が立て続けに。しかし、午前中に別のA港(超人気港ですが釣れませんでした)で撒き餌を消費していたために、付けエサのオキアミを砕いて撒き餌にするという緊急措置をとるはめに(泣)。「長い時間はできないな」と考えていたところ、ウキがまるでロケットのように水中に消えて行くではありませんか。

 あわててマイ竿リバティを引き上げ戦闘態勢に。ばちばちばちと竿がU地に曲がり、リールもまけない状態になりました! ハチロー史上最大だった45㌢のボラ(笑)のときよりもはるかに強いひきです。「これは40㌢級のカーエーではないか」と、今まで他人のためにしか使ったことのないタモを片手に足場の悪い岩場へと降ります。

 1分くらい引きつ引かれつの格闘を繰り返したのですが、妻に内緒で(怖)リールを3000から3500にバージョンアップをしていたのと、道糸も5号にしていたのが功を奏しました。大物が徐々に水面近くに姿を現しました。のた打ち回る姿は残念ながらカーエーでもチンでもなくゴマモンガラでしたが40㌢超級の大きさです。しかも分厚くてごっつい!

 マイ竿リバティを操り、ゴマモンガラに空気を吸わせ、何とか水際まで引き寄せたのですが、岩場のすきまに入り込もうとします。急いでタモを入れましたが尾の方からになってしまい、「タモは頭から」というセオリーを思い出し、反転させようとしたところ、その間にゴマモンガラは身をよじって針を外しやがりました! ヨタヨタと水中に消えていきました…。

 しばらく悔しさで波止場で一人タバコを吸い続け、魚相手にリベンジを誓ったた37歳です。5号針が曲がっていました。

 ゴマちゃん、待ってろよ~、刺身にしてやるぞう。本当はチンが一番釣りたいんですが。どちらにしろ、そのときをもってやんばるの釣りは打ち止めにしたいと思います。

 さて、思い出ランチにもいそしんでいるハチロー一家。先日は名護で最も古いといわれるそば屋「新山食堂」に初めて足を運びました。ハチローはソーキそばといなりを注文。

Sinnzann

 お味はというと、一番人気のてぃびちそばにすればよかったと後悔。古きよきそば屋だなという感じでした。妻の評価は低かったっす。

 あしたは特別スペシャーオデー♪(by国生さゆり)いわゆるバレンタインデーですね。女子からチョコをもらえるかどうかより、異動人事がまだ出ていないことが気になるサラリーマンです。


本部通いの初秋

2010年10月11日 | お仕事

 2日連続で更新いたします。何ヶ月ぶりのことでしょうなぁ…。

 すっかり涼しくなった今日このごろ。公私ともに本部町通いがひんぱんなハチローです。先日は妻子を連れて町営市場に行ってきました。すっかりおなじみとなったカツオチェアーで記念撮影。とにかく笑う愛息ジュウロウです。生誕五ヶ月、人生楽しいことばかりなんだろうなぁ(笑) ちなみに本日、「寝返り返り」にも成功しました 勢い余って戸板に頭をぶつけましたが…。

Photo_3

 市場から歩いて数十㍍の食堂「 さ わ の や 」へ。すぐ近には沖縄そばの大御所きしもと食堂とぜんざいの老舗新垣ぜんざいがあるというのに、そばとぜんざいがしっかりとメニューにあるチャレンジャーな新店舗です(個人的にはカレーもうまい)。知人と一緒に行ったことがありましたが、おいしかったので、今回ものれんをくぐりました。

Photo_2

 ハチローはビーフカレー(680円、本部牛…のはず)、妻はさわのやそば(700円)を注文。おいしかったっす。二人が舌鼓をうつあいだ、愛息ジュウロウも行儀よく畳に寝転がっていました。

Photo

 店を出ると、きしもと食堂にはご覧のような観光客の行列が! ウチナンチュのみなさん、こんなに並ぶくらいなら、そこから歩いて10秒のさ わ の やをオススメしますよ。 Photo_4

 休日だった今日、早朝からまたしても本部港に。何回このカット使うねん。

Photo_6

 2時間で釣れたのは、ハリセンボンを除けばこの一匹(下写真)。一度強い引きがあったのですが、もたもたしているうちテトラに潜られてしまいました。超残念ですが、どんな魚だったか考えるだけでも楽しいですなぁ、釣りって。たとえ釣竿は安物でも道糸だけは強化しておこうと反省しました。

 獲物は形的にはベラか、ブダイ系だと思うのですが、正確な種類は判別できず。大した魚ではなさそうです(酷)

Photo_5

 とりあえず、冷凍しています。2,3日内には汁にでもして食べようと思うので、「これは毒を持っている」という方、早めに連絡をお願いします。

 明日から1週間、頑張るぞー。ハチローのやんばる生活の、ある意味の区切りが今週末に待っているものですから。そのあとに夏休みをとるぞー。1、2泊くらいは離島でダイビングか釣り三昧してみたい37歳です。


2年半のひと区切り

2010年09月20日 | お仕事

 9月に入り、美しい夕陽がよく見られますなぁ。下写真は、まだまだ忙しかった9月頭、気を休めようと車を降りて撮影。まぶしくもおだやかな光に、夏の終りを感じました。Photo_4

 さて、ハチローが2年半前にやんばる支社に異動してきてから、業務上最大の懸案事項だったものが、先日、大きな区切りをつけました。内容からすると、まだまだ本当の終りではないのですが、関係者にとっては、「できることはすべてやった」という大きな区切りであることは間違いないでしょう。端くれとして参加したハチローも、心の奥底で、達成感と安堵感がじわりと広がっています。誰もほめてはくれませんが(笑)。

 それにしても、あっという間のできことでしたなぁ…。感慨深いものがあります。

 がんばったおかげで、やっと連休を取得。早朝と深夜の対面だけが続いていた愛息ジュウロウとコミュニケーションをとるチャンスです。ところで、肝心の愛息は父の気付かぬうちに、「ブー顔」(要求を飲んでほしいときに見せる怒りの顔)を習得していました。

 ぶぅぶぅぶぅ~!

Photo

 まるで、朝青龍ですなぁ。

 父が抱っこをしぶるなど、さらにフェーズを高めると、こうなります。ぶぶぶぶぶー!

Photo_2

 何かが噴火しそうな勢いです(笑) ここまで来ると、「けして甘やかさない」と心に決めた父ハチローも、思わず抱っこをせざるを得ないのです!

 しかし、ちょとでもあやしてあげると、このような笑顔に。赤ちゃんは本当に気分屋です。

Photo_3

Photo_7ジュウロウを実家に預けて夫婦で足を運んだ海洋博公園正面のイタリアンレストラン「ラ ディッシュ」です。

 上がハチロー注文のえびのタルタルソース、下が妻注文のチーズハンバーグです。ともに1600円程度だったかと。

 家庭的なイタリアンという感じで大変おいしゅうございました。店内もまったく気取ってなく、テーブルに至っては 家具屋で売っていそうな家庭用の食卓でした(笑)

 気軽にたらふくイタリアンを食べたいときが向いているかと。ハチローらは夜行ったので分かりませんが、昼間は恐らくオーシャンビューです。

 さ、明日からまた新しいスタート。気を引き締めて行きましょう。

 そうそう、体重も落とそうっと。


まあるい夏、到来

2010年06月25日 | お仕事

 夏を告げる渡り鳥ベニアジサシが名護市内に飛来していると新聞に出ていたので行ってきました。いました、いました。しかし最初に撮影したのはコアジサシ(下写真)。

Ajisai

 ベニアジサシは青い空から滑降してきました(下写真)。

Photo_2

 ベニアジサシは群れになって海面にダイブ。小魚を狙っているようです。かっちょいいっすねー。

Ajisai_yoko

 さて先日、3度目の人間ドックを受けてまいりました(なぜか休日扱い)。体重と腹囲が2年連続増えているのがショック。脂肪肝に注意するようにいわれました。身長は逆に伸び、179.1㌢になっていました(笑)。運動不足のあまり、ひざ軟骨でも緩んだか…。食事は薄味。食べただけで多少、健康になった気がした37歳メタボサラリーマンです。

Photo

 ジュウロウは元気いっぱい。先日、妻から携帯で笑顔の写真(下)が送られてきました。まだ笑うという感情はないはずなのですが、どう見ても笑っていますね。ブサかわいさ(失礼)に癒やされました。最近、業務でストレスを感じ始めると、この写真を見てすべてを忘れることにしています(笑) くよくよすんなよ、父ちゃん。ジュウロウがそういっているように見えるからです。親バカご免。

Photo_2

 しかし、最近は朝から晩までミルクを爆飲しているためか、父ちゃん以上に顔が丸くなってしまったなぁ。 顔が丸けりゃ心も丸い、ということでよしとするかぁ。

 ワールドカップを見るためにアラームを設置していますが、起きれるかなぁ。前2試合とも仕事で観戦できなかったんです(泣)。もしかしたら最後の試合になるかも(不吉)かもしれないので、なるべく見ることにします!

 本田が仕事をした初戦。決勝リーグ進出はシュンスケのフリーキックで決めてもらいたいものですね とりあえず、おやすみです。